気まぐれに冒頭部分だけ投稿
タイトル通り
回れ右してもらってかまいません
子どもの頃、俺は困ってる人を助ける事が好きだった。
その人が困ってることを解決して、ありがとう、すごいねと褒められる事が嬉しかった。
誰かが悲しんで泣いていると、心の底から心配して声をかけ、悩みを聞いてあげたいと思った。
そして悪者がいるなら怒り、懲らしめようと思っていた。
そして、そう生きていればきっと、幸せになれると信じていた。
ーーーーでも、現実は違う。
困ってる人を助ける事で、その人は"なぜ"困っていたのかその原因を考える事なく同じミスを繰り返し、また傷つく。
誰かが悲しんで泣いていると"勝手に"思い込んで、演技にも気づかず善人を傷つける。
困っている人はそのほとんどが自業自得で、自分のサボりのツケが回っただけ。
うずくまって泣いている人はそのほとんどが他人の悲しみに気づかず、自分だけが不幸だと思い込んでいるだけ。
この世に悪者なんておらず、争いはただ、皆が幸せになりたいと祈り、己の正義に則って行動し、それがたまたま衝突してしまっているにすぎない。
感謝や恩という言葉は結局は、誰かにとって得であるかどうかでしかない。
そんなもののために奔走したところで幸せにはなれない。
それどころか都合のいい存在として扱われ、感謝もされず、報われることもなく、ただの骨折り損が積み重なり、いつしか『誰かを助ける事』そのものに価値を見出せなくなる。
そんな自分を嫌悪し、否定し、現実逃避をしたところで、すでに以前のようにがむしゃらに誰かを助けようとする原動力は失われ、原動力のないまま無理に動こうとしても成功はせず、終いには助けようとしたその本人に「あなたのせいで」と言われて、そこで初めて己の滑稽さに気づくんだ。
だから今は「誰かを助けたい」なんてそんな綺麗事を聞くと虫唾が走る。
何かしらの対価のため、己に見返りがあった上での救いしか信じられない。
どこまでいっても、人は結局、自分のためにしか動けないのだから。
わざわざ読んでもらってありがとうございます。
完全に気まぐれで、続きは書いてますがまだまだ少ないので、もはや忘れてもらってかまいません