第百六幕 beginning water
突拍子もなく...水に飛び込む。
衣服は纏ったまま、魔法は何も纏わずに
ただありのまま...飛び込んでみたんだ。
水に沈み、青と一つになる。
心も解けて、泡と一つになる。
そして思い出す...親友の言葉を。
______________
ある日の夜だった。
僕は問い掛け、君は答えた。
「どうして...君はそこまでやれる。
どうして...君は痛みに耐えられる。」
「そうか...お前は俺を"写した"んだったな。
なら分かるかもしれない。
簡単な話だ。
痛みによって...いや、この言い方じゃ伝わらないかもな。
痛みをもってして...自分を研ぎ澄ませる。
自分という剣を、痛みという砥石で磨く。
どんな名刀も磨かれなければいつかは錆びて朽ちる。必要なことなんだよ。だから耐えるなんて言い方は間違ってる。必要な事だと、当たり前なのだと...受け入れるんだ。」
______________
その意味をようやく理解した。
【名鏡雫水】は戒めなんかじゃないと。
過去に怯える日々に終わりを告げよう。
戻ろう。己を天才だと信じていた愚かな自分へと。
だってそうじゃないか。【名鏡雫水】は僕の力だ。僕は今日...僕を信じることにする。
僕は【名鏡雫水】で僕を"天才"にする。
「はははっ!凄いやレギ。心の持ちよう一つで...世界はこんなにも変わるんだね。」
______________
突然飛び込んだと思えばゆらりと立ち上がり
纏う服も厭わずに濡れながら笑う弟。
その姿を見詰めながら彼女もまた笑った。
ようやくだ。
荒々しく燃え上がるのではなく
一寸の狂いもなく 清らかに立ち上る蒼き瞋恚の炎。
かつて私が見つけた宝物。
おかえり...私の弟。
______________
「失礼します。ラグナ様がお見えです。それともう一方会いたいという方が見えていらっしゃるのですが...その...お姿があまりにも...。」
「通していい、格好もそのままで構わないよ。
ただ君たちは下がるといい。何が起こるかは分からないからね。」
______________
「お目通り感謝します陛下。このような格好で申し訳ございません。」
「やあ シン君。思っていたより来るのが早かったね。けどよもやずぶ濡れで登場とは流石の私も予想外だよ。
君が付いていながらなんてザマだい?ラグナ。」
シンとラグナが立つのは王の間。
シンが会いたいと願ったのは他ならぬ王。
イルドラード・リヴァイアだった。
だが王に相対するシンの姿は目も当てられないものだった。
「...。」
だがラグナは何も言葉を発することは無い。
"シンをこの場に連れてくること"その時点で彼女は己の役割を終えていたのだから。
「この姿は僕の意思ですよ。姉上は関係ない。
そしてそんな問答に意味はありません。
簡単な話をしましょう。
僕を貴方の弟子にして頂きたい。」
場面が違えば水の滴るいい男と称されるかもしれない。だがここは王の間であり相対するのはこの国を総べる王。
だがそれでもシンは二本の足で立ち、言い放つ。
『面白いね。随分な変わりようじゃないか。けど何より面白いのはラグナがこの現状を静観していることだ。なら心置きなく...試させてもらおうか。』
イルドラードはラグナを理解している。だからこそ...その身に魔力を奔らせた。
「思い上がるな。私を欲するならば..."魅せてみろ"。」
王として...無礼を働く輩を許す訳にはいかない。
だが次なるシンの行動は今度こそイルドラードの予想を上回るものだった。
「言ったな。口にしたな。しかとこの耳が聞き遂げた。
ならしかとその眼で焼き付けるといい。祖なる蒼が示す輝きを。」
______________
"想いを填める"
その点に置いて僕は他の追随を許さない。
記憶を想起しろ。そして選び抜け。
割れた鏡の欠片を拾い上げて...想いの欠片を集めて新たな自分に投影してみせろ。
出会いの数だけ...僕は強くなれる。この身が許す限り。水はなんにでもなれるのだから。
さあ唄おう。
"我が心に色は無く なにものにも染まりうる空の器 スペクロムの歌 舞い落ちる雫"
それはかつての記憶。詠唱とは心有り様を写す鏡。過去と今を繋げ...新たな形を紡いでいく。
"全ての願い 全ての傷 全ての力よ 我を満たせ
この身は万象写す無垢なる鏡像
顕現せよ 星の杯が零す 其は原初の一雫"
