61 大収穫
カルナリア視点に戻ります。時間も少し戻ります。
「休むぞ」
とフィンに誘われた。
胸が高鳴る。
撥水効果は保たれているから、カルナリアも自分のマントにくるまり腰を下ろせば雨あがりの地べたでも濡れることはないのだが――認識阻害の機能はないので、捜索にあたる兵士たちの目を逃れるためには、フィンの布の中に潜りこむしかない。
フィンから言ってくれたのだから、もう呪いのことは完全に許してくれたのだろう。
よりそって座り、体をくっつけつつ一枚の布に包まれるのを想像し、胸を弾ませた。
まだ陽は沈んでいない。もしかすると顔が見えることだってあるかも。
「!」
だがやはりこの相手は、カルナリアの想像を超えてくる。
フィンは、地べたに横になっていた。
ぼろ布が、横に長い筒となって、木の根を枕に、寝る態勢。
「来い」
布を開けて、呼ばれた。
顔は相変わらず見えないが、腰まわりの衣服と剣が見えた。
細い腰と、充実した下半身。カルナリアの胸が強く弾む。
「呪いはもう消えている。それなら問題ないだろう?」
「え、ええと、は、はい……!」
雨滴のついたマント姿で入りこむわけにもいかず、脱いで、水を飛ばしてから、丸めてかかえ――。
「失礼、いたします……!」
いそいそと、身をかがめて、布の中に入りこんだ。
やっぱり顔は見えなかった。
完全な添い寝の態勢。
「夜までこのままだ。眠っておけ」
そうは言われても――まだ夜ではない上に、昨夜は呪いのせいでフィンに落とされてからたっぷり眠ってしまったために、眠気が来ていない。
しかも、添い寝はここ数日してもらったが、今は――あの呪いを、呪いに伴う変調を、呪いのせいである妙な感覚を経験してしまったために、今までと同じ気分でいられない。
具体的には、やたらと胸がドキドキする。
緊張する。体温が上がる。息苦しくなる。
フィンは、まったく警戒していない様子で、しっかり全体を包みこもうと、カルナリアを抱き寄せた。
そのせいでさらに心拍数と体温が上昇する。
かといって、この態勢になってしまった以上、外に出るわけにもいかない。
捜索の手を逃れてこうしているのだから、おしゃべりなどもってのほか。
ずっとこのまま、無言でフィンに密着し、その肌のにおいに包まれているしかないのか。
体が変調をきたしているというのに。
呪いはもうかかっていないはずなのに、あのときと同じことをしたい感情がふくらんできている……これは、おかしい、まずい、いけない……!
「…………まあ、この時間では眠れないか」
フィンもさすがに気づいたのか、もぞもぞ体を動かして――色々なところが当たって、カルナリアの体をさらに変調させる――何かを取り出したようだった。
微細な魔力を感じる。
(まさか麻痺の指輪では!?)
警戒したカルナリアの、口元にそれが来た。
「飲め」
丸い、筒の口のようなものが唇に触れた。
そういう形のものが、魔力を補充している板の上にあったのを思い出す。
筒の中から、とろりとしたものが流しこまれてきた。
「!」
(美味しいっ!)
甘味、だった。
それも極上の。
蜜。
上等な蜂蜜やシロップを口にしてきたカルナリアでも初体験の、強く深い味わい。
一瞬で脳が幸福に満たされ、猛烈に湧いた唾液と共に飲みこみ――。
ふわっと、意識が薄れた。
(あ…………れ…………?)
「栄養補給と、まあ、少しばかり眠くなる成分を入れておいた」
フィンの声が、薄れる意識の中でかすかに聞こえた。
……目覚めると、周囲は暗黒だった。
(わたくし、またやらかしてしまいましたか!?)
前回とほぼ同じ状況に、声こそ出さないが、かなり慌てて色々確かめる。
大丈夫、問題は起こしていないらしい、ちゃんと服は着ている、首輪もある、『王の冠』を感じる。荷物もある。
顔に風を感じる。周囲にひそやかな自然の物音が色々と流れている。
夜だ。
夜の中に自分はいる。
そして――ひとりきり。
フィンがいない。
自分のマントに包まれている。
それだけで、魔力を感じるぼろ布がない。
あたたかくやわらかくいい匂いのする、麗しい守り手がいない。
(置いていかれた!?)
