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私は『無償の奉仕』よりも自分の『楽しさ』を優先します~白い蓮からウサギは飛び立つ~

作者: 沢クリム
掲載日:2026/09/11



 私の両親は、まるで絵本から飛び出してきたかのように立派な人たちだ。


 父は平日の仕事を終えると、週末には必ず地域のゴミ拾いや、独居高齢者の宅を回る見守りボランティアに参加している。

母もそれに寄り添い、地域の子ども食堂の運営や、保護犬の譲渡会の手伝いに奔走していた。

 二人の口癖はいつも同じだった。


「誰かの笑顔のために動くのって、本当に楽しいのよ」


 その言葉に嘘偽りはない。ボランティアから帰ってきた両親の顔は、いつも充実感に満ち溢れ、まるで内側から光を放っているかのようにキラキラと輝いていた。義務感や犠牲の精神でやっているのではない。彼らは心の底から、その活動を『楽しんで』いた。


 相良白蓮(さがらびゃくれん)――それが私の名前だ。

 真っ白で汚れのない蓮の華。両親がそんな願いを込めてつけてくれた、身の引き締まるような名前。

 私は、そんな両親を心から尊敬していた。立派だと思っていたし、自分もあんな大人になりたいと、幼いながらに強く願っていた。


 だからこそ、週末に両親から「白蓮も一緒に行くかい?」と声をかけられれば、どんなに眠くても、見たいテレビがあっても、笑顔で「うん、行く!」と答えて同行した。


 けれど。

 どうにも、楽しくなかった。

 真夏の太陽の下、汗だくになりながら河川敷の空き缶を拾い集めているとき。冷房の効かない公民館で、お年寄りたちの昔話を何度も何度も笑顔で傾聴しているとき。私の頭の中にあったのは、純粋な奉仕の喜びなどでは決してなかった。


(早く終わらないかな。足が痛いな。冷たいジュースが飲みたいな)


 そんな、泥臭くて浅ましい本音ばかりが頭を占めていた。

 ボランティアを終え、達成感に満ちた笑顔を浮かべる両親の隣で、私はいつも、乾いた喉を鳴らしながら作り物の笑みを貼り付けていた。


 楽しそうにしている両親を見るたびに、胸の奥がチクリと痛んだ。こんなに立派な活動を、ちっとも楽しいと思えない。

 それどころか、早く帰りたいとさえ願ってしまう。私はどこか冷酷で、歪んだ人間なのではないだろうか。両親のような温かい血が、私の身体には流れていないのではないか。


 笑顔の裏で、私はいつも底知れない罪悪感に押し潰されそうになっていた。

 そんな私とは対照的に、我が家には明確な『悪い見本』がいた。


 私の兄だ。

 兄は、両親がどれだけ優しくボランティアに誘っても、「あー、パス。忙しいから」と生返事をするだけで、絶対に部屋から出てこなかった。


 平日は学校へ行き、休日は一日中、自分の部屋に引きこもってアニメを見たりゲームをしたりしている、典型的な自由人オタクだった。


 両親はそんな兄を怒ることはしなかったが、私は兄のことが許せなかった。


 こんなに立派な両親が、こんなに素晴らしい活動をしているのに、それに参加もしないで自分の娯楽に溺れているなんて。兄は家族としての義務を放棄している、悪いことをしている。あんな風に自分の欲求だけに忠実な、独りよがりの大人にだけは絶対になるまい。


 私は兄を冷ややかな目で見ることで、自分がボランティアを「楽しくない」と思ってしまう罪悪感のバランスを取っていた。私は兄とは違う。ちゃんといい子にしている。そう自分に言い聞かせるための、都合のいい盾だった。


