河川敷での戦い
「たくっ…マジで危ないんじゃないのあの娘?」
屋上から無事に脱出した仁乃は黄泉の異常性について不安以上に狂気を感じていた。
まさか強引に屋上まで連行させてこようとは思いもしなかった。加江須から彼女から受けた仕打ちは聞いてはいたがまさか自分にまでここまで非常識な行動を起こすとは……。
急いで学園を出て校門の前まで行くとスマホでゲームをしながら加江須が待っていてくれた。
「おお遅かったな。何か急用ができたとか言っていたけど」
現れた仁乃に気付いてスマホのゲームを切ると彼女に何をしていたのか尋ねる。
メールでは黄泉に腕を掴まれていたので抽象的に手短な文面で送ったので具体的には何があったのか教えていない。
どうしたもんかしら。ここは素直にあの娘とのやり取りを報告した方が……。
一瞬だけ脳内で全て洗いざらい話すべきか思案した仁乃であったがすぐにあの場でのやり取りは自分の胸の内に納めて置くべきだと判断した。その主な理由は加江須のメンタル面を気にしての事であった。
彼があの幼馴染にどれだけ苦しめられて来たかは話を聞いてあげただけの自分でもよく分かってしまう。そんな彼女の話をあまり彼にすべきではないだろう。それに彼女が自分にまで絡んで来たと知れば彼のことだから自分に責任まで感じるかもしれない。
「ちょっと友達に呼び止められただけよ。深く気にしないで」
やはり黄泉に呼びつけられた事は秘匿にしておくべきと判断して適当な理由を添えておく仁乃。
彼女の返答に対してどこか違和感を彼も感じたのだろうが特に深く詮索はせず、ただ短く『そうか』とだけ言って話は終わった。
その後はいつもの通り二人は烈火町の見回りを始める。
パトロールを開始してからしばし経過するが特に何かが起きる気配はない。と言うのもゲダツだってそう見回り事に出現する訳でもない。現に二人が手を組んでパトロールを始めてからは未だに遭遇数は0である。
「今日も特に何事もなく平和だな」
「そりゃ毎回毎回ゲダツと鉢合わせるぐらいならこの町なんてとっくに消滅してるわよ」
ゲダツに襲われた人間の痕跡は途絶え、そしてその人物は初めから存在しない物として扱われる。そして1つの町でゲダツによる被害者が余りにも膨大であれば歴史の辻褄が合わず、町一つ消える事もある。だが不幸中の幸いとでも言えば良いのかゲダツの出現率は決して高くはない。人々の悪感情が集合して生まれるゲダツは1人の人間につき1体でなく、大勢の悪意が積もり積もってようやく1体生まれる。更にゲダツはなまじ知恵も回り人気に現れて狩りを行う事もなく必要以上に人を喰らう事もしない。そんな派手に立ち回れば加江須達の様な蘇生戦士に狙われる事を本能で理解しているからだ。
とは言えいくら数が少ないと言っても蘇生戦士としては指を咥えて黙っている訳にもいかない。危険な根は速めに摘むに限る。
しかし今回もどうやら収穫はなさそうだ。パトロールを始めてから時刻は間も無く夕暮れになろうとしていた。
「どうやら今日はここまでみたいだな」
「そうね、じゃあ今日はこのまま解散でも……ん……?」
町中をしばし徘徊し続けてゲダツも見つけられず二人がこのまま解散しようかと話し始めるがその直後に微かに妙な気配を二人は僅かに察知した。
「なあ仁乃、この吐きそうな嫌な感じ…」
「ええ、どうやら近くにゲダツが潜んでいるみたいね…」
二人は現在人気の感じられない河川敷の近くを歩いていたのだが、微かにだがゲダツ特有の不快な気配を肌で感じた。気配が漂って来ている場所を土手の上から覗き込んで見る。しかし二人の瞳に映り込む眼下の河川敷にはゲダツの姿は確認できない。
「もしかして川の中にでも潜んでいるんじゃないか?」
「…有り得ないとは言えないかもね」
ゲダツは元は感情の塊から生まれる生き物でありその生態だって未知な部分が多い。もしかしたら水中内にねぐらを作って普段は身を潜めている可能性だって捨てきれない。
「とりあえずこの付近を捜索して見るか」
加江須の言葉に仁乃は頷き二人は土手から下の川へと薄っすら茶色の芝の斜面を降りて行く。
早歩きで斜面を降りて行く加江須であったが下の川岸へと降りる直前に濃密な殺気が足元を叩いて来た。
何だ足元付近から嫌な気配が……何かヤバい!?
