02 わりとお約束な話
まばゆすぎる光がゆっくりと集約していく。閉じた瞼の裏側で感じる光に、目を開けても問題ないほどだと理解した蒼はゆっくりと目を開けた。少しまぶしい。
ここ何年か朝昼に外に出た記憶がない。部屋の窓もずっと雨戸を閉め、そのうえでカーテンも閉めてきた。そして、日中は部屋から出ない徹底ぶりだった。そんな自分が数年ぶりに感じる自然の光に戸惑い、幾度か瞬きを繰り返し、何とかなれる。
ゆっくりと辺りを見渡し、嘆息した。
明らかに自室とは違う、広い室内空間。天井には広い窓。天窓という名のそれから、太陽の光がたっぷりと降り注ぎ、明るい室内。その室内を埋め尽くす人々。まるで映画のセットの中にでも紛れこんでしまったような状態だった。そのありえない事態に、本もゲームも好きな蒼は、冷静に現実を受け止める。近年流行りの異世界トリップ、というやつか、と。勿論、蒼自身、そのようなことが現実に、ましてや自分に起こるなどと思っていなかった。事実は小説より奇、という言葉はこのようなときに使うのだろうか。何事も「自分は大丈夫」が通じないのだと痛感する。
蒼の右隣には三十前後の眼鏡の男性。180㎝~185㎝くらいだろうか。ひょろりと高い。左隣には黒いロングヘアーの女性。漫画とかで見かけるどこかのお嬢様、といった外見。二人ともthe日本人という感じの雰囲気。つまり、戦いには無縁な雰囲気。戸惑うように辺りを見渡している。蒼は、二人が自分と同じように突然、強制的に連れてこられたのだろうと判断した。
足元には巨大な魔法陣が描かれた布。魔法陣は薄紅色に発光し、ゆっくりと消えていっている最中だ。これが自分達を誘拐した装置か、と推定する。そして、魔法陣が消えていっているという事は、一方通行の可能性が高い、と判断した。
魔法陣の周りにはきらびやかなローブを羽織った、いかにも魔法使い的な服装の男女が5名。その後ろに10名ずつ、ローブを着た男女。こちらは至って地味なローブ。それぞれの前にいる男女のローブと同じ色のローブを着ているので、おそらく弟子か何かだろう。
自分達の召還にこれだけの魔法使いを必要として、かつ、一方通行。これは、最近見かける異世界トリップ系で、しかも、帰る望みの薄いタイプだろう、と冷静に判断するのは、ちょうど自分が異世界物を執筆していたためか。
蒼達の正面には左右を騎士に固められた、やたらときらびやかな男女。一人はシルクのような綺麗な薄布でできたドレスのような衣装を身に纏い、頭には見事なサークレットをつけていた。長い薄水色の髪は足元まで伸び、つややかな天使の輪がかかっている。ぱっちりとした目は澄んだエメラルド。桜色の頬。薄紅色の唇。ため息をつきたくなるほどの美少女だ。服装と立ち位置から、おそらく最高位の巫女や神官。聖女、という立ち位置にいるタイプだな、と判断し、次へ視線を向けた。
優しそうな顔つきをした50~60歳くらいの男だ。此奴は自分たちを召還するよう命じた王だな、とすぐに判断した。優しそうな見た目とは裏腹に、普通の人間にしては威圧感が違う。此処にいるものを全て従えている、と言われても納得できる堂々とした佇まいだ。さらに、身に纏う衣装がこの場にいる誰よりもきらびやかだった。大小さまざまな宝石をあしらったガウン。隣にたたずむ少女の衣服よりも高価そうな布で作られたフリルシャツ。宝石のボタンをあしらったベスト。これまた宝石をあしらったベルト。革のブーツも傷一つなく輝き、やはり宝石があしらわれている。そして、頭には見事な王冠。これで実は地方の領主です、ということはないだろうと判断し、この男は王だ、と確信した。
美少女が一歩前へ進み出る。
「よくぞ参られました、異世界の勇者様」
ため息をつきたくなるほどの美少女は声まで美しかった。蒼は鈴のなるような声というものを聞いたことがないが、おそらくこの少女のような声をそう表現するのだろう、と記憶の中に書き留める。
「真ん中の貴方が勇者様、左右のお二人は……大賢者様ですか……」
少女の言葉に、どうやら蒼が勇者で、左右の大人二人が大賢者といわれたのが理解し、左右の男女はますます困惑した表情を浮かべた。しかし、蒼だけは初めから表情を崩さず、ずっと淡々と見つめている。
鋭い眼光に、しかし美少女はにこりと微笑んだ。
