第七十六話 神々の戯れ
神域の魔導士を目の前にして俺は思ってもみない行動を起こしてしまう。反射で右眼、魔眼を起動してしまったのだ。
それは興味からか、はたまた強者の匂いを感じたのか、俺にも分からなかった。
だが魔眼が起動し色を失う世界の中で俺の視線は自然とそれに吸い寄せられる。
自ら視線を移したのではなく動かされた。皇帝の瞳が宿す、妖しい輝きに。
不穏なものを感じながらも俺はその動きを止めることは出来なかった。
そしてその予感は嫌な形で的中する。
いざ眼が合った次の瞬間、俺は何かを視た。
何かを捉えたのは間違い無い。けれどそれを理解することは出来なかった。
バチッっっと凄まじい破裂音を伴って世界が弾けてしまったからだ。
何かをされたのか、何かが起きたのか、分からない。
けれど確かなことが一つ。
激痛と共に右眼が映す視界が一瞬にして闇に染っていくこと、それだけが揺るがない事実だった。
「!?」
そんな俺の右眼をすっと皇帝の手が覆う。その動きが酷くスローモーションに視えた。視えているのに、止められない。
そして穏やかな声音でイルドラードに告げられる。
「良い眼を持っているね。けれど些か頼りすぎかな、分をわきまえないとこうなることを覚えておくといいよ。」
激痛に苛まれる中でその言葉だけかハッキリと耳の中で反響する。
そんな俺に語りかけてくる声が内から一つ。
『...多分【魔眼反し】だね。それにしても眼が合うだけで使えるとは...簡単な魔法じゃないんだけどね。流石神域といったところかな。』
ルクスの言葉でようやく俺の身に何が起きたのかを理解することに成功した。
だが状況は俺に整理させる間もなく加速する。それこそ神域の速度で...
直後に繰り広げられる光景に再び俺の心は支配されていった。
「なに自然にうちの生徒失明させてんのよイル。三枚に下ろして欲しいのかしらぁ?」
ばちこーんっと子気味のいい効果音と共に皇帝が俺の目の前から消し飛んでいく。
どうやらアイリス様が皇帝陛下を叩いたらしい...のだが目の前を通過したにも関わらず振り抜いた後の手しか見えなかった。
「酷いじゃないかアイリス。もうこの通り治したというのに。それに私は未来ある若者の視野が狭まることを危惧したまでだよ。」
「は!?え?」
だが次の瞬間吹き飛ばされた方向を見ていた俺は聴こえる声に驚き正面を向く。
何とそこには先程と何も変わらない皇帝陛下の姿があった。思えば右眼から皇帝の手が消えた気すらしなかった。
素っ頓狂な声を上げ魔法!?っと思い右眼を使いそうになったが使えないのを忘れてた...ああもう頭が追い付かない、クラクラしてきた。
「ゆっくりと右眼を開けてごらん。見えるかい?」
そんな状況でも相変わらずその声はすっと耳に入ってきた。混乱に支配される俺は言われるがままにそっと右眼を開く。
するとどうだ、痛みは無く、黒く染ったはずの世界はきちんと色を捉えていた。
「視えます...。」
理解が追いつかな過ぎてそう一言返すのが精一杯だった。
うん、もう考えるのはやめよう。
最近思考放棄が便利だと気が付いたレギは今回もそれに縋ることにした。
「うん、良かった良かった。さて、やる気かい?アイリス。」
一瞬でレギの眼を壊し治す芸当を見せたイルドラードは薄い笑みを浮かべながらアイリスに告げる。
だがそこに割って入る影が一つ。
「ストーップ!ストーップ!こらこら御二方ダメっすよ!少年の頭パンクしちゃってるじゃないっすか!」
よしよしとレギの頭を撫でながらデルフィが声を張る。その内心では汗をダラダラと流していた。
『神域のヒトは戦いたがり過ぎっす!こんなの筆頭にバレたらなんて言われるか...』
だがそんなデルフィの静止もなんのその。
「可愛い生徒に手を出されちゃねぇ、黙ってる訳にはいかないわぁ。」
その言葉とは裏腹にアイリスの顔にはニヤリと笑みが浮かぶ。その笑みこそが先の発言が建前である証だった。
そしてそれはイルドラードも同じ。
「受けて立とう...と言いたいところだけどまずは場所を移そうじゃないか。」
友であり切磋琢磨するライバルとも言える二人。されど共に天上天下唯我独尊、そんな二人が出会ってしまえば刃ならぬ杖を交えるのも必然と言えるのかもしれない。
まるで自分の事など視界に入っていないかのように続ける二人にデルフィは天を仰ぐ。
「はぁ〜結局こうなるんすね〜...はいはい少年、一旦逃げるっすよ〜」
