天邪鬼な幼馴染
「はあ…またやってしまったな……」
自身の所属しているクラスで愛野黄泉は窓の外の景色を眺めながら後悔の念に苛まれていた。
人気の無くなった放課後の教室で彼女が溜息交じりに後悔していること、それは自分の大好きな幼馴染についての事だった。
「どうして私はこうまで捻くれちゃったのかしら…」
幼い頃は彼女は幼馴染である久利加江須ととても仲が良く毎日互いに笑い合っていた。いや、加江須の方は知らないが自分は仲が良い、を通り越して彼に対して好意すら抱いている。だが小学生までは素直だった自分は〝とある出来事〟から彼に対して素直な態度が取れなくなっていた。
今までは『カエちゃん』と仇名で呼んでいたが今は久利だなんて名字で呼ぶようになり、更には事あるごとに冷たい態度をぶつけるようになっていた。現に今朝だって挨拶をされただけで罵詈雑言をぶつけた記憶がある。
「はあ……どうしたらこの天邪鬼が治るかな……」
誰も居ない教室で自分の愚かしさについて嘆いていると教室のドアが開く音が耳に入る。誰かクラスメイトが戻って来たのだろうと思って顔は窓の方に向けたまま視線だけをソチラへと傾ける。だが教室にやって来た人物を見て彼女は思わず目を見開く。
え…な、何であんたがウチのクラスに来るのよ!?
なんと教室にやって来た相手は自分の幼馴染である久利加江須だったのだ。
まさか自分以外に誰も居ない静かな教室で愛しの幼馴染と二人っきり、そのシチュエーションに頬がかあっと熱くなる事を自覚する。
「何でアンタがウチのクラスに来るわけ?」
自分の中の羞恥心を誤魔化す為にまたしてもキツイ言葉をぶつけてしまう。いつもであれば自分の嫌味に対して少し悲しそうな顔をする加江須であるが今回は真剣な顔を崩すことなく自分に向け続けている。
な、何でそんな真剣な顔してるのよ。で、でもマジなカエちゃんもカッコいいな……。
心臓が飛び出るかもしれない程に内心では動揺しつつも何とか表情だけは冷徹を演じる彼女に対して加江須は静かに口を開く。
「いきなり悪いな押しかけて。ただ…お前に話があるんだ……」
「な、何よ?」
一瞬だけ思わずどもってしまうが何とか受け答えをする黄泉。
そして彼は自分に向けて頭を下げながらこう言ったのだ。
「お前がずっと好きだったんだ! だから…だから俺とどうか付き合ってください!!」
……………マジ?
それは黄泉にとって何よりも求めていた言葉であった。それはそうだろう。いつもいつも素直になれずキツく当たり続けていて自分は嫌われているとすら思っていた、そんな大好きな彼の方からの告白だ。嬉しくないはずが無い。
や、やばい。私…嫌われていると思っていたけどずっとカエちゃんに好かれ続けていたんじゃん!
喜びの余り気を抜けば一気に締まりのない顔にすらなりかねない。それほどまでに彼女にとって幸せな幼馴染の告白。
だがここで彼女は調子に乗ってしまったのだ。
「ねえ久利…それってお遊びじゃなくて本気で告白しているのよね」
最後にもう一度だけ確認をすると彼は本気だと言ってくれた。それどころかずっと自分を想い続けていたとすら言ってくれた。
何よ…つまりは両想いだったって事? 最高じゃないのよそれ!
嫌われてなどいなかった。それどころか自分は愛されていた。そう理解した彼女はあろうことかとんでもない結論を叩きだしたのだ。
それじゃあ無理に今の私を変える必要は無いわよね。だってカエちゃんは私を愛してくれていた。じゃあ私が無理に優しくならず今まで通りに接しても問題ないわよね。
自分が好かれている事実を知った彼女はなんとこれまでの自分の態度を改めるどころか気にする事すらしなくなったのだ。だって自分がどんな性格だろうが彼は自分を愛してくれる。それなら今まで通り天邪鬼のままでもいい。重要なのは彼が自分を好きか否かだけだ。
「あのさぁ…もしかして人気の無いこのシュチュエーションならワンチャンあると思った? わざわざ私のクラスまで来て大事な話があると言われて何かと思えば……」
彼女は何一つ遠慮なく照れ隠しの罵声を浴びせてやった。
だってもう彼が自分を愛している事は十分理解できた。なら今後はどう接しようが関係ない。彼はどんな私でも愛してくれると理解できたから。
そして彼女は何一つ罪悪感など抱かず心にもない罵声をまるで濁流のように加江須へと浴びせ続けてやった。
だがしばらく罵声をぶつけていると彼は自分に背を向けて教室から出て行こうとした。
なっ、恋人を置いてどこ行く気よこいつめ!!
「はあ? 恋人を置いてどこ行くわけ? マジで常識ないのね」
私が怒りを滲ませながら非常識だと非難するとカエちゃんは理解できないと言った顔をした。
いやその顔はこっちがしたい顔よ。普通付き合ったばかりの彼女を置いて立ち去ろうなんてしないでしょ?
