16話「事件の真相。搾取されないためには、しっかりと報酬をもらうことが大切です」
「みんな、事件はまだ終わってない!
誰が俺達の料理に毒を盛ったか判明していないんだからな!」
ホッとしたのもつかの間、お客さんの一人が犯人探しを始めた。
「俺達を助けてくれた魔法使いの少年は、水に毒が混入したと言っていたぞ!」
「倒れたのは一人、二人じゃない! 毒を入れられる人間は限られている!」
全員の視線がマルタさんに注がれる。
「わ、私を疑っているのかい?
じょ、冗談じゃない!
私はいつも通りに料理をして、客に提供しただけだよ!」
気丈に振る舞っているが、マルタさんの体は震えていた。
無理もない。私達以外の全員から疑われているのだから。
「じゃあ、誰が食事に毒を入れたって言うんだよ!」
「女将が犯人なのはわかっているんだ! 白状しろ!」
宿泊客がマルタさんに詰め寄る。どうしよう!? みんな殺気立っている……!
止めなくちゃ!
「待ってください!
まだマルタさんが犯人と決まったわけではありません!」
私はマルタさんとお客さんの間に割って入り、マルタさんを庇うように彼女の前に立った。
「お姉さんとそこにいる少年は俺達の命の恩人だ。
だからこんなことは言いたくはないが、
女将が犯人じゃないなら誰が犯人だって言うんだね?」
私が止めに入ったことで、お客さん達は少しだけ冷静になったようだ。
「それは……」
「女将さんは犯人じゃないよ」
「クヴェルたん……!」
窮地の私を救ってくれたのはクヴェルだった。
クヴェルが私を庇うように私の前に立つと、宿泊客をにらみつけた。
「少年、俺達だって恩人の言葉を信じたい。
だがこの状況では、犯人は宿の女将以外に考えられないんだ。
それとも少年は、真犯人を知っているのとでも言うのかい?」
お客さん達は疑惑の視線をマルタさんに向けた。マルタさんは顔中に冷や汗をかいていた。
「もちろん、真犯人はわかっているよ」
「本当か! 少年!?」
「それは誰なんだ?」
「まさか、宿泊客の中に真犯人がいるのか?」
食堂内がざわついた。疑心暗鬼にかかっているようで、宿泊客達は自分以外の人間を疑わしそうに睨んでいた。
「この中に犯人はいないよ」
クヴェルたんの言葉にマルタさんはホッとしたように息を吐いた。お客さん達も自分達の疑いが晴れ、安堵の表情を浮かべていた。
「というより……この件に犯人はいない」
クヴェルの言葉にその場にいる全員が、眉根を寄せ首を傾げた。
「元凶はいるけど……人じゃないし。
そのことを……今ここで話したらパニックになる」
クヴェルたんが小さな声で呟いた。多分、彼の側にいた私以外には聞こえなかったと思う。
「井戸水が汚染されていたんだ。
それを飲んだ人達が倒れたんだよ」
クヴェルたんの言葉に全員が息を飲んだ。
「井戸水に毒が……?
誰かが井戸水に毒を入れたのか……?」
「外部犯ってことか?」
宿泊客が険しい表情でクヴェルに尋ねた。
「違うよ。
地下水が汚染され、その影響が井戸水にも現れたんだ」
なるほど、そういうことだったのね。
私はクヴェルが言った、『水に毒が入っていた』と『水が汚染された』の違いをようやく理解した。
確かに、それならこの件に犯人はいないわ。
でも、クヴェルは元凶はいるって言ってた。
この件は、北の湿原に出現したモンスターと何か関わりがあるのかしら?
「だが、水を飲んでも倒れた人間と倒れなかった人間がいる。
その違いはなんだ」
「僕の推測だけど、井戸水は数日かけて少しずつ汚染されていった。
宿の客は食事を通じて少しずつ体内に毒を取り込んでいたんだ。
今日の食事で体内への蓄積量が限界値を超えたんだろうね。
倒れた客はここに長く滞在しているんじゃないの?