 そんな歪んだ日常に亀裂が入ったのは、高校一年生の秋、よく晴れた日曜日のことだった。


 その日は、地域の大規模な防災フェスティバルの日だった。両親は数ヶ月前からその準備に携わっており、私も当然、朝から手伝いに行く予定だった。


 しかし、不運にもその日は、私が所属している部活動の公式戦と重なってしまった。


「ごめんね、お父さん、お母さん。今日、どうしても抜けられなくて……」


 申し訳なさで身を縮める私に、両親はいつも通り優しい笑顔を向けた。


「気にしなくていいのよ、白蓮。部活は大事な学校行事なんだから、しっかり頑張っておいで」

「ああ、お前の分の笑顔まで、俺たちが届けてくるからな」


 そう言って、二人は嬉しそうに、弾むような足取りで家を出て行った。

 私は部活の大会へと向かった。試合は接戦の末に負けてしまい、私の心はいつも以上の疲労感と、両親の手伝いに行けなかったという微かな罪悪感でどんよりと曇っていた。


 午後三時過ぎ。重い足取りで帰宅すると、家の中はしんと静まり返っていた。両親はまだフェスティバルの片付けで帰ってこない。きっと多くの人の役に立っている。


「ただいま……」


 誰もいない玄関に声をかけ、ローファーを脱ぐ。

 自分の部屋へ向かうため、二階への階段を上りきったときだった。


「――よしッ! そこだ、いけ、右から回れ!」


 ふいに、静かな家の中に、低く熱を帯びた声が響いた。

 声の主は、兄だった。


 いつもなら、兄の部屋からは音は漏れず、扉は閉ざされてる。しかしその日は、家に一人だけという油断からか。ドアが数センチだけ隙間を開けていた。部屋から光が漏れていた。


 普段なら無視して通り過ぎるところだった。しかし、試合に負けた直後の妙なストレスも手伝って、私は熱と光に吸い寄せられるように兄の部屋の隙間に目を向けた。


 そこには、私が今まで見たことのない兄の姿があった。


 薄暗い部屋の中で、大きな液晶モニターの光だけが兄の顔を青白く照らしている。兄はコントローラーを凝視し、指先を猛烈な速さで動かしていた。


「あはは! マジかよ、そこでそのコンボは読めねえって!」


 兄が笑った。


 その笑顔を見た瞬間、私の心臓が、ドクンと大きく跳ねた。

 息が止まりそうだった。

 液晶の光に照らされた兄の瞳は、まるで夜空の星を閉じ込めたかのように、らんらんと輝いていた。頬が紅潮し、全身から圧倒的な熱量が放たれている。


 その表情は。

 ボランティアから帰ってきた両親が見せる、あのキラキラとした輝きと、まったく同じものだった。


 汚れのない、純粋な、心からの歓喜。


 他人のためとか、社会のためとか、そういう難しい理屈をすべて消し去った、ただ「それが好きでたまらない」という純度の高い笑顔。


 頭を激しく殴られたような衝撃だった。

 兄は、悪いことをしていたわけじゃなかった。

 親不孝でも、独りよがりでもなかった。


 ただ、両親がボランティアの中にそれを見つけたのと同じように、兄はこの薄暗い部屋の、画面の向こう側に、自分だけの『楽しい』を見つけていただけだったのだ。


 じゃあ、私は? 私の『楽しい』は、どこにあるんだろう。


 その日の夜、ベッドに入っても、兄のあの眩しい笑顔が脳裏に焼き付いて離れなかった。


 私は今まで、「立派なことをすること」が正しいのだと信じ込んできた。だから、それを楽しいと思えない自分を責め続けた。けれど、そもそも『楽しむ』ということは、誰かに強制されたり、義務感で演じたりするものではないはずだ。心が勝手に動いて、内側から溢れ出てくるものなのだ。


 私の心は、あの河川敷にはなかった。子ども食堂の厨房にもなかった。


 私はただ、両親に嫌われたくなくて、立派な子どもだと思われたくて、自分の心を偽り続けていただけだった。


 翌週の土曜日。


 いつも通り、朝食の席で父が「明日は駅前の清掃活動があるんだが、白蓮も行くかい?」と私に微笑みかけた。


 いつもなら、反射的に「うん、行く」と答えていた。


 けれど、私の喉はカチリと固まった。膝の上で、スカートをぎゅっと握りしめる。心臓が、早鐘のようにうるさく鳴り響く。


 ここで断ったら、どうなるだろう。怒られるだろうか。がっかりされるだろうか。「お前は冷たい人間だ」と、見捨てられてしまうだろうか。


 恐怖で全身の血の気が引いていくのが分かった。それでも、もう自分の心に嘘をつき続けることはできなかった。これ以上、偽物の笑顔で両親の純粋な善意を汚したくなかった。「……ううん」 蚊の鳴くような声だった。


 父と母が、驚いたように動きを止める。


 私は意を決して、顔を上げた。視界が恐怖で少し潤んでいたけれど、まっすぐに二人の目を見た。


「私、明日は行きたくない。……本当はね、今までずっと、ボランティアに行くの、ちっとも楽しくなかったの。早く帰りたいって、ずっと思ってた。お父さんたちみたいに、キラキラした気持ちになれなかったの。ごめんなさい……!」


