裁定者の微笑
「フォーエン様、貧民街に吸血鬼が出ましたぞ!」
それは嵐の吹きすさぶ夜の出来事だった。
王宮に隣接する年季の入った練兵場に、年老いた兵卒が息を荒くして駆け寄って来る。
カランカランと模造刀を落としたのは、王女ノンだった。
傍らにいるフォーエンに縋りつく。
「安酒を煽っていたら、突然店主の背中から黒い翼がですな。一刀両断しましたわい」
白髭を蓄えながら、久しぶりの武勲に興奮冷めやらぬらしい。
だが、兵士を労うこともなく、憮然とした表情のフォーエンは、囁くように言った。
「鎧から、酸っぱい臭いがするね」
「……ふむ。ちと返り血を浴びましたかの?」
その刹那のことだった。
フォーエンが親指を弾くと、老兵は忽ちの内に火だるまとなる。
ノンは、眼前の出来事に凍り付き動けない。
「――なんで!? フォーエン様!」
振り絞るように声を出す彼女は、抱きついていた手を振り解いた。
恐る恐る彼の顔を見つめる。
「眼が爛々と輝いていましたからね。猛毒ですよ? 吸血鬼の血は」
その表情は、神々しい天使の微笑だった。
先ほどの処刑は、必然だと言わんばかりである。
「貴方は、私が、返り血を浴びても、同じことをするの?」
時間が止まる。
王女は、意図しない質問を後悔した。
フォーエンは天を仰ぐ。
「穢れは穢れですから――」
乾いた声が、虚ろな空間にこだまする。
微笑は、張りついていた。
王女の眼から、ひとしずくの涙がこぼれ落ちた、その時である。
「でもね。この国の血には、例外があるかも知れない」
「どういう意味なの? それは」
「さあ? いずれにせよ、私は裁定者です」
並べられた藁像は、首を刎ねられた罪人のようにも見えた。
誰が正しく、誰が穢れているのか。
それを決めるのは、もはや人ではない。
嵐の唸りがさらに強まる。
遠くに雷の落ちる音が聞こえた。
燃え尽きた老兵の残骸から、まだ微かに立ち昇る酸の匂いが、漂っている。
「王女様。今夜はもう、外に出ないでください」
その声音が、まるで別れを告げているように聞こえた。




