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仁乃と黄泉、譲らない想い


 仁乃はつい数十秒前までの乙女心が完全に消沈していた。

 彼女の手には自身の下駄箱に入っていた1枚の紙が眼前で開かれている。その中身は文面こそは短くもその内容は余りにも醜悪、悪意が圧縮されギチギチに嫌な中身の詰め込まれた内容。


 『お前を決して許さない。人の物を奪う卑しい泥棒猫』


 まるで血液の様な真っ赤な色で殴り書きの文字。どこぞの3流ホラー映画で使われそうな小道具の様な代物を目の当たりにして仁乃はゴクリと唾液を呑み込んだ。


 「誰がこんな悪趣味な事を…!」


 あまりのインパクトで思考が凍り付いてしまう仁乃であったがすぐに犯人の目星は付いた。

 紙に印される泥棒猫と言う言葉、そして前日に屋上へ自分を強引に連行した一人の少女。


 「まさかあの娘の仕業なの?」


 この陰湿な行為を自分相手に行う人物など加江須の幼馴染であるあの少女以外に考えられない。そもそも彼女以外に自分に恨みを持つ人物が見当たらないのだ。

 

 十中八九この手紙の犯人はあの愛野って娘だとは思うけど……。


 しかし決めつけてはいるが何一つとして証拠が無い。仮にこの紙を持って彼女を問い詰めても知らぬ存ぜぬを通されてしまえばもう真偽を確かめるすべが現状はない。かと言って仮に黄泉が犯人だとしても馬鹿正直に『はい私がやりました』なんて言う訳もない。


 仁乃は改めて紙に印されている内容を心の中で読み返す。

 まるでこの紙に呪いでも掛けられているかのように胸が重たくなる。こんな簡潔な文章なのに1文字1文字に呪詛でも籠められているかのように眺めれば眺めるほどに気分が沈む。

 

 「……最悪、悪戯にしてはタチが悪いわね」


 仮にこれが今自分の言った通り一過性の無差別な悪戯ならまだ良い。だがもしも幼馴染を横取りされたと思っている黄泉の逆恨みから来るものならば……。

 ここまで思考が行き思った事はこの事実は加江須には伏せておくべきと言うことであった。


 もしもこれが愛野黄泉からの仕掛けだと言うなら加江須には知らせるべきじゃないわね。まだ彼女の仕業と言う確証もないし、それにあいつに変に責任感じさせる訳にもいかないし……。


 この話が加江須の耳に入れば間違いなく彼は黄泉の仕業だと思い自責の念を感じてしまうだろう。

 仁乃の立場からすればもう幼馴染の鎖から彼を解き放ちたいのだ。いつまでも過去を引きずり続けて欲しくない。


 そんな事を考えていると背後から突き刺す様な視線を感じた。


 「………」


 振り返ると廊下の物陰から無言で黄泉はこちらを見つめていた。

 その表情は半分は遮られて見えないが残りの半分はしっかりと妬みの感情を表情に滲ませていた。自分から大切な者を奪った盗人でも見るかのような蔑みに溢れる瞳。

 だが仁乃はそんな彼女からの視線を真っ向から睨み返した。


 いつまで加江須を苦しめれば気が済むわけ? もういい加減にあいつを解放して上げなさいよ。


 それはあくまで仁乃の心の声であり直接発声した訳ではない。それでも彼女の揺ぎ無い真っ直ぐな眼に見つめ返され黄泉はギリっと歯を食いしばるとそのまま姿を消した。


 「……アンタなんかに渡すもんか」


 今まではタチの悪い幼馴染に絡まれ続ける加江須を不憫だと同情の気持ちしかなかった。だが彼を心から好きになった1人の女としてもうこれ以上加江須を苦しめる事は許さない。もしもまだ彼の人生を狂わせようとするのであれば自分が許さない。


 この瞬間から伊藤仁乃は愛野黄泉を敵だと判断する。

 もしも自分のもっとも大切な人に害をなすと言うなら自分は容赦しない。その決意を示すかのように彼女は手の中の紙をグシャッと握りつぶした。




 ◆◆◆




 ムカつく、苛立つ、腹が立つ。何なんだあの眼は。自分から掛け替えのない人を横から奪い取っておきながら何様のつもりなんだ?


 仁乃が予想した通りあの怨念に満ちた紙を下駄箱に入れたのは黄泉であった。

 もう彼女はなりふり構う事を完全にやめた。あの女狐を幼馴染から引き剥がせるのであれば何だって構うものか。元々アイツが自分からカエちゃんを、愛する人を略奪しようとするから悪いんだ。人の大切な者を奪う事が悪行であると自覚すらしていないあの女がすべて悪い。今回の手紙は言うなればまだ序の口だ。今後もあの女が加江須の隣から消えてくれるまでどんな事だってしてやる。


 「私はアンタの存在を許す気はないわ伊藤仁乃。最悪どれだけ人道に外れた行為だってやってやる」


 昨日の屋上での1件でもう完全に黄泉の覚悟は一線を越えてしまった。だが彼女の行いに正当性など皆無だ。そもそも愛する幼馴染に愛想をつかされた原因は全て自分自身の愚かな振る舞いにある。だが彼女は数年間も加江須の精神を無自覚に傷つけて来た人間性だ。だから今の自身が陥った状況も自業自得と思えない。いや心のどこかで理解している部分もあるのだろうが認めたくないのだ。