一瞬、その想像が脳裏をよぎり、昨日そうなる可能性に戦慄したことも思い出して、総毛立つ。
飛び起きて見回した。
真っ暗で何も見えない、何もわからない。
すぐ側に、横になる際にその根を枕にした木が立っていて、その幹を頼りに立ち上がってさらに見回す。
声を出すわけにはいかないという自制心はかろうじてはたらくが、とてつもない不安に胸が詰まり、息が苦しくなる。
「……ルナ」
小さな呼び声に、一気に緊張がほぐれた。
闇の中に、かすかな光が見えた。
あの照明具を、できるだけ弱くしたもののようだ。
「来い」
体は即座に動いた。
兵士たちが休憩していた空き地に、男がひとり倒れていた。
その傍らにフィンが鎮座している。
剣の鞘でぶちのめしたようだ。
「この人!」
カルナリアは相手の姿に凍りついた。
あの、猫背の男だった。
「変態を、退治した」
「へ、変態!?」
「風下から近づいてきて、私たちのにおいを嗅いでいた」
その行為を想像し、理解して、強烈な怖気がはしった。
あまりの嫌悪に顔が歪んだ。
「足を持て。そこへ運ぶ」
少しくぼんだ、光を灯しても周囲から見えづらい場所へ――フィンが男の上半身を羽交い締めにして持ち上げ、カルナリアは靴の方を、汚らわしく思いつつもどうにか持ち上げて、二人で移動させていった。
くぼみに男を横たえると、フィンは麻痺の指輪を装着し、触れた。
男の体に魔力がはしる。
これでもう、意識を取り戻したとしても、動けない。
あらためて観察する。
「ランダルの、ローツ村に来ていたやつだな。河でも追いかけてきていた」
「はい、間違いありません」
「何という執念深さ……それほど賞金が欲しいのか。賞金稼ぎの意地か。とにかく、犬も部下もいないのは、こちらとしては助かった」
「はい……」
カルナリアは恐ろしさに身震いした。
間違いなく王都からずっと自分を追いかけ続けてきた、凄腕の追跡者。
とてつもない「悪い色」をした、実際にドルーで衛兵を殺しているし、他にも沢山の人を手にかけてきただろう、残忍な行為をいくらでも平気でやれる人間。
それを、フィンが、ぶちのめした。
(やはりこのひとは、凄腕なのでしょうか?)
ぼろ布のおかげもあるのだろうが……しかし相手がこちらのにおいを嗅いでいたということは、本当に変態で、それで隙を見せてしまったのかもしれず、断言してしまうのは危険だった。
それっぽいものを見せつけて信じさせようとしてくる詐欺師には常に警戒しろというのは、王族教育の基本だ。
しかしとにかく、自分を追い続けてきた恐ろしい者のひとりであるこの男を、消せば……すさまじい追跡能力を持っている者がいなくなってくれるという、ありがたい状況……。
「この人を、どうするのですか……?」
「脱がせる」
「!?」
予想外の返答にカルナリアは固まった。
「こちらを襲ってきたのだ。ならば、持っているものを奪われても仕方のないことだ」
「み、身ぐるみをはぐという行為ですか!?」
「そうとも言う」
やれ、と命令された。
奴隷の身では従うしかなかった。
失神している男性の服を脱がせてゆくという、生まれて初めての行為に、カルナリアは――嫌悪しかおぼえなかった。
失神していても、この男が「悪い色」に染まって見えていることに変わりはない。
衣服にもその色を感じてしまう。汚物に触れなければならない気分。容姿端麗というわけでもない相手を脱がせるだけでも気持ち悪いのに。
しかし――カルナリアはすぐに、嫌悪を上回る興味に満たされた。
(このひと、たくさん、魔法具持ってます!)
