第8話「まさかお嬢様がお迎えにくるとは」
「イヒヒッ……まずは腕からいこうかねぇ」
ぼったくり商人だった老婆のリップは、突然狂人と化し、キツネに押さえつけられた俺に歩み寄ってくる。
やべぇー! 本気で殺されちまうー!
俺はもがいた。必死に動き、たまたま手元にあったキツネの尻尾を引っ張る。
「キュオン!」
キツネが悲鳴を上げて、俺から飛びのいた。
今だ!
俺は急いで起き上がり、振り返る間もなく逃げていく。
「なっ……なんなんだよ、あの商人はっ……!」
角が生えていたのは、フューレや魔王たちと同じ。でも、明らかに異常な狂気が感じられた。変な牙も生えていたし。
ただの魔族じゃないのかよ!?
――ともかく、今は急いで魔王城に戻り、このことを知らせなきゃいけない。でないと、ここで死んでしまう!
だが俺は、悲しい現実に気づいてしまった。
……森から、自力で出られないじゃん……。
「高低差30メートルくらいあるんだったっ!」
さっきはキツネ……フォクスって呼ばれてたか?
あいつに乗ったから、崖の下にある森へ無事に入れただけ。
今は俺一人。円形状のくぼみにある森。どうあがいても、森から抜け出す術はなかった。
立ち止まっていると、背後からリップの声がした。
「昔のワシはねぇ、大都市で光り物を売って、人間を引き寄せて……。高い額を見せつけてさ。絶望している人間の体を食わせてもらうっていう方法を繰り返していたよ」
「な、何言ってんだ!」
「ワシは魔族の中でも『人食』という部類なんだよ。珍しいけどね、人の血肉が大好物なのさ」
うわー、マジかよ! そういう種族とかあるの!?
異世界に転移してから1か月くらい生きてるけど、そんな情報、聞いたことがない。
「人間を食べすぎて国に追われたから、ここでひっそりと暮らしていたさ。たまにやってくる魔王様たちと商売を繰り返したりしてね。でも……久しぶりに坊やみたいなのを見ると、抑えていた食欲が湧くね! ヒヒッ」
食欲湧かないでくださーい!!
俺は素早く左右を確認し、適当に、左へ走り出す。入り組んだ木の中を動き回るうちに、自分がどこにいるのかもわからなくなってきた。
(やばい、どこかに隠れねぇと……って、ぎゃあっ!)
目の前にフォクスが現れた。
フォクスは尖った牙をむき出しにし、俺との距離を詰めてくる。
怖い。半端ない獣の威圧感。俺は後ずさりするが、やがて崖の壁へと追い詰められてしまった。
「しまった! これ終わってる!」
逃げ道がねぇ。
俺は壁に張り付いてブルブル震えるだけだ。フォクスは尻尾を振り回しながら、俺のもとへ近づいてくる。
――だが俺は、さらに恐ろしいものを目撃してしまった。
「……は?」
フォクスの背後に、小さなシルエットがある。
それは、いずれ世界を滅ぼすかもしれない、幼き無垢な存在。
「……キュっ?」
フォクスが不審そうに振り返った。
そこには――金髪のロリっ子魔王が、音もなく立っている。
「キャオオオオオオっ!?」
フォクスは彼女を知っているのか、甲高い悲鳴を上げた。
ロリっ子魔王――フューレは、フォクスの存在など一切気にせず、俺の方へ歩いてきた。
「何してんだ、執事」
「あ……あなたこそなんでいるんです? フューレ様」
「それは……執事の帰りがあまりに遅いから」
フューレはそう言うと、傍で呆然としいるフォクスを見つめた。
「フォクス、主人はどうした」
「……キュッ」
フォクスも、まさか魔王の娘が来ることは想定外だったのだろう。巨大な体を縮こませ、視線を泳がせた。
「聞いてください、フューレ様! リップさん、俺のこと食うって言ってきたんです! 意味がわからない値段を突き付けてきて!」
「……リップ・オフって、人食だったっけ。忘れてた」
それ一番忘れちゃ駄目だろ、フューレ様!
俺は突っ込みたくなったが、怒りを買って燃やされたらシャレにならないので、やめた。
人間の執事なんてきっと俺が初めてだから、人食であることを考慮し忘れてたんだろう……という解釈にしておく。
「坊やはどこだい!」
すると、リップがフードの裾を引きずりながら走ってきた。
彼女はフューレの姿を目にしたとたん、動きが止まった。冷や汗を顔に浮かべ、慌てた様子だ。
みんなフューレの前だと、態度が一変するみたいだな。
「お、おチビ……! どうしてここにいるんだい」
「私の執事を食おうとしたか?」
「それはっ……! いや、あの」
いやぁ……無理あるだろ、そこから言い訳は。
「ちょっとだけくらい、いいだろ? もともとワシは人食なんだから。今までの我慢を、その坊やで――」
「執事を先に味見するのは私だから、勝手に食うな」
「……」
いや、フューレ様も結局は俺を食べる気なのね!? フューレは魔王だから、人食とはまた違うんだろうけど……どっちにしろ危険だろ!!
リップはうなだれ、フード越しにかすれた声を漏らした。
「……悪かったよ……。闇石? わかった、1つ金貨2枚で売るから」
「ほら、執事。さっさと買ってこい」
「え? あ、はい」
俺は言われるがままに頷き、金貨を払い、闇石を貰った。
黒色の石だった。月が反射して、青白い光を纏っている。
「じゃ、私は先帰る。執事はキツネに乗せてもらえ」
するとフューレは、短い足で地面を一蹴り。見上げるような高さの崖を、あっという間に飛び越えてしまった。
嘘だろ? と、俺は言いたくなった。
フューレが来ると、こんなにあっさり解決するものなのか?
フォクスが姿勢を低くし、俺は静かにまたがった。
――すると近くで俺を見つめていたリップが、恨むような声を捻りだす。
「今回は救われたね……。でもワシは諦めないよ。若い男の肉が食べたいんだ。いつか必ず、坊やの味見をするからね」
「……わあああ、フォクス、早く俺を上にあげてくれ!」
俺が全力で叫ぶと、フォクスは反射的に走り出し、あっという間に崖を上る。そして、俺を地面に下ろすと、素早く森へと帰っていった。
あの商人、俺は二度と会いに行かねー!!
そう思いながら俺は、フューレが待つ魔王城へと走って帰るのだった。




