2話「公爵家の離れには私を癒やしてくれる存在がいる」
学園の授業が終わると、私はすぐに登城した。
自分の仕事を片付けたあと、王太子に押し付けられた仕事をこなしていく。
それが終わると王太子妃教育の時間だ。
全てが終わったあと、この国の守り神である水竜様の像を磨く。
水竜様の像を磨くのも、本来なら国王もしくは王太子の仕事なのだが……。
彼らが水竜様の像を磨いた事は一度もない。
ブラウフォード家の離れに帰宅する頃には、夜十時を過ぎていた。
◇◇◇◇◇
「疲れた〜〜。
もう指一本動かせないよ〜〜」
私は制服のままベッドに倒れ込んだ。
粗末なベッドがギシギシと音を立てる。
父が再婚したのが七年前。
それから私はこの離れに住んでいる。
三年前まで専属のメイドが一人ついていた。名前はオリガ。
彼女は結婚を機に退職してしまった。
オリガはノルデン男爵家の出身だった。
「貧乏男爵家の末っ子の私など、平民に毛の生えた程度ですよ」とオリガは語っていた。
オリガが幼少期街に出て平民と遊んでいたようで、そのせいかだいぶくだけた口調をしていた。
オリガと一緒に暮らしているうちに、彼女の口調が移ってしまった。
私が王太子の婚約者であるのにも関わらず、話し方が庶民に近いのはそのせいだ。
オリガが世界中を旅する画家の元に嫁いで三年。
私は公爵家の離れで一人で暮らしている。
学園の授業に、二人分の宿題に、生徒会の仕事に、王太子妃の教育に、王太子の仕事に、王太子の婚約者としての仕事に、水竜様の像を磨く仕事に……仕事が多すぎるのだ!
私を過労死させる気なの!?
そもそも、王太子の宿題も生徒会の仕事も王太子の仕事も私がやる義理はないのだ!
水竜様の像を磨く仕事も、本来なら国王もしくは王太子の仕事である。
なぜ王太子の婚約者に過ぎない私がやらされているのか?
甚だ疑問だ。
トリヴァイン王国は今でこそ人口百万人を越える大国へと発展したが、かつてはトリヴァイン荒野と言われる草木の生えない不毛な大地が広がっていた。
トリヴァイン荒野にあるのは乾いた土地と、小さな集落だけだった。
三百年前、この地に水竜様が降り立った。
水竜様は邪悪な力を持つ巨人の魔術師との対決で深い傷を負っていた。
水竜様の傷を癒やしたのが当時集落の村長をしていたレディア様だ。
水竜様は傷を癒してくれたお礼に、レディア様のお願いを何でも叶えるとおっしゃった。
レディア様はトリヴァイン荒野が緑豊かな土地になるようにと願った。
水竜様はレディア様の願いを叶える条件に、自分の形を模した像を作り、国王もしくは王太子が三日に一度像を磨くようにと命じた。
それから三百年、かつて荒野と呼ばれていた大地には飲用に使える水が潤沢にあり、草木が生い茂っている。
畑の土は肥え、毎年豊作だ。
そう、竜神様の像を磨くのは建国当時から国王と王太子の仕事と決まっているのだ。
だが現実の国王も王太子も、竜神様を全く信仰していない。
そんなものはおとぎ話で、竜神様の像を磨くのに時間を使うなんて時間の無駄だと思っている。
国王は竜神様の像を磨く仕事を王妃様に丸投げしていた。
八年前に王妃様が逝去してからは、王太子の婚約者である私に丸投げしている。
「竜神様なんていないのかもな〜〜。
国王の王太子も全然竜神様の像磨いてないのに何の祟りもないし、国は平和だし、変わらず緑豊かだし、豊作だし……」
私は枕に顔を埋めた。
お日様の匂いがする〜〜。
気持ちいい〜〜。
ふかふかだ〜〜。
もうこのまま寝ちゃおうかな〜〜?
「アデリナ!
しっかりして!