【名鏡雫水(ティア・シュピーゲル】
解き放つ。写し、積み重ねた意味を。
其れはかつてしまい込んだもの。だが弱き過去はもう要らない。
かつて自ら捨て去った"天才"を
今この手ずから拾い上げよう。
「祖を継いだ その意味を。」
告げる言葉と共に...蒼は美しく煌めく。
______________
油断は無かった。少なくとも私はそう思っていた。
だがどうだ。蓋を開けた結果がこれだ。
______________
瞬間...イルドラードの首元に添えられるは蒼き刀身。
「...見間違えるはずもない。今のは【水繋】だ。なるほど...作り直したんだね、私の魔法を写し取るべく、その器を。」
王はありのままを呟く。
そしてその胸の内にて確信を得る。
『可能か不可能かなんて議論は必要ない。私は誰より知っている...【名鏡雫水】ならそれが出来ると。』
「勘違いしないで下さい。イルドラード様。
貴方が僕を選ぶんじゃない。貴方が選ばれる側だ。」
シンはそう告げ、躊躇うことなく首筋に添えたその刀身を引き切った。
瞬間...首は落ちることなく水に溶ける。その身体ごと。
そして入口からはその場にそぐわぬ拍手が鳴り響いた。
「素晴らしい。【水繋】を操るだけではなく【水代身】すら見破るなんてね。」
イルドラード・リヴァイアは改めてその姿を二人の前に晒す。
「...まだ踊り足りなければ続けますよ陛下。」
アロンダイトを更に握り締め、シンは告げる。
「神を無理やり写し、ひび割れかけたその身でかい?」
王は朗らかに微笑み、"真実"を告げる。
「はっ!確かに身を引き裂くような痛みが身体中を襲ってる。けどそんなものもう僕にとっては"痛み"じゃない。
だから望むままにこの鏡が砕けるまで...踊ってみせますよ。」
息は既に荒く、その身は表に出さずとも満身創痍。されどその瞳に一縷の迷いも無し。
______________
イルドラードの仮説は当たっている。
時と場所以外は。
代償は既にその身を侵している。だが其れは今の話では無い。
その身を水に浸した時から彼はその代償に身を浸していた。
簡単な話だ。その時から想いを填めていただけのこと。
"天才"を作り上げる為に。
彼はまずレギを想い、次にリオナを。
そして最後に...己が知りうる頂点、テレジアを。
さらにそこから己と、三者三様に抱く欠点だけを削ぎ落としていく。
そうして彼は辿り着く。今の理想...レギの技術と耐性、リオナの心、そしてそのバランスを唯一保てるテレジアの身体。
己が器から逆算した"最高"に。
______________
「ひと欠片と言えど神を写す。...本来ならばとうに割れているはずの器。だが溢れるそばから...不要と断じたものから切り捨てるか。そうだ、お前はその"魔法"が故に初めから己が器を理解していた。必要なのはきっかけだった...全く手のかかる弟だ。」
彼女が神の座についたのも、異端児を巻き込んだのも...全ては今日この瞬間のために。
______________
「...祖の力をもって、君は私に何を望むんだい?」
拍手を止め、その視線を受け止め、王は問う。
何が為に我が力を欲するのかと。
「レギの隣に立つ為に。そしてテレジアとリオナなんかじゃない...僕とレギの二人が頂へ至る。
その為ならどんなものでも写してみせる。だから僕を..."第三冠位の届かなかった頂へと導いてみせろ。それが僕の答えだ、イルドラード・リヴァイア。」
非日常を経て、ありふれた日々に終わりを告げる時。彼は吠えてみせた...蒼の華はようやく蕾を付けるに至ったのだ。いつの日か世にも珍しい蒼き大輪を咲かせる為に。
「ふふっ。心は制御出来ずに未熟、その身は溢れかけてのガラスのコップに等しい。
だがその覚悟は本物のようだ。...その美しい蒼の輝きはかの【雨照】にも勝るとも劣らない。
見事だ、シン・アルバ・エルフィウス。君に私の全て以上のものを捧げよう。まずはそうだね...手始めに"海越"といこうじゃないか。」
王は嗤う。次を見据えたが故に。
「ははっ!望むところじゃないか。」
そして"次代"もまた、嗤った。
______________
「次代は成った。"獲りにいくか"魔導大祭を。」
そして最後に彼女も嗤う。
神として座し、新たな後継を手にした"大海の魔女"も。
モンハンはしっかり楽しみまして今回は割と早めに更新。