65 西へ、西へ、西へ
サーバーメンテナンスが行われ、いつもの時間に予約投稿できないようですので、普段より早く投稿させていただきました。
(ひゃああああああああああああああああああ!)
カルナリアは悲鳴をあげた。
自分の口は堅く引き結ばれて、一言も音声を発することはないが、頭の中で激しく、甲高く、叫ぶ。
こうなるだろうということは、最初の山中で崖を飛び上がり、つい先ほどまで自分自身で練習していたので、わかってはいた。
それでもやっぱり叫んでしまった。
立っていたところが、一瞬ではるか後方になる。
顔に風。体に風。全身が烈風を浴びる。
体の下に地面はない。
飛んでいる。
翔んでいる。
体の使い方は、走る時とそれほど差はない。
地を蹴った。それだけ。
だがその一歩が、数百歩の距離を飛ぶ。
次の一歩で、さらに飛ぶ。
フィンは強く前方に目をこらしている。
着地した一瞬で、次に飛ぶ先を見定め、距離を測り、力を加減する。
基本的には高いところを選ぶ。地面の起伏の、高くなっているところ。そこから次の高所へ飛ぶ。
最初の、山中を駆け上がった時、両腕を自由にしたのもよくわかった。何一つ余計なことをしてはならない。全力で集中しないと、次の瞬間に訪れるのは地面へのめりこみや物への激突だ。
一応は、体にはしる強い魔力が、筋力を強めるだけではなく接触するものの保護もやってくれてはいる。地面を蹴るにしてもその際に大きく土がえぐれるということはないように。着地した時に足がめりこむことのないように。
それでもなお、かなりの力が、踏みしめたところに加えられる。
手をつないだ二人の体が、道を外れる。
丘がある。道はそこを迂回しているが、赤と緑の流星はその頂へ飛び上がる。
(わあ!)
荒れ地は終わり、田園風景が広がっていた。
整然とした農地、豊かに生える様々な作物。
雨のあとで、色鮮やか。
あちこちに家屋が建ち、朝の炊煙を立ちのぼらせている。
家が点在しているのは、外敵の襲撃をほとんど受けることがなく、したがって防壁の中に閉じこもる必要がないタランドン領だからこそ。
右手にはエラルモ河の水面が輝く。
はるか西へ延びてゆくそれと平行に自分たちは飛び続ける。
丘の頂上を蹴って、さらに高々と飛び上がった。
姿勢は、走るものから、頭頂部を先にした、水に飛びこむ時のようなものに。
(わああああああああああああああああああっ!)
時々夢見た、鳥になって空を舞うことが、実現した。
地面が遠ざかり、緑や黄色の大地が流れてゆく。
フィンと手をつないだ自分が、空を飛ぶ。
どこまでもこうして、飛んでゆける……!
残念ながら下降が始まって――着地点にあったのは。
(家っ!? 牛っ!)
広く塀をめぐらせた農家、その塀の中、牛が何頭も。
熊に激突した、あれを思い出してしまう。
斜め上方から牛飼い場に飛びこみ――。
「すまん」
口が動いて言葉を発した。
うずくまっていた黒々とした大牛の、背中に着地し、軽やかに次の飛翔に移ったのだった。
どうやら巨体が吹っ飛んだり骨を折るというようなことにはならなかったようで、『流星』の魔力と製作者の工夫に感謝する。
こうやってどんな所でも駆け抜けられはするが、『流星伝令』がもっぱら街道沿いに移動する理由もよくわかった。
(……やっぱり、山の中で使ったのは、おかしいです!)
木々が立ち並ぶ中でこれを発動させるのは、練習の際に散々な目に遭ったカルナリアとしては、正気の沙汰ではなかった。
あるいは、この速度で木立を縫って駆けられるフィンの方がおかしいのか。
街道に戻り――路上に人が、馬車が、色々とあらわれるのを、細かく足を動かして次々と飛び越えてゆく。
西へ向かう者はともかく、西からこちらへ向かってくる者が、遠くから気づいてぎょっとし、飛び越えられる際にこちらの動きに合わせて顔をぐるりと巡らせるのが面白い。
(お城っ!)
前方に、城壁と尖塔を備えた城が現れた。
街道はその城門をくぐり、城壁内の街へ続いてゆく。
城門にも、城壁の上にも、塔の上にも兵士がいる。
こちらを発見し反応した様子。
『流星伝令』の行き来を妨げるようなことはしないはずだが――緑色はともかく、赤いフィンのものは、大丈夫だろうか?
心配いらなかった。
気にしたとしても、『流星伝令』をつとめるのは常に貴族であるために、色が違うからといって即座に矢を放ってくるような者がいるはずもなかった。
誰もいない街道を数歩使って助走とし、これまでで一番の勢いをつけて、高々と舞い上がり……。
城を飛び越える!
