第28話「お嬢様、空気読んでください」
フューレは俺から強奪した教科書を開き、実験の準備を行っている。
うわー、もうこれ不可避なやつか。仕方ないな。真面目にやろう。
「耐熱皿にアルカリムっていうのを注ぐらしいですよ」
「アルカリムの気体を吸ったら、刺激が強すぎて死ぬことがある」
「なにその物騒な効果の物質!?」
刺激が強すぎて死ぬってなんだよ……。吸ったとたんに毒になるのか? こわっ。
やっぱりこれらの物質、異世界にしかないだろ。
「これ、アルカリム」
「あぁこの透明な液ですね。でも、これは危ないから後回しにするとして……先に2種類の物質を混ぜちゃいましょう?」
「炭酸フェルディナイトと硫酸ヴァルグレイン?」
「言うたびに頭がおかしくなりそうですね……」
この世界の化学の常識とか知ったこっちゃないが、どちらの物質も、雰囲気からして俺はかかわりたくない。
「うわっ……ヤバい色してる……」
「執事遅い。亀みたい。もっと早くして」
「えっあっすみません」
フューレから普通に怒られた。
俺は教科書に書いてある分量をはかって、ゆっくりと耐熱皿に入れた。
心なしか、すでに2種類の物質からは、嫌な匂いが漂っているような――
「執事、アルカリム入れたら、離れないと気体吸う」
「あぁ、わかりました。ならさっさと火をつけないとですね」
するとフューレはガスが入ったポンプを、ガスバーナーに接続した。
手から炎を出し、ガスバーナーの先端に火を移す。
その上に俺がそっと耐熱皿を置いて、速攻で離れた。
「よしっ! あとはえーと、色が変化してきたら火を消すそうです」
「アルカリムは近くに行かなければ大丈夫」
「そうなんですね。よかった……」
ひとまず問題ないっぽいな。完成した物質も、なんか別の物質と反応させなければ爆発しないって書いてあるし。
ここは静かに様子を見ていよう。フューレには、実験方法を復習させないと。
すると突然、眠っていたルパが顔を上げた。
「なんか音がする……。2人とも、なにやってるの?」
「えっ、ルパ?」
ただの実験をしていただけなんだけど……
そう説明する前に、ルパは目の前に置かれた物質とガスバーナーを見て、目を輝かせる。
「うわっ、なにこれ!」
「あ、近づくなよ絶対!」
「なんで? すごー! これって中身、なんの水?」
「馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿」
水じゃねぇから!
俺が慌てて止めに入ったが、ルパはフューレとは違い、大人の体格だ。
軽々と俺を弾き飛ばした。
「いてえっ!!」
力が強い馬鹿とか、一番面倒くさいから!!
そしてなぜフューレは止めない!?
「すごい色……ぉ……」
楽しそうに物質を覗き込んでいたルパ。
物質から出ている水蒸気が鼻に触れたとたん……突然、パタリと意識を失って倒れた。
「えっ!? はっ!? 死んだ!?」
「うるさい、執事。死んでない」
「でも……」
「放っておけば大丈夫。私のベッドに置け」
マジかよ……。フューレ、こいつを助けに行ったときはもっと優しかっただろ……。
そう思いつつ、俺は意識を飛ばしたルパをベッドに寝かした。こいつ、後でちゃんと目覚めるんだろうな?
次の瞬間、ボンっと音を立て、急に耐熱皿に乗せた液体が沸騰しだす。
「ああああああああ!! 嫌な音がしたあああああ」
「執事、たぶんできた」
「できたんですかっ!? あぁ、教科書に書いてある。音を立てたら、物質の化合に成功してるって……じゃあもうさっさと火を消しましょうよ!?」
嫌な結果になる前に、危険物は処理しておこう。
俺は冷たい雑巾に耐熱皿を移すと、そのまま床に置いた。
なんか、どす黒くて変な匂いがする。フューレ、こいつをさっさと破棄しよう。
するとフューレは、真っ赤な色をした粉を持ってきた。
「これ、フレアダスト。入れたら爆発する」
「あーそうなんですね。で、なんで持ってきたんですか?」
「入れる」
「入れませんよ??」
それだけは本当にダメ!
