プロローグ
魔界。
赤い空の元で生きる、魔物と呼ばれる住民達が住まう世界。
人間とは違い、生まれ持って魔力を有し、尖った耳を持つ者達。しかしその生活風景は、人間のものと何ら変わりはないのかもしれない。
朝起きて、食事をして、学び、働き、遊び、そして眠りにつく。
大半の者達は、そうして平和的にありきたりな日常を送っているのだ。
そしてそれは、彼女も同じだった。
セミロングのグレーの髪をポニーテールに纏めた、青い瞳の少女。『フラワーショップ・イェナー』と刺繍が入れられたエプロンを着用し、店の開店準備を始める。
少女の名はヤヌアール。母が経営している花屋の看板娘である。
「おはよーさん!」
シャッターを開け、中に仕舞っていた花達を表に出していると、そんな挨拶が聞こえてきた。聞き慣れた声に、ヤヌアールは顔を明るくさせて振り向く。
「おはよう、シュウ」
青紫の短髪を風に揺らしながら大きく手を振る幼馴染に、挨拶を返す。彼の名はシュトラント。幼少期の頃、彼の名前を正しく発音出来なかった為、愛称で呼んでいるのだ。
「今日は休みなのか?」
「いいや、これから訓練だ。何でも山ん中で泊まり込みで行うらしい」
彼は将来、軍に所属して魔界の治安を守りたいらしい。その為に、現在は訓練兵として日々修行を積んでいる。
ヤヌアールも父の影響で剣術を嗜んではいるが、実力は彼には遠く及ばない。
「それは大変だな」
「て事で、お前の顔を目に焼き付けてから行こうと思ってな」
ニッ、と笑みを浮かべながらシュトラントはそう口にする。彼の言葉に一瞬動揺しつつも、ヤヌアールは咳払いをして彼の腕を小突いてやった。
「意味の分からん事を言うな。早く行かないと、訓練に遅刻するぞ」
「おっと、そうだな。そんじゃ行ってくるわ。帰ってきたらちゃんと労ってくれよ?」
「真面目に頑張ったらな」
「おう! お前も頑張れよ」
手を振り、訓練場に向かって走り出すシュトラントを見送り、ヤヌアールは赤い空を見上げた。
魔界には天気という概念がない。毎日変わらない朝の空だが、その日は何故か、眩しく見えた。
ヤヌアールはぐいっ、と身体を伸ばして準備に取り掛かる。
──これは、とある幼馴染との日常の物語。
魔王軍軍隊長・ヤヌアールが、花屋の看板娘として働いていた頃の。
病に侵され志半ばでこの世を去ったシュトラントが、夢に向かって走っていた頃の。
在ったかもしれない、無かったかもしれない、物語である────。