それぞれの縄張り
加江須は自分へと背後から乱暴気味な口調で声を掛けて来た人物を見て思わず息を呑んでしまった。
「お前はあの時の…」
加江須に声を掛けて来たのはなんと蘇生戦士となった初日に自分をナンパ男と勘違いして問答無用で襲い掛かって来た獰猛な黒髪ポニーの少女であった。
「何でテメェがこんな場所に居んだよ…」
黒髪のポニーテールにエメラルドの様な綺麗な瞳、そして端整な顔立ちを兼ね備えた見てくれに関しては可憐な少女、だが纏う雰囲気はまるで針の様に尖りに尖って加江須を視線で射殺さんばかりに睨みつけている。
思わぬ人物との邂逅に両者は言葉を出せずに無言で見つめ合う。ただ加江須の視線には戸惑いの色が強く、そして相手の少女の方は刺々しいものだが。
「ちょっと何してんのよ加江須? なに、その娘あんたの知り合い?」
「いや一応顔見知りと言えばそうなんだけど…」
自分が奢ってもらうケーキをようやく決めてショーケースから視線を離して振り返る仁乃だがすぐに異変に気付いた。
何やら加江須が自分と同年代ぐらいの少女と見つめ合っていたのだ。もしかして知り合いと偶然にも遭遇したのかと思って尋ねるが加江須の返答はどこか歯切れの悪いものだった。
どう説明したもんかと加江須が困っているとポニーテールの少女が舌打ち交じりにこう言った。
「チッ、呑気にデートかよ。バカップルが…」
視線を横にそらしながら苛立ちと共にそう吐き捨てる少女。
客観的に自分たちがデートの真っ只中だと思われた事に一瞬だけ赤面してしまう仁乃であったがすぐに表情が険しさを持つ。
「いきなり何よアンタ? 何で初対面の人間にそんな言われ方をされなきゃならないわけ?」
「あん、うるせぇな…。この乳お化けが」
「なっ、こ、コイツ!?」
失礼な物言いに対して一言物申そうとした仁乃であったがなんと相手は仁乃の怒りの炎に油を注ぐような暴言を放ってきたのだ。
ここまで言われて思わず言い返そうとするが彼女よりも先に加江須の方が文句をぶつけた。
「いきなり失礼なヤツだな。別に彼女はお前に何もしてないだろ」
「ハッ、彼女が馬鹿にされておかんむりかよ」
「俺に当たるまでなら我慢しても良かったが仁乃に被害が及ぶなら話は別だ」
さきほどまでは戸惑いの色が強く出ていた加江須だが仁乃を侮辱された事で思わず強気な口調で言い返す。
いきなり気丈な態度へと変化した加江須を見て小さくほくそ笑む少女。その笑いはまるで二人の怒りに対して受けて立つと言わんばかりである。そんな挑戦的な笑みを向けられれば加江須と仁乃の表情にもさすがに苛立ちの色が強まって行く。
それからしばし無言で少女と加江須たちが睨んでいると周囲の客達もざわつき出し始める。さすがにこうまで露骨に睨み合っていれば何事かと周囲の客達も不穏な空気を嗅ぎ取ってしまう。
「チッ…ジロジロと見やがって。うぜぇな……」
不敵な笑みを加江須へと向け続けていた少女であったがさすがに周りの目が気になり舌打ち交じりに背を向ける。そのまま彼女は背を向けるとそのまま店を後にしようとする。
だが彼女が背中を向けて店外へと足を延ばそうとした直後、なんと彼女は勢いよく振り返りその勢いに乗せて鋭い蹴りを加江須の側頭部へと繰り出して来たのだ。
「ぐっ! 何のつもりだ!」
だが加江須は蹴りのつま先が頭部に突き刺さる直前に反応し、不意打ちで飛んできた彼女の蹴りを前腕部でぎりぎりガードした。
「へえ…スピードを緩めたとは言え今のを防ぐか……普通の一般人には反応しきれねぇ速度で蹴ったんだけどな……」
自分の不意打ちを完璧にガードした加江須を見て面白そうにほくそ笑む少女。それと同時に鋭い眼光が加江須の事を射抜いた。
まさか手を出して来るとは思っていなかった加江須が明確な敵意を前に少し強気に言い返そうとするがそれよりも先に仁乃が動いていた。
「加江須になにしてんのよこのチンピラ!」
怒りの赴くままに仁乃は目の前の少女を突き飛ばそうと前に出た。だが加江須の背後に居た仁乃が一瞬で目の前に現れた事で少女の目付きが変わる。
突き出された両手をギリギリで反応して背後へと数歩のバックステップを取り突き出しを回避した。
「へえ…今のスピード…もしかしてお前も……」
仁乃の一連の高校生ばなれした動きを見て何かを察したかのような顔つきになる少女。
本来は殺伐とした雰囲気とは程遠い店内の環境下で手を出し合う様子に店員が少し遠慮がちに3人に声を掛けて来た。
「あ、あのお客様方。店内での揉め事は…」
やんわりと声を掛けて来た男性店員に黒髪の少女はギロリと睨みを利かせと男の口から小さな悲鳴が漏れる。だが彼女としても店内で話し合う気はないらしく二人へと外へ出るように促す。
「店側も迷惑みてぇだ。一旦外出ようぜ」
「アンタが最初に手を出して来たんでしょうが」
仁乃がそう言うと彼女は小さく鼻を鳴らして笑う。
まるで小馬鹿にされたようでムッとなるがこれ以上は店の中での揉め事は不味いと思い少女の後に続いて加江須と仁乃も一度外へと出た。
店を出てから少し離れた路地の裏へと入り人目がなくなると少女は二人にある問いを投げかけて来たのだった。
「ここなら人目もつかないな」
そう言いながら少女はニヤリと擬音の付きそうなほどに分りやすい笑みを浮かべる。
完全に挑発されていると思った仁乃は腕をまくり上げる様な仕草をしながら気丈に睨み返す。
「何よ? さっきの続きでもする? 言っておくけど私は全然構わないわよ」
向かってくるなら受けて立つと言わんばかりに堂々とそう言う彼女を加江須は窘める。
「落ち着けよ仁乃。相手の挑発に乗るなって……それにお前が一般人相手に本気で喧嘩なんかしたら怪我じゃ済まないかもしれないだろ」
後半部分は相手の少女には聴こえない様に耳元で囁く。
少し頭に血が上っていた仁乃であったが加江須に窘められて不満げな顔をしつつも自らの行いを戒める。確かに彼の言う通り蘇生戦士である自分が一般人相手に本気で喧嘩なんてする訳にはいかない。
だがここで相手の少女は二人をこの上なく動揺する言葉を投げかけて来たのだ。
「本当に強気な乳お化けだな。まあそりゃそうか。なにしろ蘇生戦士であるお前たちからすりゃそんじょそこらのヤツなんて喧嘩相手にもならないだろうから怪我をする不安もないよな?」
「「!?」」
少女の放った言葉は完全に二人にとって予想外過ぎた。
どうして…どうして俺や仁乃が蘇生戦士だって事を知ってんだよ?
