56 新たな目標
――とはいえ、外は雨、衣服も装備も乾ききっていない。
「隣の国へ行く……となると、商隊の護衛が定番だが……今、商人が行き来できるかどうか、怪しいな……」
「どうしてですか?」
「今の話を聞いての判断だが、私がここの領主なら、第一王子が王を討ったという話が伝わってきた時点で、国境を全面的に封鎖する。どんな身分の者も、相手の国に家族がいようと、子供でも犬でも、一切通さないようにする」
「それは……どうしてです?」
「バルカニアへ情報が伝わるのを少しでも遅らせる必要があるからな。そうしておいて、領内を落ちつかせる。実際、傭兵たちが略奪に出てきていたし、ドルーにも逃げてきた者たちが押し寄せていた。ああいうのを防ぎ領内が荒れないようにするには、国境をふさいで時間を稼ぎ、その間に軍を動かして強引にでも治安を保たせるしかない。バルカニアの全力の介入が想定される状況だ、領内が乱れていては大変なことになる」
「そう……ですね……」
ワグル村で、騎士ネレイドも、峠をふさげと兵士を動かしていた。
彼らは今、どうしているだろう。
「国境を開くのは、第二王子が戻ってくる時だけだろうな」
それならそれで、カルナリアとしては願ってもないことなのだが……。
「その辺りもまあ、タランドンへ行ってみないと、実際のところはわからないわけだが……どうなることか」
この領は広い。ここから侯爵の居城でもある中央都市のタランドンまでは、馬に乗っても三日はかかる。夜の間も移動できる船がよく利用されるのにはちゃんと理由がある。
カルナリアはちらりと『流星』を見た。
河の中を動くために使い切ってしまったのだろう、魔力を充填中のそれが、万全に使えるようになれば……。
「とにかく、服が乾かないことには、何もできん」
「はい」
フィンが知りたいことは大体わかったらしく、会話は一段落。
となると……先ほどからの好奇心がまた湧いてくる。
一日中この狭い空間に居続けるとなれば、数々の魔法具について聞き出すことができるかもしれない。
「それにしても、これが、ご主人さまの剣なのですね。初めて、全部見ました。本当に剣士さまだったのですね」
「何だと思っていたんだ」
「お強いところを、見せていただいたことがないものですから……物まねが得意な、軽業師かもしれないなと……」
「ふむ。少し、調教が必要かな?」
美しい手が、両方とも出てきて、空中でうごめいた。
薬を塗りこみ、体を揉み、ぬぐってくれた、あの妖しい動き。
「!」
それを見た途端に、カルナリアの意志とは関係なく、体の方があのほぐされきった状態を欲して、熱くなり、ぐにゃぐにゃになった。
その手が本当に触れてきたら、絶対に抗えない。
うごめくところを見ているだけで腰が抜けてしまいそう。
「け、剣士さまですっ、よくわかりました、この剣は、剣士さまの持ち物ですっ、ご主人さまは剣士さまです!」
「わかればよい」
手が引っこんだ。
安堵と、少し残念な気持ちの入り混じった息をカルナリアはついた。
今のは、フィンなりの冗談だったのだろうか。それとも。
この人物の場合、どちらもあり得るから恐ろしい。
「でも……その…………こんな剣、見たことがないです」
「東の方では割と普通に使われているのだがな。この国でも、反ったもの、湾曲したものを持ち歩いている者は何度か見かけたぞ」
軍に正式採用されていないので、カルナリアが見る機会がなかったのだろう。
「よく切れるんですか?」
「ああ、切れないものはない」
「すごすぎます!」
感心してみせたが、誇張だろうとカルナリアは冷静に考えた。
全身を金属甲冑でかためた騎士をこの細い剣でどうにかできるとはさすがに思えない。
「名前とか、そういうの、あるんですか?」
「あるにはあるが、まあ、お前が知らない方がいいことのひとつだ」
「それって、その…………お顔を見せてくださらないのと、似た感じのことですか?」
「その通り。これの名を口にしただけで、寄ってくるやつらがぞろぞろ出てくる。本当にめんどくさいやつが狙っている。ろくなことにならない。だから知らない方がいい。お前のためにも、教えない」
「…………」
そこまで言い切られてしまっては、じわじわとおねだりして根負けさせる作戦も使えなさそうだった。
――雨の中、服を乾かしつつ、さらに時間が過ぎてゆき……。
「………………お腹、すきました……」
多分もう午後になっているだろう頃合いに、カルナリアの腹が鳴った。
服も靴も大体乾いた。
カルナリアは上下をきちんと着直して、ずっと発熱サイコロから熱風が送られつづけている狭い天幕内では暑いくらい。
「ふむ。では――そろそろこれが使えるな」
そこに、小さな円錐形の、きらきら光る魔法具を渡された。
長い紐がついている。
「それを、頭の上に乗せて、あごで縛って、固定しろ」
「はい……?」
言われた通りにすると、微細な魔力が動き出すのを感じた。
「固定したら、その上から、マントをかぶって、布を触れさせろ」
「はい」
敷物にしていたマントを羽織り、フードをかぶり、言われた通りに頭上の円錐形にフードの布地を触れさせる。
途端に、フードからマント全体に、魔力がはしるのを感じた。
「…………なんですか、これ?」
無邪気を装って訊ねる。
「撥水。わかるか」
「ええと、何かの飲み物ですか?」
「水を弾くという意味だ。触れさせたものに、その機能を与える。昨日、河の中で使いきったのだが、やっと回復した。それを使えば、雨の中でも、ほとんど濡れずにすむ」
「……!」
そんなものがあったのか。
河の中で『流星』とは別に発動を感じたのは、これだったのだ。
「外に出て、周りを見回ってこい。河の様子、道が近くにあるか、おかしなやつらはいないか。遠くには行くなよ。戻ってきたら食事にする」
「……はいっ!」
追跡者への恐怖はあるものの、体を動かせる喜びと、食事への期待でカルナリアの気持ちは盛り上がった。
ぼろ布のすそをめくって、外に出た。
もちろん身はできる限りかがめて、岩に身を隠して、そろそろと。
たちまちフードを雨が叩く。雨の音と湿気とひんやりした空気に包まれる。
しかし――。
(本当に、濡れません!)
