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流星の堕ちる前

 

 

 僕達の魂は一つに溶けていく。それは、良い事なのだろう。

 誰もが大きな全体というものを感じ、そこに融合する上ではじめて、一人の人間であるのを許される。美しい世界だ。僕達は、今や何か大きな使命や目的というものをそれぞれの背中に負い、生きている。これまでの過度な個人主義、快楽主義の時代は終わったのだ。

 新聞は先日、こんな事を伝えていた。国の為に死んだ一人の青年、あるいは、同じ事だがこの世界の為に自ら命を絶った少女。そのような気高い精神が称揚されている。かつてのような、個人を基礎とした快楽主義の時代は去って、誰しもが自己を何か大きなものに捧げる時代がやってきた。

 僕はそのような時代を感じている。ああ、なんて素晴らしいんだろう。僕も人々の為に自分を犠牲にできるとは。なんて気高い事だろう。美しい事だろう。

 …それなのに、どうしてこんなに涙が出るんだろう?

 先日、僕の知っているある人がそっと土の中に埋葬された。それは、恥ずべき、忌むべき生涯としてある種の人に罵られた。彼女は全体に背いたのだった。にも関わらず、僕は彼女を尊敬していた。

 僕は覚えている。僕が彼女を裏切った夜を。彼女は微笑していた。(あなたもそっち側だったのね)彼女が怒らなかったというのが、何よりも僕に辛かった。彼女はただ笑っていたのだ。天使のように。

 今、僕は死のうとしている。僕の死はそれなりのものかもしれない。この全体ーー世界ーー国家にとっては。僕はある事柄で、国からの顕彰を受けたのだ。ところが、死のうとしている僕の脳裡に浮かぶのは、死んだ彼女の微笑みだ。僕は彼女を裏切ったのを生涯の罪として、死ぬだろう。それは僕の内心だけではっきりしている事だ。しかし、そもそも、世界よりも遥かに、僕の中の良心の方が大きいのではないのか。それが真実なのではないか。

 僕は、何を言っているのだろう。僕ももう五十を越えているのに。

 僕は死ぬ。罪を抱えたままに死ぬ。僕は…一つ告白させてくれ。ずっと嘘をついて生きていた。死ぬまで、嘘をついて、虚偽のままに生きてきた。その極点が、彼女に対する裏切りだった。それが僕の心を痛めつける。死に面したらもう利害は関係ない。ただ魂に対する真実だけが全てだ。僕は全てを失った。そうして何者でもなく死んでいく。僕は、後悔して生きている。もう、僕は死ぬ。

 しかし、それにしても僕は誰に向かってこれを書いているのだろう。深夜、病床で一人これを書いている。僕の命もそう長くはない。頭に浮かぶのは彼女の微笑だ。あれは…美しかった。僕は人々に背こうとしている。彼女に背き、人々に背き、一体、何をしようというんだ。全ては全体性に溶けた世界で、何をしようというんだ。僕は死ぬ。ただそれだけだ。ただ、最後に言わせてくれ。ごめんなさい。彼女に謝りたい。もう一度人生をやり直したい。どうせ死しかないのなら、逃げるべきではなかった。僕は臆病者だ。ああ、ごめんなさい。さようなら、みなさん。僕は自分を……もう語る事はできない。

 僕はもう語る事はできない。これから死ぬ。世界が終わろうと知ったこっちゃない。僕は…敗残者だ。僕は死ぬ。僕の脳裡に彼女の笑みだけが浮かんでいる。それは花のように…天使のように…僕は彼女の霊が助けに来てくれるのを期待したい。僕は死ぬ事によって彼女に報いる。そう思いたい。僕の最後の願いは…一個の無意味として死にたいという事だ。この世界は僕にとってなんでもなかった。僕は無として死にたい。答えはただそれだけだ。終わりだ、何も言いたくはない。

 

 

 …今、流星が窓の外を通っていた。今や、僕はそれが現実か幻か、見分ける力を持たなかった。

 

 

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