第12話「調教師は虫が嫌いなようです」
扉が、勢いよく閉められる。
ろうそくの灯りだけが頼りとなる部屋に、俺は閉じ込められてしまったのだ。
「……」
「さて、調教を始める前に……」
恐ろしい調教師フローリアは、狭い部屋の中を歩き回る。そのじわじわと放たれる威圧感に押され、俺は助けを求めることを諦めた。
見たところ、恐ろしい拷問器具っぽいものや、薬品らしいものは見当たらない。彼女はここで何をするんだ?
「エルス」
「……?」
「エルス・レオンハート。あなたの名前でしょう?」
そっか! 思い出した! 俺の名だ!
……正確には、「勇者」の名前。俺は今、勇者だと勘違いされているからな。
「そ……そうだ。俺はエルスだ」
「レオンハート家は人間の中で、高潔な血筋の一族。代々剣技の才能を受け継ぐ、勇気ある者が生まれてくると聞いているわ。私たち魔族を対抗する一族……」
フローリアさんは冷淡な瞳で俺を睨み、指をさした。
「でもあなたは……とてもそんな風には見えないわね。とりあえず魔王の幹部を倒し、魔王様に命乞いしたあげく、このありさま。国から称賛されていたその姿は、表面だけのものなのかしら?」
「……」
あああ、ごめんなさい! 本物のエルスさん!
彼が剣技の強さで有名なのは事実。きっと魔族の間でもそうなのだろう。それが俺という存在で、ものすごい勘違いの方向へと引きずってしまっている。
人間たちに……俺の噂が流れていないといいんだけど。
「でもまぁいいわ。ここの執事となった以上、あなたは魔王様に服従しているということ。勇者も所詮は人間よ。気にしないことにする」
「あぁ……うん、俺、勇者の一族で、唯一剣の才能とかなかったタイプだから……強さに期待しないで……(勇者さん嘘ついてごめんなさい)」
「……わかった。でもそれはそうとして、執事としてのあなたの態度は正さないと。さっき声が聞こえたわ。雑草抜きを途中でやめてたんだって? それは執事失格ね」
雑草抜きの罪、重すぎるだろ!!
俺はついにこの状況に耐え兼ね、部屋から出ようとしたが、扉には鍵が掛かっている。そして、腕を軽々と捻りあげられた。
「いたたたたたたたたっ!!」
「さぁ、そろそろあなたを完璧な執事にする調教を始めないと」
「誰も頼んでません! 誰も頼んでません!!」
始めないでください!!
俺はいやいや首を振りながら、冷たい目をしているフローリアさんから距離を取る。
「あなたは、悪夢が正夢になったことがある?」
「……は?」
悪夢?
俺はフローリアさんの言っている意味がわからず、首を傾げた。
まぁ、もとの世界でならあるけど……警察に追っかけられる悪夢だとか……
「私のスキルを教えてあげる。私は生まれつき、『変身』のスキルを持っているの。自分の姿を自由に変えられるわ」
「へんしん?」
「そう。しかも、相手が最も嫌う姿に変身できるのよ。この城の使用人の場合、殆どの人がフューレ様を連想するらしいけれど。その姿で、この鎖を持って……」
フローリアさんは、手に太い鎖を握った。
磨かれている鉄。あれ、まさか鞭みたいに投げてきたりしないよね?
「相手が私の姿に恐れおののく間に、鎖を全力で叩き込む。これで肉体的にも精神的にもボコボコにしてるわ」
「能力の使い方が最悪っ!!」
そりゃ嫌になるわ! ヤミーは毎回それをされて懲りないのか!?
フローリアさん、使い方によっては凶器になる能力を持っていやがる。
俺が最も嫌うもの? なんだろうな、俺が大嫌いな……
「あなたが嫌がる姿とこの鎖で、半殺しにしてあげるわよ。私も、変身するまで何の姿になるかわからないから、どうなるかが楽しみね。やっぱりフューレ様?」
「……」
「懲りたら二度と、フューレ様の命令を失敗しないことね! ほらっ!」
フローリアさんは俺に詰め寄ると、俺の頭に手をかざした。
「うわっ!」
突然赤い光が放たれ、俺は思わず目を閉じる。光は渦巻き、俺とフローリアさんの体を覆い始めた。
「フフフッ、あなたの脳裏に、あなたが心の底から嫌うものが映っているわよ。……え」
勝ち誇っていたフローリア。
突然、その表情に曇りが宿る。
「なにこれ……? 待って、変身を止め……」
しかし、もう遅かった。
「……?」
光が消滅したのを感じ、俺は恐る恐る目を開ける。
フローリアさんの姿が見えない。どこにいるんだ?
「あのー……フローリアさん?」
俺は机に置いてあったろうそくを持って、目の前を照らす。
そこにいたのは、長い黒髪のフローリアさんではなかった。
――長い触角、黒い翅、6本の細い脚。
人間と同じ大きさのゴキ……あの、恐るべき昆虫が立っていたのだ。
しかも、中途半端な変身。顔の部分だけフローリアさんのままだ。
……もしかしたらこの虫こそ、俺がこの世で最も嫌う生物なのかもしれない。
もとの世界で幾度も台所に現れ、生ごみを荒らして帰るあいつ……!!!
「ギャアアアアアアアアアアアアアアッ!!!」
来るなああああああ!!
俺は発狂し、暴れるような動きで逃げた。ゴキ! デカいゴキだ! その姿を見たくもない! くそっ、フローリアさんの能力、恐ろしすぎる!
しかし。
その姿に最もショックを受けたのは、俺ではなかった。
「……なんなのよこの気持ち悪い姿ああああああああああああ!!!」
突然、フローリアさん本人が悲鳴を上げた。
まさか、ゴキを知らないのか!? そっか、異世界にはヤツが存在していないのか……。
「これがあなたが世界一嫌いなもの!? 本当に気持ち悪い! 虫なの!? 私、虫が大嫌いなのっ!」
「……」
「しかも一度変身しちゃったら、なかなか元に戻らないじゃない! ふざけないで!!」
「俺は何も悪いことしてねぇだろおお!!」
ここまでの冷徹なふるまいをぶち壊し、フローリアさんは細い脚で乱暴に鎖を掴んだ。
そしてやけくそになって振り回してくる。俺がとっさに攻撃を避けると、鎖は壁にぶつかって激しい音を立てた。
「やめろ! こんなもん当たったら死んじまう!」
「いやああああああああ!!」
「なんでフローリアさんが叫んでるんだよおおおおお!!」
自己制御が利かなくなったフローリアさんは、鎖をめちゃくちゃに回している。
早いこと部屋を出ないと……俺は鎖に叩きつけられ、死んでしまう……!