ちゃんとご飯を食べて、お風呂に入って、着替えてから寝ないと」
心配そうに私の名を呼ぶ可愛らしい声が聞こえる。
重たい瞼を擦りなんとか目を開ける。
視界いっぱいに水色のトカゲの姿が見える。
「クヴェルたん!
もう無理! 限界!
お風呂に入る気力なんてないよ!」
「でもそのまま寝たら汚いよ。
今日もいっぱい汗かいたんでしょう?」
書類仕事をしていても汗はかくのだ。
「じゃあ、いつものやって!
爽やかな風が出るやつ!!」
私はこの小屋に一人で住んでいる。
彼はトカゲで人ではない。なので嘘は言っていないと思う。
「もう仕方ないなぁ」
彼が呪文を唱えると、目の前にふわふわの髪を肩ぐらいまで切りそろえた男の子が現れた。
ふわふわの水色の髪、水色の大きな瞳、白くきめ細やかな肌。
年齢は十歳ぐらい。
彼は青いフード付きローブの下に、白いシャツと茶色のベストと茶色の半ズボンを纏った生足半ズボンが眩しい絶世の美少年!
それがクヴェルたんの人型バージョンだ。
「人型のクヴェルたんだ!
可愛い!
お肌スベスベ!
生足が尊い!!」
私はベッドサイドに立つ彼のもとまで這っていき、彼の体をぎゅっと抱きしめて、もちもちの肌に頬擦りをした。
はぁ〜〜すべすべの肌が心地よい!
若さっていいなぁ〜〜!
私もまだ十八歳なんだけど。
毎日過労死寸前まで働かされているせいで髪も肌もボロボロなのだ。
「アデリナはもう動けないんじゃなかったの?」
「クヴェルたんのためなら動けるもん!」
彼に抱きついたまま彼のふわふわの髪をわしゃわしゃと撫でる。
クヴェルたんの髪からはとってもいい香りがした。
くんかくんか!
美少年の髪の匂い!
永久に嗅いでられる!
「そんなに元気があるなら、自分で着替えてお風呂入って」
「それは無理〜〜!
いつものように浄化の魔法でささっと体をきれいにして〜〜!
ついでに着替えさせて、ご飯も食べさせて〜〜!」
私は顔の前で両手を合わせクヴェルたんにお願いした。
「仕方ないなぁ……」
ため息をつきながらも、クヴェルたんは私のために魔法を使ってくれた。
なんのかんの言って彼は私に甘いのだ。
「ライニゲンダー・シャワー!」
クヴェルたんが呪文を唱えると、爽やかな風が巻き起こり私の体を包み込んだ。
風が消えた後、爽快感とともにミントの香りが残る。
彼の使う呪文は、体も服も布団もきれいにしてくれるのだ。
三年前、私に付いていた唯一のメイドが旅の画家に嫁いだ。
その一か月後、私は王立学園に入学した。
私のことを嫌っている父や継母が、新しいメイドを雇ってくれるはずもなく……。
私は家の掃除、洗濯、食事の支度に加え、学園での勉強と王太子と自分の二人分の宿題、お城での王太子教育と王太子の仕事と王太子の婚約者としての仕事と竜神の像の掃除……それらを一人でこなすことになった。
私のプライベートな時間はゼロ。
睡眠時間を削ってなんとか頑張っていたんだけど……。
体は思った以上に負荷がかかっていたみたいで……。
学園に入学した二ヶ月後の六月、私は倒れてしまった。
私が公爵家の離れで熱にうなされていても、誰もご飯も届けてくれないし、医者も呼んでくれない。
水を汲みに行く力もなく、このまま一人寂しく死んでいくのかもと思った。
そんな縁起でもないことを考えた時、おでこに冷たいものが触れた。
意識が朦朧とする中で目を開けると、水色のトカゲが私の頭に濡れたタオルを乗せていた。
トカゲはレモンの香りがするハチミツ入りの甘い飲み物や、みずみずしいフルーツを持ってきて食べさせてくれた。
きっと熱でうなされておかしな夢を見てるんだ……その時はそう思った。
でもそれは現実で、私の熱が下がってからもトカゲはずっと私の側にいてくれた。
クヴェルは最初トカゲの姿を保っていて、私が話しかけても一言も喋らなかった。
それでも、彼がただのトカゲでないことはわかった。
トカゲが家に来てから、私の生活は一変した。
家に帰ると部屋の中は綺麗に掃除されていて、食事の用意はされていて、服は綺麗に洗濯されアイロンがかかっていた。
私が学園に行ってる間に、本邸のメイドがやってくれたとは思えない。