それか、普段からこまめに水を摂取していたとか」
倒れたお客さん達は、クヴェルたんの言葉に思い当たる節があったらしい。
「俺は二週間前からこの宿に滞在している」
「俺は先週からここにいる。汗っかきだから、水は多めに摂取していた」
「僕は十日ほど前からこの宿に滞在している。
スープをおかわりして飲んでいた」
クヴェルの推測通り、倒れた人達はこの街に長く滞在していて人より多くの水を摂取していたようだ。
「女将さん、疑って悪かった……」
「まさか井戸水が汚染されていたとは夢にも思わず」
宿泊客がマルタさんに向かって頭を下げた。
「いいってことさ。
私もここ数日、お客さんへの態度が悪かったしね。
疑われる遠因を作ってしまった」
マルタさんも自分の態度の悪さが疑われる遠因を作ったと思っているようで、今までの態度を反省していた。
「これで一件落着だね」
クヴェルたんが、そう告げたとき……。
「ちょっと待っておくれ!
井戸水が汚染されたってことは、もう宿の中庭にある井戸は使えないのかい!?」
マルタさんがクヴェルに尋ねた。彼女の顔は真っ青だった。
井戸水が汚染されたら、食事は作れない。つまり宿の営業ができない。
女将さんにとっては死活問題だ。
クヴェルは自分のテーブルに戻ると、グラスに注がれた水を一口飲んで顔を顰めた。
「この宿の井戸水はかなり汚染されている。
おそらくここ数日で急激に汚染が進んだんだろう。
これだけ大勢の人間が倒れたんだ。
もう井戸の水は飲まない方がいい」
というかクヴェルたんは汚染された水を飲んでも平気なのかしら?
こっそり「クリアポイズン」の魔法を自分にかけているのかな?
私が今まで平気だったのも、クヴェルたんがこっそり解毒していてくれたからなのかな?
「いや、それよりも全員ここから離れた方が……」
クヴェルたんがボソボソと呟いている。クヴェルは険しい表情で何かを考えているようだった。
「困るよ!
井戸水が使えないんじゃ宿を営業できない!」
マルタさんが、苦悩の表情で瞳に涙を浮かべる。
「俺達も泊まる場所がなくなってしまう!」
「街道の封鎖でどこの宿もいっぱいだぞ!」
「これからどうすればいいんだ!?」
客達が再び騒ぎ出した。全員が憂いと困惑が混じったような表情をしていた。
「クヴェルたん、みんな困ってるみたい。
なんとかできない?」
「なんとか出来なくもないけど……。
面倒なことになりそうだから、気乗りはしないな……」
クヴェルは表情を曇らせ、短く息を吐いた。
クヴェルはこの国に来たときから、この国に長く滞在するのを嫌がっていた。
きっと彼はこの国の異変にいち早く気づき、被害を受ける前に北の港から他の大陸へ移動しようと考えていたんだ。
彼がそんな行動をとるのは、きっと……私の為だ。
クヴェルは私を危険な事に巻き込みたくないんだ。
クヴェルの気遣いはとても嬉しい。
だけど私は……この国の人が困ってるのを知った以上、見捨てるなんてできないよ。
「クヴェルたん、
私はこの宿の人達を……ううん、この国の人達を助けたいの?
協力してくれる?」
ずるいお願いだと思う。
クヴェルが私に甘いのを知っていて、そこに付け込むようなやり方をするなんて……。
クヴェルは暫く沈黙していた。やがて覚悟を決めたように彼が口を開いた。
「はぁ……。
アデリナならそう言うと思った……」
クヴェルはやや疲れた表情でそう呟いた。
「それじゃあ、宿の人達を助けるのに協力してくれるの?」
「アデリナをがっかりさせたくないからね。
ただし、僕のやり方でやるから口出しはしないで」
「うん、それで十分だよ!
クヴェル、ありがとう!!」
クヴェルの首元に抱きつくと、彼は少しだけ頬を染めていた。
「マルタさん!
クヴェルなら井戸水の汚染をなんとかできるかもしれません!」
「ええっ! それは本当かい!」
マルタさんが目をきらきらさせ、クヴェルたんを見つめる。
他のお客さんも期待の籠もった目でクヴェルを見つめる。
「井戸水を浄化してもいいよ。
ただし報酬はきっちりいただくよ。
いくら出せる?
僕はただ働きはしない主義なんだ」
クヴェルたんの発した言葉にその場の空気が凍りついた。
「クヴェルたん……!?」
私は膝を曲げてクヴェルに視線を合わせた。
クヴェルのやり方に口出ししないとは言ったけど、困ってる人からお金を巻き上げるようなやり方をするなんて……。
「みんな困っているんだよ。
無償で助けてあげようよ」
クヴェルに耳打ちすると、彼は怪訝そうに眉を顰めた。
「あのね、アデリナ。
人って欲張りな生き物なんだよ。
一度無料で助けたら、次も、その次も……って要求してくる。
次第に要求はエスカレートし、頼ってくる人間の数も増える。
そうなったら最後、死ぬまで搾取されるよ。
それでもいいの?」
「うっ……それは」
トリヴァイン王国にいたとき、王太子に良いように利用され、ただ働きさせられ、手柄だけを奪われた。
私の背筋に冷たい汗が伝って体がブルリと震える。もう、あんな経験はしたくない……!
