結婚の真相を求めて(2/2)
……でも、まだ一つ気になることがあるわ。
「サブリナは馬車にひかれてケガしたんでしょう? わたしは何にもしてないわ」
「ええ、そうよ」
お母様は慎重に言った。
「その通りよ。あなたは何もしていないの。だから、気に病まないで。サブリナもそんなことは望まないわ」
「……お母様、何を隠してるの?」
名探偵じゃなくても、お母様がわたしに話したくない秘密を持っているのはすぐに分かった。
「ちゃんと話して。じゃないと、わたし、いつまでもここに居座るわよ!」
「あら、まあまあ……」
お母様は頬に手を当てた。
「何も覚えていないのなら、その方がいい気もするけれど……」
「ダメ。話して」
「……あなた、そんなに頑固だったかしら?」
お母様は諦めのこもった口調になっていた。
「五年前……あなたとサブリナは馬車にひかれそうになった。でも、あなたは無事だった。サブリナがとっさにあなたを突き飛ばしたの。だけどあの子は……」
わたしは口元に手を当てる。
そんな。まさか……。
あの事故のことはわたしも覚えていた。でも、わたしが無傷でサブリナだけ重症を負ったのは、単にわたしの運がいいからだと思っていたのである。
けれど、真実は違った。わたしはサブリナに助けられた。でも、その代わりに妹は二度と歩けない体になってしまったのだ。
「あれ、お姉様、来てたの?」
背後から声がする。客間にサブリナが入ってくるところだった。どうやら散歩から戻ってきたらしい。
「マルグリットさん! お久しぶりです!」
サブリナの車椅子を押していた青年が、明るい声で挨拶してきた。……うちにこんな使用人、いたっけ?
「……マルグリットさん?」
わたしが怪訝な顔をしていたからなのか、青年が不思議そうな表情になる。サブリナは「もう、だから言ったでしょう」と青年を優しくたしなめた。
「お姉様は記憶がないの。あなたのことも忘れてるのよ」
「ああ、そうか……」
青年はうっかりしていたとでも言いたげな顔になった。礼儀正しく背筋を伸ばす。
「ええと……初めまして、マルグリットさん。僕はサブリナさんと婚約させていただいております……」
「サブリナと婚約!?」
わたしは仰天して、青年の話を終わりまで聞くことができなかった。
「サブリナ、婚約者なんていたの!? ……こちらこそ初めまして! わたしはマルグリット・ドゥ・ロワイヤル……って知ってますよね。えっと……ふつつか者ですが、よろしくお願いします!」
「誰がふつつか者よ」
サブリナは呆れ顔だ。青年に、「もういいから下がって」と言う。
「お姉様はちょっと混乱してるみたい。挨拶の場は、また改めて設けましょう」
「そうだね。……では、マルグリットさん。僕はこれで……」
青年が去っていく。わたしはぼんやりとしていた。
「そんなに驚くことないでしょう」
サブリナは自分で車椅子を操作してこちらに近づいてきた。
「あたしにだって、将来を誓った相手の一人や二人くらいいるわよ」
「でも、サブリナはフローランさんと婚約するはずで、だけどわたしがそれを台無しにして、と思ったら勘違いで……」
サブリナの言う通り、わたしはすっかり混乱していた。この短時間に様々なことが起きてしまい、気持ちの整理ができていなかったのだ。
「そんなことより、どうしたの、お姉様」
サブリナが首を傾げる。
「今日は何の用なの?」
「あ、あのね……」
「いいえ、何でもないのよ」
お母様が素早く会話に割り込んできた。
「マルグリットはちょっと実家が恋しくなって里帰りしてきただけ。でも、もう帰るそうよ。だから……」
「サブリナが歩けなくなったのはわたしのせいって本当?」
強制退場させられる前に、わたしは声を上げる。お母様の表情が強ばった。
「マルグリット、それは違うわ。私の話を聞いていなかったの? あなたは何も気にすることなんか……」
「お母様、わたしはサブリナと話してるのよ」
妹に視線を遣る。色んなことがあってパニックになっていたけど、ここへ来た目的だけはきちんと果たそうと思っていた。
「ねえ、答えて、サブリナ。あなたはわたしを庇ってケガをしたの?」
