ステーキ屋、”アラジン”
“キキーーッ!”。
『うわっ!』
ダンプの急ブレーキで、僕は目を覚まされた。
『な、なに……!』
『ちっ、荒っぽい運転しやがるぜ。悪いな、起こしちまったな』
『今、何処・・?』
『ああ、武蔵野を過ぎたところだ。あと、一時間半は掛かりそうだな』
『そう……』
『さっきの芝居、中々よかったぜ。どうせ兄貴の指図だろうけどな。でも、何で鎌倉になんかへ行くんだ、観光でもないだろう。それとも訳ありか?』
やはりばれていたんだ。どうせ僕の芝居なんかに騙される間抜けな大人も、そういないだろうけど。
『うん……、実は』
正直に話そうと思ってはいたが、つい、口籠ってしまった。
『いいぜ、都合の悪い話なら、俺が訊いたってどうしようもねえもんな。いいんだ、気にするなって』
『……。お父さんに会いに行くんだ。鎌倉に居るって聞いたから……』
『聞いたから?、って、家には居ないのか?。そうか、出張にでも行ってるのか』
『随分と前に、家を出たんだ。母さんと僕らを残してさ……』
『ああっ!、家を出たって?』
『うん、そうなんだ。家庭崩壊ってやつかな』
『崩壊って、そんなに簡単でいいのかよ?。おい』
『簡単じゃないよ。もう、大変な目にあってきたんだから』
『そりゃそうだよな。察しはつくぜ、俺も家庭はあるからなあ』
他人に家庭の事情を説明する時って、案外、冷静なのかも知れない。それは、自分たちの苦労の一部始終を言葉に並べるなんて、滑稽だとも思ったからだ。
『それで兄弟で会いに行くんだな。なるほど』
『兄貴がさ、どうしても会いたいってきかないんだ。今までの慰謝料を請求するんだって、意気込んでさ……』
簡単ついでに、つい、口が緩んでしまった。本来、自分の意思以外の情報は漏らしてはいけない筈だったのに。環境が変わると、人は余計に自分を誇示してしまうようだ。
『お前の兄貴だったら、それも頷けるような気がするぜ。まったく、調子のいい奴さ』
『頼り甲斐はあるんだけど……。見てて冷や冷やするんだ。同じ兄弟とは思えないでしょ?』
『けど、兄貴より賢そうだな、お前の方が』
『そう、やっぱり!』
僕のご機嫌な反応に相反して、後部座席から不機嫌が目を覚ました。
『馬鹿な兄で悪うございましたねえ……。あーあ、寝られやしないよぉ、ったく!。高志、そんなにお喋りだったか?。おまえさ』
『あっ……』
『なんだよ!。寝てたんじゃねえのか?』
『自分の悪口を聞かされてさ、寝ていられるほど、図々しくはないさ・・』
『悪口なんて言ってねえぞ!、そりゃ、茶目っ気な話題はいくつかあったけどよ』
運転手のおじさんが、言葉を濁しながら僕のことをかばってくれていた。
『けど、格好いいじゃねえか。お前さ!』
『何が?』
『んっ?、親父ん処に、あだ討ちに行くんじゃないのか?』
『……。そんなこと喋ったのか!、高志!』
『あっ!、いやっ』
『このお喋り野郎がっ!!!!』
後ろからいきなり僕の襟元を掴んだ兄は、そのまま羽交い絞めに入った。
『んっっ!』
『やめろって!、危ないだろ!』
急いで路肩に車を止めたおじさんが、僕の命を救ってくれた。そうでなければ確実に死に至っていただろう。それ位い兄の機嫌を損ねていたのだ。
『どこまで喋ったんだよ、おまえ』
『……、ほぼ全部』
『いい加減にしろっ!!!』
再び僕に襲い掛かった兄を、おじさんが力ずくで止めてくれた。
『いいから、やめとけって!。鎌倉まで乗っけてってやるからよ、これ以上、もう手を出すなよ。なっ?』
『仕方ないな……。それで手を打つか』
それっきり大人しくなった兄は、後部座席で再び眠りに就いた。激しいいびきが眠り込んだ兄を証明した。
『兄貴って、いつもこうなのか?』
今度は気を遣ってか、小さな声でおじさんが僕に話しかけた。
『今日は、まだマシな方だよ』
『そうか、大変だな、お前も』
それっきり二人の会話は途絶えたままだった。僕はずっと外の風景に目をやったまま、目的地までじっとしていた。
“なあ―がい旅路のー航おー海終えーてえー、船うーねが港にー泊まる夜うーー”
ラジオから流れる歌が、やけにもの悲しく聴こえた。
“あーあー港町ちー十う三番地いーー”
『ひばりは、やっぱりいいよなあ。なあ?』
『そうだね……』
おじさんの言葉に、ただ、なんとなく調子を合わせていた。
ようやく2時前に、僕らを乗せたダンプは鎌倉の市街地に到着した。
“プシュッ”。
『着いたぜ、この辺でいいのか?』
『多分……』
『おい、兄貴を起こせよ。いいな優しくだぞ』
最後まで気を遣ってくれたおじさんは、にんまりと笑っていた。
『そいじゃあ、気をつけてな。親父さんと揉めんじゃねえぞ!、兄ちゃんよ!』