 一気に捲し立てると、私はぎゅっと目を瞑った。


 叱責を待つ数秒間は、永遠のように長く感じられた。リビングを支配する沈黙が、私の肌を痛いほどに刺す。

 だが、聞こえてきたのは、怒号ではなかった。


「――ああ、そっか」


 ぽつりと、父の、ひどく掠れた声が聞こえた。


 恐る恐る目をあけると、父と母は、互いに顔を見合わせていた。その表情には、怒りも失望もなかった。ただ、胸を突かれたような、深い衝撃と後悔の色が浮かんでいた。


「白蓮」


 母が、椅子から立ち上がり、私の隣に歩み寄ってきた。そして、私の震える手を、両手でそっと包み込んだ。母の手は、いつも通り温かかった。


「ごめんなさい、白蓮。本当に、ごめんなさい……!」


 母の瞳に、涙がたまっていた。


「え……?」

 思いもよらない言葉に、私は呆然とした。なぜ、謝られるのだろう。


「俺たちが悪かった」

 父も、痛ましそうな表情で私を見つめていた。


「俺たちが、自分たちの『楽しい』を、正しいことだからって、お前に押し付けてしまっていたんだね。お前が優しい子だから、俺たちに付き合って無理をしてくれていることに、甘えて、気づけないでいた。本当に申し訳ない」


「私たちはね、白蓮。ボランティアが立派だからやってるんじゃないの。ただ、私たちが楽しいから、好きだからやってるだけなのよ。だからね、白蓮がそれを楽しいと思えないのは、何も悪いことじゃないの。あなたが冷たいわけじゃ絶対にないわ」


 母が、私の頬に触れた。


「白蓮には、白蓮だけの『楽しい』があるはずなのに、それを探す時間を、私たちが奪ってしまっていたのね……」


 ポロポロと、私の目から涙が溢れ出した。

 怒られなかった安堵と、自分を否定されなかった喜び。そして、両親が私の歪んだ罪悪感を、その深い愛情ですべて溶かしてくれたことが、嬉しくてたまらなかった。


「お父さん、お母さん……っ」


 私は声を上げて泣いた。両親は、そんな私をただ優しく、交互に抱きしめてくれた。


 翌日の日曜日。


 両親は、いつも通りの快活な笑顔で「それじゃあ、行ってくるね」と家を出て行った。私の心に、もうあの重苦しい罪悪感はなかった。晴れやかな気持ちで「行ってらっしゃい!」と二人を見送ることができた。


