70 希望の吠え猿
「今のお前かい、火傷ちゃん?」
オティリーが、獲物を見つけた顔でこっちを見た。
「いっ、いえっ!」
否定した次の瞬間に、意志を裏切って、カルナリアのお腹がさらなる欲求を訴える。
「……もうしわけありません、私です……朝から、何も食べていないので……」
鞭打たれるのを覚悟した。
「なるほど。ババアが言ってた通り、大したタマだな。お前、名前は?」
知っているはずだが、記憶力が良くないのだろうか。
「ルナ……ですけど、こちらでは、カルナリア、と呼ばれることになるのでしょうか? どちらにすればよろしいのでしょう」
「…………はーっはっはっはっ!」
何が面白かったのか、オティリーはいきなり笑い出した。
そして、またいきなり顔つきを変えて、怖い目つきで他の三人の少女に向く。
「お前、名前は?」
「ヒッ……!」
平民の子は、おびえるばかりで答えない。
目が、オティリーの手の鞭から離れない。それが振るわれないかどうかしか頭にないようだ。
「お前は」
「ミオ……!」
「お前は?」
「…………」
奴隷の子も、すくみ上がって反応なし。
「よし。ミオとリアだけ、来い」
(リア、ですって?)
父や兄たちにはリアと呼ばれていた。この国ではカルナリアならそう略すのが普通だ。
だからこそレントは、カルナリアをルナという名前にしたわけで。
つまりオティリーは、「カルナリア」がここでの名前だと確定させたことになる。
ともかく、カルナリアも立ち上がって、オティリーの前に進み出た。
何か悪いことをやられるのではないかと緊張したが――。
「お前たち二人にはこれからメシを食わせてやる。そっちの二人は何もなしだ」
床の二人がぎょっとして、ミオもおどおどする。
「どうしてですか? 私たちは、みな同じなのでは?」
つい問うてしまった。
それから戦慄したが、もう遅い。
だがオティリーは鞭を振るってくることはなかった。
「言っただろう。あたしの命令は絶対。あたしが名前を言えと命令したんだ、従ったやつはいい子だから、火傷がひどかろうが頭が足りなかろうが、いいようにしてやる。命令に従わなかったやつには罰を与える。簡単な話さ」
オティリーは床の二人に獣の笑みを見せた。
「あたしが言った通りにできなかった駄目なやつ同士、仲良くするんだよ。ここじゃ貴族も平民も奴隷もない、お前らはみんな同じ、いずれ『人魚』になる『卵』なんだからね」
そして片方――奴隷の子に、小さな円盤――焼き菓子らしいものをひとつ投げた。
カルナリアとミオを連れて部屋を出て、外から閂をかける。
廊下で、オティリーは冷ややかに笑った。
「さて、戻ってきたとき、あの二人がどうしているか。楽しみだねえ。分け合えていれば合格だが……平民が奪う、奴隷がすぐ食べる、争うなんてやってたら……まあ、他の連中の前で、ここではみんな同じですと心から言えるようになるまで、おしおきだね。新入りに最初に叩きこんでやるのはそのことさ」
悪辣だと思ったが――同時にカルナリアは、フィンのことを思い出した。
奴隷の自分に、食事を必ず半分ずつ分けてくれていたのだ。
あれがどれほどありえないことか――自分がどれほど恵まれていたのか、フィンがどれほど優しかったのか、あらためて思い知った。
オティリーの後についていくと、食堂らしき所に来た。
広い空間に、長いテーブルがいくつも。無数の椅子。
百人ほどは同時に食事ができそうだ。
食欲を刺激する匂いも漂っている。
「メシはここで食う。『稚魚』は朝と午後。『若魚』になれば遅めの朝と午後、夕の三回だ」
貴族や平民ではなく、ここではそういう身分差があるのだった。
店に出て客を取る女性が『人魚』。
『若魚』というのは、『人魚』の手伝いにつけられる、ここのやり方を飲みこんだ者のことだそうで――夕方から夜にかけてが活動の本番なので、深夜か明け方に寝て、昼前に起きてくるのだという。
『稚魚』はここで教育を受けている途中の少女たち。
自分のような来たばかりの者は『卵』というわけだ。
「お前らには、しっかり食って、いい体になってもらわなきゃならない。食うのもお前らの義務のひとつだ」
「はい……」
カルナリアとミオは席につかされた。
食堂当番の『稚魚』が、板盆に乗せた食事を運んでくる。
深めの木皿に入った、とろみのついたスープ。煮こんだ肉の塊をスライスしたもの。炒めた野菜の盛り合わせ。細長い棒のようなパン――恐らくスープにつけて食べる。
豪華ではないが、量はあり、香りもいい。
カルナリアの腹がまた音を立て、ミオも目を輝かせた。
オティリーは斜め向かいの席について、魅惑的な脚を組んでいる。
……楽にしているようだが、自分たちの様子を観察しているのは間違いない。
(ここは……期待通りに、貴族のように食べるべきか、期待外れと思わせる方がいいのか……どちらでしょう!?)
