54 雨の中のふたり
照明の魔法具が、上の方で光を放っていた。
ぼろ布と岩で作った、狭い天幕の中。
かなり暖かい。
カルナリアをくるんでいるのは自分のマント。
床は、細い木の枝を何本も網の目のように並べて、湿った土にできるだけ直接触れないようにしてある。
中央に、剣――少し反った、長剣が柱にされている。
前にも見た、粗い布を巻きつけた鞘部分と、何の装飾もない小さめの鍔、こちらも飾り気なく質素なつくりの黒い柄。
小柄なカルナリアの身長より長そう。かなりの長剣だ。
照明の魔法具はその柄に貼りつけられて光っている。
その向こうに――緑色の物体があった。
「!?」
その色合いにはおぼえがあった。
フィンのぼろ布の、内側。
『透過』の魔法のかかった側……。
それにくるまった存在。
(二枚重ねだったんですか!?)
表が認識阻害、裏が透過ではなかった。別々に魔法を付与したものを二枚貼り合わせていたのだ。
一枚の布に二種類の魔法を付与したという、聞いたこともないはなれわざではなくて、ある意味納得した。
布の形状は、見慣れた円錐形。
もっとも普段より小さく、崩れた状態。
その中にフィンがいるのが、何となく見てとれる。
しかしなぜ、天幕の中なのになお、頭まで覆っているのか。
答えはやはり天幕内にあった。
中央の柱にしている剣と同じように、地面に突き刺して立てた太めの木の枝が数本。
その間に、荷物の中にあった細いロープがわたされていて。
そこに、衣服がかけられていた。
カルナリアが着ていたものと――フィンのもの。
真下では、あの発熱サイコロが、すべて組まれて激しく赤熱している。
風を出す魔法具も置いてあって、熱風を吹きつけて乾かしているようだ。
干されているものの中には、カルナリアがつけていた下着もあって。
直接手にしたこともある、フィンのものだろう、刺繍の施された下着もかけられていた。
けっこう大きな胸当てもあった。
逆さにされ、岩壁に立てかけられている靴。
二人の上着もそのかたわらにある。
つまり今、あの緑の布の中で、フィンは自分と同じく全裸のままなのだ。
それでも一応は屋内なのだ、顔くらい見せてくれても――。
「……呪いのせいであり、私もやられていたことは事実だが、当分、こちら側に来ることを禁じる……」
信用を完全に失っていた。
「……はい……」
しょぼくれ、うなだれる。
マントがずるりと落ちて、フィンに比べるときわめて貧相な体があらわになってしまった。
(確かに……わたくしが、お母様のように育ったとして、あのように迫られ、ここを鷲づかみにされたら!)
下品な男性というのはそういうことをやってくるとも聞く。
自分に置き換え、これまで出くわしてきた男たちにやられるところを想像すると、嫌悪の鳥肌が立った。
それをフィンは、自分の奴隷にやられたのだ。
放り出すどころか斬り殺されても文句はいえない。
接近禁止ですませてくれるだけ、フィンは十分に寛容と言っていい。
落ちこみながらマントを直し、さらに「屋内」を見回す。
自分の首輪、何よりも大事で、命と引き替えにしても守らなければならないあれは、どこに。
「あ……これ……」
衣服を干しているのと反対側には、あの楕円形の板と、その上に魔法具がぎっしり置かれていた。
ローツ村の小屋で自分が袋に収めたから、大体のものに見覚えはある。機能はまったくわからないが。
足環もあった。『流星』だ。これひとつのために国が動いても何の不思議もない貴重品。ついカルナリアの喉が鳴る。
荷物に入れたおぼえのないものがいくつか。
フィンが直接身につけていたものだろう。
「これは、何ですか?」
「……触るな」
言われたが、目はこらした。
それらの道具に魔力が流れている――流しこまれている、ということがわかる。
さらに意識を集中すると、その魔力は台になっている楕円形の金属板から供給されていることがわかってきた。
地面から吸い上げた魔力を、板を通してそれぞれの魔法具へ。
発熱サイコロに刺した金属串と同じく、それ自体が魔力を持つのではなく、魔力を通しやすい素材ということなのだろう。
カルナリアが王宮で見知っていた魔法具への魔力補給法は、魔導師が自らの魔力を注ぐものだった。
いわゆる「魔法」は使えなくても、魔力供給ができる者はそれなりにいて、あちこちに備えられている魔法具の整備係として雇われていたものだ。
カルナリアの宮にも時々入ってきたのを見たことがある。
魔導師ではないフィンは、手持ちの魔法具をこういう方法で手入れし、使えるようにしているのだろうが――。
つくづく、不思議な人物だった。
そして、その道具類の中にも感じなかった、『王の冠』の魔力はどこに……。
「…………!」
あった。
緑色の布の中に。
つまり、フィンが持っている!