私はトカゲがやってくれたんだと確信し、トカゲの姿のクヴェルにずっと話しかけていた。
根気強くトカゲに話しかけること一カ月。
根負けしたのか、トカゲは人間の言葉を話してくれた。
彼は「クヴェル」という名前があることを教えてくれた。
クヴェルはトカゲの姿では私の世話をするのは大変だったらしい。
さらに一カ月後、ショタ美少年の姿に変身した。
儚げなショタ美少年の登場に、私が狂喜乱舞したのは言うまでもない。
こんな生活を送っていると、癒やしと潤いが必要なのよ。
彼は私にその両方を与えてくれた。
それからはクヴェルは、私の世話を焼く時は人間の姿に化けるようになった。
学園での勉強と王太子の婚約者としての厳しい教育。
二つを両立できたのは、彼のおかげだと言っても過言ではない。
「わ〜〜い!
服も髪も肌もピカピカ!
ありがとうクヴェルたん!」
クヴェルたんを抱きしめると、彼は「しょうがないな」と言って苦笑いを浮かべた。
「着替えもクヴェルたんがやって!
あとご飯も『はいあーーん』で食べさせて」
「君は赤ん坊なのかい?」
「お外で三人分ぐらい働いたもん!
今だけ赤ちゃんになる〜〜!」
「やれやれ、仕方ないなぁ」
そう言って彼は私の着替えを手伝ってくれた。
優秀な執事? の彼のおかげで、私はすっかり家の中ではダメ人間と化している。
「すっかり僕に頼りきりだよね。
僕がいなくなったらどうするつもり?」
私がパジャマに着替え終えると、彼は心配そうに眉根を下げた。
「クヴェルたんのいない生活なんて考えられないよ〜〜!
王太子と結婚しても王宮に連れて行く〜〜!」
卒業したら学園での勉強と、生徒会の仕事から解放される。
ちなみに私は生徒会に入っていない。
生徒会長をしている王太子に仕事を押し付けられているのだ。
ちなみに副会長は異母妹のイルゼだ。
二人分の仕事を押し付けられ、手柄は奴らのもの。
押し付けられた書類の束で、奴らのほっぺたを叩いてやろうかと思ったことは一度や二度ではない。
生徒会の仕事と学園の勉強から開放されるのは嬉しい。
だけど卒業したらあの浮気者のポンコツ王太子と結婚しなくちゃならないんだよね。
それは嫌だな〜〜。
「既婚者の世話まではちょっとね。
君と王太子との婚約が破談になるなら話は別だけど。
こんなことになるなら、……年前にあんな契約結ばなきゃよかったな」
クヴェルたんが小声でボソボソと呟いている。
「クヴェルたんどうかしたの?」
「ううんなんでもない。
それより今日の夕食は子牛のフィレソテー、
デザートはレモンドリズルケーキだよ」
「わーー!
どっちも私の大好物!!」
クヴェルたんがどこからご飯を調達しているのかは、考えないようにしている。
「明日は卒業式だから本邸のディナーはだいぶ豪華だったようだね。
まあ少しぐらい量が減ってたってバレないよね」
聞こえない。聞こえない。私は何も聞いてない。
かつて私の専属メイドをしていたオリガ。彼女も私に尽くしてくれた。
それでもメイドのできる事には限界があった。
公爵家の厄介者である私のために、父や継母が豪華な食材を提供するはずもなく……。
離れで暮らすようになってからの夕食は、硬いパンと具のないスープとサラダだった。
王宮に呼ばれた時「今しか美味しいものは食べられない!」と、お肉やお菓子をがっついていたら、王太子が不機嫌そうな顔で私を睨んでいたっけ。
クヴェルたんが鼻歌混じりに、子牛のフィレソテーを一口サイズに切っていく。
「アデリナ、はいあーーん」
「あーーん」
大きな口を開け、差し出されたお肉にかぶりつく。
お肉は柔らかくて、肉汁がたっぷりで、口の中でとろけるような舌触りだった。
「ん〜〜! 絶品!」
「そう、よかった。
本邸のキッチンからくすねてきた甲斐があるよ」
聞こえな〜〜い。料理の出どころなんて私は知らな〜〜い。
クヴェルにご飯を食べさせてもらったあと、歯磨きがめんどくさいからまたライニゲンダー・シャワーの魔法をかけてもらって、ベッドに入った。
トカゲの姿に戻ったクヴェルたんが私の枕元にやってきて、体を丸めた。
クヴェルたんはトカゲの姿でも愛おしい。
「アデリナ、明日の卒業式に本当に制服で参加するつもりなの?
