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91 剣聖登場


 日没と共に、城の最も高い塔で鐘が鳴る。


 普段ならばその日の営みの終わりを告げるだけの音だったが、この日は、とてつもないことの始まりを告げる音だった。


 広場の大群衆がざわめいた。


 刑吏(けいり)が、柱にしがみついた奴隷少女に、目隠しをした。


 いよいよだ。

 始まる。

 あの小さな背中に、鞭が振るわれ、血がしぶく。

 万を余裕で超える、()()の目つきがそこに集まる。


 どよめきが湧いた。


 鞭を持った者が現れたのだ。


 残忍さを全身から発散しているような、いかつい処刑人――では()()()()


「おおおおおおおおおっ!」


 群衆の、男たちがいっせいに歓声をあげた。


 女だった。


 色の濃い肌。

 首輪をつけている。奴隷だ。

 だがその首輪は血の色を思わせる真紅。妖しい色合いは周囲の者の視線を強く引きつける。


 顔には仮面をつけているが、口元は隠しておらず、肌の色と対称的に明るく塗られている肉感的な唇が、遠目にもはっきりわかる。

 カールした美しい髪と、その上に乗せられた帽子。


 身につけているものは光沢ある革の装束。

 だが体をほとんど隠していない。隠しているところも肌にぴったりしているので豊かなふくらみも腰のくびれも丸見え同然。

 尻はきゅっと引き締まって高い。ふとももがほとんどつけ根まで露出している。

 布地は少ないが、装飾具は多い。悩ましいボディの到る所で鋭い光がきらきらする。


 歓楽街、ラーバイの開門時に登場する女性を、ある年齢以上の男性はみな想像した。


 女は、その手に真っ白な鞭を手にしていた。

 色の濃い肌、黒光りする衣装の女が持つと、所在や動きがよくわかる。観客を意識しての色合い。


 そしてその純白の鞭を、これから赤く染めるという狙いも、誰もが理解した。


 女は観客に見えるように頭上でそれを大きく構えてから――(わき)をはじめ魅惑的な肢体を見せつける姿勢でもある――振るった。


 バヂッ!


 床で、激しい音が鳴った。


 群衆がものすごい声をあげた。


「…………下品な」


 貴賓席で、騎士の中の騎士が顔をしかめたが、大半の貴族は目尻を()()()()()いる。例外は女性と、奴隷少女にしか興味のない侯爵三男だけだ。


 タランドン侯爵は、ちらりとは見たがそれだけで、視線はずっと、縛られた奴隷少女に向いたまま。


「………………」


 官能的な処刑人の登場に、侯爵次男はしばらく言葉を失っていた。


 謹厳実直、お堅いことで知られる人物である。女のきわどすぎる衣装に動揺したとしても何の不思議もない。


「……聞いていたのと違うぞ」

 かたわらの部下にささやいたが、その部下も困惑していた。本来ならここで登場するのは、この手の刑罰を担当する獄吏(ごくり)、筋骨隆々とした男のはずだったのだ。


 しかしこうも盛り上げられては、進めるより他にない。


「さあ! フィン・シャンドレン! 現れよ! さもなくば!」


 気を取り直し張り上げた次男の声に合わせて、女がまた白い鞭を鳴らす。


 広場の群衆は、舞台の上を見つつ、周囲にも視線をはしらせる。

 その人物が、この広場のどこかから登場するかもしれない。

 声をあげるかもしれない。

 噂の、美貌の剣士が。


「この声が聞こえぬか!」


 拡声の魔法を使う魔導師が、身をかがめたまま、奴隷少女に近づいていった。


「ひっ…………ひぃっ…………た、たすけて……ご主人さま……!」


 おびえる幼い声が、最大限に増幅されて場に流れた。


「聞いたか! 主を求める声に応じぬか! それでもこの子の持ち主か! それが諸国に聞こえし『剣聖』の振る舞いか!」


 煽ってから、彫像のように動きを止めて、出現を待ち――次男は両腕を大きく広げた。


「…………現れぬとあらば、仕方ない! この場におり我が声を聞いているのなら、自らの臆病を、このような幼い奴隷を見捨てる薄情を、主人に値しない怯懦(きょうだ)な己自身を、深く恥じ、今後は二度と『剣聖』などと名乗るでないぞ! ……やれ!」


 女が、白い鞭を頭上に構え――静止した。


 観客の視線がその官能的な姿に恐ろしいほど集中した、次の瞬間。


 バギッ!