「突然呼び出され、困惑していることでしょう、勇者様。わたくしはリスティエーナ・ブルドフ。水の巫女です」
「……で?」
礼儀正しく名乗った少女に、蒼は名乗りを返すことなく、じろりと一睨みした。それにざわりと部屋中にざわめきが走る。その多くが蒼を批判する言葉だ。曰く、巫女姫様に対してなんて無礼な。対して蒼は、知るか、と怒鳴りたい気分だ。目の前の少女がどれほど偉いのか知らない。蒼から言わせてもらえば、お前ら全員ただの誘拐犯だろうが、だ。
礼を尽くすつもりのない蒼。いつの間にか自分に寄り添うように立っていた男女の服を、気取られないようにそっとつかみ、軽く引く。その僅かな違和感に気づいた二人は、相変わらず困惑したまま、けれど、口を開くことはなく、ほんの僅か、後ろに下がった。それは、隣に立つ蒼にしかわからないほど、極僅かな動き。それで蒼には十分だった。
「突然このような場所に呼び出され、さぞご立腹だとは思います。しかし、私達はけして悪戯にこのようなことをしたのではないのです」
美少女改めリスティエーナ曰く、この世界は現在魔王の侵攻により、危機に瀕している。これまで、この国の騎士、他国からの援軍の騎士で魔王領との間に要塞を造り、何とか耐え忍んできたが、その要塞が破られた。この場所は要塞からは少し離れているため、侵攻まで多少の時間がかかる。しかし、それも僅かな時間に過ぎない。このままでは人は悪しき者たちに蹂躙され、滅ぼされてしまう。この世界の者では誰も魔王に敵わないどころか、魔王の居城にさえ辿り着くことができない。故に、古の儀式である勇者召還の儀式を行った。千年ほど昔にも要塞が破られ、勇者が召還され、魔王を討ち取ったという伝説を信じ、藁にも縋る思いで。
どうか私たちをお救いください、との言葉に、蒼は頷かない。何故なら、リスティエーナ達を信じていないから。ちやほやされて舞い上がるほど、蒼は他人にも、他人から見た自分というものにも興味がない。後ろの二人はいかにも日本人だ。典型的な日本人なら進んで正義の味方を気取らない。「え? なんで自分? そういうのは他の人に。目立つのはお断りします」という、よく言えば奥ゆかしく、はっきり言えば争いごとはごめんこうむりたい薄情な気質を備えているのだろう。リスティエーナからの言葉にも、困惑を強めるばかりだ。
蒼は考える。はっきり言って答えはNO一択。しかし、今すぐにそれは答えられない。何故なら、現状が最悪だからだ。この部屋は狭くない。これだけの人数を入れてなお余裕があるのだから。だが、そう言えてしまうほどの魔法使いと騎士がいた。全員杖や剣を持っている。対して自分達は何もない。着の身着のまま此処にいる、といったかんじだ。断った瞬間取り押さえられても、攻撃されても、反撃も何も出来ないだろう。
少し考え、口を開いた。
「判断しかねる。はっきり言おう。私達から君たちへの心証は最悪だ。そちらにどんな理由があろうとも、ここは私達には関係のない世界だ、と一目でわかる。そんな世界に突然呼ばれ、関係のない戦いに身をやつせ。そんな話、容易く受け入れられるか?」
「それは……しかし、どうかわたくし達を憐れんでください……」
リスティエーナが悲しそうに目を伏せ、蒼は、やはり此処は自分達のいた世界ではないのだと理解した。
とげとげしい雰囲気を隠しもしない蒼に、明らかな害意が向けられる。それをまるっと無視し、蒼は再び口を開いた。
「勝手に召還し、挙句、明らかな敵意を向けられ、何故、憐れめる?」
「……申し訳ありません。わたくし達の態度は褒められたものではないのでしょう……。しかし、事態はそれほど切羽詰まっているのだと理解してほしいのです」
蒼の言葉にリスティエーナが答え、蒼達を睨んでいた数多の目が慌ててそらされた。
白々しい、と思わずため息つくのを何とかこらえ、再び口を開く。
「正直に答えてほしい。私達は帰れるのか?」
「……それは……」
リスティエーナは思わず言いよどんだ。しかし、すぐに言葉を紡ぐ。
「現状、わたくし達にはできませんが、もし、勇者様たちが魔王を倒すことができればそれも可能でしょう。と言いますのも、わたくし達ではこちらへ招くことはできても、あちらへ返す程の魔力を有しておりません。ですが、魔王の心臓に聖剣を突き立てることが叶えば、魔王の魔力を聖剣が吸い上げ、あちらへと帰れるほどの魔力の準備ができます」