「僕はね、アデリナにそんな人生を歩んでほしくないんだ。
だからここは心を鬼にして報酬を得ないと」
「…………」
私は反論できなかった。クヴェルたんの言っていることは正しい。
トリヴァイン王国にいるとき、私は嫌というほど王太子や妹やその取り巻きに搾取された。
旅に出た時、新しい人生が始まったと思った。
「もう搾取される人生なんてゴメンだ。幸せになるんだ」って強く思った。
それなのに、旅に出ても同じ過ちを繰り返そうとしている。
思い返せば、王太子の要求も最初は些細なことだった。
私が文句も言わず、無償で引き受けているから、彼の要求はエスカレートしたのだ。
同じ過ちを繰り返すのは嫌だ。
それに今回搾取されるのは私だけではない。クヴェルたんもされるのだ。
彼に苦しい思いをさせたくない。
ここは、毅然とした態度で交渉に臨まないと!
私は女将さんの顔を真っ直ぐに見据えた。
「マルタさん、いくらかでも出せませんか?
お金じゃなくて物でも構いませんから!」
「ええと……宿の売上と、母の形見のブローチと、それから……」
マルタさんは、お金になりそうなものがないか思案していた。
「俺達もいくらか支払おうぜ!」
「そうだな! 井戸水が使えないと俺達も困るからな!」
「おい、いくら出せる!」
宿泊客も協力してくれるようだ。
これなら、クヴェルたんへの報酬になるかもしれない。
「あのね、報酬は別にお金じゃなくてもいいよ」
その場にいた全員の視線がクヴェルに向いた。
「宿の宿泊費を一カ月分無料にして。
それから食事も付けて。
朝晩の食事のどちらかに、ビーフシチューか、ハーブのサンドイッチか、じゃがいものポタージュか、スモークハムといちじくのトーストか、パフペイストリーのパイか、仔羊のフィレソテーか、グリルドチキンか、アップルパイか、フルーツのコンポートか、レモンドリズルケーキのどれか一品をつけて。
まぁ、食事についてはこの街の流通が元通りに戻ってからで構わないけど」
クヴェルは北の街道の封鎖が解かれたら、多分すぐに港に向かうと思う。
だから食事に関する願いは、叶えなくても良い願いなのだ。
この国が抱えている問題次第だけど、おそらくクヴェルはこの国に一カ月も滞在するつもりはない。
だから、女将さんがクヴェルに支払う報酬は、クヴェルが提示した物より、実際はもっと安いのだ。
「宿泊客からの報酬は……。
青い髪のお兄さんは薪割り、
筋肉質のお兄さんは水くみ、
茶髪のお兄さんは料理の下ごしらえ、
黒髪のお兄さんと長身のお兄さんは掃除……」
クヴェルは宿泊客たちに仕事を割り振っていく。
「女将さんは宿と食事の提供、宿泊客は労働で対価を支払ってくれればいいよ」
クヴェルの言葉に、マルタさんも宿泊客も安堵の表情を浮かべていた。
「もちろんさ!
その条件を呑むよ!
それで井戸水が使えるなら安いもんさ!」
マルタさんは笑顔で条件を呑んでくれた。
「俺達もだ!
これで安全な水が飲めるならいくらでも働くぜ!」
「力には自信があるんだ! 薪割りは任せておけ!」
「僕もじゃがいもの皮むきぐらいならできます!」
宿泊客も快く引き受けてくれるみたいだ。
「クヴェルたん、いいの?
大分破格のお値段だけど」
私は小声でクヴェルに問いかけた。
「大事なのは彼らの依頼を受ける代わりに、彼らに報酬を支払わせたという事実だからね」
なるほど。
クヴェルたんはなんのかんの言って優しい。
「クヴェルたん、大好き」
「アデリナ……?
今なんて言ったの?」
「ううん、何でもないよ」
私の囁きはクヴェルには届かなかったみたいだ。
優しいクヴェルたんが大好きだよ。
以前は、子供のクヴェルには「好き」って簡単に言えたのに……今は伝えるのを照れ臭く思う。
この気持ちの変化はいったい……?
私、どうしちゃったんだろう?