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愛野黄泉との完全な決別


 乾いた音と共に自分の頬に衝撃が走った事を黄泉は感じていた。

 何が起きたのかしばし分からず呆然としていた黄泉であったが数秒後には自分が加江須に頬をはたかれたのを理解した。


 「え…え……?」


 叩かれた頬を押さえながら衝撃で横を向いていた顔を正面に向けるとそこに居たのは怒りと悲しみ、その相反する二つの感情がごちゃ混ぜになっている加江須が居る。

 

 「お前は…お前は……!」


 拳を握ってブルブルと震える加江須に先程まで捲し立てていた彼女の口は閉ざされてしまう。

 

 固く握りしめていた拳をゆっくりと解くと加江須は小さく溜め息を吐きだした。その様子はまるで聞き分けの無い子供の教育を諦めた親の様であった。


 「昔の優しかった頃のお前はもうどこにも居ないんだな」


 そう言うと加江須は背を向けた。それはもうこれ以上自分の事を視界に留めて起きたくないと言う彼の思いの表れであった。


 もう……俺の大好きだった愛野黄泉はこの世には居ないんだな……。


 一体何が切っ掛けで彼女がここまで醜い鬼女へと変貌したのか、その理由は結局は分からないままだった。もしかしたら自分は気が付いていない間に彼女の心を深く傷つける行為を働いていたのだろうか? もしそうだとすれば今の黄泉がここまでの怪物に変貌した原因の一端は自分にだってあるのかもしれない。


 でも…だとしたらどうしてお前は俺に何も理由を言ってくれなかったんだ……!


 加江須だって自分が彼女を傷つけているかもしれないと自身を責めた事もあった。だが彼女に理由を訊いても何も語ってはくれなかった。返ってくるのはただの罵声だけだった。


 それでもいつかはあの優しくて自分に微笑んでくれていた彼女が帰ってきて来れると思っていたけど……。


 「もう本当に俺の大好きだった愛野黄泉は居ないんだな」


 加江須のその呟きはとても小さくて黄泉の耳には聞き取れなかった。

 いやそれ以上に加江須に引っぱたかれた事実の方が遥かに重大で思考が纏まっていない。


 かつての優しくて思いやりのある少女はもう居ない。


 今まで必ず自分を許してくれた少年はもう居ない。


 「さようなら愛野黄泉。もう……お前とは赤の他人だ」


 そう言いながら加江須は黄泉の瞳をまっすぐに見つめてそう決別の言葉を送る。

 加江須はまるで大切な人と死に別れたかのような今にも泣きだしそうな顔をしていた。それは長い付き合いである彼女との完全なる別れを表わしていた。


 この瞬間、加江須と黄泉は完全に幼馴染と言う関係すら砕けて散ったのだ。


 ゆっくりと背を向けて黄泉の元から少しずつ離れて行く加江須。その後ろ姿を見て黄泉はもう取り繕う余裕すら消え失せる。


 「見捨てないでカエちゃん!!」


 その呼び名はもう数年間も出てこなかった彼だけの為の特別なあだ名。

 長い時間を経て幼馴染の少年に対してかつての素直な自分を曝け出す事ができた黄泉。だがもう全ては遅すぎた。遅すぎたのだ……。


 涙声で自分を呼ぶ少女の声に加江須は決して振り返りはしない。


 もう遅いよ黄泉。俺はもう……お前をあの頃と同じ様に大事な幼馴染として見れないよ……。


 気が付けば加江須は自分の頬に一筋の温かい雫が流れ落ちていた事に気付く。今まではただ関わらまいと無視してはいたが心の片隅ではやはり黄泉の事を気に掛けていたらしい。だが今回はもう完全に愛想が尽きた。もうこれで完璧に愛野黄泉とは元の関係に戻れはしない、そう考えると胸に一度だけズキリと痛みが走った。


 「お願い……許してカエちゃん。お願い……また、昔みたいに……」


 背後から弱々しく今にも消え入りそうな少女の声が聴こえて来る。

 だがそんな涙ながらにぶつけられる言葉にもう心は揺れ動かない。もう胸の中の痛みは溶けて消えて行った。


 加江須は小さく嗚咽交じりに自分を呼び止めようとする少女をその場に放置して玄関を出て行く。


 「うう……どうして……どうしてこんな結末になるの? わた…し……は………!」


 その場でへたれ込んで玄関付近とは言え仮にも学園の中である事も忘れて彼女は静かに泣きじゃくる。

 何事かと玄関にはちらほらと生徒が集まって来ても黄泉の眼中には入らなかった。


 「いやだ…こんなの……こんなの絶対に嫌よ……」


 大切で愛おしいと思い続けていた幼馴染に完全に見限られた事を自覚してしまった黄泉はその場で人目もはばからず泣き続けた。


 周囲の野次馬達は何事かとざわついて様子を窺う中、ただ一人だけニヤニヤと薄ら笑いを浮かべている男子が居た。

 

 「へえ……かなり面白い見世物だったじゃねぇか」


 心配そうに泣いている黄泉を見つめている中でただ一人小さく笑みを浮かべているのは加江須と同じクラスの犠正であった。

 彼は本来はバスケ部なので今の時間帯は部活動に勤しんでいるはずだ。だが今日は大切な用があると顧問の教師に嘘を伝えてこの場に居る。


 彼の大切な用、それは憎きクラスメイトである久利加江須への復讐の為であった。それは完全な逆恨みなのだが彼の様にプライドの高い人間ほど自分の愚かさを棚に上げるものだ。