まず、身にまとっているマントが、フィンのものと同じ、認識阻害の魔法をかけられたものだった。
他にも、これもフィンと同じく、用途はわからないが魔力を感じるものが到るところから出てくる。
見た目は地味な衣服に、魔法具が縫いこまれていたり。
ポケットの中の小物がそれだったり。
何らかの効果を付与された刃物、鋼の糸、防具……。
「ああっ!」
思わず声をあげてしまった。
男の、足首についている足環。
『流星』だった。
「……これは。ふむ。私のものと似ている……この国のものか……」
フィンが取り外し、顔の前だろうところに持っていって布ごしにじっくり検分し――。
「すばらしい。ありがたい」
奪うことを確定した表現をして、ぼろ布の中に吸いこんだ。
フィンが持っている様々な魔法具の入手方法が、よく理解できてしまった。
さらに脱がせる作業をさせられる。
重たい体を持ち上げる時だけはフィンが手伝ってくれた。
自分の手で肌着姿にした男を見下ろし、カルナリアは顔を引き歪めた。
ひどい猫背の姿勢と裏腹の、全身引き締まった、鋼のような肉体をしていた。
しかし、いい体をしているからこそ、ここまでのこの者の所業とつながり、よみがえる恐怖とあいまって、嫌悪感がひどい。
「最後の一枚の中に重要なものを隠すというのは、よくあることだ」
その命令で、最後の下着まで脱がさなければならなくなり……。
「ひゃあぁぁぁ…………!」
「まあ、こういうものが、男にはついている。見せつけて驚かせ、その隙に襲ってくるやつもいるから、この機会におぼえておけ」
淡々と、とてつもないもののことを教えられてしまった。
男性は自分たちとは違うものを持っているということは王宮でも教えられてはいたが、漠然とした表現だけだった。
なのに、これ以上なくはっきりと、現物を見せられてしまった。
別な生き物のようなものが付着している!
「ふむ」
ショックを受けるカルナリアをよそに、フィンは男の最後の下着を検分し、縫いこまれたものやきわめて小さな刃物を見つけ出していった。
その平然とした様は、男性のこうした姿にも慣れているようで――。
「あ、あの、これ、平気なのですか!?」
「ん? こんなもの、男なら誰にでもついているのだ、どうということもない」
「慣れているんですかっ!?」
「これは女に邪な気持ちを抱くと大きくなるものでな。そうしたやつに襲われることはしょっちゅうで、もう見飽きた。ちなみに、このぶらさがっている左右の袋、これが男の急所というもので、どんなにでかくて強いやつでもこれを蹴り上げれば一発で――」
(大人だ……!)
理屈ではないところで、フィンに対する敬意を抱いたカルナリアであった。
さらに他の持ち物を検分する。
携帯食料はいただいていく。大変助かる。
他にも食べ物があったが――。
「しまった。これはだめだ」
袋の開け方を間違えると毒がまぶされる仕掛けになっていた。
奪う者への意趣返し、あるいは狙う相手に毒を食らわせるためのものだろう。
薬に詳しいフィンでなければ危ういところだった。
「この宝石はもらうが、金は、全部は取らない。大銀貨と、他に少しだけもらっていき、あとは残しておけ」
「残すんですか?」
「そうしておかないと、目を覚ましたこいつが、何の罪もない他の人を襲う。服や水、金など、ねぐらに戻れるくらいのものは残しておいてやれば、被害は出ない」
「その…………処分すれば……いいのでは……」
「殺せということか?」
「え……それは……」
直接的な表現にたじろぐ。
「でも、逃がしたら、また私たちを追ってくるかも……今まで以上に、ものすごく恨んで……」
「私たちを殺そうとするなら殺す。でもこいつには、殺そうという気はなかった。それなら、私は殺さない。お前が殺したいならそれはかまわん、お前の好きにしろ」
「………………」
ご主人さまは、代わりにやってくれるような甘えを許してくれなかった。
カルナリアの心臓が猛烈に脈打ち始める。
いきなり突きつけられた選択肢。
ここにレントの短剣がある。
突き刺せば、怖いものがこの世からひとつ消える。
だが……それは、ひとを殺すということ……。
自分の意志でそれを選ぶということ。
この猫背の男は敵、間違いなく敵、父を討ち王宮を焼いたガルディスの部下、レントとエリーを殺したやつらの同類。
だから命を奪うのは、正当なこと、何の問題もないこと、自分の目的のためにもむしろやるべきこと……!
カルナリアの脳裏を、これまで見てきたいくつもの「死」がよぎった。
それをもたらしたこいつら、放っておけばこれからもさらに無数の殺しを行うだろう非道な者……!
「…………!」
カルナリアは、短剣を抜いた。
猫背の男という畑から、たくさんのものがとれました。よかったね! ……カルナリアの選択はいかに。次回、第62話「星落とし」。追っ手の怒りはさらに深まる。残酷な表現あり。
※2023年10月21日、一ヶ所修正いたしました。
元は「私を殺そうとするなら殺す。」だったのを、「私たちを殺そうとするなら殺す。」に。
後の展開を踏まえると、ここではもうこう言うだろうなと。わずかですが大きな違いです。




