第百四幕 姫と騎士
お待たせしました。
地に伏せる俺の周りを白銀は舞い散る
滴る血溜まりの中...薄れゆく意識の中 孤独に想う
俺は...道を違えたのだろうか
数多を喰らい、数多を斬った
新たな魔法すら創った
それでも届かなかった
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視界が暗転する。痛みなど当に忘れたと思っていたのに。右眼が"痛い"...。
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幾百の血を流し...幾千の死を賜った
この身を穢してまで俺は何をしていたのだろう
「なぁ⬛︎⬛︎...俺とお前、何が違ったんだ。俺は...どうすればよかった...?」
更に薄れゆく意識の中...俺は悪を討った英雄に問い掛けていた
もう答えを得る意味など無いというのに
それでも俺は聴きたかった...英雄が泣いていたから
「...貴様は道を違えたことは無い。
妾たちがその弱さが故に...貴様にその道を進ませたのだからのう。
だがもう終わりにしよう。妾ももう疲れた。憎しみと犠牲は沢山じゃ...。
安心せい、妾も直ぐに逝く。
⬛︎⬛︎...貴様を独りにはさせぬ。」
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眼を開ければ...そこは二度目の天井。
頭が痛い...靄が掛かってるみたいな...
だがそんな中でも、思い出せることが一つ。
「負けたんだな。」
人の気配を振り向く...とそこには最早懐かしいような、見慣れた姿が目に映った。
「ようやくお目覚めだな。まあ確かにいい負けっぷりではあったかもしれん。」
「...カレン?」
慣れた手付きでリンゴを剥きながら微笑みかけてくるのはNo.5 カレン・アストリウスだった。
「久しぶりの再会...といきたいところだがレギ、急ぎの用だ。寝惚けているところ悪いがここに血印を押して欲しい。」
手渡されたのは一枚の紙。だがその内容に俺は思わず眼を見開いてしまった。
「...? 俺の眼がおかしいのか?」
「ふっ...安心しろ。そこに書いてあるのは紛れもない事実だ。」
カレンの言葉に嘘が含まれている様子は無い。だが俺の記憶では...
「確かに俺はリオナに負けて...あれ?」
また頭が痛くなってきた。何が何だか分からない。
「はははっ!本当に立ったまま気絶したのだな!
なら無理も無い...そしてやはりお前しかいない。」
堪え切れず笑いながらも真っ直ぐ俺の眼を捉えカレンは告げる。
「レギ。貴殿は確かにリオナに負けた。
だが私たちは観ていたんだよ。貴殿たち二人の戦いを。
...私は怖かった。お前のその黒き力がな。
だが正直に言おう。それ以上に...魅せられた、格好良い...そう思ったよ。リオナだけじゃない、お前の背中に私も、皆も英雄を見た。」
どこか誇らしそうに語るカレン。
俺は思わず天を仰ぐ。...最早まともに顔を視ることも出来ない。
「...お前は凄いやつだよ。それはもう、あの堅物で我儘な姫様が認めるくらいにはな。」
最後にカレンが告げた言葉を理解出来ない程俺は馬鹿じゃない。
「...続けてくれ。」
「リオナが宣言し私たち皆が証人となった。
レギ、改めて四大貴族 アストリウス家の長女として貴殿に要請させて頂こう。
共に一振りの剣とならんことを。」
決壊した。
その言葉が止めとなる。
それはあらゆる痛みに耐えてきたレギにとって...どんな魔法よりも...重く強い一撃だったのだ。
熱く、何より清く美しいそれは頬を伝い枕を濡らす。
限界まで伸びきっていた糸が緩やかに解れていくように、それは様々な想い、或いは痛み。その全てが雫となって溢れ落ちていった。
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まさかの光景に思わず目を見開くカレン。
「気丈なお前が泣くとはな...。
だがその涙を私は嬉しく思う。私は席を外そう、今は存分に泣くと良い。」
それだけ言い残し、カレンは席を立とうとした。だがお約束なのか、はたまた偶然か、来訪とはやはり期せずして訪れるものなのだ。
「おっ兄ぃちゃぁぁぁぁぁん!