(ど、どうして!? どうしましょう!?)
接近は禁止されている。
返してくれと言っても、なぜ持っているのがわかったのかと訊かれると答えに窮する。
(大丈夫、大丈夫です、このひとは、魔導師ではないから、『王の冠』の存在には気づかないはず……わたくしのものを奪うとも思えませんから、ただ持っているだけで……すぐ、返してくださるはず……!)
何とか気持ちを落ち着け、声のかけ方を考えた。
「あの……ご主人さま……私の、首輪がないのですが…………前のご主人さま方の、思い出のものなので……私の立場としても、なくなっては……首輪をつけていないと、罪になっちゃいます」
「ん…………ああ…………ここに、ある…………」
結び目をほどかれた、粗末な革の帯が、フィンの手に乗せられて出てきた。
服のない生の腕――だがさすがに、カルナリアは首輪の方に集中した。
魔力を――きわめて強い魔力をしっかり感じる。
国宝は、ちゃんと、その中にある。
カルナリアは裸のお尻を落として安堵した。
「……濡れたので拭いて……手入れしておいた……。この切れこみでは、お前の力ではつけるのも外すのも難しそうだったから、使いやすいように、少し加工した……」
「ありがとうございます……」
「それから、変なところが切れていたので、くっつけておいたぞ……」
「!!!」
心臓が止まりそうになった。
レントが『王の冠』を隠すために作った切れこみ!
ということは、その中にあるものにも気づいた……!?
「あ…………ありがとう……ございます……」
カルナリアはバクバク暴れる心臓に苦しみつつ、何とかそれだけ言った。
「ああ、そうか…………来るなと、言ったものな……」
カルナリアが受け取ろうとしないのを、先ほどの言いつけのせいだと勘違いしたようだ。
フィンの腕がさらに出てきた。
肩が出て、布の合わせ目からその内側の、何も着ていない体の一部、胸のふくらみの横半分ぐらいまでがのぞいた。
突きつけられた首輪と、フィンの腕およびその向こうの体とを、カルナリアの視線は往復した。
中のものに気づいたのか、気づいていないのか。
気づいたけれども前の主人の思い出のものか何かだと思って、触れないでくれているのか。
わからないまま、とにかく、受け取る。
確かに、粗末きわまりない革帯は、これまでより色つやが良くなり、結ぶための穴も単なる切れこみではない形に切り抜かれていた。
首に巻いて、後ろで端を穴に入れる。
簡単に穴を通って、少しねじるだけでまったく外れなくなった。
逆向きにねじると、あるところでスルッと抜けて、外せる。
まるで革職人の手にかかったかのような、上手な加工だった。
これまでどおり喉のところに来た『王の冠』に指で触れる。
今の自分の、唯一の価値ある持ち物、この逃避行の目的、恐ろしい者たちに追われている理由、大勢の人たちが命をかけたこの国最後の希望。
それをレントがここに隠す際に入れた切れ目が、接着されていた。どうやったのか、指で触れてもよくわからない。
慌てはしたが、中のものに気づかれていないのなら、むしろこれもありがたい。
「申し訳ありません、お疲れのところに……」
「防具の手入れや修理に使うものが、水でダメになってしまったが、それになら使えたからな。それにもうひとつ」
レントの短剣も、差し出されてきた。
「錆びかけていた。今後は、手入れの仕方をおぼえるように」
「はい……ありがとうございます……」
レント。彼と永遠に別れることになったあの地も遠くなってゆく。
「他にも色々、濡らしてはいけないものが濡れてしまった…………はぁ。新しくそろえなければ。めんどくさい。呪いをかけてきたやつから取り立てたい。だがこの天気ではこちらから探しにも行けない。つくづく忌々しい呪いだ」
「……?」
それまで聞こえなかった音が、外から聞こえてくるようになった。
雨の音だ。強く降り始めたようだ。
「外、見ていいですか?」
昨日の朝、怒られたことを忘れずに、許可を求める。
ん、と小さく返されたが、制止ではなかったので許可と判断、慎重に身をよじってぼろ布の縁をめくった。
