32話「二人だけのおやつタイム。クヴェルが神様でも構わない!」
この国の侍従長さんは優秀なようで、三十分もしないで部屋を用意してくれた。
作業用の部屋は落ち着いた雰囲気で、窓からよく光が差し込んでいた。
程よい大きさの木製の机と、座り心地の良さそうな椅子がセットされていた。
机と椅子は部屋の左端と右端に設置されていた。私もこの部屋で作業してもいいみたいね。
それぞれの机の上には彫刻刀などの道具が綺麗に並べられていた。
休憩ができるように大きめのベッドと、ソファーとテーブルが配置されている。
テーブルの上にはベルがあり、鳴らせば執事かメイドがすぐに駆けつけると侍従長さんが説明してくれた。
魔石は今城にあるものを部屋に運び込ませたそうだ。その数はおよそ三百個。
残りはギルドに連絡し今日中に手配してくれるらしい。
部屋に設置されているベッドは仮眠用のもので、寝室は別に用意してあるらしい。
あの大きさで仮眠用なのね。睡眠用のベッドはどれくらいの大きさなの?
離れとは名ばかりの小屋で生活してる時間が長かったせいか、感覚がすっかり庶民的になってしまったわ。
クヴェルたんは机に座るとすぐに作業に取り掛かった。
私は侍従長さんにお願いして紅茶と、先ほど包むようにお願いしたレモンタルトとチーズタルトとマカロンを部屋に運ぶように依頼した。
クヴェルたんは朝から何も食べていない。それでは体に悪いわ。
◇◇◇◇◇
侍従長さんがすぐに紅茶と菓子を用意してくれた。ポットからアールグレイの華やかな香りがする。
「クヴェルたん、作業を始める前に何か食べた方がいいよ。
朝から何も口にしていないでしょう?」
国や国民も大事だけど、クヴェルたんの健康はもっと大事だ。
クヴェルたんを作業机から引き離し、ソファーに座らせた。
「僕は別にお腹は……」
「王様の態度はクヴェルたんの機嫌を損ねたかもしれない。
でも、それとここで出された料理を食べないのは別だよ」
「ここのタルト生地はサクサクしていて絶品だよ!
一口でいいから食べてみて!」
苺タルトをナイフでカットし、フォークで刺し、クヴェルたんの口に放り込む。
クヴェルたんはむぐむぐいいながらタルトを咀嚼し、飲み込んでいた。
「どうだった?」
「まぁまぁじゃない」
クヴェルたんの反応は今ひとつだ。
次はマカロンを食べさせようかな? マカロンといえば卒業パーティーの日にも食べたっけ。
「私ね、卒業パーティの会場で出されたお菓子をお持ち帰りして、クヴェルたんと一緒に食べたかったの。
でもあの日、お菓子を袋に詰める前に婚約破棄されちゃったから、マカロン半分しか持ち帰れなかったんだよね」
クッキーとか、フィナンシェとか、カヌレとか、クリームがついてなくて尚且つ形が崩れなさそうなお菓子をお持ち帰りしたかった。
「もうお城で王宮のパティシエが作ったお菓子なんて二度と食べられないと思ってた。
でも、こうしてまた食べられる機会があって嬉しいんだよね」
マカロンを一つつかみ、クヴェルの口に放り込む。
「トリヴァイン王国のマカロンと比べてどう?」
「まぁ……悪くはないかもね」
クヴェルの反応はさっきより少し良くなった。
「そっか、良かった。
じゃあ次はチーズタルトを……」
「アデリナ。
お菓子もいいんだけど、僕に聞きたいことはないの?」
「クヴェルたんに聞きたいこと?」
クヴェルたんは苦しそうな、それでいてどことなく切なそうな表情をしていた。
「僕が水竜だってわかって、そのことについて聞きたいこととか、言いたいこととかあるんじゃないかと……」
なるほど、そういえばクヴェルたんは神様だったんだよね。
「特にないかな」
「えっ? ないの?」
クヴェルたんは虚を突かれたらしく、目をパチクリとさせていた。
「うん、だってクヴェルたんは最初に会ったときは家事をするトカゲで、
そのうち人語を話すトカゲに進化して、
しばらくして十歳くらいの人間の少年に変身して、
私の世話をしてくれたでしょう?」
クヴェルたんはコクリと頷いた。
「それで最近になって実はクヴェルたんの本来の姿は十代後半の美青年だってわかって、
凄い魔法を使って魔物をバンバンやっつけちゃうし、
魔石に古代文字を刻んで水を浄化したり、結界を張ったりしてるし。
どう考えても普通の人間じゃないよ」
クヴェルたん的には普通の人間の振りが出来ていると思っていたのかな?
