第七話
「内憂外患……まったくもって面倒なことばかり」
ブルグラーヴは溜息を吐いた。
各地で農民蜂起が起きているらしい。取るに足らん規模らしいが、議長共はご立腹だ。八つ当たりで連日、馬鹿げた命令書を寄越してくる。
議長共はタイミングというものを知らないらしい。あやつらの辞書には、忍耐という言葉が無いらしい。敗戦に激怒し、すぐに開戦しろと騒ぎ立て、挙句、全軍に対して命を下した。我が軍が、完全に回復していないのにもかかわらず、だ。まさに時期尚早。まだ、リウガルトは傷だらけなのだ。少なからず時間が必要だと言うのに。ああ、再軍備がどれだけ大変なものか思い知らせてやりたい。
あれ以来、デュールリンは臍を曲げ、戦場に出てこなくなった。それは好都合なのだが、ギノヴェアの復帰の目処がまったく立っていない。代わりに任命された指揮官共は若造ばかり。本当に使えない。
ふと、見下ろすと、再びブルグラーヴの眼が戦場に不似合いな子供の姿を捉えた。
「おい、お前、幾つだ」
「へ……?」
「ぼけっとするな。幾つかと聞いている」
「……じゅ、じゅういち」
馬鹿な。これは、何の冗談か。悪化しているではないか! ああ! むしゃくしゃする。
俺は別に、子供を小馬鹿にしている訳でも、差別している訳でもない。俺がこれを嫌うのは、幼子が強大な敵に、適うわけがないからだ。これは理論的な問題。俺とて、かつては痛いほど実感した。小さな存在が、勝てぬ相手に戦いを挑むほど馬鹿で無益な行いはない。
「下がれ。おい、聞け坊主。後ろに下がっていろ」
「……は、はい」
高台へと登るブルグラーヴ。
グレンセラの兵が、少ない。妙だな。だが、このまま行けば、数キロ先はオーア。路が開けている。思ったよりも順調に事が進んでいるのではないか? 鉱山地域オーアを越えた先には、ダンフォルトがある。今度こそオーアを突っ切ってダンフォルトに!
「偵察隊は戻ってきたか?」
部下に問うたが、いつもの曖昧な回答しか返ってこない。
「ええと、その、いえ、まだ、ですが……」
「ちっ、のろまな奴らめ」
「……援軍の方は?」
部下の、言葉を発せずとも苦々しい顔でブルグラーヴは悟った。
「もういい黙れ」
くそ、テュール軍め。
テュールは、前の対戦から何度も書状を書き送っている、対グレンセラを掲げた同盟国。最初はかなり派兵に乗り気だったはずなのだが、文書を見る限り、議会とやり合ったらしい。全てにおいて主導権を握りたいテュール軍上層部と、それを矜持が許さない我が国の議長共。こればかりは議長に味方するが、それにしても交渉が下手くそな連中だ。残るヘリオット王国も、この期に及んでグレンセラと対立したくないらしい。曖昧な返事ばかりで苛々する。
グレンセラは悪しき国だ。打ち倒さなければならないのだ。その重要性を分からない輩。揃いも揃って小心者ばかり!
憂さ晴らしの為に外へ出る。だが、逆効果だった。野営地の様子は酷いものだった。何もせず、戦いに備えることもなく、縮こまる兵士ばかり。
「おい! 何をしているか! それが、リウガルト兵としての威厳というものか! ええい、性根から叩き直してやる!」
ブルグラーヴが怒鳴り散らす姿に、兵達は姿勢を正すこともなく、ただ萎縮して、臆するような視線を向けるだけだ。やっとのことで、彼らは応答する。それも、ブルグラーヴには煮え切らない返事にしか聞こえないのだが。
「この甲斐性無しが……」
吐き捨てるブルグラーヴ。
まったく、前回よりも士気が下がっている。だだ下がりだ。俺が一兵卒だった頃と比べると、こんな有り様は考えられない。俺の時代は、こんな事は許されなかったというのに。
あの頃。まさに激動の時代。王太子が暗殺され、エグバート王が退き、混乱に陥っていたグレンセラ。絶好の機会だった。やっと、積年の恨みを果たせる。リウガルト軍に勝利を齎せる。リウガルトは沸いていた。だが、その矢先――あの男が現れた。アゼルレッド、あの男が、彗星の如く現れたのだ。どこからともなくやって来たアゼルレッドは、戦場を掻き回し、焼き尽くし! リウガルトを無力化した。リウガルトは、俺は、また、敗北を喫した。俺はグレンセラの捕虜となり、これ以上ない屈辱を経験した。あの時の恥辱、絶望と言ったら、ない。二度も、三度も、こんな思いをしなければならないのかと。
その上、前回の戦で、四度目だ。あの怪物の、化け物のアゼルレッドが居なくなったと、やっと、そう思った時に、奴が、アルスノ王子が現れた。姑息な手段を使い、リウガルトを貶めた。巫山戯るな、どれほど、どれほど! 俺を苦しめれば気が済むというのか!