もう何度見た光景かと相も変わらずバチバチと火花を散らす二人に彼女はため息をつきながらレギを抱えてせっせと移動する。静かに見守っていた寡黙な偉丈夫の元へ。
「ケトゥスさん、あれ止めてくれないっすか
〜?」
彼女はそう告げレギをケトゥスに預けるとぴょんっと身を翻しその肩に飛び乗りる。
だがその問いに男は太い首をゆっくりと横に振るのみだった。
「我々では止めれぬ。」
「そうっすよね〜...仕方ないっす。ケトゥスさん、まぁ無いと思うっすけど皆のこと頼んだっすよ〜!」
ケトゥスの言葉を聴きデルフィは再びくるりと身を翻し鳥に姿を変える。
そんな心配をする彼女らを他所に神域の二人は魔力を昂らせながら空へと昇って行く。
神々の戯れはいつだって突然。誰が言ったかヒトはそれを天災と呼んだ。
そんな事態の最中、アトランティアの住人達、そして生徒達に慌てるものは無かった。
もとい、諦めていた。
それもそのはず住人達は皇帝陛下が即位して以来、そして生徒達は短いながらもこの数ヶ月。嫌という程見せつけられていたから...この神域と慕う魔導士が誰より魔法馬鹿で、誰より戦いたがりだということを。
「まーた皇帝陛下の発作か〜!しかも今回は相手があの魔導王ときた。荒れるぞお前ら!船の帆は畳んで店は片しな!」
船上で魚を引き上げていた漁師が声を上げれば
「己の身を守れぬ者は落ち着いてエリザベート先生の元へ集まるように。命知らずの奴は...まあいつも通り死なぬよう気を付けてくれ。」
我らがまとめ役、カレンが生徒達を誘導しやれやれため息をつきながらエリザベートが結界魔法を発動する。
一部の生徒は神域同士の戦いを目に焼きつける為に、己を信じ命を懸けてより近くで見るべくそれぞれ防御魔法を展開してく。
まあ実はこっそりとエリザベートによって強化しているのがお決まりなので今までこれといった被害は出ていないのは内緒である。
そんな周りの状況などなんのその、アルゴノートが着水したその遥か後方。
ギリギリ被害が及ばない海上にて神たちはその杖を振るい始める。
描き出される光景は正しく極上の奇跡。
多くの生徒や住人達は魔導鏡を用いてただ静かにそれを見守るのみ。
だがカレンの告げた通り、命知らずの生徒は一人、また一人と神が戦う場へと足を踏み入れていく。魔導士達にとって生で目にする神域の魔法は天恵に等しい。命を懸けてでも目に焼き付けなければならないものがそこにはあるのだ。
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「あはっ、やばそうじゃ〜んあのヒト。それにお兄ちゃんがパンクするとこなんて初めて視ちゃった。"何"を視たのかな...気になるなぁ。」
ここにも独り。その身を覆う結界を精霊に任せ双眸を輝かせる少女。その名はアイリスをして天衣無縫を宿すと称されるテレジア。
彼女は二人の戦いを真ん中よりやや離れた場所、天へと手を掛ける者のみが存在出来る特等席にてそれを見守る。
目の前で繰り広げられる、神々の戯れを。
「貴様の眼にあの皇帝はどう映る。」
独りが二人、並び立つ。
テレジアの横に並ぶのは白銀の髪を靡かせ自ら作り出した氷の上に立つ少女、リオナ。
49期生の中で、両者のみが立ち入ることの出来る場所にて、アイリスとイルドラードの如く、互いに互いを友でありライバルであると疑わぬ二人が。
「いい質問だね〜リオナちゃん。けどあんなにも魔力は渦巻いているのにさぁ〜何も視えないんだよね〜。う〜ん...けどなぁ。」
その問いを受け、イルドラードをその視界に収めながらも首を傾げるテレジア。
何かを言いたげではあるが言葉に詰まる。
「勘でも構わぬ。貴様の感じたものを、そのまま告げてみるのじゃ。」
そんな胸中を見抜いてか、何か思うところがあるのか、リオナはテレジアの方を見ずにただ催促する。
「......少し、変なことを言うよ?なんて言うのかな、この国全部からあのヒトを感じる。私の眼にすら何も映さない、けどそこには何かがある...気がする。」
あのテレジアが珍しく言葉に詰まる。確証を持てないテレジアはリオナから見ても新鮮であった。だがそれによってリオナは一つの確信を得る。
「ふむ...やはり貴様もそう思うか。妾もこの国に来てからずっと違和感を感じておる。貴様と似たような何かをな。」
その言葉にテレジアは目を細める。