今までと違って、貴族らしく振る舞っても問題はないが――高く評価されると、目をつけられて、逃亡が難しくなってしまうのではないだろうか。
(でも、高く評価させた方が、かえってわがままを通すことができるようになるかもしれません……傷をつけることをためらうでしょうから……)
カルナリアは判断した。
「よし。食っていいぞ」
オティリーが言うなり、ミオはすぐフォークを握りしめ肉に突き刺しかぶりついた。
「……私たちに良き糧を与えてくださる、麗しく尊き風の流れに感謝を捧げます」
手を組み食前の祈りを口にしてから、カルナリアは匙を手にし、スープをひとさじすくった。
オティリーの目尻がじっとり垂れ下がった。
及第点、いや大満足の様子。
どうやら、貴族的に振る舞って正解のようだ。
自分を高く売れるものにしたいのだから、その価値があると示せば示すほど喜んでくれるということだろう。
……スープの味わいは、正直言って、微妙に物足りなかった。
ちらりと厨房が見えたが、そこにいたのは自分たちと同じような服を着た年配女性たちだった。専門の料理人ではなさそう。
しかし、喉を通らないなどということはない。カルナリアは、味はわかるがその上でなお、何でも食べられる。その上いまは空腹という最高の調味料がある。
たちまち体が温まり、幸福感に包まれた。
肉を口にすると幸せに震えた。
これまでを思えば、屋内で、椅子にかけて食事ができるというのがどれほど恵まれたことか。感謝の気持ちすら抱いた。
(…………!?)
食べている途中に、人が入ってきた。
男だ。
顔に傷のある、あのコームという男。
それだけではなかった。
「!!!」
むせそうになったが、何とかこらえた。
魔力。
コームの後ろから、魔力を感じる何かが続いて入ってきた。
それは、見えなかった。
正確には、目を向けても、そこにいると認識できなかった。
魔力を感じるから識別できた。
そういうものをカルナリアはよく知っている。
実によく知っている。
だが――。
(ちがいます……!)
ぼろぼろの布ではなかった。なめらかな色合いの普通の布だった。
歩き方に滑るような優美さはなく、のしのし歩く男のそれだった。
そして何より重要なことに、あの七人でもなかった。記憶にあるどの体格とも合致しない。
「ここにいたか」
認識阻害の布で身を隠している男を引き連れたコームは、オティリーに近づいてきた。
「なんだい。ここは男子禁制だよ」
きつい顔で言うオティリーだが、その目が少し気弱にそらされていた。
それだけで、カルナリアにはなぜか、二人の関係がわかってしまった。
恐らくオティリーは、コームと二人きりの時だけは、まったく違う顔を見せるのだろう。
「わかってる。すまん。だが急ぎだ。何か新しくわかったか」
コームは、カルナリアを目で示しながらオティリーに訊ねる。
「新しくって……何かあったのかい」
「変なやつらが来た。そいつを連れてきたガキどもが殺されてた。多分そいつらの仕業だ。ここを舟で一巡りしてから、今は南の橋の近くにいる。犬みたいににおいをかぎ回ってる男と、そいつと同じくらいの子供だ。『台』の連中が殺気立ってる。やべえ感じだ」
「そりゃあ…………とんでもないね……」
(変な――犬みたいににおいを……あの男です! それに子供って!)
間違いなく、あの七人の、猫背の男と子供だ。
口にしているものの味がまったくわからなくなった。
さらに――見えない男が、コームから離れて、こちらに近づいてくる。
カルナリアの全身がいやな汗に濡れた。
(い、いけません、気がついていると気がつかれては!)