 純白の閃光がはしり。

 激しい音が鳴った。


 丸木に縛りつけられた少女の――すぐ頭上で。


 木っ端が飛び散り、丸木が大きく裂け、そこから上がわずかだが傾いた。


 オオオオオオと、感嘆とも恐怖ともつかない声が群衆から湧き起こる。

 あれを浴びれば、華奢な女の子の肉体など、一撃で無残に潰されるだろう。

 それを恐れ、そして期待する声。視線。気配。


「ひぃぃぃぃぃっ!」


 裏返った奴隷少女の悲鳴が、これも増幅されて広場に響いた。


「つ、次は当てる! 本当に当てるぞ!」


 侯爵次男も知らなかった展開と威力のようで、声は若干うわずっている。


 使うのは、音だけは派手だが威力はほとんどない、威嚇用のもののはずだった。父たる侯爵本人からそう厳命された。

 本当に奴隷を使い物にならなくしては、呼び出したい主が見捨ててしまうからという理由も納得いくものだった。


 だがこれは、本物の威力、本当の殺意。

 一撃で少女の華奢な体が弾け飛ぶ。


 これも事前の話と違うが、もう止められる状況ではない。


 少女の、助けを求める声が何度も流れた。ご主人さま、助けてください、お願いしますという哀れな泣き声。

 タランドン侯爵が手で顔を覆った。


 女が再び鞭を構える。


 豊かな肢体を見せつけるポーズの中で、先ほどは真一文字だった唇が、深い、残虐な笑みを形作った。


 それが見える場所にいた者はみな、この女が次は本当に少女を打つ、あの威力をもって打ち据えると確信し、総毛立った。


 息をのみ、引きつるような音を漏らし、立ちつくし、見入り――。


「…………待てぇぇぇぃ!」


 鋭い声があがった。


 下から。


 広場から。


 群衆の間から。


 高い、女の声が。


「フィン・シャンドレン、お望み通り、ここに参上!」


 群衆が揺れ動いた。


 広場全体が大波となってうねり、阿鼻叫喚寸前となる。


 近くにいた人々がみな巻きこまれまいと距離をとったために円形の空間ができて――その中心に、ぼろ布の塊が出現していた。


 背の高い人物がその中にいるのだろう、布を巻き、頭からかぶった円錐形の姿。


 その奇怪な見た目に、違う意味でのどよめきが湧く。


 そのぼろぼろが、滑るように移動して、バルコニーに近づく。


 庶民街と違ってこちらは水の街ではなく、城と広場を隔てるのは鉄柵と空堀である。


 そこに近づきすぎることはせず、貴賓席から姿が見えるところで立ち止まった。


 群衆を蹴散らして、騎士、衛兵たちが殺到してくる。


 取り囲まれる。盾が並ぶ。四方八方から槍を向けられる。


「よくぞ出頭した! その心がけ、殊勝である! 大人しく縛につけぃ!」


「断る!」


 バッ、とぼろ布がはためきの音を立て――その中から、()()()()()()()()、美麗な、細く()()()()()剣の鞘が突き出た。


 日没直後のまだ明るい空を反射しキラキラと輝かせつつ、バルコニーの上、タランドン侯爵を指す。


「幼き者を盾に取り、女ひとりをおびき寄せるが、タランドンの誇りか!? これが度量ある者、勇敢なる者、高貴なる者のなさりようか!?」


 凜々しい声は、すばらしい響きを帯びて、群衆のざわめきを貫いた。


 しんとなっていた群衆が、激しい歓声を放った。


 そして今度は、剣先を水平にして、自分を囲む兵士を指して。


 体ごと、ぐるりとひとまわりした。


