予想外の援軍
背後からまるで牙を突き立てられているかのような敵意に反応してゆっくりと背後を振り返る加江須。
目の前で無様に震えている小物から背後の邪気に意識を向けるとそこにはやはり予想通りの異形が立っていた。
「グルルルルル……」
低い唸り声を上げながら背後に居たの危険すぎる怪物のゲダツであった。
以前見たタイプのゲダツと少し似てはいるが全く同じ個体と言う訳でもなかった。全身の黒一色の体毛や奇妙な模様はともかく見た目は普通に地上に生息している虎に近いかもしれない。だがそのサイズは今例に出した一般的な虎と比較しても3倍近くはある。
「まさかこんな場所でお前と遭遇するとはな……」
いや、この辺りには人気もなく姿を隠すにはうってつけの広々とした廃工場、イザナミの話ではゲダツは知能が高い生き物だ。自分のような蘇生戦士の目を避ける為に息を潜めて生息している事を考えるとこういった場所はうってつけなのかもしれない。
「しかし…これは少し不味いかもな…」
自分に敵意を剥き出しにしながら唸り続けるゲダツを同じように睨みつけながら加江須は額から汗を一筋零しながらそう呟いた。
未だにゲダツとの戦いに対して少し怖れもある。だがそれ以上に今この場には大勢の一般人が居るのだ。自分とは違い後ろに居る犠正や倒れている不良共にはゲダツと戦う力は備わっていない。もっと言うならばゲダツの姿や声も認識できていない筈だ。
ほとんどの不良共は加江須の手によって気を失っているが犠正だけは別だ。しっかりと意識も定まっており加江須の事を怪訝そうな眼で見つめていた。
アイツ…何をひとりでキョロキョロしてんだ……?
犠正にはゲダツの存在は探知できないために加江須が何も存在しない虚空を見て訝しんでいるように見えており、その姿はとても奇抜であった。だが理由は不明ではあるが加江須の意識が自分から逸れている事が確かなためにこれをチャンスと思った彼はその場から逃げ出そうとする。
「よく分からねぇけど今のうちに…!」
加江須の視線が犠正の瞳には映り込まないゲダツに集中したタイミングを見計らって彼はその場から全速力で走り出し始める。
「なっ、馬鹿動くな!」
この場から逃亡を図ろうと全速力でダッシュをした犠正に振り返り大声で呼び止める加江須。
だがもう遅かった。今まで加江須を睨みつけて威嚇を続けていたゲダツだがいきなり動き出した犠正の方へと狙いを変更してしまった。
「グアアアアアアッ!!!」
耳をつんざくかのような咆哮を上げながらゲダツは犠正の方へと全速力で走り出し始める。ゲダツは知能が高いとは言え獣の習性もやはり持ち合わせているらしい。怯えて逃げる犠正を見て思わず逃げる獲物を追い掛け回す習性が働いてしまったのだ。自分を威圧していた加江須や周囲で気絶している不良達を無視して犠正を捕食しようと行動を起こす。
「くそっ、させるか!」
犠正にはゲダツは視認できない。つまり今自分がこの怪物の標的にされている事を自覚すら出来ていない。このまま自分が止めに入らなければ確実に食い殺されるだろう。いくら自分に理不尽に突っかかて来ていたヤツとは言えこのまま目の前で喰い殺されるのは目覚めが悪すぎる。
ゲダツの目の前に立ちはだかり神力で肉体を強化して迎撃の体制を取る加江須。
だがここで予想外の攻撃がゲダツの口から放たれる。
「ブオオオオオオオッ!!」
「な、何だと!?」
ゲダツは真っ直ぐに直進してきながら大口を開き、そして咆哮と共に黒い炎の玉を吐きだして来たのだ。
凄まじい速度で自分へと迫りくる漆黒の業火に反射的に加江須は真横へと跳んで攻撃を回避してしまっていた。だがゲダツの攻撃を避けた直後に加江須の顔は青ざめた。
「し、しまった!」
加江須が真横へと跳んだ事で自身が黒炎による攻撃を回避する事は出来た。だが自身が攻撃を避けた事で放たれた漆黒の炎の玉はそのまま直進して行く。その射線上にはこの場から逃げようと背を向けて走っている犠正が居たのだ。
「おい横に跳べ犠正! このままだと死ぬぞォ!!」
犠正の背中へと大声で指示を出す加江須であるがその警告は聞き入れられる事は無かった。
そもそもゲダツの姿も、その攻撃も犠正には見えていないのだ。何よりも今彼にとっての脅威は加江須なのだ。そんな彼に逃げろなどと警告をされても素直に受け取るはずもない。
そして黒き獄炎の玉は犠正へと着弾し、そのまま彼の全身は黒炎に包み込まれてしまう。
「あぎゃあああああああああ!?」
自らの全身に突如として降りかかった灼熱感に犠正はその場でゴロゴロと転がり始める。
加江須の視点では彼の全身は耐え難い炎でいぶされている事は認識できる。しかし当の本人からすれば犠正には今自身の身に何が降りかかっているのか理解できていない。しかし身を包む炎は見えずともその熱はしっかりと肌を、そして肉を焼いて行く。
「うガアアアアアアア!?」
その場でバタバタと暴れまわって必死に我が身を襲い続ける辛苦から逃れようとする。だがどれだけ体を地面の上で転げまわそうと着火している炎は消えない。
「だ、だずげでぇ……」
自分の全身を襲い続ける激痛と熱に涙を零しながら犠正は加江須へと助けを求める。
