弟の名はギル
「……キメラは、全て処分だ。だめだ、これは。父上の長年続けてきた平和路線が――完全に台無しだ。
鏡に施された結界は強固。子供の回収は後回しだ。
アビー、お前は決して間違っていない。
扉の向こうにいる野郎は、間違いなく俺に用件がある」
覚悟を決めたファイサルは、
重い鉄扉を力強く押し開いた。
扉の向こうには、予想をはるかに超える広大な空間が広がり、
渦を巻いている。
その中心には、ただ一人の少年が立っていた。
何という禍々しさだろうか。
その漆黒の姿は凶悪、
まさにこの世の邪悪そのもの!
「ありがとう、兄さん。捕まったよ」
アビーは、目の前の信じられない光景に言葉を失い、
ただただ驚愕するしかなかった。
そこに立っていたのは、
黒衣のマントを深く被り、
まるでファイサルが邪悪な吸血鬼に堕ちてしまったかのような、
異形の存在だったのだ。
アビーの全身は、恐怖で震え始める。
「後ろの女は、なかなか勘がいいね、兄さん」
ファイサルの顔は、絶望の色に深く歪んだ。
「ギル、お前!
一体誰に、やられたんだ!!」
吸血鬼と化した少年――ギルは、
不敵な笑みを浮かべた。
「何も知らないんだね、兄さん。
僕は知りすぎたんだよ。
だから、亡命しようとした。
けれど、国境付近で僕は捕まり、
この忌まわしい場所で……。
後は、ご想像通りさ」
ギルの小さな体は、
深い憎しみに震えていた。
「そして僕は、世界で初めてのキメラの吸血鬼にされた。
心臓の位置を、簡単に変えられるんだ。
ガランを僕が潰すのは、
当然の報いだと思わないか?
教えてやるよ。
『ここを隠蔽していたから』、
王都の結界は破られたのさ。
馬鹿だね、『お前ら』」
ギルは、嘲笑の言葉を吐き捨てた。
言葉もない。
かつては愛らしい自分の弟だった「モノ」が、
今や目の前で異形の化け物と化している。
けれど、ファイサルには
どうしても腑に落ちない事があった。
「あの龍はなんだ?
あれもお前の仲間なのか?」
吸血鬼ギルは、虚空を見上げながら、
ねっとりとした声で言った。
「ふふふ。よくぞ聞いてくれたよ、兄さん。
あいつはね、僕の取っておき!
あるお方から、
わざわざ借り受けてきたのさ。
兄さんたちを、
地獄の業火で焼き尽くしてやるためにね。
一思いには殺してあげないよ」
ギルは、喉の奥から不気味な笑い声を漏らす。
しかし、次の瞬間、彼は狂ったように激昂した。
「お前たちは息をする資格すらない。
見せつけてやりたかったからね?
あの牢にいるキメラは、
特別に残しておいてあげたんだよ?
じゃあね、兄さん。
お話はここまでだ」
ギルの口から溢れ出した呪詛は、
みるみるうちに巨大な黒炎の塊となり、
地下空間の天蓋へと収束していく!
『ダークフレア』
ファイサルの眼前に、
全てを飲み込むような巨大な黒い爆炎が迫り来る!!
絶体絶命!!
もう、終わりか!!
己の死を覚悟したファイサル。
しかし、次に目を開けると、
信じられないことに、
彼は自分の執務室にいた。
「間一髪でしたね」
傍らに立つアビーが、安堵の息を吐き出す。
彼女は、消えかかった松明を静かに床に置くと、
低い声で言った。
「独断ではありましたが、
同盟国の生き残りの方から、
辛うじて譲り受けた代物です。
ずいぶんと高くつきましたが」
「アビー、お前、手と足が……!!」
ファイサルは、アビーの変わり果てた姿に愕然とし、
言葉を失った。
見るも無残な彼女。
呪詛の黒炎、ほんのわずかに掠っただけで、
これほどの呪い!!