ザアアァァァァ……と、雨の音が即座に流れこんできた。
肌寒い空気がそれに続いた。
外は明るいが空は灰色、朝なのか昼なのかわからない。
暗がりで見た通りの疎林とごつごつの岩だらけの荒れ地。そこを雨粒が叩いている。雨に煙って遠くは見えない。
フィンが言っていた通り、雨水が流れこんでこないところに移動したのだろう、少しだけ周囲より高くなっている場所に自分たちはいた。
木と岩の向こうに、わずかにエラルモ河の水面が見えている。
どんより濁る平面のようなそこを、上流から下流へ船が流れてゆく。
あの猫背の男が乗っている舟がいたりしないか、河賊の兄弟が岸に泳ぎついていないか。
彼らの顔や所業を思い出して怖くなり、天幕内に引っこんだ。
このぼろ布の中にいれば、見つかることはない。
(昨日も…………何人も、死んでしまうところを、見てしまいましたね……)
呪いのせいでめちゃくちゃになってくれて、ある意味では幸運だった。
順当にドルーの街で宿に泊まれていたり、いい船を見つけて揺られながら眠っていた場合は、血の色や人の死にざまを思い出してしまって、フィンにしがみつかないと耐えられなくなっていたことだろう。
(この先……どうなるのでしょう……)
今日は移動しないというのなら、誰にも会わないということで、それなら人が死ぬところを見ずにすむのだろう……が。
人を殺す連中の方からやってくるかもしれない。
ぞっとする。
「食事にしよう……」
いつもよりだるそう、という以外は態度が何も変わらないフィンの存在は、カルナリアにとって最早、なくてはならない心の支えだった。
昨日ドルーの屋台で買ったものを、熱せられた鍋をどけて、発熱サイコロに直接乗せる。
濡れてしまいはしたが、荷物の中に入れてあったし、竹に詰めて木の葉をかぶせしっかり縛ったものなので、溶け崩れたり泥がついたりということもなく、温めれば問題なく食べられそうだった。
竹ごと加熱し続けると、徐々に、いい匂いが漂い始めた。
「これを食べたら、後は水でふやけてしまったパンや燻製肉がわずかだ」
「はい」
荷物を自分が収納したので、手持ちの食料の量と内容も大体わかっている。
カルナリア自身の荷物袋にも少しばかり食べられるものを入れておいたが、気休め程度でしかなかった。
「服が乾いたら、できるだけ早く、どこか人里に入らなければならん……歩きか……めんどくさい」
「馬車でも通りかかればいいですね。このタランドン領内は、けっこう人の行き来が盛んだったはずです」
「そうだなあ」
緑の布の中に竹筒を吸いこみ、フィンは食べ始めたようだった。
カルナリアも自分の分を、火傷しないよう慎重に手に取る。
かぶせてあった木の葉を取ると、食欲をそそる匂いと湯気が立ちのぼった。
あの色の濃い緑の葉の、少し刺激的な香りもまだ残っている。
食べ方には迷ったが、フォークで引っぱり出して、端から食べることにした。
さすがにできたてよりは全体的にしんなりしていたが、魚肉も野菜もしっかり歯ごたえが残っており、味も全体に染みこんで、これはこれで趣深いと十分に受け入れられる味だった。
丸められていたので、平べったかった昨日のものよりも食感が違うのが面白かった。
満足できた。
「そろそろ、いいだろう」
おおむね乾いた下着を身につけた。
一枚だけでも、衣服を身につけるということはこんなにも安心できるのかと驚いた。
フィンも、緑の布の中でもぞもぞと動いた。
裸身に下着をつけてゆくところを想像すると、カルナリアの胸の中で妙な感覚がざわめく。
だが、それはいけないものだとすでに学習しているので、理性で否定し打ち消した。
打ち消せたとは思う。
ある程度乾いた肌着も身につけ、さらに安心感を得る。
次は上着だ。
主人であるフィンのものから乾かすのが順序というものだが――。
「あの、ご主人さまの上着、私なんかがさわってもいいのでしょうか?」
厚手で、防御のために金属が縫いこまれている部分があちこちにあるのはともかく、明らかに何らかの防御魔法がかけられているとカルナリアにはわかってしまう代物に、手を出すのが恐ろしい。
「ああ、だめだな。お前が死ぬ」