水が染みこむはずのマントの上を、雨滴がするりと滑り落ちてゆく。
まったく染みない。
効果に感心しつつ、周囲に視線をはしらせ、恐ろしい者たちがいないか、この雨の中でも動き回る執拗な人影がないか、警戒した。
見た感じ、誰もいない。
灰色の空、降り続ける雨とその音だけだ。
エラルモ河は、先に見たのと同じように、色の濃いよどんだ水面が広がっているだけ。
とうとうと流れ続けているそこを、船が時折通りかかるが、ほとんど人の姿は見えず、何かが横切っていったというくらいしかわからない。
周囲に動くものは何もない、ということを慎重に確かめてからようやく、カルナリアは両手を大きく広げ、めいっぱいの伸びをした。
目覚めてからほぼ半日、ずっと座る姿勢だった体が、あちこち音を鳴らした。
(申し訳ありませんご主人さま、わたくしは、ずっと何もしないでいるというのは、無理です!)
フィンに謝罪しつつも、体を動かせる気持ちよさに浸り、カルナリアは雨の中で様々な動きを――騎士たちに教わった基本的なストレッチをあれこれとやった。
そうさせるためにフィンは自分を外に出してくれたのかもしれない。
爽快だった。
どう動いても雨滴は染みてこないというのは、本当にすばらしい。
(これ、王宮で、購入すべきです! 開発させましょう!)
……そう思ってから、もう王宮も、開発してくれる魔導師たちも存在していないことに気がつき、落ちこんだ。
気を取り直して、周囲を見て回る。
もちろん、まず振り向いて、認識阻害の布のせいで目にはとらえられない天幕の位置を、周囲の岩の形と合わせて記憶しておくことは忘れない。
何も知らない者がここに迷いこんでも、その中に女ふたりが身をひそめているということはまったく気づけないだろう。
そうしてから少し歩き回ってみると、本当に何の利用価値もない、荒れ地でしかなかった。
家畜の餌にする牧草すらろくに生えない、ごつごつした岩とひょろひょろの木ばかりの、使い道のない土地。
あちこちに枝を切断したらしい跡があるのは、フィンが天幕の床に敷くために切ってまわったものだろう。
どれほどフィンに苦労させたのか、あらためてカルナリアは想像し、自分を戒めた。
王女なら、そうされても当然だが。
今の自分は奴隷であり、苦労すべきなのは自分の方なのだ。
ここで使えない奴隷だからと放り出されて、自分ひとりでタランドンを目指せと言われても、無理だ。
平時ならできたかもしれないが、あんな恐ろしい連中がうろついている中では、たどりつける気がしない。
今、フィンに捨てられるというのは、想像すらしたくない、最も避けるべきことだった。
(………………その相手に、わたくしは、なんということを!)
手の中に、昨夜失神させられる前に揉みしだいたやわらかなものの感覚がよみがえる。
羞恥し、反省しているのだが、たまらなく、どうしようもなく、心地よかったこともまた否定できない。
だからこそ、許してもらえたことに感謝するばかり。
仕返しに、自分の体を揉むくらいのことは許さなければ。
自分はまだまだ貧相なので、揉んで楽しい部分はお尻ぐらいしかないだろうが、もしやられたことをやり返すからとフィンが鷲づかみにしようとしてきたら、拒まないようにしようと思い定めた。
王女の自分が、許すのだ。
どれほどめちゃくちゃにされてしまうのかわからないが、仕方ない、受け入れなければ……。
顔がやたらと熱くなった。
(本当に……相変わらず顔を見せてくださらない、体もできるだけ隠す、ありえない数の魔法具、経歴不明……何なのでしょう、あのひとは……)
まだまだ、まったく得体が知れない。
その相手の言うままに、王女の自分が、周囲を見て回っている。
それがいやではない。
おかしいことなのだが、否定する気持ちになれない。
――濡れているので気をつけつつ、高い岩の上に登ってみた。
やはり岩ばかり、細い木ばかり――だったが。
空を覆う雨雲に、むらが――明るい部分ができていて。
それがゆっくり移動してゆく向こうに、白々とした、晴れ間と斜めの陽光が見えていた。
もうすぐ雨が上がりそう。
時刻と方角も察しがついた。正午をいくらか過ぎた午後だ。
「あ!」
雨滴の向こう、木々の合間を、走ってゆく騎馬の姿が見えた。
かなり急がせている、緊急の伝令のような走らせ方。
そこに道があることは間違いない。
カルナリアはその方向と距離を大体だが目算した上で、慎重に岩を降り、天幕に戻った。
「近いところに、道がありました!」
「入るな」
ぼろ布の端をめくろうとして、制止された。
わずかに持ち上げた内側から、すさまじい熱気が噴き出してきた。
節分前ですが、頭の上に一本角。そしていちゃいちゃ。ほんのわずかな、平和な時間。次回、第57話「雨あがりの殺意」。