おっはよ〜〜〜〜〜〜〜〜!」
「起きたかレギ!ったくこの妹取り押さえるのにウチがどれだけ苦労したか...。」
扉が開け放たれ飛び込んでくるのは見慣れた赤髪と藍の黒髪。
「待つがいい貴様ら。そやつに用があるのは妾じゃ。」
そして最後に悠然と白銀を靡かせる少女。
だが三人とも部屋に入るやいなや目前に広がる光景に固まることになる。
それも無理は無い。彼女らにとっては兄、或いは師、そして己が騎士になろうという男が自分たちに目もくれず泣いているのだから。
「はぁ...全くお前たちは空気が読めないな。
だが丁度いい。テレジア、ヨルハ、二人の気持ちも分かるが今は二人にさせてやって欲しい。」
だがカレンによって一瞬の沈黙は破られることになる。
そしてレギを誰よりも知るが故に、この時ばかりは二人も静かに頷く。
「リオナ。回りくどいことをする必要は無い。
お前の言葉で伝えてやれ。それが主たるお前の役目だ。」
「あは〜リオナちゃんってばアーニャ様の言うところの"つんでれ?"ってやつらしいし大丈夫かなぁ? ま、頑張ってね〜!いこ、ヨルハちゃん。なんだったら今からバトってもいいよ〜」
「ま、そういう事だからよ。ウチの師匠を頼むぜ姫サマ。お、やるか?いいぜ、ずっと寝てたせいで身体動かしたくて仕方なかったからな。」
三人はリオナの肩を叩きながらそれぞれ言葉を残し、部屋から出ていく。
だが残された彼女...リオナの耳にはもうそれは届いていなかった。
彼女の視線は今も顔を伏せ、熱誠の雫を零す彼に釘付けであるが故に。
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「さて、ヨルハちゃん。」
「応ともテレジア。」
部屋を出たテレジアとヨルハは数歩歩いた所で示し合わせた訳でもなく足を止める。
「「当然」」 「聴くでしょ。」「聴くよな。」
「視た?」「ああ見たぜ」 「「あの顔」」
「抜け駆けなんて」 「「許さない」」
「お兄ちゃんは」「お師匠サマは」 「「渡さない!!!」」
信じられない程息ぴったりな二人の応酬に同じく足を止めたカレンが頭痛を堪えるように頭を抑える。
「テレジア、ヨルハ...流石にヒトとしてそれは見過ごせないぞ.....。」
「そんなこと言うけどさぁカレンちゃん...!!! 気にならないの!? あの、"あの"、リオナちゃんが"あんな顔"をしてたんだよ!?」
「ああ...まさかとんだだーくほーす?が現れやがったぜ...あの堅物の姫サマがなぁ。」
テレジアの言葉は正しくカレンの心を射抜く。
「.....気になるに決まってるだろ。
し、仕方ない。お前たち二人がおかしな行動を取らないよう私も監視として残ろうじゃないか。」
「あはっ!正直でよろしいっ!これでみんな共犯だね。」
三人は揃って息を潜め、まるで姉妹の如く並んで聴き耳をたてることとなった...。
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一方残された部屋の中...
リオナはまるで己が氷魔法の如く物言わぬ氷像と化していた。
彼女の心を駆け巡る感情の名は動揺、焦燥、或いは.....
何はともあれいくら傲岸不遜、傍若無人、百戦錬磨と称される"鋼鉄の氷姫"も所詮まだ齢15の娘。直面した同い歳の男がただ泣き続けるという非常事態に言葉が出なかったのだ。
いや.....その実見蕩れていたのかもしれない。
なぜなら彼女は既に知っていたから。
その男が何度叩きつけられようとも折れることの無い剣であることを。彼がその歩みを止めぬことも。あらゆる壁を乗り越えんとする百折不撓の心を持つことも。
全てを見てきたから。
だからこそ...彼が、レギが初めて見せた
涙に、見蕩れてしまったのかもしれない。否、見惚れていたのだ。
彼女の氷を撃ち砕く凄まじい剣技でもなく。
器なき身でありながら辿り着いたヒトに有るまじき魔法でも無い。
その誇り高く、気高き精神でも無い。
あらゆる想いが溢れ落ちたその雫にこそ
彼女は生まれて初めて胸の高鳴りを感じていた。
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だがそれでも...本質は変わらない。
それでいいのだと、直感していたから。
「.....妾を前にいつまで泣いておる気じゃ。」
ありのままに、思うがままの憮然をぶつける。
「...いた、のか。」
肩をビクッと震わせながら言葉を詰まらせるレギ。
「一番見られたくない相手に一番見られたくないところを見られたな...。」
だがレギは憎まれ口を叩く訳でもなく涙と同じく全てを吐露していく。
『これほどとはのう...。じゃが妾はそれを美しく、尊いとさえ思っておる。』
弱さを見てこそ...そのヒトとなりを改めて理解出来る。その言葉の意味を、リオナは噛み締めていた。
だからこそ、すんなりと言葉は紡がれる。