『ああ、ありがとう、おっちゃん!』
“バシュッ、ブロロローッ”
黒煙を撒き散らして、ダンプが走り去った。
『あーあっ、やっと着いたかあ』
『寝てただけじゃんか、お兄ちゃん』
『ばかやろ!、意外と体力を消耗するんだよ。ふわああっっ!』
『けど、歩かなくてすんだね。鎌倉まで直行だなんて、得したね』
『言った通りだろ、おれの筋書きのお陰だろが?』
『けど、本気で絞めることないじゃんか!、死ぬかと思った……』
『大げさなんだよ、おまえは』
車内での騒動は、すべて兄の仕組んだ芝居だった。ああでもしないと、横浜で降ろされたに決まっている。横浜止まりなんて中途半端は嫌だったからだ。
『さてと、昼飯でも食うかあ!。親父の捜索は、それからだ』
意気揚々と、兄は飯屋を物色し始めた。
『洋食かなあ。それとも中華、いや、無難に和食かも……』
そう呟きながら、思い荷物をぶら下げて商店街を練り歩いていた。
『おっ!、肉だぞ、ビフテキだよっ!』
“アラジン”と書かれた店先の大きなケースの中には、美味そうなステーキが陳列されていた。しかし、高級そうなお店だった。
『折角だ、喰ってやろうかな』
勢い店に入ろうとした兄を、僕は止めた。
『お兄ちゃん!、300円って書いてあるよ。ほらっ』
『ええっ、300円だってえ!』
『うどんが10杯も食べれるよ……。やめとこうよ』
『うーーん、うどん10杯かあ。どうしたもんか?』
そのまま店の前で悩んだ挙句、兄はどうにもビフテキに未練が残ったようで、諦めきれずに店のドアを開いた。
『いらっしゃいませ』
蝶ネクタイの落ち着きはらった男性店員が、怪訝そうに僕たちを見ていた。
昼時のざわついた店内には、社交的な大人たちの雰囲気で一杯だった。まるで僕たち兄弟を阻害するかのように、冷たい視線が待っていた。
『な、なんだよっ……』
怖い物知らずの兄にとっても、初めての経験だったようで、めずらしく腰が引けていたようだった。
『何か御用で』
蝶ネクタイの男性店員が、あからさまに声を掛けてきた。その態度が気に入らなかったのだろう、次の瞬間、兄が噛みついた。
『ここは、飯屋だろう?』
『はい、さようでございます』
『昼飯を食いに来た客にさ、何か御用って、おかしいだろう?』
『はっ?』
『飯を出す意外に、何かサービスでもあんのかよ!。おいっ!』
『……!』
『訊いてんだよ!、何とか言えよっ!!』
入り口で大声を出した兄は、荷物を放り出したまま、そのまま店の奥に入り込んだ。僕はと言うと、更に身を細く構えて、だんまりを決めていた。
火が点いた兄の暴走を、止める術はなかった。
『責任者、誰ぇ?』
厨房の入り口で、兄はそれとらしい男に声を掛けた。
『ああ……。アルバイトの募集は、確かしていないはずだけどな』
長身の気取った男が、見下げるように兄に応えていた。
『おれ、客なんだけどさ。おたく達、どういうつもりなんだよ』
『はっ?、客う……?』
とぼけたように、その男が言った。
『飯を食いに来たんだ!!、とっとと座らせろよっ!!!!』
広い店内にも充分過ぎるほどの、兄の大きな声が響き渡った。やはり、簡単に物事は進まなかった。改めて僕は反省するはめになる。
『な、何だっ!!』
『やだ!、どうしたの……』
『おいっ!、どう言うことなんだね?』
各テーブルから届けられた疑念の声が、ホールを包み込んでいた。その光景を目の当たりにしながらも、今回ばかりは僕の出番は無いと高を括っていた。
『なんだ、小僧っ!。営業妨害だぞっ!』
支配人らしき、小太りの中年男が、小走りに兄の処に走り寄って来た。
『一体、どういうつもりだ!。ええっ!、警察を呼ぶぞ!』
更に、余計な一言を告げた。
“警察を呼ぶぞ”、その中年男は、遂に、兄の一番嫌がる言葉を口にしてしまった。
『警察だと?。……、いいんじゃないの。呼べば……』
その瞬間、嫌な予感がした。まさか、兄はまた、僕を利用するかも知れない。いや、確実にそうするに違いない。
『いいのか。本当に、呼ぶぞ……!』
『……。母親との別離のあとくらいは、美味しいものを食べさせてやりたいよ……。弟の悲しみは、兄貴である、おれにしか判んないからな・・』
兄の嘘めいた芝居が始まってた。遂に僕の出番って訳だ。
『なあ、弟よ……』
“そら、来た!”。入り口に待機していたかの様に、僕は困り果てた顔を見せた。
『まあ……、可哀そうに』
『母親との別離って……、死んだのか?』
『きっと、訳ありなんだろうね……』
兄の即興の芝居に、数人の客が同情をこぼしていた。出番を控えていた弟役の僕には、思い当たる台詞など出て来るはずもなかった。