「だからクヴェルたんが神様だってわかったとき、驚きよりも『やっぱり』という気持ちのほうが強かったんだよね」
神様なら不思議な力を持っていても、トカゲや人間に変身出来ても、めちゃくちゃ強くても納得だもん。
「アデリナは僕が神様だとわかっても側にいてくれる?」
クヴェルたんは眉を下げ、寂しそうな表情をしていた。クヴェルたんにそんな顔させたくないよ。
「勿論だよ。神様でも水竜様でもクヴェルたんはクヴェルたんだもん」
私がニッコリと笑いかけると、クヴェルの表情も和らいだ。
「あのね……アデリナに一つ伝えなくちゃいけないことがあるんだ。
いずれ君にも分かることだと思うから今言うね。
僕が国を出たってことは……今、トリヴァイン王国は……」
クヴェルたんの食が進んでないな。もしかして甘い物を食べたい気分じゃなかった?
「クヴェルたん! 甘いものばっかりじゃ飽きるよね!?」
「あっ、いや、今は別に……」
朝食にはハーブのサンドイッチとか、スモークハムのトーストとかしょっぱい系の食べ物も並んでいた。
まだ処分されていないなら、お昼にいただきたい。
甘いものを食べて、しょっぱい物を食べて、また甘い物を食べる……これぞ至福!
「待ってて!
まだ残っているか王様に聞いてくるから!」
「アデリナ、そんなことしなくてもベルを鳴らせば使用人が……」
クヴェルたんが話し終える前に、私は部屋を飛び出していた。
◇◇◇◇◇
来たときと同じ廊下を辿り、食堂へと戻る。
国王はまだ食堂にいるかしら?
食堂の扉の前には誰もいなかった。
「申し訳ございませんが、サンドイッチやトーストはまだ残っておりますでしょうか?」
少しだけ扉を開けて中の様子を伺う。
テーブルの上は片付けられ、誰もいなかった。
やっぱりもう誰もいないのか。
食堂じゃなくて、厨房へ行くべきだったかしら?
扉を閉めようとしたとき、袖のボタンが外れ部屋の中に入ってしまった。
ボタンはコロコロと転がり、テーブルの下で止まった。
私はボタンを拾う為にテーブルの下に潜り込んだ。
そのとき、食堂に誰かが入ってきた。
この声って国王と侍従長?
侍従長さんに頼めば、しょっぱい系の軽食を用意してもらえるかも?
そう思ってテーブルの下から出ようと思ったのだけど……。
「金色の長い髪と翡翠のような瞳を持つ、見目麗しき少女。
古き文献には、初代女王レディアの特徴がそのように記されていた」
国王はレディア様の話をしているの?
盗み聞きは悪いと思ったんだけど、出るタイミングを失ってしまった。
「水竜はレディアの生まれ変わりを求め、時に人の姿となり、時にトカゲの姿となり、市井を巡ったと伝えられている。
そして、ついにその生まれ変わりを見つけ出したようだ」
水竜ってクヴェルのことだよね?
クヴェルはレディア様の生まれ変わりを探していたの?
「あの少女こそがレディアの生まれ変わり。
食堂で水竜神の振る舞いを見れば、彼が金髪の少女に深く心惹かれていることは明白」
食堂でクヴェルと一緒にいた少女って、私の事だよね?
私……レディア様の生まれ変わりだったの?
「かつて愛した女性の生まれ変わりだ。
水竜神は少女を胸に抱き、片時も手放したくはないだろう」
ドクン……! と心臓が嫌な音を立てた。
クヴェルはレディア様を愛していたの?
レディア様の願いを聞いて神様にまでなって国を守ってたんだもん。クヴェルがレディア様を愛していたってなにも不思議はない。
「何とかしてあの娘をこの国に留める術はないものか?
例えば、王太子と縁を結ばせるというのはどうだろう?
王太子は二十歳、あの娘との年齢的な釣り合いも取れる」
「陛下、恐れながら申し上げます。
水竜様は、どうやらアデリナ様のことをたいそうお気に召しているご様子。
水竜様にそのようなご提案をなされば、たちまち彼のお方の心は離れるでしょう。
下手をすれば水竜様のお怒りを買いかねません」
「そうか、やはり難しいか……。
水竜神にこの地に留まっていただき、守護神としてお力添えをいただきたかったのだが……」
「陛下、どうか過ぎた欲をお抱えになられませぬよう。
ミドガルズオルムの脅威を退けていただけるだけでも、ありがたいことではありませんか」
「うむ、そちの申すその通りだな。
しかし、惜しい。
せめて、余に娘がおれば、水竜神に献上することもできたのに……」
「陛下、重ねて申し上げます。
そのようなお話は、どうか水竜様の御前ではなさいませんように。
ところで陛下、そろそろ会議のお時間でございます」
「分かっておる。
ふう……もう少しばかり、ここで休みたかったのだがな……」
国王と侍従長は食堂を出ていった。
二人が出て行ってからも、私はその場を動けなかった。
クヴェルたんはレディア様を愛していた……。
その事実が心を締め付ける。
クヴェルたんはレディア様が逝去されたあと、ずっと彼女が生まれ変わるのを待っていた。
私はきっとレディア様の生まれ変わりで、クヴェルたんが私に優しくしてくれていたのは、レディア様の代用だからで……。
クヴェルたんとは口づけは交わしたけど、「愛してる」とか「結婚しよう」って言われたわけじゃないし……。
そっか……そうだよね。私はレディア様の代用なんだもん。そんな言葉を言われるはずがないよね。