そんな風に内心で首を傾げているとカエちゃんはこう言って来た。
「何でお前が恋人って事になるんだよ? 今しがた俺の事をボロクソに言っていておいて」
いや確かに色々言ったけど別に付き合えないとは言ってないじゃん。もう早とちりしちゃってさぁ…。
「アンタみたいに私に告白してくる男子も結構いるし男避けぐらいにはアンタは使えそうだと思ったのよ。だから恋人になってはあげる」
得意げな顔でそう告げた黄泉であったが彼女は気付いていなかった。まるで道具の様に幼馴染を見ているこの発言は既に亀裂が入っている彼の心に完膚なきまでのトドメをさしていると言う事実を。
そして――正真正銘のトドメの言葉を彼女は無自覚の悪意と共に叩きつけた。
「ほら、アンタの望み通りカップルになれたんだから泣いて喜びなさいよ」
彼女からすれば大好きな自分と正式な恋仲になれたのだ。喜ばない理由が無い、彼女の思考では本気でそう考えていた。
だが加江須にとって彼女の発言は照れ隠しだとは思えない。ただ自分を人でなく道具扱いしている性根の腐った女、そう見られている事に気付いていなかった。
「ちょ、ちょっとどこ行く気よ!?」
加江須は喜ぶどころか自分から逃げ出したのだ。
慌てて後を追い掛けるが足の速さはハッキリ言って加江須の方が上だ。ドンドンと距離を離され行く。
「な、何で逃げるのよ久利!」
自分から逃亡を続ける加江須に大声で呼び止めるがまるで聞く耳を持たない。そのまま玄関まで行くが彼はそのまま校内履きのまま外へと飛び出して行く。さすがに黄泉は靴を履き替えるがその間にも加江須の背中が遠ざかって行く。
「くっ、待ちなさいよ!」
履き替えに少し時間を取りつつ彼女も校内の外へと出た。
だが彼女が外へと出ると同時、激しい車の急ブレーキ音と何かが衝突する大きな音が響いて来た。
「え、なに?」
慌てて音の方へと向かうと既に他にも多くの生徒が集まりざわついている。
人の波を掻き分けて何が起きたのか確認する黄泉であったが、最前列に出て瞳の中に飛び込んで来た光景に思わず膝から力が抜け落ちた。
彼女の目の前には全身に真っ赤な花弁を咲かせながら手足を奇妙な方向に曲げた加江須が倒れていたのだ。
「え…え…ナニコレ?」
目の前の光景が呑み込めずに歯をカチカチと鳴らしながら状況を呑み込もうと必死になる。
えーっと……私の目の前でカエちゃんが倒れている。しかも体中が血だらけ? え、何それ? それに手足が変な方に曲がって……あれ? アレアレアレ?
しばし放心状態となっていた黄泉であったが倒れている加江須が咳き込みながら大量に吐血した瞬間にようやく我に返る。そして彼女はへたれ込んでいた足を持ち上げ全速力で加江須の元まで駆けて行った。
「いやああああああああ!!」
悲鳴を上げながら血だまりの中に沈んでいる加江須の体を抱き起す。
自分の制服や肌に返り血など付着する事すら意にも返さず懸命に彼の名前を呼び続ける。だがもう意識がほとんどないのか返事すらしてくれない。
「加江須、加江須ぅ!! ちょっとアンタ達も何ボケッとしてんのよ!! 救急車を早く呼びなさい!!」
集まるだけ集まってざわつくだけの野次馬に怒りと共に指示を出す黄泉。
それからも懸命に彼をこの世に繋ぎ止める為に何度も名前を懸命に呼び続ける。少しでもどうにかしようと意味がないと分かりつつも彼の手をしっかりと握る。すると今まで微動だにしなかった彼の口がパクパクと動く。何かを言っている様だが小声過ぎて聴き取れない。
そしてゆっくりと閉じかけていた瞼を上げて自分を見つめる。
「しっかりして加江須! 大丈夫よもうすぐ救急車が来るから!!」
彼女がボロボロと涙を零しながらそう言うと彼はもう一度だけ口を開いた。
お前なんかに看取られるなんて……最低だぜ……。
加江須は最後に恨み言を彼女へとぶつけてやった。だがもう声を出す気力すらないその怨嗟は彼女には届かなかった。
そして久利加江須は無念の表情を貼り付けて愛野黄泉の腕の中で静かに息を引き取ったのだった。
「あ…ああ…アアア……」
もう冷たくなり完全に生命活動を停止した幼馴染を抱きしめながら黄泉は涙を零す。だが彼女の零す涙には愛する人が死んだ悲しみはあるが自分の行いに対する後悔はなかった。彼女は不運な事故で愛する幼馴染が死んだとしか認識できていない。
自分の罵詈雑言が彼の死因であるとは微塵も彼女は認識できぬままに彼女は悲しみ続けていた。
己の罪すら認識できずに愛する人の死を嘆く、これほどまで身勝手な人間に悲しまれながら看取られて逝った久利加江須は世界で一番の不幸な少年だったのかもしれない。