ex01 復活
番外編です。別なところ、カルナリアとは関係ないところでのエピソード。
暗い。
狭い。
苦しい。
くさい。
「………………?」
意識を取り戻して最初に感じたのは、とにかく不快なものばかりだった。
真っ暗だった。
重苦しいものが体に乗っていた。
ぐにょっとした気色悪いものが体の下にあった。
いやな臭いが濃厚に漂っていた。
呼吸のたびにその臭いが流れこんでくるばかりか、呼吸そのものが苦しくなってきた。
「!」
もがくと――全身が重たく、締めつけられるようで、まともに動かせなかったのが……。
突然片腕が軽くなった。
閃光が突き刺さってきた。
顔に何かが降りかかりつつも、腕がまばゆいものの中に出て、さまたげられることなく動かせるようになって。
さらに動かすと、もう片方の腕も動かせるようになって、顔面にもっと多くの何かが降り注ぐが、明るさが増して――。
「…………げほっ、ごほっ!」
口に、鼻に、入ってきた微粒子に、ひどく咳きこむ。
顔を手で覆い、払い、とにかく呼吸ができるようにした。
――思い出した。
これは、土だ。
自分の口に入ったこれは、自分にかぶさっていた、土。
「…………あ?」
ものが見えるようになった。
自分は陽光の下にいた。
上半身を起こしていた。
埋められていた。
そこから起き上がった。
周囲には、空と、緑と、土と――。
見慣れた斜面。
見慣れた山の形。
ここは――今まで住んでいた場所だ。
頭がほとんど回らない中で、それだけ理解する。
「げふっ、げふっ!」
また咳きこむ。口に入った土がじゃりじゃりする。水が欲しい。
「おおおおおおおっ!」
声がした。
人の声、と理解するにも時間がかかった。
駆け寄ってくる者がいる。
男性。年配。知った顔。どこかで見た。思い出せないが。
「ランダル!」
そいつは、自分に、そう呼びかけてきた。
「…………?」
「生き返ったか! やっぱり! やった! よかった!」
「………………」
わからないまま、頭から水をかけられた。
口に含み、真っ黒いものを吐き出すと、水袋ごと渡してくれて、両手で持って顔にかけて、口に入れて、洗った。
手を引っ張られた。
下半身が土から出た。
それと共に、ひどい臭いが立ちのぼった。
「ぐわあっ!?」
叫んだ。
自分の体の下にあったのは、無数の、人の体――死体だったのだ。
「わああああっ、ああああっ、あーーーーっ!」
頭が恐怖だけになり、叫び、もがき、この臭いと場所から逃れようとして、転び、這いずって、とにかく手足を動かして……。
斜面を転げ落ちた。
下には水があった。
水路。
山からの冷たい水が、たちまち全身を浸してゆく。
顔が沈み、水を飲んで、咳きこんで、跳ね上がって。
(…………俺は…………)
明るい空の下、顔を照らす陽光のおかげもあって、徐々に頭が回るようになってきた。
(俺は…………ランダル・ファスタル・ローツ…………ローツ村の村長……)
「おい、ランダル、大丈夫か? しっかりしろ!」
水路の上に姿を見せたこいつは、兵士、けっこう年くってる、そう、顔見知り、隣の村の、俺のいとこで、俺よりひとつ上で……。
「………………!?」
これまでのことが一気によみがえって、ランダルは弾け飛んだ。
「あああああああああああああ!?」
叫び、暴れ、土に拳をめりこませ、爪を立て、のたうち回った。
「落ちつけ! 気持ちはわかる、説明するから、落ちつけ!」
――狂乱から覚めるまで、しばらくかかった。
「はぁ、はぁ、はぁ…………何が…………どうなって…………どうして、俺は…………生きている……!?」
泥まみれになって、ランダルは地べたに大の字になった。
兵士が寄ってきて、また水をかけてくれた。
布もくれた。
顔をぬぐって、身を起こした。
自分の村だった。
よく見知った、何から何まですべて知っている村だった。
だが――人がいない。
誰もいない。
人の営みが、どこからも感じられない。
自分の村と思えないほと寒々しいところに、陽光が降り注ぎ、風が流れ、草葉がそよぎ……。
生きているのは、自分と、もうひとりだけ。
「どこまで、おぼえてる?」
「………………」
奴隷に偽装した貴族の令嬢らしき「ルナ」をかくまった。
「ぼろぼろさん」に預けた。
「ルナ」を探しに来たのだろう、こいつが所属している部隊がやってきた。
それに、おぞましい気配の、犬を連れたやつらがくっついてきた。
そいつらの長、猫背の男が、自分を押さえつけ、友を殺し、村を消すように命令した…………!
