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紺青のグレンセラ  作者: 比世
第一章 青の国
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第一話

 グレンセラ城の地下深くには、牢があった。冷え冷えとした壁。暗がりに仄かな洋燈(ランプ)が数個在るだけだった。その日、一つの牢にアルスノの姿があった。重い鎖に繋がれ、彼は独り、俯いていた。


 その数日後のことだった。突如として、闇の中から人影が現れたのだ。アルスノとその男の影とが、石造りの壁に大きく映っていた。

「お前は誰だ。何故此処に居る。私を殺しに来たのか」

 問答無用でアルスノは目の前の男を睨みつけた。狼のように鋭い眼光に、その男は息を呑んだ。だが、心を落ち着かせ、その男は語り始めた。

「お初にお目にかかります。……アルスノ殿()()

 その呼称に、アルスノは目を細くした。

「ヘンリー・アングリアと申します。アングリア公爵家の、当主で御座います。貴方を、助けに参りました」

「帰れ」

 間髪入れずにアルスノは拒んだ。

「情けをかけるな。私を憐れむな。今直ぐに去れ」

 アルスノの冷淡な口調に怯むヘンリー。

「殿下……」

 アルスノは孤独を常として生きてきた。今更、人間を信じられない。信じられるのは、己のみ。ずっと、独りで生きるしか、ないのだ。――独りで。

「非礼を、お許しください。……また、参ります。私は何度でも、此処へ参りますから」

 ヘンリーはそう言い残して去っていった。



 言葉通り、ヘンリー・アングリアという男は毎夜やって来た。貴族家の当主にしては随分若い、とアルスノは思った。アングリアは紺色の、控えめな刺繍が入ったジュストコールを身に纏っている。記憶が正しければ、これは、グレンセラにおける公式の場での装い。そんな服を何故今着ているのか。それに、どうやってこの男は監視の目を掻い潜っているのだろう、とアルスノは怪訝に思った。


 その日の夜、(ようや)くアルスノは口を開いた。

「――王を殺す勇気は有るか」

 酷く冷たい声。氷のように、刃のように鋭く。空間全てが凍てつくような響き。王とは、このグレンセラを治める国王、その名はアゼルレッド、アルスノの実父であった。

「無いだろう。その程度の覚悟ということだ」

 諦念に染まる言葉に、ヘンリーはすぐさま返答した。

「いえ、殿下。貴方がお望みなら、私は、叛乱を起こすことも(いと)いません」

 アルスノはヘンリーを睥睨(へいげい)した。

「……本気か」

「勿論です」

「失敗に終われば、お前もお前の一族も皆殺しだぞ」

「ご心配には及びません。そんな事は絶対に起こりませんから」

「……妙に自信があるのだな」

 得意げに聞こえるヘンリーの言葉にアルスノの声の調子が上がった。

「王だけでなく、その取り巻きや、権力者の類いは全て滅ぼすと言ったらどうする?」

「同じことです。アングリアの名にかけて、殲滅するだけです」

「お前は権力が欲しいのか? それで私を担ぎ上げようとしているのか」

「いいえ、そうではありません。自分で言うのもなんですが、権力や金には興味がありません。執着すべきではないものと考えています」

「お前は理想主義者か」

「それも、いいえ。私は理想などという得体の知れないものは信用しません。私は、この国を在るべき姿に戻したいだけです」

「お前は誰を打倒しようとしているのか」

「個人的な恨みはありませんが、ゴドガル公爵には下がっていただきたいと考えています」

 次々打ち出されるアルスノの問いに、淡々と答えるヘンリー。為人(ひととなり)そして、能力を試されている、そうヘンリーは感じ取っていた。

「血統に縋った栄光ほど虚しいものはありません。自慢する訳ではありませんが、私の祖父は激務をこなし続け、余生を過ごすことなく亡くなりました。貴族があらゆる国民(くにたみ)から敬愛される対象となったのは、民への献身があったからです。ゴドガル公爵は、それを、崩壊させようとしているのです」