フィンの教えを思い出す。
自分を見つけても、露骨に見るな。
まさに今のための教え。
カルナリアは、近づいてくるそれに気づかないふりをして――。
「ミオさん……よかったら、これ、どうぞ……」
食欲は一瞬で消え失せたので、何一つ周囲の雰囲気に気がついていない少女に譲った。
「ありがとー!」
即座に、ためらいなく口へ運ぶ少女に、何も知らないというのはそれはそれで幸せなのだろうと考えてしまう。
しかし自分のその行動もまた、大人たちにしっかり観察されていた。
コームとオティリーが何かささやき交わす。明らかに自分について何か言い合っている。
見えない男が、背後に立った。
視線を感じる。
全身を見られている。
ものすごく丹念に観察されている。
コームもオティリーも、この人物に気がついていないようだ。
ここの住人たる二人にも気づかせずに、同行してくる存在。
(用心棒よりももっと上の、本当の守り手……でしょうか)
そういうものがいる、ということはガイアスなどの騎士団員たちと話す中で聞いたことがあった。
体格良く、威圧的な見た目で、見えるところにいて、しかも実際にものすごく強く、うかつな者の軽挙妄動を即座に防ぐ騎士たちは、もちろん大事な守り手だ。
しかしそれをかいくぐって入りこんでくるような、様々な裏の手を使ってくる者たちを、これも裏の手を熟知してひそかに防ぐ影の守り手がいるという。
認識阻害の魔法はそういう者たちがよく使う、と教わっている。
この見えない男も、そういう存在なのだろうか。
だとすると――そういう者が、自分を直接見に来たということになる。
それほどに、重大かつ危険な状況が発生しているのか。
さもありなん、と納得できた。
納得できてしまうことが恐ろしくて仕方がなかった。
たった七人で城に入りこんで、暴れ回って、無事で出てくるような連中。
そいつらがカルナリアの所在をかぎつけ、迫ってきている。
これ以上に危険な状況など想像できない。
今の自分はここ、ラーバイというのか、そこの所有物。
ならばラーバイが全力をあげて守ってくれるだろう。
それに期待する以外、できることはない。
――食事が終わると、男たちは消え、カルナリアはミオとも分けられて、ひとりだけ、オティリーにつけられた。
無人の食堂の端で、向かい合う。
「あんた、何なんだい?」
「奴隷です。十歳です」
「前の主人は、レント・フメールっていったね」
「はい」
「……エリーレア・アルーランってのは?」
顔に出さないようにした――のだが、出てしまったようだ。
「知ってるね」
オティリーの手に、エリーレアの身分証があらわれた。
「お前をさらったガキどもが、売ったものだそうだ。これはお前のだね」
「……はい」
否定したところで、確信を持たれているだろうから、意味はない。
「アルーラン家とはね。すごいもんだ……四位か……十三侯家ご当主の娘なら三位だから、姪あたりか」
貴族であることよりも家名と位階を気にするその口ぶりから、このオティリーは元は貴族だったのではないかとふと思った。
実家が没落し、奴隷落ちしたのかもしれない。
「で、これがお前の本当の名前だったりするのかい?」
「……いえ。前のご主人さまの……レントさまの、奥様のものです……」
「その辺、全部聞かせてもらおうか」
拒んだら、容赦なく鞭打たれるだろうと肌でわかった。
先ほどまでの、加害をにおわせて怖がらせ、言いなりにさせようという『教育的』意図をまったく感じない。
言わなければ何をやってでも聞き出すという、恐ろしい意志がひしひしと感じられた。
カルナリアは、マノンにも聞かせた話を――貴族の家で奴隷の子として生まれ育ったが、火災で家も家族も失い火傷を負い、レントという新しい主人夫婦に買われたという話をした。
マノンには話さなかった、その後のことも、色々即興で作りながら言う。
貴族狩りが発生する状況の中で、逃げて、途中で襲われて、エリーレアが殺されてしまった。
エラルモ河を下る船に転がりこんで、このタランドン市に入った。
そこで不良少年たちに襲われて、捕まってしまい、ここへ。
「なるほどね……」
オティリーは、とりあえず納得はしてくれたようだ。
「じゃあ……お前を狙っているらしい連中に、心あたりは?」
「…………」
国宝『王の冠』を持つ自分こと第四王女カルナリアの確保を目的とする、国王を討った反逆者ガルディスが差し向けてきたこの国でも最高最強の凄腕たち……という、本当のことを告げたらオティリーはどういう顔をするのだろうかと、ちらりと思った。
「よく、わかりません……」
口に出しては、そう言った。
「そいつらに引き渡された方がいいのかい?」
「っ!」
ここがどれほど厳しい場所であっても、それだけは駄目!
