似顔絵(過去)
────十年前。
それは、ヤヌアール一家が引っ越してきて暫くの事。いつも一緒に遊んでくれるシュトラントに、お礼としてヤヌアールが彼の絵を描いてプレゼントしたのだ。
それは子どもの落書きと言えばそこまでなのだが、シュトラントにとってはどこからどう見ても自分だった。
それはそれは嬉しく、大切に家に持ち帰り、一日中肌身離さず持ち歩いていた。夕食時、母エーデも苦笑いを浮かべながらも見ていてくれたのだが、事件は入浴前に起こってしまう。
エーデが食器を洗っていると、風呂場の方からシュトラントの悲鳴にも近い泣き声が聞こえてきたのだ。
シュトラントは今、フェストラントと一緒にいる筈だ。フェストラントはエーデと違い、めったに息子を叱る事は無い。故に、シュトラントが彼の前で泣く事は無いに等しいのだ。疑問に思いつつも慌てて風呂場へ向かう。
「ちょっと、どうしたんだい?」
「うわぁぁんエーデさぁぁぁん」
「お前じゃないよフェストラント」
風呂前という事もあり、腰にタオルを一枚巻いた状態で涙目になっているフェストラントを一蹴し、服も脱がずに大泣きしているシュトラントに目を向けた。
「どうしたんだいシュトラント。男が簡単に泣くなといつも言っているだろ」
「だって父さんがいじめるんだもん!!」
「………………」
「いじめてないいじめてない!! 誤解だよエーデさん!」
勿論分かっている。
冗談半分で彼にじろりとした視線を向けたのだが、大方予想は着いている。
昼間、ヤヌアールがシュトラントにプレゼントしてくれたという絵だ。
家に帰ってきてから片時も手放していないそれを風呂に持ち込もうとして、フェストラントに「流石にお風呂には持っていかない方がいいよ」と言われて泣いたのだろう。
呆れたように溜息をついて、エーデはその場にしゃがむ。
「いいかい、シュトラント。ヤヌアールちゃんから貰った絵が気に入ったのは分かる。さぞ嬉しいだろう。だが父さんの言い分が正しい」
「なんで!!!?」
「ふやけるからだ。お前は、ヤヌアールちゃんが描いてくれたお前が真っ黒な埃玉になってもいいのか?」
「エーデさんその例えは色々と酷いかと……」
「おれはほこりだまじゃないもん!!」
「そうなりたくなければ絵は置いておけ。そもそも、そんなに持ち歩いていたらいずれ破れたりするぞ」
「うそ!?!?」
かなりショックを受けたらしく、その場に固まるシュトラント。その様子を見かねたフェストラントが、慌ててフォローするように補足する。
「大切なら、ファイルとか額縁に入れて部屋に飾ったらどうかな? きっとその方がヤヌアールちゃんも喜んでくれるよ」
「そうかなぁ……」
いい感じだ夫よ。その調子で説得してくれ。
そう心の中で念じながら、事の顛末を見守るエーデ。しかし──
「そうだよ。その絵を部屋に飾っておけば、何らかのジンクスによってヤヌアールちゃんとのイベントが起こるかもしれないからね!」
「ホント!?」
「多分! 学年が違って中々会えなくとも、その絵があれば一日一回はお話したり何なり出来るでしょう!! 多分!!」
「!! へやにかざっとく!! まいにちヤヌアールとおはなしする!!」
「そうしよう!! それがいい!!」
「おーーーう!! 母さん、これあずかっといて!」
「……………………おう」
ヤヌアールから貰ったという似顔絵を渡すなり、せっせと服を脱ぎ始めるシュトラント。そんな息子を視界の端に映しつつ、エーデはフェストラントの耳を引っ張り小声で告げる。
「訳分からねぇ事言ってんじゃないよヤヌアールちゃんやアインヤール達に迷惑掛かるかもしれないって分かってんのかいえぇ?」
「せ、説得してくれって目で訴えてたじゃないか〜」
「とても伝わっていたと思える行動では無かったけれどねぇ。テメェが咲かせるのは庭の花だけでいいんだよ頭ん中にまで花咲かせてんじゃないよ」
「ご、ごめんなさ〜い」
今に始まった事では無いが、フェストラントは時たま妙なスイッチが入る事がある。元々占いが好きだったり、ロマンチストな一面があったので不思議では無いのだが、息子にまで影響を及ぼしたくはない。
「そんじゃ、物置に額縁無いか探してくるから。シュトラントを頼んだよ」
「は、は〜い……」
「シュトラント、風呂は肩まで浸かって百数えるんだよ」
「はーい!!」
先程の涙はどこへ行ったのやら。すっかり機嫌の良くなった息子に、肩を竦めて頬を弛める。そしてその足で物置へと向かったのだった。
※※※※※※※※※※
シュトラントが訓練に出ている間に、エーデは部屋の換気をしようと彼の部屋に入る。年頃の青年にしては物が少ない気もするが、壁には黒塗りの奇妙な絵や押し花で埋め尽くされていた。
それは全て、ヤヌアールから貰った物らしい。
「ったく。ストーカーにだけはならないでおくれよ我が息子……」
息子とはいえ個人の部屋なので、窓を開けてすぐに部屋を後にする。
その後すぐに夕飯の準備をする為にキッチンへと向かった。
それは、シュトラントが新たな絵を持ち帰ってくる三十分程前の話である。