訝しげに目を細める。
蒼にはそれが作り話だとわかった。そして、何とも演技の上手な女だ、とリスティエーナを胡散臭い詐欺師と認定する。
思わず、と言ったように言い淀み絶望を与えつつ、それでいて現在はできないが、リスティエーナ達の要求を飲めば帰してやれると希望をちらつかせる。多少考えが足りない人間ならば、簡単に追い詰められ、とれる行動は魔王を倒すか、絶望の果てに自害するかしかないのだろうと思い込むだろう。しかし、蒼は違った。リスティエーナの態度を嘘と断定し、こいつらは大ウソつきの誘拐犯、と確信をもっただけ。
「……召還については理解した。次の質問だ。最初貴女は私を勇者、二人を大賢者といった。何故だ?」
「鑑定という技能があります。わたくし達巫女と、勇者様のみに許されたスキルです。それで相手のステータスを見ることができます」
つまり、勝手に個人情報を読み取りやがったのか、このクソ女、と心中で呟き、蒼は軽く首を傾げて見せた。
「スキル?」
「勇者様の世界にはないものでしょうか?スキルとは、職業別に神より授かる特別な力。わたくし達の世界では、就いた職業により、得られるスキルが違います。転職してしまうと今まで使えたスキルは使えなくなります。なので、皆、授かった職業を一生に一度のものとして受け入れます。しかし、スキルも相性があり、同じ職業でも得られるスキルは人によって違います。さらに、特殊な職業には特殊なスキルがつきます。勇者様ですと、鑑定、宝物庫、聖遺物装備等となります。自分の内なるスキルに意識を向けてみてください。使い方は自ずと判ります」
いわれるまま、アナライズへと向けた。勿論、周囲への注意は怠らない。
脳裏に映像が浮かぶ。
日下 蒼
職業:勇者
Lv:0
状態:冷静
技能:鑑定 宝物庫 聖遺物装備 気配探知 翻訳
その他にも体力や魔力といった、所謂RPGにありがちなステータスが表示されていた。軽く流し見でそれらを確認し、リスティエーナが嘘を言っていないことを確認する。まぁ、最も、それが嘘であると蒼は思っていなかった。何故なら、ここで嘘を言った場合、自分たちが「わかりました、魔王を討ちます」と答えたのち、そのまま放り出すことはしないだろう。勇者といえどLv0なのだから。まずはありとあらゆる説明から入るはず。となれば、その時に、あれは嘘だったのか! やっぱり信じられない! となってはリスティエーナ達の方が困るのだから。
蒼が質問した理由はただ一つ。こういった能力があるのか、あったとして、使い方は? という疑問の解消のためだ。
その状態でリスティエーナを見、成程、と頷いて見せる。
「スキルについては理解した。次の質問だ。聖剣とはなんだ? まさかとは思うが、魔王を倒す聖剣はこの世界のどこかにあって、それを探し出し、数多の試練を乗り越え、聖剣に主と認められてください、なんて丸投げはしないだろうな?」
「勿論です。聖剣とはこれです」
リスティエーナの言葉に、後ろにいた騎士が前へ進み出た。
騎士が何かを前に持っているような立ち姿だったのは知っていたが、成程、と頷く。騎士の手には立派な台座。そこに置かれた一振りの剣。
リスティエーナが受け取り、掲げて見せた。
たおやかな、可憐な一輪の花のごときリスティエーナでさえ、片手で掲げられるほど軽い剣。それは一言で言い表すならば、優美な剣だった。刀身からは一目でわかるほど清浄な気があふれ、神々しい光さえ纏っている。見事な装飾の彫られた柄の先には美しい宝石がはめ込まれ、そこに強大な力が宿っているのがわかる。
「それで魔王の心臓を貫けば、私達は帰れるのか?」
まだ疑い深そうにゆっくりと問う。その時、蒼は見た。リスティエーナの顔に浮かんだ微笑みを。優しそうな美しい笑み。しかし、その眼は獲物を捕らえた喜びに満ちたもの。
「はい」
「魔王は聖剣でしか傷つかないのか? 魔物はどうだ?」
「魔物は普通の剣で大丈夫です。魔王に関しては伝承では聖剣で討ち取ったとあるので、おそらくそうだ、としか申し上げられません」
気づかないふりして問いかければ即座に返る声。