自分の身に何かが起きようとしている漠然とした気配ではあったが本能的に加江須は自身に危機が迫っている事を理解した。
まだ斜面の中間に居た彼であったが勢いよくその場からジャンプして岸辺へと大ジャンプする。
いきなり跳躍をかました加江須の行動に先に岸辺へと降りていた仁乃は怪訝そうな表情を向けるが、次の瞬間にはその表情は呆気にとられたものから驚き一色に染まる事となった。
なんと加江須が斜面からジャンプして足を離した直後、彼の立っていた地面からまるでノコギリの様な鋭利な2本のカマが飛び出して来たのだ。
「ぐっ、あっぶね…!?」
慌てて前方に跳んだせいで地面への着地は少々不格好になってしまった。仁乃のすぐ隣に背中から着地して一瞬呻くがすぐに起き上がり視線を向けるとそこには内側から土の斜面を食い破ったゲダツが姿を現した。
そのゲダツは一番身近な生物を例に挙げるのであればカマキリがイメージに近いだろう。ただしそのサイズは自分や加江須よりも僅かに大きい。もしも一般人が遭遇すれば腰を抜かす昆虫だろう。しかも全身はどす黒く、更にはカマを装備している腕は4本もある。それに細長い足の本数も8本と不気味である。
「まさか蟻地獄みたいに土の中に潜っていたとはね…」
そう言いながら仁乃は両手に糸を収束させて2本の槍を作り出す。
ゲダツが抜け出て来た斜面の穴を見てみると深々とした空洞が出来上がっている。恐らくは獲物を狩りに行かない普段は事前に掘っておいた穴の中に息を潜めているのだろう。
「危ないところだったぜ。もしあと一歩アイツの殺気に気付かなきゃ今頃両脚が斬り落とされていたぞ…」
自分の足元を一度見つめると思わず加江須の背筋に冷たいものが走る。あの鋭利なカマならば人間の肉も骨も綺麗に切断できるだろう。
「ギュルルルルル」
何やら奇妙な鳴き声の様な物を口元から吐き出してジリジリと二人へと距離を詰めるゲダツ。それに応戦するかのように加江須も能力を発動し両手に狐火を纏わせ炎の拳を形成する。
次の瞬間――カマキリ擬きが一際大きく鳴きながら仁乃の方へと迫って来た。
8本の脚が凄まじい速度で前へ前へと踏み出されて一気に仁乃の目の前まで移動を終える。
予想以上の速度に仁乃も驚くが彼女とてこれまで伊達に生き残って来た訳ではない。振り下ろされるカマをバックステップで回避、そして両手に持っていた槍をゲダツの頭部目掛けて全力で投擲した。
風を切り裂いて投げられた2本の槍はピンポイントで頭部へと迫って行った。だがゲダツの持つ4本の腕は伊達ではなくゲダツはうち2本の腕を横薙ぎに振るい槍を弾く。カマと糸の槍の弾け合った甲高い音が河原に響く。
「こんの野郎が!!」
槍を弾いて注意が逸れた瞬間を見計らっていつの間にか加江須はゲダツの懐へと入り込んでおり狐火を纏っている拳をゲダツの腹部へと捻じ込もうとする。真下から突き上げるアッパーカットの要領で繰り出された拳はゲダツの腹部へとモロに叩きこまれる。
「ガッ……かてぇ……!?」
拳がぶつかった直後にゲダツの巨体は後方へと僅かに吹き飛んだがダメージの度合いは加江須の方が大きかった。神力と狐火で強化を施したはずの拳がズキズキと痛み目をやると赤くなっている。まるで金属でも殴ったのかと錯覚するほどの硬度であった。