……内心を面に出さないのは貴族の心得なのだが、見抜かれてしまったのだろう、オティリーは口だけで笑った。
「お前はもうラーバイの子だ。お前に払った金の分、お前にはしっかり稼げるようになってもらわなきゃならない。だからそれまでは守ってやる……が、ババアが望む、お姫様のように扱うことはできなくなった。そこは覚悟してもらう」
「それは…………どういうことに、されるのですか?」
「他の『稚魚』どもと同じにする。朝から晩まで下働きだ。新しく入ったばかりの特別扱いの子がいるなんてのは、すぐかぎつけられるからね。二年目ぐらいの連中と一緒にして、見分けがつかないようにする」
それは命令であり、逆らうことは許されないものだった。
言葉通りに、先ほどの新入りの女の子たちより少し年上の、ここに慣れた風の――みんな目が濁っている集団に放りこまれた。
七人いる。
「こいつはリアという。詮索は一切するな。お前たちと同じことをやらせるように。できなければ班長判断で痛めつけてよし」
オティリーがカルナリアを紹介すると、七人が、いっせいに腰を落として女性の礼をしてきた。
『リア』が奴隷であることも顔にひどい火傷があることも気にせず……しかし敬意はかけらもなく、そうするように教えこまれたからやっているというだけの、固い表情と動作。
「あ、あの……」
「来なさい」
班長という立場であるらしい女の子に、容赦なく引っ張られた。
本当に、雑用をやらされた。
午後の今ごろになって起きてくる、昨晩を眠らずに過ごし今晩もまた眠らずに男の相手をする『人魚』たる成人女性たちのために、食事や衣服の準備をする仕事。
『人魚』と直接会うことも姿を見ることもなく、お付きの『若魚』たちが求めてくるものを、衣装部屋や小物部屋を駆け回って即座に供給する、本当の意味での下働き。
それらの部屋もまた、機能優先で殺風景だった。
「四十五番! 赤いのを三つ!」
言われてすぐに、巨大な棚から、その番号がついている引き出しの中身を取り出し、華やかな色の羽根飾りを班長のところへ持っていく。
「あんた、読めるんだ」
棚に貼ってある番号や中身の表示を、読めない『稚魚』はけっこういるらしい。
文字が読めるというだけでも、ここではかなり優秀な方に入るようだった。
客を楽しませることができる教養がなくては、何度も通ってくれない。そういう理由で、女の子たちには教育が施されているそうだが――。
おぼえの悪い者、反抗しておぼえようとしない者がどうなったのかは、暗い目から容易に想像がついた。
時折、女の子の悲鳴も聞こえてきた。
痛めつけられている悲惨な声を、あえて聞かせているようだ。
カルナリアは動揺したが、周囲の子は誰も反応することはなかった。慣れきっている空気だった。
……コームや見えない男たちがどうにかして防いでいるのか、あの七人が『流星』で中庭に降りてくるようなことは起こらないまま、時間だけが過ぎていった。
あちこち連れ回される中で、逃げ道を探したが、外へ通じるだろうところには必ず男の見張りがおり、認識阻害だろう魔法の気配も感じた。
焦燥感をおぼえ続けるうちに、陽が傾き、空の色が変わった。
この建物の中は薄暗くなったが、外の、ここから見ることはできない側にはたくさんの明かりが灯された様子で、華やかな空気が流れ始めた。
周囲で働く女の子たちが、時折うらやましそうにそちらをうかがうことに気がつく。
稚魚、いわゆる教育中の女の子たちが押しこめられているこの建物も、どの部屋も、自分たちの服装も、機能的なだけで飾り気がまったくないのは、きらびやかな世界に強い憧れを抱かせるためなのかもしれなかった。
「……よし。今日はこれまで。休んでよし」
帯巻きに言われて、班長が全員を集めて一列になって戻った。
腹を満たすほどではない軽い食事の後、ここで寝ると、二段の寝台が四つ並んだ、つまり八人部屋に案内される。
