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69 色街の女子校


「え…………ええと……私は、ルナで……その……王女さまの名前って、()()()()()とか、そういうのになるんじゃ……?」


 カルナリアは何とか失言しないように指摘したが。

 それが王女の名だと知っていること自体が、すでに失言だということに後から気づいて固まった。


「いいや、いけるよ、いいよ、これは受けるよ、うん!」


 幸い、マノンは自分で盛り上がっていて、聞く耳を持たなかった。


「ここじゃ、店に出る時は、みんなそれぞれ違う名前使うんだよ。有名な美人の名前はどこもかしこも使うもんさ。ヴィシニア様が(とつ)がれた時は、タランドンを通ったからねえ、どこもかしこもその名前の子ばっかりになったもんさ。あの頃は、あたしだってヴィシニアって名乗って客とったもんだよ」


「…………」


 カルナリアは口をぱくぱくさせるばかり。


 自分が産まれる前に隣国バルカニアへ嫁いでいった第一王女ヴィシニア……。


「アリアーノは今でも人気の名前さ。全然人前に出てこないから、実はこういうところでこっそり男と遊んでるってね」


 自分の上の姉、第三王女アリアーノは、幼い頃に実母の第二王妃キレンクリスを失い、成長して有力貴族の御曹司に降嫁したものの、夫に先立たれ、産んだ子も幼くして失い、心を病んで離宮に引きこもっていた……確かにめったに姿を見せない、自分も顔を見たのは数回だけ、今年二十二歳になるはずの、美しいが今にも消え失せてしまいそうな(はかな)げな姉君…………その名前を勝手に使われているとは!


「お前は、ちょうど今の四番目の王女様と同じくらいだし、そう言って通りそうなくらいの見た目だからね。なぁに、その火傷みればすぐにガセとわかって、不敬罪なんか無理だ。いけるよ。東の戦から逃れてきたカルナリア王女が、奴隷に身を落としてこんなところで! ってことでいくよ!」


()()()です! どうしましょう!)


 煩悶(はんもん)したが、訂正する根拠もなく、自分は本物だと主張するわけにもいかず、受け入れるしかなかった。


「あ、あの、フィン・シャンドレンという名前の方は?」


 思わず聞いてしまった。


「フィン? 変わった名前だねえ」


 マノンは首をかしげ、それ以外は反応しなかった。

 美女の名前として認識されていないらしい。


 ついてくるように言われて、部屋を出た。

 渡り廊下に出る。

 空が見えた。

 陽光の高さからすると正午近く。夜明けと共にフィンとひとつながりになって疾走し始めて、風になって、タランドンに着いて、今はひとりきりでこんな場所。なんという激変。


 広い庭では――自分と同じような格好の女の子が十数人、掛け声に合わせて体を動かしていた。

 騎士団の訓練風景を思い出す。


「あれは……?」

「ここの、『稚魚』たちさ。日に当てて、体を動かし、関節をやわらかくする。そうすれば病気になりにくく、()()()()をするのに良くなるからねえ」

「?」


 男の相手と、関節の柔軟性が、カルナリアの中ではつながらなかった。男の相手をするというのは、向かい合って座りお茶を飲みながら歓談することではないのか。


 渡り廊下は、違う建物に続いていた。

 あまり飾り気のない、割と大きな建造物。

 三階建てで、窓がずらりと並んでいる。


 中に入ると、さっきよりもはっきりと音楽が聞こえてきて、女の子たちによる歌声も流れてきた。

 明らかに、練習している――させられている。


(『学校』のよう……ですね)

