60 さかり
『6』視点続きます。最後にちょっと別視点。
『四女』は、雨がやみそうかどうかを確かめに、隠れ場所から出てきた様子。
何ともうかつなことだ。
(いや……囮だな)
『剣』がついていながらあんな真似はさせるまい。
『四女』の姿を大胆にさらして、動き出す自分のような追跡者をつり出そうとしているのだろう。
この荒れ地は隠れ場所にはことかかず、人数がいてもその利を生かしづらい。一対一に強い者にはうってつけの戦場だ。
だが甘い。
自分は戦闘の専門家ではない。したがって自分の手で『剣』を討ち『四女』を捕らえる大手柄を立てようなどとはまったく考えない。
自分がするのは、ひたすら追尾し、目標の居場所を仲間に伝え続けること、それだけ。
それにより仲間が目的を達成してくれれば、自分も心から誇り、喜ぶことができる。
『剣』の目論見には乗らず、『6』はひたすら『四女』を見守るだけで、動かなかった。
彫像のように待つうちに、雨があがる。
(…………出た!)
やや小高いところ、岩を背後にした場所で何かが動いた。
『目よけ』の布が取り払われ、水をはらっているのだろう、大きくはためく。
『6』からは岩が邪魔して半分ほどしか見えないが、ひるがえる布と、それを握る『剣』の手がはっきり見えた。
『剣』が間違いなくそこにいる、というのなら――移動するなら今。
『6』は上っていた岩を滑り降りた。
降りた途端に斬撃が襲ってくる、などということはもちろんなかった…………が。
「!?」
全身を冷気が貫いた。
周囲には誰もいない、『剣』の姿も見えない……が、今感じたそれは、殺気そのものだった。
やはり気づかれていたのか。
あれは『四女』の偽装で、『剣』は自分を発見しており、こうして殺しに……。
「………………」
次の瞬間の確実な死を覚悟して、自分の武器と、仲間に連絡する道具に手をかける。
だが――それ以上何も起こることはなく、恐るべき気配は消え失せた。
まるで、自分を食おうとしていた捕食者が、ふと気まぐれを起こして立ち去ったかのように。
口から息が漏れた。
満面が汗に濡れた。
(俺への…………警告か……?)
あの切り刻まれた熊のように……追ってくるな、という……。
だが自分は獣とは違う。人だ。忍びだ。『風』の一員だ。
人には恐怖を乗り越える意志がある。
どれほど恐ろしくとも、進み続け、任務を果たすのみ。
『四女』だろう、少女が泣きじゃくる声をかすかにとらえた。
その声の方へ向かいたくなる脚を止め、周囲の岩と同化して可能な限り気配を消す。
これも、泣き声という異常事態に反応して動いてしまう追っ手をおびき寄せる罠かもしれない。
待つうちに、人の気配が動き出した。
素人の少女にすぎない『四女』の気配は、姿は見えなくても容易に感じ取ることができる。
気配は人馬が行き交う街道の方へ向かっていった。
十分時間を空けて、『四女』の気配が感じ取れなくなってからはじめて、『6』は慎重に動き出した。
まずは相手が隠れ潜んでいた場所へ。
すぐに見つかった。
そこだけ地面が乾いており、木の枝もたっぷり敷かれていたので発見は容易だった。
食事をした痕跡、『剣』の足跡もしっかり残っている。
「……『犬鼻』、発動」
宣言して、魔法具を発動させる。
名前の通り、犬と同じくらいに嗅覚を高めるものだ。
たちまち大量の嗅覚情報が流れこんでくる。
普通の者なら脳が混乱して気絶してしまう。本来人間が持っているはずのない感覚を流しこまれるのだから仕方のないこと。
だが『6』は耐えることができた。
耐えて、犬と同じように、必要なにおいだけを判別し記憶することができた。
「すぅぅっ……!」
彼の鼻は、『剣』がずっと座っていた場所のにおいを記憶した。
女体の、素肌のにおい。
濡れた服を乾かしている間、ずっと裸だったのだろう。
(おおおおおお!)