「あたしたちは灯りなんて使わせてもらえない。使いたければ自分で油代を出すこと。明日は朝から仕事がたくさん。慣れてないんだから、よく休んでおきな」
いちおうは好意らしいことを言われて、不慣れで怒鳴られることもなく、水を飲ませてもらったり顔や体を拭くことはできた。
しかし、他の七人の誰も、積極的にカルナリアに話しかけてくることはない。
興味は持っているようだが、詮索するなという命令が出ているので、そちらが優先のようだ。
しばらく一緒に色々作業をしていてわかったが、ここには密告制があり、他人が怠けていたり盗み食いをしたり逃げようと計画していたりするのを帯巻きに伝えると、ひそかにそのことが記録され、早くいい待遇にしてもらえるらしい。
カルナリアに話しかけると他の者に密告されるというおそれから、お互いに牽制し合っているようだった。
仕方ないことだし詮索されたくないのも事実だが、まったく相手にされないというのもそれはそれで寂しい。
完全に陽が落ちて、もうじき周囲が見えなくなるというぎりぎりのところで、全員が寝台に入った。
王女基準では快適とはとても言えないが、少なくとも体を痛めることはない、まともなマットレス。病気になられては困るので清潔に整えられている上掛け。ビルヴァの街以来久しぶりの、ちゃんとした寝床だ。
しかし――カルナリアは今までで一番息苦しい思いにとらわれた。
「………………」
水音が聞こえる。
このラーバイという区域は川の中洲に築かれたものだそうだ。
つまり回りはすべて水。
歩いて出入りできるのは南北にかけられた橋のみ。当然そこは厳しく見張られている。
食料はじめ様々な物資は船で運びこまれ、また運び出されるが、女の子がそこにまぎれこむのはきわめて困難。
逃げ道が見つからない。
明日には首輪の交換を要求され、強制されるだろうが、拒む方法がない。
外には、あの怖い七人がうろついている。
いつ押し入ってくるかわからない。
この夜にでも、血の色を周囲に撒き散らしながら、攻めこんでくるかもしれない。
しかし、守ってくれる者は自分の側にいない。
ここは、周囲に人はたくさんいるが、ひとりきり。
添い寝してくれるあのひとはいない。
あの温かい、安心できる体は隣にない。
しがみついたら背中を撫でてくれた、あの優しい手は得られない。
あのひとが、生きているのかどうかすらわからない……。
「う…………」
息が詰まり、胸がふさがり、涙がにじんだ。
泣き声を漏らすと他の者たちから叱責されるだろうから、こらえるが――そうするとますますあふれてきてしまう。
もう限界で、泣き声をあげそうになった――その時だった。
「ホォォォォォォォォォォォォォ!」
どこからか――わずかに開いている窓の外、夜気の向こうから、甲高い、奇怪な声が響いてきた。
「!」
聞き覚えがあった。
すぐ間近で聞いたことがあった。
カルナリアは寝台を飛び出し窓に飛びついた。
「なに?」
「獣?」
背後で、同室の者たちが言い合う。
「ホォォォォォォォォォォォォォォ!」
再び、聞こえた。
遠い。
だが間違いない。
あの声だ。
あの時の声だ。
自分の生存を知らせるために、ここにいるはずのない獣の声を響かせている。
カルナリアだけがその意味を理解できる声を。
「何なの、あれ?」
「山奥に棲む、変な獣の声です」
カルナリアは涙をあふれさせながら、笑って答えた。
フィンとの旅路。初日、粗末なねぐら、床で食事、地面に敷いたマットの上。二日目、山小屋、床で食事、硬い丸木ベッド。三日目、水没してからぐしょ濡れで簡易テント。四日目、地べたで仮眠してから徹夜で『流星』の練習。五日目にしてようやく椅子に座って食事ができて、まともなベッドで横になれたカルナリアでした。
本当に学園編になってしまうのか。次回、第71話「かまど」。
※本編で語られない裏設定
「ラーバイ」には現地語の意味はなく、中洲を石で囲み住めるようにした人物の名前です。