 すっ、と一息をついて、ヘンリーはアルスノに申し立てる。

「……私は、貴族の本来の在り方を取り戻したいのです」

 アルスノが顔を上げる。

「他の貴族は? 貴族の大半はゴドガルを支持していると聞く。どうするつもりだ?」

「私にお任せください。他の貴族も、沈黙しているだけで、反感を抱いているのです。事が起これば、必ず。一体となるはずです」

 アルスノは思いを巡らせる。暫くの沈黙の後、声を落として問うた。

「……何故、私なのだ。何故、私を助けようとするのだ」

 ヘンリーは少し驚いたような表情を見せた後、口を綻ばせ微笑んで言った。

「ふむ、自分でもよく分かりませんが……。ですが、誰も助けようとしない王子に、一人ぐらいは手を差し伸べたって良いではありませんか?」

 一瞬意表を突かれた表情を見せた後、アルスノは鼻で笑い、口端を吊り上げた。

「はっ、生意気だな」

 表情が柔らかくなったのを見て、ヘンリーは付け加える。

「あとは、そうですね……貴方の事を待っている者たちがいるんですよ」

「私を……待っている?」

「ええ、後で会って頂きたいのですが……その前に」

 ヘンリーは膝を着き、アルスノを見上げる。

「改めて申し上げます、殿下。私ヘンリー・アングリアに信を置いてくださいませんか」

「……分かった」

 青い瞳が、澄んだ青い視線が、仄かな温かみを含んで、静かに注がれた。



 数刻後。辺りは地下牢と同じく暗い。ヘンリーがアルスノを連れて行ったのは、アングリア邸――ではなく、誰も住んでいない(さび)れた館だった。

「管理が行き届いていない所ではございますが、ご容赦を」

 ヘンリーがそう言って、アルスノを一瞥(いちべつ)する。重い扉の前で、ヘンリーが言った。

「紹介したい者達がおります」

 開かれると、男達が武装した姿でアルスノに向かって跪いていた。

(おもて)を上げよ」

 その声に反応し、彼らは一斉に視線をアルスノに集中させた。緊張が走る。

「この者達は……騎士団(フェイルノート)です」

「騎士団? 時代遅れな呼称だな」

「私が勝手に呼んでいるだけです。公には知られていません」

 アルスノが騎士を見る。切実な目、憂慮を映した瞳が、此方を、見つめている。

「……殿下。トリスタン・ウィッチェという方をご存知ですか?」

 ヘンリーが唐突に尋ねる。

「知らないな」

 首を振るアルスノ。

「貴方の、叔父上にあたる方です」

「……アゼルレッドの、弟か?」

「ええ、そして、彼らは――トリスタン様の遺臣です」

 重い沈黙が落ちた。


「まさか……アゼルレッドが殺したのか?」

 アルスノの語気が強まった。僅かに躊躇った後、ヘンリーは黙って頷いた。


 トリスタン・ウィッチェ――王弟であり、伯を叙爵していたこの人物は多くの人民に慕われていた。偉大だが暴君とも称される兄王アゼルレッドよりも、貴賎関係なく一視同仁に接する心優しい弟の方を親しむのは明白な事であった。だが、その人望の厚さが、トリスタンを死に追いやる一因となったのだ。


 と、多くの者は証言する。


 トリスタンの処刑については、あまり詳細が明らかにはなっていない。最期に兄と弟が何を話したのか、何故、トリスタンは死を受け入れたのか――何も分からないまま歳月が過ぎ、風化していった。


 だが、家臣達は違った。決して主を忘れることは出来ない。家臣としての責務を果たせなかった後悔と恥辱は未来永劫消えることはないのだ。

「彼らは殿下、貴方に付き従うことを望んでおります」

「……そうか」

 アルスノは向き直って、彼らを見下ろした。鮮烈な青い瞳に彼らは目を(みは)った。

「――復讐を願うか」

 彼らにはその一言だけで十分だった。あの日の悲しみ、やり場のない怒り、無力さに雁字搦めになっていた彼らの心がやっと、動き出した。無言の涙が、幾つも流れた。

「ならば、私に力を貸せ」

 アルスノの芯のある声が空間に響き渡る。

「王を殺し、敵対する(すべ)ての者を撃滅せよ。そして、この国グレンセラを手に入れるのだ」

 仰せのままに、と騎士達は声を揃えた。



 あれから、半年が経った。その間、アルスノは脱獄をし、行方不明になっている、とされていた。王国には何事もなく、日常が流れていた。それが、嵐の前の静けさとも知らずに――。


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