殴り飛ばされたゲダツは僅かに怯んだ程度でありすぐに体制を整え直し今度は加江須へと狙いを変更した。
8本の脚が同時に地面を強く蹴って一気に加江須へと弾丸の様に突っ込んで来た。
「ジュアアアアアアッ!!」
とても不快な鳴き声と共にゲダツは4本のカマを同時に加江須へと振り下ろしてくる。
神力で極限まで身体能力を強化して何とか4つの凶刃を回避しようする加江須であるが繰り出される手数は倍でありその速度もかなりのものだ。目で追いきれないとまでは言わないが防御が間に合わずその内の1つのカマが加江須の腹部に突き刺さる。
「ぐぼっ……や、やろう……!」
不幸中の幸い腹部にめり込んだカマは刃の背の部分だったので腹部が切り裂かれはしていない。しかし打撃としては重く加江須はそのまま後方に流れている川の中へと叩きこまれる。
水しぶきを立てて沈み込んで行く加江須を横目に見ながら仁乃は大量の糸の槍を自分の周辺に展開する。
「串刺しにしてやるわスレッドランス一斉射出!!」
合計で20は超える糸の槍は一斉にゲダツを貫こうと飛び出して行く。
再び意識を加江須から仁乃へと向け直すゲダツであったが一手遅く大量の糸の槍は次々とゲダツへと直撃する。だが槍の先端部はゲダツの肉体に突き刺さらず大したダメージは与えられない。
「ぐっ…硬すぎるのよ!」
どうやら手数だけを多くしても大したダメージは見込めないらしい。それならば1本の槍に神力を集中して貫通力を底上げすればいい。
量よりも質を優先すべきと思い1本の槍を即座に形成するとその槍に神力を大量に練り込み一気にゲダツへと突っ込む仁乃。
だが仁乃が間近まで迫ったところでゲダツは短い奇声と共に口を開く。
次の瞬間に開かれたゲダツの口からは大量の白い糸が発射されて仁乃の全身に絡まり付いた。一瞬で全身を簀巻きのようにされてしまい構えていた槍も地面に落としてしまう。
「なっ…糸? コイツも私と同じで……!!」
全身に絡まり付く糸は粘性ではなくまるで鋼鉄の様に硬く神力で筋力を強化してもまるで解けない。
「ぐっ、ぐっ! 何よこの糸? まるで針金じゃない!?」
何とか全身を揺らして拘束から難を逃れようとするがまるで拘束は解けずジリジリとゲダツが捕らわれの身である仁乃を捕食しようと距離を詰めていく。
「ひっ…い、いや……」
身動きがれない俎板の鯉同然の仁乃が迫りくる異形に恐怖を募らせる。
だが仁乃に数歩歩んで距離を詰めるゲダツだがその直後近くの川から激しい水飛沫が飛び散った。その水滴と共に川の中から飛び出して来たのは加江須、そのまま彼は上空から跳び蹴りをゲダツの側頭部に叩きこんで仁乃からゲダツを離す。
「か、加江須…」
「わりぃ、すぐにアイツ片付けて自由にしてやるから待ってろ」
川に叩きつけられて口の中を切ったのか血の混じった水を吐き捨てながら全身から狐火を纏わせる加江須。
自分の捕食したも同然の得物を喰らおうとした食事を妨げられゲダツはギチギチと嫌な音を口元から奏でる。それと同時にゲダツの全身から漲る殺気が一気に膨れ上がる。
「おいおいまだ本気じゃなかったってか…?」
そう言いながら冷や汗を垂らす加江須。
次の瞬間、怒りの籠った鳴き声と共にゲダツは鼓膜を震わせるほどの金切り音を撒き散らしながら一気に迫りくるのだった。