 静かになった家の中で、私はしばらくリビングに佇んでいた。

 さて、これからどうしよう。

 私だけの『楽しい』。それを、どうやって見つければいいのだろう。


 ふと、視線が天井に向く。二階の、あの部屋。 私は階段を上り、兄の部屋の前に立った。ドアはきっちりと閉まっていた。


 今までなら、軽蔑を込めて素通りしていたドア。そこに、私は初めて右手を伸ばし、コンコン、とノックをした。


「……あん? 誰」


 中から、ぶっきらぼうな兄の声がする。


「私…。入っていい?」

「……鍵は開いてるぞ」


 ドアを開けると、やはり部屋は薄暗く、液晶モニターが色鮮やかな光を放っていた。兄は床に座り、コントローラーを握ったまま、不思議そうな顔で私を振り返った。


「珍しいな。お前が俺の部屋に来るなんて。親の金魚のフンは卒業か?」


 いつも通りの、少し意地悪な言い方。でも、今の私にはそれが、兄なりの不器用な距離感なのだと分かった。

 私は兄の隣まで歩いていき、床に膝を抱えて座り込んだ。画面の中では、剣を持ったキャラクターが美しい草原を駆け抜けている。


「兄さん」

「なんだよ」

「それ、楽しい?」


 兄は一瞬、きょとんとしたように目を丸くした。それから、少し照れくさそうに鼻を鳴らし、画面に視線を戻した。


「楽しいに決まってんだろ。じゃなきゃ一日中こんなことやってねえよ」

「……そっか」


 私は画面を見つめたまま、小さく息を吸い込んだ。


「ねえ、兄さん。私にも、それ、教えて」


 兄の動きがピタリと止まった。驚いたように私を凝視し、それから、ふっと口元を歪めてニヤリと笑った。


「へえ……。お前みたいなカタブツに、エンタメが理解できるかねえ。通信簿にも載せられないぞ?」


 そう言いながらも、兄はクローゼットから予備のコントローラーを取り出し、私の手に押し付けてきた。


「ほら。これ持て。まずはキャラメイクからだ。お前の名前、なんていうんだっけ?」


「白蓮。相良白蓮」


「じゃあ、プレイヤーネームは……いや、自分で考えな。もう一つの名前とお前だ」


 兄に言われるがまま、ぎこちない手つきでボタンを押していく。


 名前は決まり、もう一人の私が生まれた。


 画面の中で、私の指の動きに合わせて、右へ左へと飛び跳ねた。


「あ、動いた!」


「当たり前だろ、ゲームなんだから。よし、次はあそこに見えるモンスターを殴りに行くぞ。攻撃ボタンはそれだ」


 最初は、操作が難しくて何度もキャラクターが倒れてしまった。そのたびに兄は「下手くそかよ!」「あー、そこはガードだって!」と大笑いした。悔しくて、私は何度もコントローラーを握り直した。 どうすれば上手くいくんだろう。次はこう動かしてみよう。


 気づけば、頭の中はゲームのことでいっぱいになっていた。早くあの強い敵を倒したい、あの綺麗な景色の向こう側へ行ってみたい。


 胸の奥から、ふつふつと熱い何かが湧き上がってくるのを感じた。


 ふと、時計の針が目に入った。

 嘘でしょう。もう二時間も経っている。

 あんなにボランティアのときは長く感じられた時間が、一瞬で溶けるように過ぎ去っていた。


「あはは! やった、倒せた!」


 強敵を撃破した瞬間、私は思わずコントローラーを突き上げて叫んでいた。


「お、やるじゃん。素質の塊かもな」


 兄が私の頭を、くしゃくしゃと雑に撫でた。

 そのとき、ふと、液晶画面に自分の顔が映り込んだ。


 画面の中の私は――。

 頬を赤く染め、目をキラキラと輝かせ、心の底からの笑顔を浮かべていた。


 それは、ボランティアをしている両親の笑顔とも、ゲームをしている兄の笑顔とも、まったく同じ、正真正銘の『楽しい』の証明だった。

 私の身体にも、ちゃんと温かい血が流れていた。


 誰かのためじゃなくて、自分のために心が躍る瞬間が、ちゃんとあったのだ。


「兄さん、もう一回! もう一回やろう!」


「はいはい、付き合ってやるよ。ただし、晩飯の時間までな」


 窓の外からは、秋の心地よい風が吹き込んでいた。

 私のボランティア活動は、今日で本当に終わり。


 ――さあ、コントローラーを握り直して、私だけの新しいステージへ行こう。


 さが『らび』ゃくれん。……ラビィとなった私は、どこまでも跳んでいく。世界の壁さえ越えて。



後日談。


「ねぇ、兄さん。ボイスチャットって、やってもいい?」

「あん?まぁ、やってみてもいいけど、本名を名乗るのは止めときな。普段と口調を変えるのもいいかもな」


「口調?」

「なりきりだよ。ネットゲームってのはな、現実の自分とは違う、もう一つの人格を演じる場所でもあるんだ。ゲーム中の自分を定義するんだよ。リアルの友達とはいつも通りだけど、ネットの友達と話すときはオタク口調にしてる」


「そうなんだ。じゃ、色々考えるのも面倒くさいし、丁寧語でいいや」

「どっか冷めてるのな、お前」


「声も可愛い私がストーカーに合うかもしれないし」

「自己肯定感上がりすぎてお兄ちゃん心配ですぞ」


 そう言って、私は初めてボイスチャットのスイッチをONにした。いえ、しました。

 スピーカーの向こうから、まだ見ぬ誰かの楽しそうな声が聞こえてきたのです。


「はじめまして。私の名前はラビィ。先ほどこちらの世界に来た者です。仲良くしてもらえると嬉しいのです」


 画面の中のラビィが、私の声に合わせて、ピョンと嬉しそうに跳ねた気がしました。


 ――あと、めっちゃ男が釣れた。



連載もしています。よろしければ、よろしくお願いします。


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異世界快進劇 ヤマトナデシコ ~超人カップルにとって、異世界転移は旅行同然!帰るまでが旅行です~

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