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拒絶交際  作者: 海岳 悠
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 昨日、彼女からもらった紙を取り出す。


 拒絶交際というルールが電話をかけようとする僕の手を止めていた。嫌われるように努力するなら、このまま連絡しないほうが良いのではないかと葛藤する。けれど、それでは交際の意味が破綻すると思い、勇気を振り絞って通話ボタンを押す。


 長いコール音の後の第一声が電話をかけてくるのが思ったより遅かったわね、変態さんだった。なにかの間違いだと電話を切り、もう一度番号を確認してかけ直してみる。すると、なんでさっき切ったのよ!と怒った様子だった。紛れもなく通話相手は彼女である。そこからは特に変わったこともなく、今日の夜に食事する約束をして電話を切った。


 まだ胸の鼓動が高鳴っている。

 まさか、彼女の嫌われる努力が相手を罵声するという斜め横に走るとは思わなかった。しかも、彼女はこういう罵声や相手に嫌われるようなことをしたことがないのだろう。妙な不自然さとたどたどしさが何ともむず痒かった。


 一つあくびをし、体を伸ばしながら時計を見る。

まだ、夜まで時間がある。十分に彼女と行く店を吟味できると、ノートパソコンの電源を入れる。


 マウスで画面をスクロールさせ、良さそうな店を探す。できれば、彼女の雰囲気を壊さないような店を選択したい。そうなると、初めて行くような店よりも自分が慣れ親しんだ店のほうが良いと判断し、付けたばかりのノートパソコンの電源を切る。


僕は几帳面なので一度行った店の名前と営業時間をメモに取っていた。


 そのメモを取り出して、デートならこういうところが良いかなとか、彼女はあんな雰囲気だからこれかなとか、悩んでいた。

ふと、彼女の表情が浮かぶ。そういえば、僕がこうやって自分から動いたのはいつぶりだろうか。いつしか、受身になっていたのかもしれない。社会という汚濁に塗れながら、逆らおうともせずに流されていた。


「誰かの為に……」

この言葉は僕の胸を熱くさせた。


目の前が霞む。

静かな部屋に鼻を啜る音が響く。

悲しくもないのに泣いていた。


 僕の会社でのあだ名は、『機械人間』である。喜怒哀楽などの感情の起伏はなく、ただただ仕事をこなす様子から、誰かがそう呼び始めた。もちろん、僕の目の前ではなく陰口として言われていた。


 そんな、機械人間が今こうやって涙を流している。もっといえば、嬉しい涙を流している。

誰かを思う気持ちが人をここまで変わらせる。


 今日は彼女に素敵な店を提供しようと紙にペンを走らせる。

拒絶交際なんて関係ない。僕は彼女のことが好きなのだから迷わずレールの上を走ればいい。時には、抗うことも大切だ。




「ごめん、待ったかい?」

今日は黒いワンピースに纏われて、より一層謎めいた雰囲気が倍増した彼女。


 僕が来たのを見て「あんたなんか待ってないわよ」と言って、僕の前を歩き始めた。しばらく、僕は黙って彼女の後ろを付いていく。

 突然、リズムよく歩いていた足が止まる。そして、僕の方を振り向き「ちゃんと前歩いて先導しなさいよ」と睨みながら言ってきた。

あまりにもこの光景が微笑ましくて笑ったら、彼女が一言キモいと言って僕の後ろをついてくる。

僕と彼女の足取りが少し軽くなる。互いの歩く距離が縮み、店に着く頃には彼女が横にいた。


 カランコロンという音と共に店の中へ入った。

 悩みに悩んだ末、彼女のために雰囲気が良いバーを用意した。そこのマスターには「彼女さんですか」とか、「珍しいですね女の人を連れ込むなんて」とか、意地悪そうな笑みを浮かべながら訊いてきた。彼女もマスターの言葉を否定しつつも、いつものように微笑んでいた。その空間がどうも僕にはすごく心地良かった。