「ぐああああっ! あいつは! あの野郎! どこにいる! ぶっ殺してやる!」
「……もういねえよ。落ちつけ」
頭から水をぶっかけられた。
「ふぅ、ふぅ、ふぅ……大丈夫だ……続けてくれ……教えてくれ……!」
かすかに、猫背野郎も含めたその仲間たちを、なぜか心から親しく、愛おしく思い、色々なことを楽しく話した記憶がある。
しかしそこから先はまったくわからない。
「いいか……この村にな、新しい王様の部下の、強くて、怖い連中が来た」
「……ああ、猫背の、犬を連れた」
「あいつらが、集めた村のみんなを、全員殺すように命令した」
「!!!」
相手は即座に水桶をかかえて遠ざかった。
「お前も、やったのか……!?」
「話を最後まで聞け」
ふくれあがった感情をぶつける先がなくて、叫んで、自分の胸をぶっ叩いた。
「…………いいか」
「ああ……」
「若いやつらが、度胸づけだの何だのと、大喜びで殺して回って………………大きな穴を掘って、みんなまとめて、そこに放りこんで、埋めた」
「……!」
死臭。ぐにゃっとしたもの。あれは、それぞれ、顔見知り、同じ村の、うちの村の、あいつらだったのか。
しばらく激情に襲われつつも、どうにか理性を取り戻す。
「お…………俺は…………どうして…………!?」
「これなんだが…………何かわかるか?」
布の袋が示された。
肩にかけるための長い帯がついている、鞄だ。
見覚えはない。
ないが……渡されると、かすかな匂いが立ちのぼり――それには覚えがあった。
「薬…………だな…………」
「やっぱりか。
順番に言うぞ。俺は、まずこの村の連中をとにかく全員集めろと命令されて、探し回った。
それで墓場に来たら、おばさん――お前のおふくろさんのところに、この袋が置いてあった」
「…………」
自分のいとこであるこの相手は、母の葬儀に隣村から来てくれて、埋葬から墓標立てまでつきあってくれた。
「あの頃のおふくろさんの部屋でしてたのと同じにおいだって気がついて、隊長に渡そうと持っていった。そしたら、村の連中を皆殺しにしろって命令が出たところでな。ものすごいことになって――若いやつらは殺す前に女を襲いものを奪おうとして、隊長や年寄りが止めようとして、大騒ぎさ。
俺はお前が気になって、この袋持ったまま家に入ったら、寝台の上で、お前が殺されていた」
「!?」
「俺だって兵士やってるからわかる、すげえ、きれいに殺されてた。心臓を正確にひと突き。血もほとんど出てなかった」
あの猫背野郎やその仲間なら、容易にやってのけるだろう。
「どれが何なのかはさっぱりだが、とにかく薬なのはわかってたから、お前の傷口に、中身を全部、ぶちまけた」
「………………」
「その後、色々やらかした若いやつらは集められて、隊長と犬つかいどもが連れて戻っていって、俺たちみたいな年寄りに後始末がまかされた。墓地の横に大きな穴を掘って――悪いが、どうしようもないので、全員、片端から放りこんだ」
「ぐっ……!」
「何とか、お前を最後にした。そのでかい体を放りこんで、土はできるだけ薄くかぶせた」
「…………それで…………その、薬のおかげで、俺は、生き返ったのか…………」
「まさかと思ったけど、そうだったみたいだな」
「うぅっ……!」
ランダルは胸を詰まらせ、泣き崩れた。
彼にだけは理解できていた。
母の墓碑に薬を置いていった者。
ぼろぼろさん。
フィン・シャンドレン。
「ルナ」を引き受けてくれた上で、あのおぞましい連中に捕らえられることなく、逃げ出したのだ。
それどころか――薬を置いていってくれた。
母の墓に置いたというのは、間違いなく、自分への餞別。
「ルナ」を押しつけたというのに、怒るどころか、村人のためになるよう、色々な薬を置いていってくれたのだ。
その中に、強力な治療薬があったのだろう。
このいとこがぶちまけてくれるという幸運もあって、自分は――自分だけは、命をとりとめた。
「あああああぁぁぁぁぁ…………!」
女神にこれほどのことをしてもらえるような、何を自分はしたというのだろう。
どうすればこの恩を返せるのだろう。
その恩に感謝しつつも――自分ひとりしか残っていないというこの状況に、悲しみと、憎しみと、自責と――苦しい感情しか湧いてこない。
ひたすらむせび泣くランダルに、いとこの兵士は沈痛に告げた。
妻と、息子のランケンは、どうすることもできなかったと。
二人は、恐らく自分より下の方に埋まっている。
ランダルはさらに泣いた。
いっそのこと、兵士の職務に忠実に、自分のことも殺してほしかった。
「…………あいつらは、もうここに興味ないみたいでな、俺らに全部まかせて……いなくなって……新しい村人をよそから集めて、新しい村長を決めるまで、俺たちみたいな年寄りは、ここにいなきゃならんのだが――」
泣き崩れるランダルに言葉をかけるいとこが、声で何かを示した。
顔をあげたランダルの目に。
「そんちょうさあああぁぁぁぁぁぁん!」
駆け寄ってくる子供の姿が映った。
五人。
「……やっぱ、俺らみたいな年寄りは、命令どおりにはできねえもんでな。それぞれ、どっかで、見逃して、隠して……悪い、全員は無理だったが……」
「あああああぁぁぁぁ…………!」
ランダルは両腕を広げて、飛びついてきた五人の子供をすべてかかえこんで、それまでとまったく違う熱い涙をあふれさせた。
もうひとつ、近づいてくる足音があった。
「ランダルさん……」
二人いた奴隷の、片方が、生き延びていた。
「山に入って、ランケンさんを見つけてから……もっと探せっていうんで、山の奥に入ってました。笛が聞こえて、犬つれた怖いやつらはいなくなって、兵隊たちも戻りましたけど、俺らのことは誰も気にしなかったんで、隠れてて……あいつは、村長さんが気になるって戻っちまったけど、俺は、隠れ続けてたんで……弱虫で、すんません!」
「いい、いいんだ、よく生きていてくれた!」
ランダルは全員を抱きかかえた。
第24話で置いていった薬が、その後どう使われたかでした。
この後も時々こうした番外編が差しこまれることになると思います。
次回からはカルナリアたちに戻り、西の都市、タランドンでの物語。第66話「水の都」。




