彼の正体
城下に広がる眺めは、血の匂いで満ちていた。
けたたましい悲鳴が都市中に残響し、夜気を引き裂く。
逃げ惑う群衆は、次々と貪り食われていく。
夜の住人たちは食事に飽きたのか、獲物で遊び始めたようだった。
引き裂かれた四肢が胴体から離れ、宙を舞う。
紅く泣いた月の下、王都は――
もはや地獄よりも地獄だった。
自室の鍵を開けたノンは、王の間に急行する。
英明な祖父王ならば、あるいはこの危難を払えるのではないか。
淡い期待を抱いて、金の扉を開け放つ。
だが、そこにあったのは。
「――うそ」
玉座に深々と腰掛けた干からびたミイラ。
王衣は、もはや布ではなく皮のように貼り付いていた。
右手の中央にある、小さな黒子。
それを見た瞬間、胸の奥が音を立てて崩れた。
幼い頃、湯浴みの席で
『縁起がいいのだよ』と笑いかけられた場所だ。
「どうして――」
哀しい予感が脳裏をよぎる。
彼女は、祖父の亡骸から煤けた鍵を
取り外すと、宮殿の西へと駆けだした。
普段は誰も使わない尖塔から、地下へ、さらに地下へ。
仄暗いはずの狭い階段には、何故か灯りがともされていた。
息を殺し、慎重に歩みを進める。
そして――
そこに、牢屋があった。
中にある青水晶は、新鮮な血で浸されていたのだった。
「……全くいけないお方だ。王女様」
その瞬間、ノンの胸中を支配したのは恐怖ではない。
――純粋な怒りだった。
尊敬と恋慕が交錯していた、あの複雑な感情は、
あっという間に蒸発した。
「何故? どうして、私たちをだましたの!! フォーエン」
「貴女たちが、耐性を付けると困るのでね?」
「何を――」
乾いた唇を突然塞がれた彼女。
息苦しさでむせ返る。
口の中に鉄の味が滲みだす。
「どうだろう? この死の接吻は」
右腕と左脚が焼けただれていく。
凄まじい熱で白く燻っていた。
(負けるもんか!
だって決めたじゃない!!
ついさっきお爺ちゃんの仇を取るって!)
「……素晴らしい。
私に咬まれて、同族にならない人間を初めて見た」
「こんの――」
ノンの右腕から炎の剣が一直線に伸びる。
だが、どうしてもフォーエンには届かない。
「感心しないよ、王女様。
こんな狭い所で火を使うのは」
炎はぐにゃりと曲がり、みるみるうちに消失していく。
正体を現した吸血鬼が、磨き抜かれた愛刀を
王女の喉元へと向ける。
「その表情は、実にいい。
気に入ったぞ? 追ってこい」
彼が親指を弾くと、
周囲の空間が目に見えてぐにゃりと歪む。
すると、眩い光球が四方八方へ飛び散ったのだ。
敵の姿は見る影もない。
ノンは二回深呼吸した。
彼女は地上へと向かう。
決着をつけることは、まだ他にもある。