 彼女は何かを思い出したかのように、僕の弁慶の泣き所を蹴ったり、グラスを倒してお酒をこぼしたり、拒絶交際をしっかりとこなしていた。


 しかし、どれも彼女の人の良さを隠すことができず、中途半端である。僕の弁慶の泣き所を蹴る時も僕は反射的に痛いと言ったが、それは驚きつい言ってしまっただけで、本当は全然痛くなかった。グラスもあと少しで飲み終わる量しかはいっていないものを倒し、彼女だけが大騒ぎしていた。


そして、僕はそっと彼女に訊いた。


「どうしてそこまでして、僕に嫌われようとするの?」


「……う、うるさい! あんたに私の気持ちがわかるわけないでしょ!」

そう言って、彼女はトイレに行ってしまった。


その様子をニヤニヤしながら見ていたマスターが「そりゃ、あなたのことが好きだからでしょうね」と言ってきた。


「いやいや、それはないと思いますけどね」


「鈍感男は嫌われますよ」


 やはり、この店にしたのは間違ったかもしれないと、思いながらも複雑な心境だった。確かに、僕のことがどうでもいいなら今日こうやって会うこともないし、連絡先だって教えることはなかっただろう。


でも、それが好きと繋がるかどうか、恋愛経験の少ない僕には難題である。


 少し経ってから彼女は戻ってきたが、ちょっと用事ができたと言って帰ってしまった。彼女の様子は別に怒っているとかそういうことではなく、本当に慌てている様子だったので何かあったのだろうと思い、それ以上は何も訊かなかった。


後、残り三日。




 次の日、昨日の彼女の様子が気になって、何度も電話をかけてみたが繋がらなかった。僕の電話よりも大切なことをしているのだろうと思い、電話をかけることをやめ、彼女からの連絡を待つことにした。


いつも通りの平凡な僕の生活が戻ってきた。若干、昨日のアルコールが残っているのか、気分が良くない。台所に行って水をぐいっと飲み干し、いつもとは違うことをしようと、シャワーを浴びる。


 浴び終わると、再び携帯を取って彼女から連絡が来ていないか確認をしたけど、来ていなかった。まさか、嫌われてしまったのかと思い、昨日の行動を振り返る。やっぱり、なぜ嫌われることをするのって訊いたのがまずかっただろうか。彼女が拒絶交際を提案したことには、何かしらの意味があるはずだ。そう考えると、余計なことをしてしまったかもしれない。泥沼の道を歩かされているような気分になる。黙っているとその泥沼に引きずり込まれてしまうような気がした。


 その気を紛らわせようと、運動着に着替えて部屋の外に出る。太陽は西に傾き、過ごしやすい気温の中ランニングをしようと走り始める。住宅街を右へ左へと駆け抜ける。額に汗が滲み、次第に息が荒くなる。


 ふと、周りに目を向ける。子どもが元気よく歌いながら歩いている傍らで、スーツ姿の男の人が目を虚ろにしながら必死に足を動かしていた。その様子を見ていると、虚しくなる。


 彼女との五日間が終えれば、またあっち側の人間になってしまう。乗りたくもない満員電車に揺られ、上司にコマのように扱われ、クタクタの体にムチを打ちながら必死に帰路に着き、寝たか寝てないか分からない体をコーヒーで起こし、また会社へと向かう。そんな負のサイクルを至極当然のように行うサラリーマンをまた演じる。


正直、有給休暇を伸ばしたいところだ。


 僕の視界に広がる茜色の空が瞼の奥深くに浮かび上がる。思わず足を止め、カメラでシャッターを切るように構える。乱れた呼吸を整えようと何度も息を吸って吐く。



今、彼女は何をしているだろうか? 

僕と同じ空をみているだろうか?


そんなことを考えながら来た道を戻る。


 暗いワンルームの部屋の扉を開けて、すぐに彼女から連絡が来てないか携帯を確認する。

携帯のランプは点滅していなかった。


そして、そのまま汗をかいた不快な状態で僕は眠った。


後、残り二日。






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