『ふ〜ん、この国に入った時...ねぇ...。お兄ちゃんとはまた違うリオナちゃんだけの感覚、ずるいなぁ。』
神に愛されたテレジアが生まれて初めてヒトの持つ才能に恋焦がれたもの、それがリオナの持つ、魔法に対する感受性だった。
マナを捉えてしまう眼を持つが故に決して手にすることが出来ないもの。そして常に魔法の事だけを想ってきたリオナだからこそ手にしたもの。
そんなリオナの感覚を当の本人より信頼しているからこそ
「確信は無かったけどリオナちゃんが言うならそうなんだろうね〜。」
それだけ告げると...一切此方を見ないリオナにすっと近づき後ろから抱きつく。結界を掻い潜るという芸当を見せながら。
一つの決意と共に。
「なっ!? しれっと妾の結界にまで入ってきて何をするのじゃ!?」
慌てふためくリオナをがっちりとホールドしながら耳元で囁く。
「しーっ、眼を閉じてリオナちゃん。けど真っ直ぐ前だけを視てて。」
いつになく真剣で素のテレジアの声。それが耳に入った瞬間にリオナは抵抗を諦める。
経験上この赤髪の少女が素の声を出す時は必ずと言っていいほど意味があったからだ。
神域同士の魔法合戦という前代未聞の天恵を前にしてもそれより優先するべきものがある。そうテレジアは決めたという訳だ。或いは自分の一言がそうさせた...その事に気が付いてリオナは上げていた手を下ろす。
「やってみろ。」
ただそれだけ告げて
「ふふっ、ありがと、大好き。」
嫌という程耳にするりと入ってくるその声に鋼鉄の氷姫は身を委ねる。
するとそんなリオナ頬をテレジアの両手が包んだ。
「私の眼をあげる。視て、感じて、二人で識ろう。
"解ける境 交ざる世界" 【アイン】」
魔力が流れ込んでくる。
二つの視界が解けて、交ざる。
リオナの閉じた瞼に魔法陣が浮かび、映し出されるのは七色が舞い踊る世界。
己の感覚と合わさりリオナの頭に激流の如き情報の波が押し寄せる。
「くっ!」
思わずふらついてしまうリオナをテレジアが優しく支え、ただ一言。
「リオナちゃんなら、大丈夫でしょ?」
『言うてくれるわこの馬鹿め。』
無情の信頼とはこのことだろうか。
信頼という名の確かな圧がリオナの身体を走り抜ける。
「はっ!当然じゃ。妾を誰だと思っておる!」
リオナが腕を横に振るうと頭に氷の冠が現出する。滾る身体と熱を帯びる頭と反比例するかの如き極冷の冠が。
リオナとテレジアは奇しくも船上のレギと同じ境地に辿り着く。情報の取捨選択、不要を捨て必要なものだけを統合していく。
そしてついに、二人はそれを捉えることに成功する。
『さっすがリオナちゃん。そしてなるほどね...いや〜これはちょっと...ヤバいねイルドラード様。』
「これがテレジアの視ている景色か。なるほどのう...。そして確かに捉えたぞ、これこそが違和感の正体か。」
それは世界にとってはありふれたもの。そしてアトランティアにとっては国そのもの。
「「水」」
類まれなる感覚と視覚、その両方を用いた上で情報の取捨選択を経てようやく辿り着いた答え。
「そりゃ変な感じする訳だよね〜!その辺にある水全部にあのヒトの魔力が流れてるなんてさ!....ははは、おかしいよ。」
「正しく神の所業か...こんなことが可能なのか...?この国全てが文字通り皇帝の掌の上と言う訳じゃな...。」
視界に入る全て、上がる水飛沫も、遥か遠くまで続く海も、港にポツリとある水溜まりさえも、全てに皇帝の魔力を感じてしまう。
その事実に気が付いてしまった二人は戦慄を隠せない。
「はは...震えてるよ?リオナちゃん。」
「抜かせ...貴様こそ触れる身体から震えが伝わっておるわ。」
精一杯強がってはいるものの両者ともに震えが止まらないでいる。
"好奇心は猫をも殺す"
有り余る才能故に身に余る領分へと足を踏み入れた結果は絶望だった。
イルドラードのそれを捉えること自体、本来褒められる事なのだが捉えたという事実よりも得た絶望が遥かに上回ってしまう。
「魔導の頂きはある種の猛毒。」
中間試験以降ギルドの先達から散々と聞かされた言葉の意味を二人はひょんな事で理解する。
折れる訳なんてないと思ってた。不可能など無いと、確信を持って思っていた。
だけど好奇心、探究心の代償にその自負は意図も簡単に崩れ去ってしまった。
手を伸ばせばなんとかなる...ようなものじゃない。規模も、理屈も、何もかもがヒトの領分を上回っていた。同世代の中では突き抜けた二人だからこそ理解ってしまう。