いやそもそもがおかしい。自分たちの正体を知っている以前に蘇生戦士と言う単語を目の前の少女は当然の様に知識として有している事の方が異常だ。ありふれた日常生活を送っているだけの少女が知っている単語ではない。つまりそれは……。
「まさかお前も…」
加江須はゴクリと唾を呑み込みながら目の前でニヤニヤと笑っている彼女を指差しその正体を問い詰めようとする。だが加江須が全てを訊きだすよりも早く相手の方から答えが明かされる。
「俺の名前は黒瀬氷蓮だ。お前たちと同じ蘇生戦士だ。そして能力は『氷を操る特殊能力』だ」
そう言いながら彼女は指をパチンと鳴らす。
彼女が小気味よい指パッチンをすると同時、彼女の周辺には大量の氷柱が出現したのだ。
「大量の氷柱…!」
氷蓮と名乗った少女が今にも襲い掛かって来そうな雰囲気に二人は一気に臨戦態勢へと移行する。
加江須は両手に狐火を宿して構え、そして仁乃は糸を集約して右手には糸の槍、そして左手からは大量の糸を放出して氷蓮同様に自身の周囲に大量の糸の槍をスタンバイさせる。
「炎と糸の能力。これで確定だな…」
加江須と仁乃の二人が特殊能力を見せて来た事で独りで納得した氷蓮はいきなり能力を解除した。展開されていた氷柱はその場で溶けて水となり地面に点々とした水溜まりを作り出す。
いきなり攻撃の気配が消え失せた事に逆に警戒心が跳ねあがる加江須達。
「いきなり喧嘩を売って来たかと思えば能力を引っ込めて…お前は何がしたい?」
まるで相手の狙いが見極められない加江須は同じく能力を解除しつつも警戒を続ける。仁乃に至っては周辺に浮遊させていた槍は解いているが手に握っている槍は構えたままだ。
未だに敵意を向け続けている二人に対して氷蓮はビシッと指を突き付けて忠告をして来た。
「いいか、お前たちにはこれだけは言っておいてやる。この焼失市内の吹雪町は俺の縄張りだ。この町でのゲダツの討伐は俺が許さねぇぞ」
言うまでも無い事ではあるが焼失市内にも当然いくつもの町が存在する。そして加江須や仁乃は烈火町の住人である。
ちなみに何故わざわざ隣町までやって来たかと言うと仁乃のお目当てのケーキ店がこの吹雪町に建造されていたからである。しかし氷蓮からすれば自分の縄張りで狩りを行おうとする不届き者に見えたのだ。
だが氷蓮のそんな警告に対して仁乃が噛み付いて来た。
「何が縄張りよ。蘇生戦士ならゲダツを見つけ次第討伐するのは当然の事じゃない」
「ふざけんなよ。ゲダツは討伐すればその分の報酬が手に入るんだぞ。ただのボランティアじゃねぇんだよ」
蘇生戦士としてゲダツは誰が討伐するのかなんて関係ないと口にする仁乃であるが氷蓮はそんな彼女を嘲るような顔でこう言い返して来たのだ。
金銭を話題に上げて来た氷蓮に対して呆れ気味に呟く仁乃。
「ふん、お金目当てでアンタは戦ってるわけ? 随分と卑しいわね…」
「てめぇに何が分かんだ…? 恵まれていそうなテメェ等によぉ…」
仁乃や加江須は報酬目当てでなく人命を優先的に考えて戦っている。そのために報酬を前提で動く氷蓮に対して嫌悪感を仁乃が向ける。だが彼女に発言が琴線に触れた様で氷蓮は眼光が鋭く光り仁乃を射抜き周辺にまたしても大量の氷柱を展開していた。
不味い雰囲気を察知した加江須はまるで庇うかのように仁乃の前に立ちはだかる。
「けっ…クソカップルが…」
小さくそう吐き捨てると彼女は能力を解いてそのまま二人の元から離れて行った。
路地裏に取り残された二人は立ち去って行く氷蓮の背中が視界から消えて行くまでその場で佇んでいた。