「……お姉様、記憶が戻ったの?」
その答えが全てを物語っていた。やっぱりサブリナは、わたしが原因でこんな体になってしまったんだ。
「……違うわ。お母様が教えてくれたの。五年前、わたしのせいでサブリナは……」
「それで、また落ち込んじゃったってわけね」
サブリナは困ったものだとでも言いたげな顔になる。お母様に「ちょっとお姉様と二人だけで話させて」と言った。
お母様が不安そうな表情をしつつも退場していく。
「あのね、五年前から言い続けてるけど、あたしのケガはお姉様のせいじゃないの。あれは不幸な事故だったのよ」
二人だけになると、サブリナは断固とした口調でそう言った。だけど、わたしの心は慰められない。
「……そりゃあね、大変なこともあったわよ」
姉の表情が晴れないのに気付いたのか、サブリナが仕方なさそうに認めた。
「今まで当たり前にできてたことができなくなっちゃったんだもの。もどかしくて情けなくて、一時期はすごく荒れてたわ」
サブリナは元々活動的な性格だ。それなのに体の自由を奪われるなんて、苦痛以外の何物でもなかっただろう。
わたしみたいな内向的な性格であっても、車椅子生活になったとしたら相当気が滅入るに違いないんだから、妹の苦悩は察するに余りある。
「あたしが癇癪を起こす度に、周りから人がいなくなっていった。最初は事故のことで同情してくれてた人たちも、こんなワガママ娘には付き合えないって愛想を尽かしてしまったの。でもね……たった一人だけ、あたしがどんなに辛く当たっても傍にいてくれた人がいた。それがさっきの彼よ」
サブリナの目元が和らぐ。彼女とは十六年の付き合いになるけど、こんな顔は初めて見た。恋する乙女の表情。サブリナは本当にあの人のことが好きなんだ。
「彼は、元々あたしの世話をするために雇われたの。一応貴族だけど、あたしたちと比べたらぐっと格が落ちるような家の出よ。普通だったら、お父様もお母様もあたしたちの婚約なんて絶対に認めなかったわ。でもね、思ったよりも簡単にお許しが出たの。分かるでしょう? こんな体になっちゃったあたしに、お父様たちはもう何の期待もしてないのよ」
「それは違うわ!」
わたしは即座に反論した。
「サブリナはとても大切に思われてるわよ! お父様もお母様もきっと、婚約破棄の一件で思い知ったのよ! 身分が高い人が、必ずしも娘を幸せにするわけじゃない、って! わたしの元婚約者を見てみなさいよ! 最低の男じゃない!」
「……ふふ、そうね」
サブリナはちょっぴりおかしそうに笑った。
「心配しないで、お姉様。あたし、お父様たちにどう思われてたっていいのよ。大事なのはあの人がこれからも一緒にいてくれることだけ。あたしをひいた馬車に感謝したっていいくらいだわ。人を愛し、愛されるのがどんなに素晴らしいことなのか理解できたから」
「サブリナ……」
この子はわたしを慰めようと嘘を吐いているんじゃない。運命の人と出会えたことを、心の底から喜んでいるんだ。
確かにサブリナの身に起きたことは悲劇そのものだった。でも、彼女は悲劇を悲劇で終わらせなかった。降りかかった不幸を逆に利用して、幸福を手に入れたんだ。
「だから、あたしがお姉様を憎むわけないでしょう? あたしはお姉様が大切なの。大好きなのよ。お姉様を守れたことはあたしの自慢だわ。それに、今ではあたし、ちゃんと理解できるようになったのよ。足が動かなくたって、あたしはいくらでも幸せになれるってことをね」
背筋をしゃんと伸ばして車椅子に座るサブリナは、誇り高く堂々として見えた。思わず胸を打たれるほどの神々しさ。わたしはヨロヨロと前に進み出た。
「サブリナぁ~!」
わたしは妹のお腹に顔を埋めて、泣き声を上げた。
「こんなに立派になってぇ! お姉様は嬉しいわっ!」
「……気のせいかしら。こんな風にお姉様に泣きつかれたこと、つい最近もあったような……」
「サブリナ、もう一回言って! わたしのこと、大好きって言って!」
「大好き、お姉様」
「わたしもサブリナが大好きよ!」
妹に髪を撫でてもらいながら、わたしはしゃくり上げる。なんていい子なの! 姉の顔が見てみたいわ!