(うわあああああああああ!)
複雑、かつ堅牢な建物を真上から見るのは、貴重な体験だ。
初めてだ。
楽しい。
たまらなく楽しい!
(ひゃあああああああああああ! わああああああああああああ!)
カルナリアは幼児にかえり、心の中で全力の叫び声をあげた。
騎士や兵士たちがこちらに敬礼してきているのがちらりと見えた。
何度も『流星伝令』が行き来しているため、慣れているようだ。
(……?)
ただ、その際に、カルナリアの目が変な動きをした。
つまりフィンの目がそう動いた。
何かを気にした。
ずっと飛ぶ先だけを見据えていたのに、城壁や塔に立つ者たちの様子に意識を向けた。
見えたのはほんの一瞬だったが――兵士の中に、こちらを見るだけではなく、東つまりこちらの後ろを向いたり、指さす者がいたのだ。
(後ろ?)
これほどに目立つ輝きが自分たちを飛び越えていったのに、それよりも気にするものというのは何だろう?
カルナリアは気になったが、振り向くことはできなかったし、フィンも振り向いて速度を落とすつもりはないようで、ひたすら前を向き疾走し続けるだけだった。
※
(なぜ追いつけん!?)
『6』は空中で歯噛みした。
自分たち七人は、横に広がって、先をゆく光を追っている。
追いつき、取り囲むつもりだったのに。
差が、いつまで経っても縮まらない。
自分の『流星』は奪ったものではあるが、前に使っていたものとまったく違いはなく、普段通りに疾走できているはずだ。
他の面々も、国中の到る所を飛び回って任務についてきた、なまじな伝令よりはるかに『流星』の使用経験が豊富な者ばかり。
『流星』を使用している場合、元々の脚力差はほとんど問題にならない。巨体の『2』も敏捷な『7』も、ほぼ同じ速度。
速度差を生むのは飛び先の選び方や空中での姿勢、服の空気抵抗など。
自分たち熟練者は、最も速力の出るやり方で移動しているはず。
なのに、とらえられない。
視線の先に、緑と赤の輝きがはっきり見えている。
赤は『剣』がつけている。異国の『流星』だろう。河の中を動いたのは間違いなくあれだ。捕らえたらぜひ調べてみなければならない。中身の女体ともども、じっくりと。
その隣の小柄な姿は『四女』――体に巻きつけているのは周囲の仲間と同じマント、すなわち自分から奪ったもの。殺す。
だが……。
『四女』は、生まれて初めて『流星』を使った、完全な素人のはずで、だからこそ手を引かれているのだろうに――まるで自分たちと同じ熟練者のように、見事に『流星』の超高速移動をこなしている!
(王女が『流星』を使ったことがあるとは、聞いたことがないぞ!)
先の不手際と、首の周りのうずき。
あの屈辱を晴らせる機会がこんなに早く巡ってきたというのに。
追いつけない。
だからこそより屈辱が強まる。
一足ごとに憎しみがつのる。
他の仲間たちも焦っているようだ。
『7』が、感情を抑えられず態勢を崩したのか、遅れ始めた。
もちろん着地に失敗するような無様はさらさないが――。
前方に城が現れ、先を行く赤と緑のふたつ星が軽々と飛び越えていった。
同じように飛ぶには『流星』をもってしてもある程度の助走が必要だが、『7』はそれを確保できなかったようで、横に向かって城を迂回することにしたようだ。
それでさらに遅れる。
他の面々も、街道ではないところを移動する左右の者が徐々に遅れてきており――。
最初は、包みこむために両端が先行する美しいV字の隊列だったのに、風魔法を併用して速度を上げる右端の『5』と、街道上の『1』と自分だけが先行する、乱れたものになってしまった。
(くそ女どもが! 死神のひりだした汚物ども! )
緑と赤の星が並んで飛翔し、その後ろを七つの緑星が追い続ける――その状態が、解消されることはなかった。
※
街道が混雑してきた。
陽が出ると共に、近隣の城や街へ野菜を運びこむ農民が動き出し、それぞれの住まいから荷車を引いて、あるいは牛馬に引かせて、路上に現れる。
宿を出て移動を始めた商隊、巡回に出てきた兵士の隊列なども姿を見せるようになる。
中央都市タランドンが近くなってきたということだ。
これでは街道上を行くのは難しい、外れて畑や森の中を飛ぶことになりそうだ……とカルナリアは見ていたが。
(ああ、なるほど……!)