「女ひとりにこの人数! これを誇るが武門の栄誉か!?」


 まっすぐな細剣が、柄まで出てきた。


 人の目を引きつけるように、ぶんぶんと左右に振ってから、垂直に立てられる。

 柄を握る手は、声と同じく、まぎれもない女性の繊細なもの。


「むやみやたらに殺しはせぬが、人道外れし相手には 無限に振るわん聖なる(つるぎ)! 我が剣聖の名にかけて、忠誠捧げし姫のため、これより見せん、必殺の技!」


 朗々とした口上が終わると共に、群衆全体が大歓声を発した。


 声だけでなく地面も踏みつけ、ドッドッドッと異様な音が鳴り響く。


「おのれ、手向かいするか!?」

「仲間がいるかもしれん、油断するな!」


 衛兵たちが槍先の輪を縮めてくる。

 捕縛用の、(かぎ)棒や縄を持ち出す者もいる。


 バルコニーの上でも、侯爵たち貴人を守ろうと騎士たちが大盾をかまえる。

 魔導師たちも、防御魔法の準備をしている。


 ぼろぼろは、きらめく鞘を天に向けて掲げたまま動かない。


 しかし包囲の輪がある一線を越えた瞬間に、噂に聞く『剣聖』の恐るべき剣技が衆目にさらされることになるだろう。


 広場はうってかわって静まりかえり、恐ろしいほどの緊張に包まれる。

 兵士たちの誰かがゴクリと大きく喉を鳴らした音が聞こえた。


「あれは、偽者ですよ」

 バルコニーの上で、涼やかな声が流れた。


「あんなんだったら、誰もやられてないっす」

 白けた声がつぶやいた。


「みなさま方。私どもは本物の『剣聖』どのを見知っております。あれは囮です。役者でも使っているのでしょうね。芝居がかった動きで注意を引きつけ、本物がどこかから近づいてくるつもりなのでしょう。お気をつけを」


「偽者……だと?」


 侯爵次男が広場のぼろぼろに目をこらし、周囲を見回し――。


「だまれ! そのような手には引っかからぬぞ、偽者め! 『剣聖』本人よ、ただちに現れよ!」


 また大声を広場中に響かせた。


 女が、白い鞭を頭上で振り回し、魔物が鳴き叫ぶような異様な音を鳴らし始めた。


 その動きと音に場の注意は引きつけられ――囲まれている『剣聖』も、突き出した剣先を揺らし、そちらに向けた。


「やめろ! 私はちゃんと出てきたのだ! 約束を守れ、卑怯者!」


 慌てた高い声が飛ぶ。

 女の声というより、子供の声のように聞こえた。


「姿を見せない『剣聖』のせいですよ」


 バルコニーの上では、また涼やかな声が流れ――。


 侯爵次男の指示がないのに。


 殺気がふくれあがって。


 女が。


 鞭を。


「よせっ!」


 声は、貴賓(きひん)席から飛んだ。


 タランドン侯爵本人が立ち上がり。


 騎士の中の騎士、テランス・コロンブが少女をかばおうと飛び出した。


 すばらしく俊敏な動き、しかし最前列ではないところからでは間に合うはずもなく。




 バヂッ!


 奴隷少女の、背中が爆ぜた。



 布が裂け肉が弾け血が飛び散った。



「ア゛ーーーーーーーーーーーーーーッ!」



 絶叫が響いた。








 ――――次の瞬間。








「フィン・シャンドレン、見参」




 バルコニーの上に、低い声が流れた。







ついに現れた。だがカルナリアはまだ何もわかっていない。次回、第92話「罪人」。残酷な描写あり。

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