つい今しがたまで逃げようとしていた相手に助けを求める事に対して彼は恥も外聞もなく縋る。この苦しみから逃れられるなら今の自分はどんな事だってしてみせるし、自分が妬み恐れた相手にだって助けを乞う。
まるでゾンビのようにズルズルとほふく前進の様にゆっくりと加江須の方へとにじり寄ってくる犠正に加江須は何も言えなかった。
目の前で未だに黒炎に炙られているクラスメイトの姿はあまりにも現実からかけ離れている凄まじい光景だ。
「お、お願いじまずぅ…だずげでぇ……」
「うぷっ!」
にじり寄りながら犠正はゆっくりと顔を持ち上げるが思わず目を逸らしてしまう。
持ち上げた彼の顔面の皮膚はもうデロデロに溶けて崩れている。どう考えても完全な手遅れ、ここで炎を鎮火しても彼が生き残れるとは思えない程であった。
這いずりなら加江須に助けを求めて迫ってくるサマはもはやゲダツに負けず劣らずの怪物としか認識できなかった。
そのおぞましい光景に圧倒された加江須は思わずゲダツから目を切ってしまっていた。
そんな加江須の油断の隙をついてゲダツは加江須の横を勢いよく通り過ぎて行き、そのままゲダツはまだ這いつくばりながらもかろうじて息があった犠正を真上から踏み潰してしまったのだ。
頭部を踏み砕かれた犠正は真っ赤な血のシミを広げてもう何も言えなくなる。だが首から下はまだ痙攣を起こしてビクビクと動いている。
まるで車に踏み潰されて助かる見込みゼロの蛙の様な引き攣った動きに思わず加江須はその場で嘔吐してしまう。
「うぶっ……おえっ……」
自分のクラスメイトの余りにも惨過ぎる死に様に胃袋に詰め込んである自らの内容物を全て出し切ってしまう。
ハッキリ言って今の加江須はあまりにも隙だらけだった。ゲダツのすぐ傍で吐き戻して隙を見せすぎている。もっと言うなら犠正に意識を向けてゲダツから意識を切っている事も迂闊としか言いようがない。もしかしたらゲダツは犠正に止めを刺すよりも先に加江須に襲い掛かっていた可能性もあるのだから。
だがゲダツも知性はあるがやはり獣、目の前でもう完全に動かなくなった犠正の肉に夢中だ。
「うぐっ……トラウマになりそうだぜ」
胃の中を全部出してそれから胃液が垂れるまで吐いてようやく落ち着いた加江須が距離を取りつつゲダツを睨みつける。それと同タイミングで犠正を完全に喰い終わったゲダツは加江須へと向き直る。
くそ…もう喰い終わったのか。どうせならもっとトロトロと喰って時間を掛けて欲しかったぜ。
出来る事なら食事の隙をついて狐火を叩きつけてやりたかったがそれは失敗に終わった。もしも自分が犠正の死に動揺していなければその隙もあったと言うのに。
自らの未熟さを嘆いていても後の祭り。口元を拭いゲダツを睨みつけて神力を放出して身体能力を極限まで高める加江須。
「グルルルルル……」
加江須の雰囲気が変わった事を感じ取ったのかゲダツから放たれるプレッシャーが一気に強まった。そしてその直後にゲダツは地面を大きく蹴って一気に加江須へと向かっていく。その速度はまるで銃弾並であった。
「速いな! だが見えるぞ!」
並の人間ならば目視すら出来ないかもしれない。だが加江須とてまた超人だ。勢いよく風を切って飛び掛かってくるゲダツの突撃を横へ跳んで回避する。だが体当たりを避けられたゲダツは首だけを加江須の方へと向けると大口をガパッと開いてまたしても黒炎の玉を発射する。それも単発ではなく連発でだ。
「くっ、炎を操れるのが自分だけだと思うなよ!」
加江須も同じく両手から大量の狐火による火の玉を発射して黒炎を相殺する。
ぶつかり合う二つの火の玉は加江須とゲダツの中間地点で弾け合う。それぞれの色の異なる炎が散り合う様は幻影的で綺麗とすら思える。
再びゲダツは一気に加江須へと向かっていく。しかし今度はただ突っ込んで来るだけではない。開口をしながら今度は範囲の広い炎を吐きだしてくる。
広範囲型の攻撃に少し焦りを見せる加江須であるが宙へと跳んでやり過ごす。
だがここで加江須の避けた火炎の攻撃は彼のすぐ近くに居た気絶している不良の1人へと直撃してしまう。
「アヅアアアアアアアッ!?」
今まで死んだように眠っていたその不良は耐え難い灼熱感に目覚め、そして苛まれその場でのたうち回り動かなくなる。
しまった! ゲダツに意識を捉え我過ぎていて周りの不良共をフォローする事が意識外に……!
加江須が苦しんでのたうち回り死んでいった不良に目を奪われる。またしても戦闘の中でゲダツから目を切ると言う失態を犯してしまう加江須であるが今度はそのミスをゲダツは見逃さなかった。
「し、しまっ…!」
燃えて行く犠牲者からゲダツに目を戻すともうゲダツは加江須の眼前まで迫ったいた。
大口を開けて今にも放たれそうな黒炎の攻撃に思わず顔をしかめて腕をクロスして防御の姿勢を取る。
だがゲダツが攻撃を放つ前に何者かの攻撃がゲダツの身体を大きく吹っ飛ばしたのだ。
「な、何だ!?」
目の前で大きく吹き飛んでいくゲダツに呆気に取られていると1人の女性の怒声が聴こえて来た。
「何をボケーッとしてんのよ! しっかりしなさい!!」
声の主の方へと顔を向けるとそこには予想外の人物が立っていた。
「な、何でお前がここに居るんだよ仁乃!?」
そこに居たのは自分がよく知る人物、伊藤仁乃であったのだ。