リスティエーナは蒼の気持ちが動いた、と判断していた。大人二人は未だに現状を受け入れられないのか、困惑した面持ちで二人のやりとりを眺めている。しかし、子供だろうとも、おそらくこの中で最も疑り深く、慎重な蒼が頷けば、蒼に協調し、勇者パーティに入るだろうと予想は容易い。その蒼が帰還と魔王に関心を持って質問してきたのだ。この後は正直に答える姿勢を見せるだけで問題ない。そう、判断した。
「その剣で魔王を倒せば、帰れるんだな?」
「はい」
重ねて問う蒼に、はっきりと、しかし、力強く頷いて見せる。蒼は少しだけ考える素振りを見せ、それから顔を上げた。相変わらず表情はない。一度睨んだ時以外、蒼はずっと淡々とした表情のまま。
ずかずかと作法も何もあったものではない足さばきでリスティエーナに近寄ると、聖剣をまっすぐに見つめる。
「これで魔王を倒せば、帰れる……」
剣を見つめて呟く蒼に、リスティエーナの瞳がきらりと輝いた。
かかった。そう確信した。釣りで表現するなら、警戒して餌をつついていた魚が、ついにくらいついた、といったところだろう。それが針付きの餌だとは知らずに。あとは釣り上げるだけ、と聖剣を蒼に向かって差し出す。
「勇者様、この剣で、どうか……」
「……」
蒼の両手が、差し出された剣を掴む。そして、次の瞬間、思いっきり振られた。まるで何もない中空を切るように。滑らかに。
吹き出す血。ぽぉんとまるでボールのように跳んだ頭部が重力に従い、地に落ち、軽く跳ね、転がった。次いで頭を失った体がぐらりと倒れ、音を立てた。
長く美しい薄水色の髪が、白い衣装が、肌が、赤い色に沈んでいく。
一瞬、時が止まる。
誰もが何が起こったのか理解できず、ぼんやりと蒼を見上げる。しかし、蒼は転がった頭部を見、ちっと舌打ちした。
「正直に答えろと言っただろう……? 嘘は嫌いだ」
素早く王の背後に回り込み、その喉元に剣を押し当て、拘束する。
「ゆ、勇者よ、気でも狂ったのか……?」
仲間を敵地ど真ん中に置き捨てての蛮行に、王が喘ぐように問う。しかし、蒼は刀身をさらに押し当てて黙らせた。
「お前達の嘘を暴く。
一つ、魔族と戦争を繰り返し、危機的状況であるなら、その無駄に金のかかった姿ではいられない。何故なら、軍事維持費は莫大だからだ。故に、この戦争を仕掛けているのはお前達の方だ。そして、お前達は民の事なんか何一つ考えていない。
二つ、前線が破られたというのなら、こんなのんびりしていられない。何故なら力ある者は必至で現在の前線で戦う事だろう。そうでもしなければあっという間に飲み込まれ、滅びてしまう。なのにどうだ、この部屋の武力は。とても危機的状況とは思えない。
三つ、お前達は私達を帰す方法を持たない。何故なら、この聖剣に魔力を貯める機能はない。アナライズで確認済みだ。お前たちは私達を使い潰すつもりでいたのだろう?」
「そのような……! 第一、我々では勝てない魔王を相手に勝てる勇者様に害なすことなどできようはずが……!」
「例えば、魔王討伐後、祝いの式典を開き、私達を称える。その際の食べ物ないし、飲み物に毒物を混入させる。
例えば、パーティーメンバーと称して見張りをつけ、魔王を倒したと同時に後ろから斬りつける。
例えば、私達がお前達につくと言ったのち、そこのお綺麗な顔をした騎士達の中から私達の護衛と称した見張りをつけ、信頼関係を築くふりをしながら何らかの方法で隷属させる、とか。言い出せばきりがない方法で可能だ」
「ぐっ……!」
呻く王に、ああ、と納得した。やはり、この部屋の騎士たちはその為だったのか、と。
「仮にも勇者がそんなハニートラップに引っかかると思ったのか……」
「そ、そのような……そもそも、我々はこのような外見が普通なのだ。そなたの世界では違うのかもしれぬが!」
「ないな。なら、そこのローブで懸命に顔を隠した魔法使い達はどうなる。この部屋にいる全員の顔は、初手で確認済みだ」
「ぐぐっ」
異世界からきたという勇者が余りに冷静だったことがわかり、呻く。
王がそれ以上紡げない様子に、その程度で王かとあきれつつ、蒼は中空を睨んだ。
「ソコでのぞき見している奴! 答えろ! お前側の言い分があるなら聞いてやる!」
何もない中空に向かい蒼が怒鳴ると、どこともなく高らかな笑い声が室内に響き渡り、空間がぐにゃりと歪んだ。