 貴族の子弟が通う、王都の修学院、大学院、魔導師の素質がある者を集めた魔法学校などを見学した、それによく似ている。

 ちなみにカルナリア自身は、兄のランバロや選ばれた学友たちと共に勉強させられて、学校という所に通ったことはない。


「ここでこれから寝起きすることになる。ほかの子たちと仲良くするんだよ。できないやつは、まあ、ある日いきなりいなくなったりするからね」


「…………はい」


 いい返事をする以外に、自分が無事ですむ道はない。


「オティリーを呼びな。新入りだ」


 マノンは入り口の所にいた年配の女性に言いつけた。


 すぐに相手がやってきた。


 背の高い、美人ではあるがきつい顔をした、二十歳になっているかどうかというくらいの女性。


 着ているものはやはり上下ひとつなぎのお仕着せだが、色鮮やかな赤い帯を腰に巻いている。

 足首まである長いスカートにはいくつも深い切れこみがあって、歩いてくる間に膝どころかふとももの半ばほどまでがちらちらのぞいていた。意図的に脚を見せつけている。

 その歩き方は洗練されていて、服装がまともであれば、王宮を歩いていても問題ないほどのものだった。


 なのに――首輪をつけていた。

 色鮮やかで金具も美々しい、彼女の美貌を際立たせるようなものだが、この国では首輪は首輪、奴隷身分の証。


「……新入りですか。なるほど」


 カルナリアを見下ろして、少しだけ目を見開き、納得顔でうなずいた。


「ルナだ。十歳。火傷以外は、この通りの上玉だ。カルナリアって名前で売り出す。そのつもりで仕込んでもらうよ」


 カルナリアの名前を聞いた時、わずかに表情が動いた。


 マノンは顔を寄せ、ひそひそと色々言った。カルナリアには聞き取れない。時折二人してこちらを見てくる。女性がうなずく。マノンが悪い笑い方をする。


「……それじゃ、まかせたよ」

「はい」

「ルナ。ここからはこのオティリーの言うことに従うように。しっかりやるんだよ」


 一方的な期待の言葉をかけて、マノンは去っていった。


 老女がいなくなると、途端にオティリーの雰囲気が変わる。

 腰に手をあて、足を開き気味にして立ち、じろりとカルナリアを見下ろしてきた。


「ふうん…………なるほどねえ」


「あ、あの……?」


「あたしはオティリー。ここのメスガキどものしつけをまかされてる。ここじゃあたしが絶対だ。いいね」


「はい」


「……あんたが奴隷なのが残念だよ。平民の子だと、奴隷のくせにって一度は言ってくるからねえ。そういう相手には――」


 ビシッと音が鳴り、床を何かが叩いた。

 オティリーの手に握られた黒い縄――違う、鞭だった。


()()を食らわせてやるんだが」


「そういうこと、して、いいんですか」


「ここは外じゃないからね。それを教えるのにはこいつが一番」


 また床を鞭が叩いた。


「ここの掟は、()()()には従うこと、帯巻きは絶対にお前らより偉い、この赤帯がいちばん偉い、そういうものだ。

 貴族も平民も奴隷もない。文句あるなら役人でも呼んできな、ってさらに痛めつけてやるのが、あたしは大好きなんだ。

 そして痛い目にあったガキが、逃げ出そうとして、捕まって、おしおきされて、おとなしくなる。

 捕まったガキの絶望した顔、生意気だったのがくしゃくしゃに泣き崩れて許してくださいと言い出すところ……そういうのがたまんなくてねえ」


 カルナリアをおびえさせようというのか、嗜虐(しぎゃく)的な笑みを浮かべて言ってくる。


「そんなこと、言いません」

「つまんないやつだね。目の前の相手を楽しませることをおぼえな。まあこれからたっぷり教えてやるわけだが」


 建物の奥へ入っていく。


 まっすぐな廊下、左右に無数の扉。

 ほとんど飾り気がなく、殺風景だ。


 オティリーは先に立って歩いてゆく。

 鮮やかな赤い帯と、それが巻かれているくびれた腰、歩みにつれて揺れ動く見事なお尻。

 ……それがこの場で最も美しいものなので、カルナリアはついつい目をはしらせてしまう。美しいからである。それ以外の理由はない。


 逃げようと思えば逃げられそうだが――その時は恐らく、あの鞭が後ろ手に振るわれて、一瞬で巻きつけられ捕らえられることだろう。


 カルナリアがそうするのを待ち受けている気配を濃厚に感じる。

 思うつぼにはまってたまるかと、カルナリアは従順に歩き続けた。


 それぞれの扉の中に人の気配があり、しゃべる声や動く音がかすかに聞こえてくる。

 授業中の教室らしい。


「ちょうど、あんたと同じ新入りが入荷したところでね。一緒に色々教えてやるよ」


 最後までカルナリアを鞭打つことができなかったせいか、少しばかり不機嫌に眉根を寄せて、オティリーはとある扉の前に立った。


 (かんぬき)がかけられていたのを外す。


「開けな。飛び出してくるやつがいたら止めるんだよ」


 カルナリアは分厚い扉をおそるおそる開き――。