なんなら今から僕がドレスを作ってあげようか?
イルゼの部屋に忍び込んで、端切れをちょちょいといただいてくればドレスぐらい作れるよ?
原型を止めないようにするから、どこから持ってきた材料かなんて誰にも気づかせないしね」
クヴェルたんはそう言ってくれたけど、明日の朝妹のドレスが悲惨なことになっていそうな気がして、私は彼の要求を断った。
元々端切れだったものでドレスを作るならいい。
だけどクヴェルたんの場合、妹のドレスを切り刻んで端切れにしそうなんだよね。
「クヴェルたん、心配しないで。
私なら大丈夫だよ。
例年、平民の子は制服でパーティに参加するんだよ。
だから私が制服で参加しても、そんなに目立たないはずだよ」
学園には平民の生徒もいる。
彼らはドレスが買えないので制服でパーティに参加する。
彼らの中に紛れてしまえば、制服で参加してもそんなに目立たないはずだ。
「明日も早いしもう寝よう」
私は明かりを消し、布団を被った。
クヴェルが来てから清潔な寝具で寝られるようになった。
清潔な服、清潔な寝具、清潔な身体、これらを維持できることがどれだけ幸せなことか私は知っている。
私の為に尽くしてくれるクヴェルたんには感謝しかない。
「お休みアデリナ」
トカゲの姿のまま、クヴェルは私の頭にそっとキスを落とした。
正直、彼が何者なのか気にならないと言ったら嘘になる。
人語を話せて、人間に変身できるトカゲなんて珍しいというレベルを超えている。
きっと彼は王族に変わって水竜の像を磨いている私を、可哀想に思って水竜様が私に遣わされてくれたに違いない。
クヴェルたんが水竜様の使者だとしたら、彼が不思議な力を使えることにも、私の元に来てくれた事にも説明がつく。
私は水竜様の像を瞼の裏に思い浮かべた。
約一メートルほどの台座の上に翼を畳んだ水竜の像が鎮座していた。
水竜様の像の高さも一メートル、台座と合わせると二メートルほどの高さになる。
建国に携わった守り神の像にしては小さい。
建国前、この地は荒野だった。
材料不足や職人の力量不足で、大きな像を作れなかったのだろう。
台座には水竜様の名前らしき文字が刻まれているが、頭文字の「Q」以外は掠れてしまって読めない。
長い歴史の中には建国の神話を疑い、水竜様への信仰心を持たない王もいた。
そんな王によって水竜様がこの国の建国に関わった書物は燃やされた。
現在も残っているのは城に鎮座する水竜様の像と、口づてに伝わった建国の歴史と、三日に一度国王か王太子が像を磨くという風習だけだ。
その風習も消えかけている。
現在の国王も王太子も、水竜様の像を一度も磨いたことがない。
それでもこの国は変わらずに緑豊かだ。
水竜様はもうこの国にはいないのかもしれない。
三百年前、荒野だったこの地が緑豊かな土地に変わったのは、気候の変動によるものなのかもしれない。
ああ……駄目だ。
難しいことを考えるには疲れすぎている。
もう寝よう。
明日は卒業式と卒業パーティーだ。
学園に通わなくて良くなる分、これからは生活に余裕ができるといいなぁ。
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