脳裏に魅力的な裸身が浮かび上がった。
顔と体を知っているところに嗅覚情報が重なって、まるで本当にそこに全裸の相手がいるかのように感じられた。
事前に心身を美しさに慣らしておくあの手順はやはり必要だった。
あれをしていなければ、ここで魅了され、相手を――逃がすことはさすがにやらないが――自分の手で捕らえて、仲間が来る前に好き放題してやろうと性急な行動に出てしまったかもしれなかった。
『四女』のにおいもかぎとり、記憶する。
甘い。かぐわしい。
これまでの自分では、近づくどころか姿を見ることすら許されなかった、第四王女、第一位貴族の肌のにおいだ。
それをかぐことができるとは、これもまたガルディス様のおかげと、『6』はしびれるほどの快感に包まれた。
どうしても我慢できず、王女と美女が生尻を落としていただろう、においが最も濃密なところに顔を押しつけ、高貴なふたりを並べて陵辱する妄想にひたった。
――移動を開始する。
においを追尾するのではない。
まずはまっすぐ南下して、街道に出た。
そこから西へ移動し始める。
風が北から吹いているので、風下を動けば、どこかにいる女ふたりのにおいを嗅ぎつけることができるからだ。
『剣』も、後を追ってくる相手のことは想定し警戒しているだろうが、別方向から迫られるとは思うまい。
途中、兵士や騎士に出くわした時は道ばたにひそみ『犬鼻』を切った。
『目よけ』の認識阻害力により自分の姿が見つかることはないが、汗ばんだ男の体臭、それも複数のにおいを濃厚に嗅ぐというのはさすがにごめんだ。
兵士の集団に伝令が、「ドルー城襲撃犯」の情報を伝え、捜索任務を言いつけているところに出くわした。
その人相書きは『1』の手になるもので、つまり表の身分を使い、この先の城や街に『剣』をお尋ね者だと信じこませることに成功したのだ。
タランドン領の兵士たちが捜索に協力するようになれば、ますます『四女』の逃げ場はなくなる。
『流星』で逃げても、あの目立つ魔法具は即座に気づかれ通報されて、居場所が露見するだけだ。
もうじき『四女』の逃亡も終わり。
散々手間をかけさせてくれたが、それもここまでだ。
兵士の集団のいる場所を通り過ぎてから、『6』は再び『犬鼻』を作動させた。
……失敗した。
『四女』と『剣』は、その兵士の集団の近くにいたのだ。
そのことに気づいたのは、しばらく西へ行って、さすがに何もかぎとれないのはおかしいと思い、東へ移動した可能性もあるかと戻ってきてから。
陽が沈む頃になって、ようやく目的のにおいを嗅ぎつけた。
『犬鼻』も限界が近かった。
女ふたりは、街道脇の木陰で――恐らく『剣』に抱きつくかたちで、二人まとまって『目よけ』の布にくるまり、横になっていた。
暗くなるまで待って、それから移動するつもりなのだろう。
今は眠っているのかもしれない。
姿を目視することはできないが、あの麗しい素肌のにおいがはっきりかぎとれる。
『6』は懐に手を入れた。
人の指ほどの、細長い木筒を取り出す。
ふたを開け、中から細い筒を手の平に滑らせた。
黒い、硬質な色合いのもの。
それを地面の、石の上に置き、踏みにじって、ペキッと割った。
――これも魔法具である。
ふたつで一組。片方を割るともう片方も同時に割れるという、ただそれだけのもの。
しかし中に入っているのは、北方の山脈にのみ生息する特殊な粘体生物の一部だ。
この粘体生物は、切断しても、その部分がうごめき移動して、他の自分の体に寄っていって、くっついて元に戻るという性質を持っている。
その「他の自分の体」の探知距離が、常識では考えられないほど広いのだ。
地平の向こうからでも、自分の体を見つけ、そちらへ向かおうとする。
どうやって探知しているのかは学者の研究にまかせる。自分たちが使うに当たって重要なのは、その距離と特性。
同一個体を切り分け、魔法具の筒内に入れてある。
すなわち、筒を壊してふたつのスライム体が自由になると。
それぞれが、お互いを求めて動き出す。
『6』の持つこれと対になっているものは、『1』が持っている。
今『6』が筒を壊したことによって、『1』の筒も壊れ――すなわち『6』が目標を発見したということ、『6』のいる方向が伝わる。
笛や声などの音、犬や鳥などの動物、魔法などの既存の方法と違い、相手がどれほど目ざとくても優秀な魔導師でも、一切気づかれずに情報を伝えることができる、『風』だけが使う伝達方法。
これで、あとは待つだけとなった。
夜になる頃には、『1』をはじめ他の面々も集結してくることだろう。
『6』は風向きの変化に気をつけながら、魔力切れ寸前の『犬鼻』を時々使っては、相手が移動していないことを確かめ続けた。
女たちのかぐわしいにおいは、ひたすら待つ中で、すばらしい楽しみを与えてくれた。
……自分も『目よけ』の布にくるまっているのだから気づかれる可能性はない。
『犬鼻』が切れる前により沢山においをかいでおこうと、完全に陽が落ちてから、音を立てずに風下から近づいていった。
※
「……ルナ、来い」
「は、はい…………うわっ!? ひ、人!? ……って! この人!」
闇の向こうに照明具のかすかな光が灯り、カルナリアがこわごわとそこを目指すと――。
フィンが立っていて。
ぼろ布の隙間から、剣の鞘が突き出していて。
その足下に、それで殴り倒されたらしい男が気絶していた。
「変態を、退治した」
あの猫背の男だった。
一度も相手の姿を見ていないのに色香に迷った。罪深き女たち。そしてついに逃亡者と追跡者が直接接触。次回、第61話「大収穫」。誰が何を収穫したのか。