 今日の放課後に彼は自身の兄とその仲間に憎き加江須を痛めつけてもらおうと秘かに画策していた。その為に放課後以降に彼の後を尾行して彼が人気の少ない場所に移動次第誘い出そうとしていたのだがその途中で偶然にも加江須と黄泉との言い争いの現場に遭遇したのだ。

 物陰から二人のやり取りを始終観察し続けていた彼はある面白い事を思いつく。加江須が玄関を出て行った後、薄気味の悪い笑みを浮かべながらその場を離れて加江須の後を急いで追うのだった。




 ◆◆◆




 「………」


 学園を出てから加江須は自宅へと戻る事はせず当てもなくブラブラと歩き続けていた。

 幼馴染と完全な決別を果たした彼は乾いた瞳をしながら頭に靄が掛かり続けていた。


 「どうしてこんな事になったのかな…」


 もう彼女とは完全に決別した、それでもやはり別れ際に背中越しに聴こえて来た彼女のすすり泣く声が耳から離れなかった。

 

 「くそ…」


 ハッキリ言って今の加江須はかなり機嫌が悪かった。

 黄泉と袂を分かつ事に後悔はない。だが最後に見せた黄泉のあの態度、あれではまるで自分が一方的に彼女を傷つけて放り捨てたみたいではないか。


 違う…悪いのは全部黄泉……愛野の方じゃないか。俺がどれだけ長い間アイツに理不尽に心を苦しめられ続けたと思っているんだ。


 頭の中がぐちゃぐちゃでまるで纏まる気配が見えてこない。まるでミキサーで思考をシェイクされたみたいにぼーっとしながらとりあえず足だけ前に進ませ続けていた。


 そんな不安定な状態の加江須に背後から声を掛けて来る人物が居た。


 「よお随分と不機嫌そうだな」


 振り返って自分を呼び止めて来た人物を確認すると加江須の中の不機嫌さはさらに増長される事となった。

 自分に声を掛けて来たのはクラスメイトの犠正であった。


 正直いい加減にしてほしかった。たかだか体育の授業のミニゲームの事でいつまで自分に絡んでくれば気が済むのだろうか? ましてやもう学校を出ているにもかかわらず絡んでくるのは呆れを通り越して怒りすら湧いて来る。


 「いい加減にしろよお前。いつまでミニゲームの事で俺に突っかかって来る気だよ? 学校の外まで付け回していたのか? は、お前はストーカーですか?」


 先程の黄泉との言い争いの熱がまだ完全に冷めきっていない為に加江須の言葉には棘があった。

 いつもならば加江須の不機嫌そうな声色だけでそうとう苛立つ犠正であるが今は違った。この後に彼が自分の兄のグループにいたぶられる事を想像するとむしろ気分が高揚する。


 「少しお前と話がしたい。ちょっと付いて来いよ」


 「いやだね。今はお前の下らない嫉妬を受け止める気分じゃないんだよ」


 今のもやもやしている状態で犠正の相手をするなど御免被る。そのまま無視して彼の前から消えようとする加江須であったがそんな彼を嫌らしい手段で犠正は呼び止めた。

 

 「それにしてもさっきの玄関前での言い争いは凄かったなぁ。まるでテレビドラマのワンシーンを見ているようだったぜ」


 わざとらしく少し声を張って先程の自分と黄泉との言い争いの事を話題にする犠正。

 無視してしまおうとしていた加江須であったがその脚はピタリと止まる。


 「何が言いたいんだよ…?」


 「いやぁべつにぃ? でも愛野ってウチの学年じゃ結構人気な女子だよな? そんなアイツを泣かせたのがお前だって広まったらどうなるんだろうな?」


 犠正の言葉に対して加江須は取り繕う事なく舌打ちを漏らす。

 あの時に周囲に人影は無かった、だがどうやらコイツはこっそりと隠れて自分と愛野のやり取りを見ていたようだ。


 加江須としては自分に後ろめたい理由はないので自分が愛野を泣かせたと吹聴されても問題はない。バラしたければ好きにすればいいと思っている。だがこれ以上コイツに引っ掻き回されるのはもううんざりでもある。


 「俺にどうしてほしいんだよ?」


 ならばここは1つヤツの話を訊いてやろうじゃないか。

 これからもウジウジ妬みをぶつけられるのは勘弁だ。愛野に続いて今日ここでコイツとの因縁の方にもケリをつけてやろう。


 加江須が要求は何なのかと尋ねると犠正は予定通りに事が運びそうで笑みを作る。


 この状況での笑み、明らかに不機嫌な自分の前で向ける代物ではない。完全によからぬ事を考えているのは明白ではあるが構うものか。


 「ちょっと付いて来いよ。人気の無い場所で話したい」


 犠正はそう言うと加江須に自分の後に付いて来いと促し歩き始める。

 特に文句を言わず大人しく付いてきている加江須に思わず気分が良くなる犠正であるが、彼は正面を見たまま歩いていて気が付いていなかった。


 背後では大人しく後に付いてきつつも氷の様な冷酷な瞳を自分に加江須が向け続けていた事を。


 そして目的地に付いて犠正はすぐに思い知らされる。本当に地獄を見る事になるのはどちらなのかを……。



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