「よい。その涙は弱さの証に非ず、清く美しいものが故に...。顔を上げよ、誇るがいい。そして存分に泣くのじゃ。妾がそなたを讃えよう、よくぞ...ここまで頑張ったのう。」
テレジアの言葉を借りるならば、身体は自然と動いていた。"そうするべき"だと思ったから。
主が騎士に掛ける言葉ではなく、ありのままのリオナが贈る、ありのままのレギへの言葉。
それと同時に、初めて手ずから彼の頬に触れ、自然と頭を撫でていた。
己に触れるその温もりを、彼もまたえもいわれぬ心地好さと共に受け入れていた。
「氷姫の癖に...温かいな.....」
そして零れ落ちた本音と共に、再び想いは溢れ出す。
そんな二人を、穏やかな静寂だけが包み込んでいた。
どれだけの時間が流れたのかは分からない。
ただ事実は一つ。
彼の涙が止まるまで、彼女はその手を止めなかった。
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その時間は永遠にも感じられた。
そう、その部屋を最早テレジアの"眼"を共有してまで覗いていた三人にとってはそれはもう特に。
「ねぇ...ズルくない!? 流石にこれは抜け駆けじゃない...!?」
「うらやま...いや、けど多分ウチでもそうするし...いや〜それでもやっぱりズルいぜ姫サマ...。」
「リ、リオナ...お前まさか本当に...?
喜ばしい...といえばそうなのだが無性に止めたい私がいなくもない...ああシルフィオラ様...私はどうすれば。」
室内で繰り広げられる寸劇に心を乱される年頃の少女たちによって見るに堪えない混沌とした空間が出来上がっていた。
「なあシンよ。あれはどういう状況なのだ?」
「僕に聞かないでくれグラン。分かるのは近付かないことが正解だということだけさ。」
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「もう大丈夫だ...。その...あれだ、見苦しいところを見せたな。」
「うむ...。なら、よい。妾もそう...気の迷いじゃ!き、気にするでない!!!」
だが穏やかな時間も束の間。
気が付けばありのままのリオナとレギではなく、夢から覚め、耐え難い羞恥心に襲われる年頃の少年少女に戻っていた。
先程とはうってかわり忙しない沈黙が二人の間に流れ始め...ようかというタイミングでそれは破られる。
「...聞かせてくれ、リオナ。本当に...俺でよかったのか?」
レギには珍しく少しの緊張が含まれた声音。涙まで見られ、子供のようにあやされたのだ。
最早レギは取り繕うのをやめていた。
そんなどこかしおらしさ?を見せるレギに恐らく自分のせいなのだがリオナは思わず笑ってしまう。
そう、取り繕う必要は無いのだ。親友の言う通り、ありのままを伝えよう。
「妾の騎士はそなたしか有り得ぬ。」
「理由を...聞いてもいいか?」
真っ直ぐにリオナを見詰め、静かに言葉を待つ。
「そなたならば、妾の求める騎士になれると信じておるからじゃ。」
自然と、二人の目は合わさる。
そしてリオナはその瞳に更なる熱を宿し、想いを綴る。
「妾は姫を守る騎士なんぞ求めぬ。
妾が求める"騎士"とは民を護る者が故に。」
それは秘めていた思い。幼き日の彼女は姫を守り抜き、没する騎士を憂いた。
背中を押す?帰りを待つ?そんな姫はクソ喰らえだ。そんな物語は...死して誰かが英雄となる結末など...断じて許さぬ。
故に。
「妾は守られるほど弱くあるつもりは無い!!!
妾はそなたらと共に立ち、民を守り、国を護り、世界を救う。」
それ故に。
「レギ、だからこそ...そなたなのじゃ。そなたならば、総ての命を等しく扱うことが出来る。
妾を捨て置き、誰よりも疾く戦場を駆けることが出来ると、信じておるからじゃ。」
そしてミーティアを抜き放ち、声高々に誓いを告げる。
「応えよレギ!それでもそなたは妾の剣となることを誓うか?」
眼を丸くし、少しの間をおいて彼は微笑む。
「誓おう。この剣は主と共に。」
彼にとってそれは思い描く姫と騎士ではなかったかもしれない。だがそれでいいのだと、不思議と確信していた。
こんなにも強かな姫を、俺なんかが守れるわけが無い。
遠くない未来、共に仕えた従者にのみ、彼はその言葉を伝えたという。
レギの宣言と共に、カレンから渡されていた紙が輝きを放つ。
「此に血印を。姫と騎士の血をもって、繚乱の誓約は結ばれん。」
リオナは左、レギは右、互いの掌に一筋の赤を描く。目を合わせ、手を合わせ、二つは重なり...溶け合い、一つとなる。
「其の剣は民の為に。」「この剣は民が為に。」
「「ここに誓約を果たさん。」」
二人の血印が押された誓約書は纏うその輝きを黒と白銀が混ざり合う美しい渾沌へと変え、二人に祝福を施す。
その祝福は新たな才獲として互いの魂に刻まれることになる。
"黒騎士"
"白姫"
だが意外にもそんな喜びに浸る間もなく、彼はベッドにその身を投げうった。
それほどまでに...