俺は無言でフューレの手から粉の入った瓶を奪おうとしたが、ヒョイとよけられた。
「フューレ様っ! 今すぐそれを片づけてきてください!」
「まだ実験終わっていない」
「終わったんです! フューレ様はご自身の部屋を半壊させたいのですか!?」
本当に意味がわからない、このロリっ子魔王!
小瓶を握って逃げるフューレを追いかける俺。「これだからガキはっ……」と思わず口に出しそうになったとたん――
「っあ――……耳障りだ。今声を出した奴、黙れ」
突然、部屋の中に重々しい声が響いた。
――え? 誰、今の?
でもこの部屋には、俺とフューレと、意識を飛ばしたルパしかいない。
ふと目をやると、ルパがベッドから体を起こしていた。
目覚めたのか。だが、何か様子が変だぞ?
翼をやたらと小刻みに震わせている。表情が曇っていて見えない。
「……あのー、ルパ?」
「馴れ馴れしく呼ぶな、人間風情が」
「えっ? え?」
「その気体を吸ったら、ショックと同時に記憶が戻った」
えっと、どういうこと?
急に口調が悪くなってない?
俺がルパの顔を覗き込むと――今までの純粋な笑顔はどこへやら。
泣く子も黙る恐ろしい目つきをしていた。
「……チッ。頭がクラクラする。力を取り戻していないから、効果は一時的かもしれない」
「ルパ? 何を言ってるんだ?」
「わかっているだろう、俺はもともと堕天使だ。天使の状態だが、今だけ堕天使の頃の記憶が元に戻っている」
「……ええええええええええっ!?」
ルパが!? ルパ君が!?
全然かわいくない!
まぁ、容姿的にはこっちの方が似合っているけれど……さっきまでの健気な青年はどこいった!?
「どうやら記憶がとんだ俺は、お前らに世話をかかせていたようだな」
「……あぁ、そういえば俺の腰に抱きついてきたぞ」
「私をフューたんって呼んでた」
「あと誘拐されかけていたな」
「……救いようのない恥辱だ」
ルパは自嘲的に苦笑を浮かべた。
……なんだか別人と話している気分だった。これが本当のルパの姿なのか。
「執事、聞いてくれ。俺は別に、貴様らに迷惑を与えたいんじゃない。さっさと元の力を取り戻して、堕天使として加護を与える存在に復帰したいのだ」
「なるほどな。それで、俺はどうしたらいいんだよ?」
「力を取り戻す方法……。一つだけ、思い当たる節がある」
お? 記憶が正常になったことで、何か覚えているか?
確かに、俺もルパの世話は手伝うから……できることなら、さっさと力を取り戻して、自立してほしいのだけれど。
「思い当たる節って、なんだ?」
「それは俺がかつて落下した、氷山の頂上……」
「執事ー、これ入れるー」
突然、フューレの声が割り込んできた。
――さっきの耐熱皿の中身に、赤い粉を振りかけている。
……はっ? それって、まさか?
やめろやめろやめろやめろ! やめろぉ!! 爆発するっ――
次の瞬間、部屋の中で爆発音が轟いた。
家具が吹っ飛び、部屋はめちゃくちゃ。隣の部屋から使用人の悲鳴が聞こえた。
俺の体は壁に全力で叩きつけられる。
「……ぐあっ……フューレ様……」
俺がゆっくりと立ち上がると、同じく倒れているルパと、キョトンとした顔で耐熱皿を見つめる無傷のフューレがいた。
「ルパ……大丈夫か……」
「……いったぁーい!! 熱い! いやぁぁぁ、何が起きたのー!!」
俺が声をかけたとたん、ルパは突然、赤子みたいな声で泣き出した。
――泣きたいのは、俺なんだけど。
結局ルパの記憶は再び消えてしまって、話が途中のまま終わってしまった。
しかも、部屋が壊れた責任……誰が取るの?