『なんっで!なんで震えが止まらないの!こんなんじゃダメなのに、分かってるのに!』
『魔導をよく識った。その先にあるヒトの可能性も視た。だがそれら全てを合わせても到底届く気がせぬ...。』
言葉すら発することが出来ない。
目の前で起こる魔法合戦も目に入らない。ただその内にて絶望と葛藤を繰り広げるのみ。
だからこそ...二人は近付く者に触れられるまで、その存在に気が付くことすら出来なかった。
「うんうん、ちゃんと心が揺れてるね。けどその掴んだ絶望の糸、離しちゃダメよ?」
その声の主は水色の髪、水色のドレスを身に纏い高貴な雰囲気を醸し出す女性。
突如現れ肩に一羽の海鳥を乗せるその女性は二人の頭を優しく撫でた。
「早熟過ぎるのも難儀なものね。あれをもう理解出来てしまうんだもの。」
そこでようやく独りは己の世界から現実へと戻ることに成功する。なぜなら彼女はその女性をよく知っていたから。
「叔母上か...! 」
まさかのヒトの登場に流石のリオナも顔を上げる。だが旧知との再開にもリオナの心を占めていたのは別のものであった...その証拠にぽつり、とリオナはあらゆる感情のこもった言葉を零す。
「のう...アレはなんなのじゃ。妾たちの知る魔法とは次元が違う...いや、あれが魔法なのかすら分からぬのじゃ...。自慢では無いが妾とそこの馬鹿は誰より魔法に愛された自負がある。それこそ超越の位にあたる魔法すら使おうと思えば使える。じゃが仮にアレが神域だとするならば...超越と神域のそれ程の開きがあるというのか?妾にはもう分からぬ...分からなくなってしまった。」
リオナの言葉を彼女は一言一句しっかりと受け止める。
『暫く見ないうちに見違えたわね。そして恐らくリオナを変えたのは...』
今も顔を上げれずにいる赤髪の少女を一瞥し、再び口を開く。
「う〜ん言っていいのかなぁ.....
ま、いっか。どうせ貴女たちしかいないしアイリスたちも気がついているだろうしね。」
「ストップっす!怒られても知らないっすよ〜アーニャ様〜?特にディア様とかディア様とかディア様とかに!」
アーニャと呼ばれた女性の言葉にギョッとして海鳥が慌てて喋り出す。お察しの通りアーニャを呼んだのはデルフィだった。
「その時はイルに押し付けるからいいの。良い子だから黙っていれるわよね?デルフィ。」
「ひえっ...ハイっす!アタイは何も聴いてないっす!」
デルフィの提言を笑顔の圧で押し返しアーニャはリオナ、そして今も黙ったままのテレジアに向けて語り出す。
「神域の中でもアイリスとイル、あと貴女たちが知っているのだと...エレノアぐらいかな。あのヒトたちは特別なの。
かく言う私達も神域に片足ぐらいは踏み入れた者と言えるかしら。ディアやシリウスとかもね。
けどアイリスたちは格が違う。
彼女たちを測るものさしを我々ヒトは持ち合わせていない。
超越の上には神域がある。
けど逆を言えば
超越の上には神域しか無い。
たったそれだけ。
彼女たちが今いる領域は我々が到達する遥か数百年先。それを理解するには貴女たちは若すぎた。
本来ならば才能ある子があと10年ぐらいかしら、そのくらいの年月を掛けて到達するのだけど...貴女たち二人はもう辿り着いてしまった。
それが良いことか悪いことか、それを決めれるのは貴女たち二人だけ。私たちは答えを渡してあげられない。ヒトは歳をとることは出来ても若返ることは出来ないもの。」
ね?っとウインクをするアーニャ。
「だから絶望してもいい。けどもう少し掴んでみなさいよ。
後はまあ、見てなさい。別に同じ神でなくとも、手が届かない訳じゃない。勝手に絶望するのは勝手だけどそれじゃあ勿体ないわよ?」
アーニャはくいっと顎でデルフィに指示を出す。
「はいは〜い!いいっすよ!アーニャ様。」
デルフィが作り出すのは水のリングと足場。
トンっとアーニャはそこに軽やかに降り立ち
「せっかくだから、貴女たちが理解出来る範囲で戦ってあげる。」
リオナですら捉えられる程の魔力だけを纏い
ただ一言、それだけを告げて神々の戦場へと足を踏み入れていく。
その不思議と美しく、そして逞しく見える背中を
白銀の少女.....そしてようやく顔を上げた赤髪の少女は並んで見上げていた。
オラトリア最新刊最高でした。
アニメもようやく一気見出来ほうで楽しみすぎます。




