第5話 血濡れの契約
「だったらまずはユウの記憶を戻せばいいんだろ? だったら記憶を戻すアイテムや魔法を探せばいいじゃんか」
沈黙を破ったのはムードメーカーのようであるアンナだった。
「そうたい。それがよかよ。魔人の多いガザッタ帝国か、魔法の発達しているモールド帝国あたりを目指したら?」
「そうね。それがいいわ。流石私のアンナ。というわけでアンタには嫌でも私たちに付いて来てもらうわよ。待遇はアンタの命の安全と1日3回の食事。それでいいわね」
やはり魔法があるのか。実在するかはともかく元の世界に帰還する術を探すにはちょうど良さそうだな。もし帰還する術が本当にあったとしたらどうにかして彼女たちにリンゴを届ける術もついでに探せば裏切りではないよな。
この世界で初めて出会った少女たち、ここでのやり取り一つでおそらく今後の生活、いや命そのものが左右される。ユウは思考を慎重に巡らせる。
それに一文無しかつ身元不明の俺を必要としてくれる人たちがいるのはありがたい。彼女たちはそれなりに旅慣れている実力者だろうから、ファンタジーな世界に投げ出された一般人の俺にとっては情けなくても守ってもらえるのは最高の待遇条件だな。
あまり迷うことなく決断した。
「あぁ。色々と常識に欠ける部分もあるし、役に立てることは少ないけどできることがあったら頑張るからよろしく頼む」
笑顔で握手をしようと手を差し出したユウだったが、当のエリスはなぜか立ち上がってファイティングポーズをとった。そして右の口角を釣り上げ、不敵な笑みを浮かべた。
「――――契約成立ね。アンナ行くわよ」
「オッケー! エリス」
「ゴメン、結構大きかね。罠抜けて来たみたい。任せるばい」
右隣のミイが声を震わせながら呟く。そして彼女はユウの手を握ったと同時に前へ引っ張り出し、槍を構えたアンナと素手のエリスがその両脇をすり抜け突進する。
「ぐうぉおおおおおおおおおお」
獣の咆哮が聞こえたが、ユウはミイによって共に地面に伏せさせられていたため、獣に襲われていることしか把握できない。巨体によって揺れる地面と落ちて来る葉っぱや踏み荒らされる枝の音、だんだんか細くなる獣の声だけが得られる情報源だ。本当に情けないと我ながら思う。が、善戦しているだろうことはミイの表情からも察することができたため安堵もしていた。
「エリス! 今だ!!」
「プリンセス ヘッドロック!!!」
漫画であるようなボキッっというような効果音は聞こえなかったが、哀れな獣の頭蓋骨が砕ける音はもっと悲痛な低音だった。断末魔さえあげずにその命を散らしたようだ。
「イキの良いうちに血を抜かんとね」
そう言ってミイは立ちあがり獣の方に向かった。ユウも立ち上がって振り返り状況を把握する。脳漿を散らした黒い獣、おそらく熊の一種がうつ伏せに倒れていた。ゆうに2mを超える巨体だ。その四肢と胴体はアンナの槍で穿たれたであろう穴だらけであり無残な姿である。
一方アンナとエリスはほぼ無傷のようであったがその姿は返り血で塗れている。先ほどの叫び声からして止めを刺したと思われるエリスの全身は血だけでなく脳漿に塗れている。
大学時代の地鶏店での数奇なバイト経験がなければユウはこの光景に耐えれなかったであろう。店の裏小屋に飼っている鶏を絞めるところから、羽を毟ったり、骨に沿って肉を削ぎ切る工程など全てを2年半の間体験してきた。なので大抵のグロは耐えれると思っていたが、それでもこの凄惨な光景を目の当たりにして、アンナやエリスを気遣う精神の余力はなかった。盛大に嘔吐することはなくとも、口内に酸っぱく突き刺さる感覚からは逃れられなかった。
そしてミイが獣に近づくと腰から鉈を抜く。その瞳は可愛い子猫のものではなく、瞳孔は細くなってトラのような肉食獣の輝きを放っていた。そしてうつ伏せに倒れた獲物に向かって逆手に持った鉈を両手で振り上げ、その一刀で頸動脈を切り裂いた。
噴水のように足元の巨体から血が噴き出し、彼女の白銀の髪と白い肌が鮮やかな赤に染まっていく。マントのおかげで服はほとんど無事だろうがそれでも血濡れの少女3人に驚愕するユウ。
何が戦闘は苦手だよ。ミイ。お前も慣れ過ぎだろ。
「毒が抜けきってないとはいえ、朝の運動にもならなかったわね」
両手を上げて物足らなそうに真伸びをしているエリス。彼女は「やれやれ」と、荷物の入ったカバンのところまで戻り、木綿の手ぬぐいのようなものをミイに手渡すと。2人は血を拭いに水場まで向かったようだ。
一方、あまり返り血を浴びていないアンナといえば、血の海から離れたところの地面に槍の切っ先で地面に直径5mほどの円をベースにした複雑な魔法陣を描いている。何かの儀式をするのだろうか、その様子はあまりにも怪しい。
予想の遥か斜め上の彼女たちの強さと逞しさに素直に喜べないユウは思う。
嵌められたのは俺の方かもしれないな。
えっ戦闘シーン?
まだ主人公が戦闘に参加できる状態でないので、凄惨さだけを描写してみました。だって本当に一般人レベルですから。