 すすり泣きの声と、重たい気配に包まれた。


 それほど広くもない、やはり装飾のひとつもない殺風景な部屋。

 上の方に明かり取りの隙間があるだけで、窓はない。

 椅子もなければテーブルもない。壁に、何かをかけるための鉤がいくつかついている、それだけだ。


 薄暗い中、床に、三人の女の子がいた。


 年齢は自分と同じくらいか、少し下。

 服装は今の自分と同じもの。


 うち二人は、首輪はなく、身を寄せ合って泣いていて。


 一人は、首輪をつけて、ひとりですすり泣いていた。


 平民の子たちには、腕に、ひどいみみず腫れがあった。

 オティリーの鞭で打たれたもののようだ。


「途中で止めて悪かったね。お前らと同じ、『卵』がもう一粒来たよ。同じ奴隷だ、嬉しいだろう?」


 三人は顔をあげて、カルナリアの顔の火傷痕にぎょっとした。


 オティリーは、奴隷の子の隣に行くようカルナリアにあごで示した。


 床には、(わら)で編まれた円形の敷物が置いてあって、ためらいながらもそこに腰を下ろす。


 その場の全員に見られている。乱暴にお尻を落としたつもりだったのだが、どう思われただろう。


 奴隷の子は、カルナリアの顔のひどさに恐怖をおぼえたのか、身をずらして距離を取った。


「さて、何も知らないのが増えたんで、もう一度、最初から話すよ。しっかり聞きな」


 バシッ! と壁が鋭い音を立てた。

 鞭で打ったのだ。


 泣いていた二人が慌てて前を向き、あごを引き締める。


「ここはラーバイ。タランドンの色街。男が女を買う街、女を売る街、男と女が体を重ねる街だ。田舎者でも、子作りのやり方ぐらい知ってるだろ? それをやるところだ」


(色街とは、そういうところだったのですか!?)

 王女のカルナリアは初めての知識に目をみはった。


「お前らは、ここで働かせるために、うちの店が買った」


(わたくしは、さらわれてきたのですけど……他の子たちも、似たようなものなのでしょうね……)


 みな、何か言いたげにしているが、口をつぐんでいる。

 それぞれ怖い目に遭ってきたのだろう。


「したがって、お前らに払った金の分、しっかり働いて、店に返せるようになってもらう。お前らの体はもうお前ら自身のものではない、店のものだ。店が売りに出すと言えば、お前らは今晩にも客の前に出される。拒むことはできない。拒めなくする方法はいくらでもあるからな」


 オティリーはニヤリと笑った。邪悪な笑みは、この居丈高な女性にはよく似合っていた。


「とはいえ、何も知らないし何もできないその辺のメスガキを提供するだけじゃ、客は満足しない。客が喜んで買ってくれるように売り物を磨きあげるのは、店側の役目、つまりあたしの仕事だ。あたしはお前らを一人前にする。お前らはここで一人前の商品になる」


 ビシッ、と鞭が壁を打った。


「今日からお前らはここで暮らす。前の家、前の家族やご主人様なんてもうこの世に存在しない。ここがお前らの家、ここにいるのがお前らの家族。あたしら帯巻きはお前らの教師であり主人だ。あたしらの言うことは絶対にきくように。逆らうことは許さない。逆らってもいいがその時は楽しいことが起きるだけだ。やってみるといいよ、いくらでもね」


 カルナリアはランダルを思い出した。馬の前に乗せられていた時、奴隷をおとなしくさせる『調教』方法は色々あるとおどかされたが……下手な真似をするとまさにそれをやられてしまいそう。


 しかし、問題はそれよりも。


 おそろいのお仕着せと同じように、自分の首輪も、他の者とおそろいの首輪に交換しろと言われそうだということだ。


(逃げ出すなら、今夜のうち……でないと、交換させられる!)


 さらに恐ろしい予測として、『検索』魔法をかけられたら、フィンがいないここに、あの七人が飛んできてしまう。


「なあに、逆らわなければいいだけさ。あたしらの言う通りにしていれば、ここは楽しいところになる。お前らはここで色々なことを身につけ、なまじな男を手玉に取るような、いい女になることができる。いいものを食い、きれいな服を着て、化粧をしきらびやかな飾りをつけて、誰もが憧れの目で見るようなものになれるんだ。だからしっかり学ぶんだよ」


 オティリーはそれから、ここでの暮らし方について色々説明し始めたが……カルナリアはほとんど聞き流し、ここからどうやって逃れるかだけを考え続けた。


 ――そんな状況なのに。


 今までの逃避行の中でも最もまずい状況かもしれないというのに。


「あ……!」


 蜜を舐めさせてもらった以外、朝から何も食べていないカルナリアの腹が、健康的かつ雄弁な音を立ててしまった。




本当に始まった学園編。脱出を目論むカルナリアだが成功するのか。次回、第70話「希望の吠え猿」。暴力描写少しあり。

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