 「あの女がカエちゃんを誑かしたせいだ。そうじゃなきゃカエちゃんが私を捨てるわけないんだ」


 ギリギリと固く握りしめた拳に微かな痛みが走る。強く握りしめたせいで爪が皮膚に突き刺さっているからだがそんな痛みなど彼女にとっては今は気にもならない。

 

 「まあいいわ。どうせこの程度であの泥棒猫が消えるなんて思ってない。でもこの先もカエちゃんに寄生し続けるなら覚悟して起きなさいよ伊藤仁乃」




 ◆◆◆




 朝の玄関前で思わぬ出来事を体験して面食らった仁乃であるが彼女は特に引きずる事なく普通に授業を受けていた。いや、この言い方には少し語弊があるかもしれない。正しく言うのであれば昼休みに近づくにつれて彼女の心臓はドクンと大きく脈打っていた。まるで心臓がドラムの様にバクバクと叩かれて音を上げているみたいだ。

 

 この4限目の授業ももう少しで終わるわね。この授業が終わればその後は……。


 そこまで考えると顔がカーッと熱くなる。

 あと5分もすれば授業が終わり学生一同お待ちかねの昼休み。しかし仁乃は時間の流れがもっとゆるやかになって欲しいと切に願う。


 だ、だめ。あいつに手作り弁当を渡す場面を深くイメージできない。む、胸が苦しい……!


 やはりいくら何でも段階を飛び過ぎていないだろうか? 確かに妹に意見の参考を求めたり最終的な決断だって自分でした。だがあの時は妹の熱意の後押しが強すぎて思わず彼女の意見を参考にした気がする。

 ここまで来ておいて今更何を言っているのだろうかと自分自身の小胆さが情けなくなる。

 今朝の黄泉からの宣戦布告には物怖じしない覚悟を見せることが出来た仁乃だが意中の相手にはその太い覚悟もしぼんでそのまま倒れてしまう。


 そんなモヤモヤとした考えのまま授業が終わりついに訪れた昼休憩。


 「おーい仁乃さんや。はやく学食行こーよ」


 授業が終わりいつも通り彼女の席前までやって来てお昼を誘ってくる愛理。

 いつもであれば二つ返事で席を立って仲良く食堂まで直行なのだが今回は弁当持参なのでその誘いを断る。

 当然拒否されればその理由は何なのかと愛理が疑問を投げかけて来る。


 「その…今日は屋上で食べようと思ってさ…?」


 「ん~? 購買で何か買って来てそこで食べるってこと? そんじゃ私も付き合って上げる」


 「いや、あのね…」


 愛理からのこの提案は正直悩ましいものであった。と言うのも加江須に自分の手作り弁当を食べてもらうシーンを観賞されなんて恥ずかしいを通り越している。まず間違いなく色々とからかってくるだろう。だが同時に二人っきりでの、それも手作り弁当を食べてもらうと言うのも中々にハードルが高いだろう。できれば今回は慣れと言うことで3人と友人を交えた食事と言う形にすれば多少の羞恥心を押さえる事も出来るかもしれない。

 しばしどちらの案を取るべきか脳内で思案する仁乃。独りで怪訝そうに頭を捻る彼女を訝しんだ顔で見つめ続ける愛理はカマを掛けてみる。


 「もしかして加江須君とラブラブ2人きりでお昼を召し上がるんですかぁ?」

 

 愛理にとってはこのような冷やかしはもはや日常化しているものだ。だからこの類の質問の後は真っ赤になった仁乃が自分に噛み付く。いつもであればそんなパターン化している展開のはずだが……。


 「………」


 仁乃は何も言い返しては来ず顔を俯かせているのだ。まるで今の自分の茶化した冗談が当たっていたかのようだ。


 「え、マジ…?」


 まさかまさかの正解なのか確認を取って見ると彼女は一度だけ小さく頷いた。

 

 「その…別にまだ交際している訳じゃないんだけどさ、あいつにお弁当作って来たんだ…」


 「ああマジなんだ。その…ごめん茶化して」


 一体いつの間にこの友人はそこまでステップアップしていたのだろうか。まあ実際のところ愛理としても彼女が加江須のことを他の男子とは一線を画す感じで意識していたことは理解していたが。

 まあ何にせよそういう事なら自分は完全にお邪魔虫になるだろう。


 「そーゆー事情なら私は独りで寂しく食堂に行きますか。馬に蹴られて死にたくないし」


 「べ、別にまだ告白した訳じゃないから。その…あくまでお弁当作って来ただけ」


 うわー、我が幼馴染ながら可愛いやっちゃなぁ。

 こんなにも一途な反応を間近で見せられると応援したくなる。


 「ガンバレよ親友!」


 そう言いながら愛理は軽く仁乃の背中を叩く。その声色は今までのお茶らけたものではなく真剣そのものであり、友人から強く後押しをされた事で胸の中の緊張はいつの間にかほぐれいた。


 「よし…」


 愛理が教室を出てから時間にして1分程度自身の席で目をつぶる。そして覚悟を固めるとお弁当を持っていざ屋上を目指すのだった。



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