「はぁ...それにしても疲れたよほんとに。どこかの誰かのせいでな...。一応伝えとくけど今後こういうのはやめてくれ。綱渡りでここまで来てるからな...一度上げてから落とされると結構きついんだよ。」
力が抜けたように枕に頭を沈ませながら"騎士"は告げる。恐らくそれは今後二度と聴けるとも限らない彼の偽らざる本音であった。
「試しただけに過ぎん、風情の分からんやつめ...と言いたいところじゃがまあ...その...すまなかったのう。
今のそなたを見ておれば分かる。やはり妾は言葉を違えてばかりじゃ...。」
こちらのまた、椅子に腰掛け素直に謝罪を口にする。
ここまで弱りきった姿を見せられれば流石のリオナも己が過ちを認めていた。
だが驚いたのはレギもまた...
「自分で言っておいてあれだがお前に素直に謝られると調子が狂
そこまで口にして、彼は気づきを得た。
『あぁ、そうか...そういうことだったんだな。』
リオナが思っていた程俺の心は強くない。そしてレギが思う以上にリオナは繊細だった。
そう、ただそれだけの話なのだ。
重く捉える必要も深く悩む必要も無い。
二人は今日、互いを一つ知った。
そして姫と騎士になったのだ。互いのことはこれから沢山知っていけばいい。
そして何より...
「俺はただ、お前に認められたかったみたいだ。」
そう考えると、全てが腑に落ちた。
憧れるのも、張り合うのも。
たった今、糸が切れかかっているのも。
テレジアだけじゃなかった。俺は一目見た時から......
それは聞き耳を立てていた妹の心臓が早鐘を打つほどの...数少ない偽らざる兄の本音。その隣ではヨルハが悔しそうに羨ましがっていた。
「はっ!なんじゃ貴様。妾に認めて欲しかったとはのう...案外愛いところがあるではないか。」
だがそこはやはり"鋼鉄の氷姫"と言ったところだろう。しっかりと期待は裏切らない。
「甘いのう。妾に勝てぬような男を妾は真に認めたとは決して言わぬ。そして今後もその日が訪れる事は無い。貴様が妾を超えることは永劫ないのじゃからな!」
乱立しかけていたフラグを尽く砕いていくのだから堪らない。それは外で聞き耳を立てていた三人はほっとしたかと思えばやれやれとため息をついたのも仕方がない話かもしれない。
「強くなるがいい、レギよ。妾はその尽くを凌駕し、貴様が超えるべき壁として君臨し続けよう。その果てに...妾は魔導の頂きへと至り、太陽を撃ち堕とすのじゃ。」
レギの想いを受けたことで...逆に薄氷を穿ち、芽生え掛けた...知りかけたかもしれない想いを片隅にしまい込み、彼女は告げた。
まだ答えは出ない。だがそれでいいのだと思った。
『妾たちの道はまだ交わったばかりなのだから。』
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「さて、堅苦しい話は終いじゃ!聞かせるがいいレギよ。最期の"虚無"があの日テレジアが見せたものと同じ類の魔法か?まぁ少なくとも妾はそう確信しておるが確認じゃ!!!」
気が付けばいつもの調子に戻り、まくし立てる。
「いやだから疲れてるって...ってお前あれ視えていたのか。」
「はっ!妾に負けた分際で口答えするでない。大人しく敗者は勝者に頭を垂れるがいい!」
「.....仕える相手を間違えたかなぁ。」
正に傍若無人。されど一切の不快感を抱かせない無敵の姫を相手に、騎士はただ頭痛と共に頭を抑えるしかなかった。
ひとしきり笑った外の三人が部屋に入ってくるまでは...。
アトランティア編をそろそろ終わらせようと思いはや数ヶ月...。更新が遅れに遅れて思うように進んでません(自分が悪い)。頑張ります。