「お姉様、よくそんな風におねだりするの?」
サブリナがわたしの顔にかかった髪を横に撫でつけながら、茶化すような声で尋ねてくる。わたしはうっとりとした気分で「何が?」と尋ねた。
「だから、フローランさんに甘えたりするの? って聞いてるのよ。さっき、あたしに『大好きって言って』って頼んだみたいに」
「ええと……」
つい数時間前のことを思い出し、表情が緩んでしまう。ぐふふ、と蛮族みたいな笑い声が出た。
「わたしね……フローランさんにあげちゃったの! 『素敵なもの』!」
「……何、それ?」
「何って……や、やだ! 言わせないでよ! 恥ずかしい!」
くねくねと身をよじる。何事か察したのか、サブリナは意地悪そうな顔になって「教えなさいよ!」とわたしの頭を小突いた。
……ああ、わたし、やっぱりサブリナが大好き!
五年前も、わたしはサブリナとどの男性が格好いいかとか、そんな浮ついた話題でよく盛り上がっていたんだ。
こんな風に過ごしていると、妹との間には本当に何のわだかまりもなかったのだと実感できた。わたしはサブリナが大好き。そして、サブリナもわたしが大好き。五年前も今も、それは変わらない。
「やっぱり仲のいい夫婦ねえ、お姉様たちは」
サブリナの口調には憧れがこもっていた。
「本に出てくるヒーローに恋するならいざ知らず、お姉様が生身の人間に心を奪われるなんて、五年前のあたしに言っても信じなかったでしょうね」
サブリナの目を通しても、わたしは夫を愛しているように見えたんだ。
フローランさんの部屋で見つけた、おぞましい手紙を思い出す。
やっぱりあの手紙は嘘だらけだ。わたしはフローランさんが好きだった。それなのに何であんなことを書いちゃったのか分からないけど、きっと何か悲しい行き違いがあったんだろう。
たとえば、ちょっとしたことで夫婦喧嘩をして、思わず家を飛び出してしまったとか。
……うん、そうだ。きっとそうに違いない。わたしは思い込みが激しいってよく言われるんだもの。悲劇のヒロインになりきって、衝動的に船に飛び乗ったんだわ!
そんな風に考えると、ずっと気持ちが楽になった。サブリナの軽口を混ぜ返すだけの余裕も生まれてくる。
「それを言うなら、サブリナが誰かにメロメロになっちゃてるなんて、昔のわたしは想像もしなかったわよ」
妹に向かって微笑んだ。
「幸せになってね、サブリナ」
「もちろんよ、お姉様」
妹はもう一度わたしの頭を撫でた。
「お姉様、やっと戻ってきてくれたのね」
「え?」
「……ううん、何でもないの。ただ、今のお姉様はとっても素敵ってことよ。大好きな婚約者と大好きなお姉様がいるあたしは、本当に幸せ者ね」
サブリナは屈託なく笑う。わたしの胸の中にも満ち足りた気持ちが広がっていった。
それからしばらくして、わたしはコペル家を後にする。
足取りは軽く、気分は爽快。
ここへやって来た時の不安な気持ちなんて、欠片も残っていなかった。




