第四話
グレンセラは依然として他国との戦争状態にあった。
その一つが、隣国リウガルトだ。前王アゼルレッドの先代エドガー王の時代から途切れることがないほどに、リウガルトとは長年熾烈な戦闘が続けられている。始まりは些細なことだったのかもしれない。だが、敵で在り続け、殺し合い、その憎悪は何倍にも膨れ上がっていった。長引けば長引くほど、和平を講ずることは困難なものになるのだ。
「ダンフォルトに配置した部隊をオーアに回せ」
「御意」
◇
此処はリウガルト共和国。
嘗て、リウガルトは他を凌ぐほどの強大な帝国だった。だが、革命によって皇家が打倒され、帝政が終わりを告げた。戦争も度重なった為、当時と比べて半分以上も国土を失っている。革命の英雄の血を引く末裔達が中央議会を組織し、他国への侵略を命令しているのだった。
グレンセラとの国境付近に広がる高原シェーフヒェン。
灰に覆われた戦場の空。黒ずんだ視界の中、いざ決戦の時。寒気と恐怖に少年兵が武器を両手に手足を震わせている。十二、三歳のまだ未熟な子供だ。
右翼側の戦列の後方に、壮年と中年の狭間の容貌で口髭を生やした男が立っている。彼はリウガルト軍の指揮官、名をオイゲン・ブルグラーヴと云う。ブルグラーヴは自軍を見渡し、癇立っていた。
――若い。あまりに若すぎる。いくら敵と比べて戦力が劣っているとはいえ、尻の青いガキばかりを戦場に送り込んでも役に立たないどころか足手纏いだ。この戦いは、子供のお遊戯ではないのだぞ。何故子供が居るのかと部下に問うと、議長方の意向で入隊年齢が引き下げられたのだと言った。何と、人員不足をその場しのぎの徴兵で補えるとのお考えのようだ。全く呆れたことだ。数を以て圧倒しようなどという考えは無用であるのに。
「子守りなんぞ俺の性分に合わん。はあ、少年兵は後方に回せ。無駄に死なれても困る」
「……御意」
ブルグラーヴは陣営に戻り、地図を見つめる。
我が軍の陣営は側面と後方が山で囲まれている。見晴らしは少し悪いが、防御にはこれ以上無い場所だ。
昨日、デュールリンの軍勢がグレンセラに追い返されたと伝達があった。自信満々に自分にやらせろとほざいていたのは何処のどいつだ。そればかりか、肩を撃たれたときた。呆れてものも言えん。これほど無能とは。知ってはいたが、こうもあからさまだとは。
だが、事態を見越して俺は軍を配置しておいた。もう一人の指揮官であるギノヴェアにも伝達し、戦闘準備を進めている。それ故、迅速に再編成することができ、今に至っている。万全な状態だ。
デュールリンは、中央議会の議長の一人の甥にあたる人物。傍系の次男とかで、家を継ぐことが叶わないために、権力を得る場として軍を選んだような男だ。そんなデュールリンを議長は分かりやすく贔屓している。目に余るほどに。実力が伴っていれば良かったのだが……まあ、そう上手くいかないのが現実だ。奴は呆れるほど使えない。その上自尊心が高い。本当に厄介でしかない。全く、戦場を知らない議長方の判断には、いつも頭を抱える。ああ、煩わしい。
やっと、やっとグレンセラを破滅へと導く機会が訪れたというのに。
今やグレンセラは空中分解寸前の状態だと聞く。今、国の頂点に立つアルスノ王子は、弱冠十五歳。まったくバカげている。いくら軍勢が強大であろうと、未熟な人間が全権を握ればそれは覆る。統率など、出来るわけがない。まして、一国を治めるだと? じきにグレンセラは終焉を迎えるだろう。アゼルレッド王が存命でないのが口惜しいが、その倅は討ち取ることが出来る。嗚呼、この上なく愉快だ。
戦場の舞台となるシェーフヒェンは平坦な地形。依然として数は劣るものの、短期決戦に持ち込めば、勝機は十分。ブルグラーヴは力強く号令した。
「全軍、かかれーーっ!」
◇
青藍の空。月光が総てを照らす夜。国境を守護する砦にグレンセラの陣営が構えられていた。砦の名は、ヴィヴィアン。この砦へ続く道の呼称でもある。昔の女王の名に由来するものだ。
この砦に、アーチ型に縁取られた板金鎧を胸に身に付け、紺色のマントを纏ったアルスノの姿があった。前線においても縦横自在に動くことを想定された軽装備だ。
「殿下、大丈夫ですか?」
アルスノの手の甲が僅かに赤く滲んでいる。
「少し掠っただけだ」
「無理は、なさらないでくださいね」
部下の心配の声に、アルスノは息を吐く。
「分かっている。だが……ここは、積極的に前線に出て、陣頭に立って戦うべきだ。軍全体に私の存在を知らしめ、共に闘う者として認めさせるためにも」
リウガルトがこのタイミングで戦闘を再開させたのは、恐らくグレンセラの混乱に乗ずる為だろう。そして、今この瞬間頂点に立っているのは、若く未熟な王子。怪物のようなアゼルレッドと相対するよりは何倍もましだ。万年負け続けのリウガルトにとって勝利を手にする二度とない機会。この機を逃す手はない、そうリウガルト軍は思っているのだろう。
「皆からすれば、私は所詮若輩者。年齢や、風貌から言えば、心許なく思うのは致し方ないことだ。それならば――行動で示せば良い。影に隠れているだけの王子では、皆は納得しない。ただ軍人兵士を使役するだけの統率者となりたくはないのだ」
アルスノは視線を上げた。
「終わらせなければならない。そうしなければさらに多くの命が失われる。権力の蛮行を止めなければ、私がこの国の頂点に立った意味が無い。……私は戻る。ヒース、グウィネズ、行くぞ!」
「御意!」「はっ!」
グレンセラの陣地は、なだらかな渓谷が広がっている。広大な蒼穹の下。
若き王子は剣を振り上げた。
「私に続け――っ!」
その言葉通り、アルスノは先陣を切ってリウガルト兵を次々に打ち倒していった。前線では、段々とリウガルト軍が押し出され、シェーフヒェンから、リウガルトが主都、ジーガスリットへと続く路にグレンセラ軍が迫っていた。