街道の脇に、四本の柱を立ててその上に少し傾斜をつけた屋根をかけた、建物とも何ともつかない構造物があった。
国内を巡行した際に見たことはあった。
この領だけではなく他の土地にも、都市に近いところの街道沿いに一定の距離を置いて立てられている。
雨やどり、あるいは暑い季節の日よけ休憩に庶民が使っていたが……。
里程標にしては、四本の柱と屋根をつける意味がわからないし、そもそも都市近郊にしかないのはおかしいと思っていた。
今はじめて、それの用途を知った。
フィンとカルナリアの足は、そろってそれを踏み、先へ飛んだ。
(道が混んでくるところに設置する、『流星伝令』用の足場なんですね!)
傾斜も、雨水を流すのはもちろんだが、伝令が次の一歩を踏み出しやすくするためだ。
実際、傾斜した板は自分たちの足を丁度良く受け止め、送り出してくれた。
ふたつ目の街が見えてきた。
城も、付随する街も、先ほどのものよりかなり大きい。
フィンの目が左右に動く。体の動きにわずかなためらい。停止しようかどうしようか迷っている様子。
(違います、ここはまだタランドンではありません! その手前の、マルティーユという街です!)
カルナリアは慌てたが、伝える方法がない。
ここで止まってしまったら、緊急の連絡と思った騎士たちが一気に集まってきて――伝令でもなんでもない風体の自分たちは、間違いなく捕らえられる。手配書が回っていたらさらに大変なことになる。少なくともフィンと自分は離ればなれにされてしまい、二度と会えなくなる可能性が高い。
捕まるにしても、すぐタランドン侯爵に話が伝わる場所、すなわちタランドン城でなければ。
――幸い、フィンの目が右に動いて、エラルモ河の流れに気づいてくれた。
エラルモ河は真西に流れた後、北へ向きを変えて海へ続く。
タランドン市は、その向きが変わるところにある。
この領について聞かれた時にそれを教えておいた。
河がまだ西へ続いているということは、ここはタランドン市ではないということだ。
そう判断し、足に力が入った。
カルナリアは安堵した。
二度目の、城と街を飛び越える大飛翔。
かなり大きな街であり、ひとっ飛びとはいかなかったが――街の中にも、ところどころに屋根が平坦でそこだけ色が違う、『流星伝令』用の足場が設置されていた。
城の最深部にあるひときわ大きな、王の橙色とタランドン侯爵家の紋章が描かれた円形の広場は、間違いなく伝令の着地場所だろう。
伝令の到着に備える騎士たちが待機しているのが見えた。
その表情も見えた。
怪訝そう。
飛んでくる自分たちの格好が、どう見ても伝令のそれではないからだ。
(誤解させてごめんなさい。でも今、あなたたちは、王女を見上げているのですよ!)
いい気分で、カルナリアは彼らも城も飛び越えていった。
そこからはずっと、『足場』の上だけを踏む。
路上に人が多すぎる。
次の街は、いよいよタランドン本市だ。
整列した者たちが延々と連なる、移動中の軍勢にも出くわした。
千を超えるだろう人数が一斉に敬礼してくる様はすばらしかった。
何らかの伝令だろう、警告の金属音を鳴らしながら疾走する馬を、横から追い抜いていくのも気持ちがよかった。
(ああ、いっそのこと、このままバルカニアまで!)
しかし――『流星』の魔力がじりじりと減っていくのは、使い始めてからずっと感じていた。
カルナリアはこれまで数度、フィンのそれが魔力を使い切って光を失うところを見ている。
さすがに補充なしでどこまでも行けるわけではない。
この感じならば、タランドンに到着したところで、半分ほどを消費するというところか。
タランドン領の完全な横断、あるいはタランドン市から王都までが、一度で走りきれる限界だろう。それ以上は魔力の充填が必要だ。
それでも、馬を乗り継ぐ最速の伝令であっても三日以上かかるところを半日かからずに踏破できるのだから、とてつもないものだ。
確かにこれは、移動時間を稼ぐために、フィンが一晩かけて自分に練習させるだけのことはある。
持っていると知られれば狙われるというのもよくわかった。
国が管理する理由も。
どんな高い壁を張り巡らせても、これを使う相手には意味がない。屋根の上でも塔の頂上でも、簡単に到達し、入りこんだり火をつけたり、色々できてしまう。
王女の自分のような重要人物を誘拐して、一気に遠くへ逃げてしまえる。いくら強い騎士に護衛させていても、同じ『流星』持ちでなければ追うことはできない。
もちろん対処法はあるのだが、それにしても。
悪用されることを思えば、製作も、所有も、使用も、強い制限をかけられるのは仕方のないことだった。
(こんなに、素敵なのに…………!)
カルナリアは、フィンと一緒に飛翔するこのすばらしい時間が、もうじき終わってしまうのが残念でならなかった。
ついに第一の目的地、逃避行の当初から目指していたタランドンへ。
ここまでが、いわば第一部逃亡編といったところで、次回から第二部、タランドン編に入ります。
その区切りも兼ねて、次回は番外編です。番外編第1話「復活」。残酷な表現あり。