ブルグラーヴは奥歯を噛み締める。嫌な記憶ばかり。
やっていられるか。こんなのも、こんな日々も、もう終いだ。グレンセラに、一矢報いてやる。この身が朽ち果ててでも! グレンセラを抹消するのだ――。
懐古に染まる背中。その時、
「……?」
ブルグラーヴは熱気を感じた。煮え滾るような――いや、背筋を滑っていく悪寒が。
野営地の空気を引き裂いたのは、めいっぱいに叫ぶ兵士の枯れた叫び声だった。
「――革命、革命だッッ!」
「今、なんて言った!?」
疾走してきた兵士は興奮交じりに仲間達に伝える。
「革命だ。革命が起きたんだ! 今朝、ジーガスリットの門が陥落したそうだ。議会が! 倒されたんだッ!」
「なんだって!?」
「嘘だろ!? すっげえ!」
「俺たちはもう自由なのか! もう戦わなくて良いのか!」
さっきまでの萎れたような姿が嘘のように、活気が湧き上がっていた。
――議会が、倒され、た?
ああ、何を驚いている。自ら予想していたことではないか。もし、市民が蜂起したら、あやつらは、逃げ惑うしかない、と。何故、飲み込めない。何故だ。あやつらがいなくなった方が、寧ろ好都合だ。俺が、俺が、全ての指揮を取れるのだ。縦横無尽に。そうすれば、今度は間違いなく、グレンセラに敗北を――!
「帰るぞ! 俺たちの故郷に!」
「おお――ッ!」
「万歳! 革命万歳!」
帰る? 一体何を言っている。お前達はグレンセラと戦うのだ。そう決まっているのだ。誇り高きリウガルト民として、決して屈さず、暴虐の国グレンセラを、打ち倒し――。
「おい! 何をしているか! 帰還は許さん。お前達は戦うのだ。命果てるまで……」
届かぬ声。
「待て! 待てと言って……」
最早、耳を貸す者はいなかった。兵士達は嬉々として武器を放り投げ、リウガルトへの帰途に着く準備を始めている。
何処からそんな力が湧いて来るのだ。お前達はいつもいつも無気力で――。
その時、ブルグラーヴは漸く、気が付いた。
此奴らは、此奴らは。グレンセラを倒すことより、リウガルトの勝利より、革命を望んでいたのだ。それをひた隠しにして、ありもしない士気を、取り繕っていたのだ。
◇
戦いが終わった。
もう破られることは無いであろう、二度目の和平が結ばれた。
あの時、グレンセラの軍勢が少なかったのは、その必要がなかったからだ。兵士達の士気の低さに気付き、直ぐに撤退することを見越していたのだろう。己の能天気さにほとほと呆れる。
虚ろな目で窓の外を見下ろす。ふと、ジーガスリットの広場にある大きな看板が目に入った。
――市民よ、自由と解放の為に闘え
その言葉が、誇り高く掲げられている。
「自由? 解放? ……はっ」
ほら、だから言っただろう。民を蔑ろにし続けるからこうなったんだ。馬鹿な連中だ。あやつらの所為で、戦いにも敗けて、何もかも台無しだ。何もかも……。
ブルグラーヴは椅子に腰掛けた。
ここまでだ。俺は、自由や解放なんてものは要らない。求めていたのは、グレンセラへの報復だけだ。それも叶わぬものとなってしまった今、俺にはもう、何も残っていない。
おそらく、市民軍はこれから俺のことも捕らえに来るだろう。奴らにとって、俺は議長達と同じなのだ。
……はっ、何だ。そうか。
ただの、同族嫌悪だったのか。
全く、お笑いだな。
もういい、終わりだ。
終焉が近づいていたのは、グレンセラではなく――俺と、リウガルトだったのだ。
あの日から、変わらぬ屈辱を胸に抱き。
ブルグラーヴは目を閉じ、頭に弾丸を撃ち込んだ。