序章
グレンセラは古都の面影が遺っていた。
格調のある建物の数々。そこは人の気配を全く感じないほど静寂に満たされている。堅固な門楼を通り過ぎると、悠然と聳え立つ城が迎える。石造りの荘厳な風格。国と同じ名を持つその城は、数々の勇猛たる君主達の権力と血の象徴である。
グレンセラ城の広大な敷地内には、幾つも宮殿が在る。歴代の君主達が愛する妻や子の為に建てさせたものだ。殆どが建てられた時の姿を持している。
その中でも、一際壮麗な離宮がふたつ。
正妃と嫡子が住まうサングリアル宮。そして、丘の上に建つクラレント宮。
対照的に、美しさが拮抗するかのように、ふたつの離宮は建っていた。
それは、凍えるような寒さが続く冬のこと。深い雪が音を封じていた。見渡す限り、そこはまさに銀世界。夜空には蒼白い月がぼんやりと佇んでいる。このクラレントの名を冠した宮殿に、ひとりの王子が生まれ落ちた。
夜空の色を映し出すかのように、王子は澄んだ青色を瞳に宿していた。
成長した王子は、翠の草原を駆けていた。雲ひとつない青空の下。遠い空で鳥が鳴いている。蒼翼の花が辺り一面に溢れ、清風に揺れていた。
王子は空を掴むような動作を繰り返す。その先には、青く、羽ばたく蝶々。暖かなひととき。王子とその兄、そして母。彼を愛する人々が包むその空間は、幸せに満ちていた。光が空から降り注いで、煌めく世界。
その世界は、突如として終わりを告げた。
空は変わらぬ青を湛え、地上は血の海と化した。一面を真っ赤に染め上げたのは、王子の剣。その赤は、今目の前で無様に死んでいる男達の血潮だった。
アルスノ、というのが王子の名だ。
アルスノは生まれてから今まで、ずっと命を狙われてきた。公爵家とかいう者達の所為で、昨日も、今日も、明日も、この先ずっと忌々しい赤を見なければならないのだ。数年を経てやっと、事情が解ってきた。ゴドガルとは王国を掌握する一族。貴族の中で最も高位の公爵家。母や兄が死に、クラレント宮が灰燼に帰したのも――奴らの仕業だということも。
総て、殺す前に聞き出した事だ。
今宵、叛乱の夜空。美しい空とは裏腹に、地上は阿鼻叫喚の光景が広がっていた。至る所で切り裂かれる身体。流れる鮮血。数多の人間が憎しみと失望を瞳に映しつつ、絶命していった。
アルスノは静かに呟く。
「青い」
争いの後の、青い空。淡く霞む麗しい月。月光がグレンセラ城を蒼白く照らす。梢の葉擦れの音。遠い空で鳴く鳥の声。夜風が森の音を運んでいた。
これは、一人の王子の運命を辿る物語である。