「ひっ!?」
「……正確には、お前が、今のお前でなくなり、違うものになってしまう……それはつまり、死ぬのと同じことだ」
「どっちでも同じです!」
着用者を守るための仕掛けだろう。
カルナリアも王宮から脱出する途中まではそういうものを身につけていた。カルナリアが認めない相手が服に触れたら即死魔法が炸裂するようになっていると教わったもの。
徒歩で逃れる際に、年格好が同じ侍女のユーレアにそれを着せて身代わりにしてきたが……彼女はどうなっただろう。
騎士ガイアスをはじめ頼れる騎士たちは全滅しただろうとレントは容赦ない予測をしていたが、侍女たちは、ひどい目に遭わされていても、生かしておいてもらえるのではないだろうか。
カルナリアがわずかな希望にすがる間に、フィンの腕が出てきて、上着を「もの干し棒」の上に広げて乗せていた。
「………………」
じりじりとサイコロは赤熱し続け、熱い空気が舞い続け、じわじわと布地は乾いてゆく。
場所がないので、一枚ずつ、順番にということになる。
少しずつ、服をずらして熱気のあたる場所を変えて、そこが乾くのを待って、また別な場所に……。
(…………退屈です……!)
フィンはじっとしたまま、時々上着を動かすだけ。
しゃべらない、身動きしない。
切れ切れに眠っているのかもしれなかったし、何一つ変化の起きないこの状況はフィンとしてはきわめて望ましいものかもしれない……が。
カルナリアには、これは非常につらいものだった。
もちろん、人死にが連続する逃避行の真っ最中だということはこれ以上なく承知している。
それでもなお、どうしても、何も異変が起こらず、何も動くことすらない状況というものは、十二歳の、元々は活発な少女には耐えがたいものだった。
首輪も『王の冠』も自分に戻り、何ひとつすることがなくなり、この狭い空間から雨の外界へ出ることもできないとなると。
好奇心は、この中にある魔法具や、見慣れないものに向く。
カルナリアがまず注視したのは、この天幕の柱にされている、フィンの剣だ。
一部だけなら何度も見たが、全体はこれが初めて。
こんなに長いとは思わなかった。
このようにゆるやかに反っているものも、見たことがない。
しかし形状よりも気になるのは、なにひとつ魔力を感じないということ。
認識阻害のぼろ布をはじめ、魔法具を大量に保持している謎の人物フィン・シャンドレンが、自分はこれが本業とうそぶく剣士の、商売道具である剣だけ、なにひとつ常識外れの要素を持ちあわせていないというのは、かえって信じがたい。
怪しいのは鞘だ。
ぐるぐる巻きにしている粗い布だ。
どうして鞘に、そんなに徹底的に巻いているのか。
何かを隠しているのでは。
それを外したら、何かがあらわれるのではないだろうか。
柄も、疑わしい。
熟練の職人の手になるものだろう、使いこまれた変色も見受けられる、地味だがしっかりしたつくり――だがやはり、これまで何度も見てきたフィンの麗しいあの手に握られて振るわれるというところを想像すると、色々と物足りなかった。
魔力を通しやすい金属板と同じように、触れると何かの効果があらわれるのではないか。
そして、刃は、尋常なものではないのではないか。
見る機会は来るのだろうか。
ただそれは、フィンが人を斬ろうとする時だということでもある……。
(こっちの道具は……)
考えるのはやめて、楕円形の板の上にぎっしり置かれ、魔力を補給されつつあるいくつもの魔法具に興味を移した。
足環の『流星』、それより少し細い恐らく腕輪だろうもの、指輪がいくつか、板のようなもの、ネックレス、小さな筒、六角形のもの、円錐形のきらきらしたもの、金属の糸で編まれたアクセサリーらしいもの……。
ものすごく、聞きたい。
これらがどういうものか、どういう機能を発揮するものなのか、どうやって手に入れたのか、手に入れるためにどういう活躍をしたのか――フィンはどこから来た、どういうひとなのか。
「……あの……」
どうしても気持ちを抑えられず、カルナリアは訊ねてしまった。
「今のうちに、聞いておくか」
ほぼ同時に、フィンの方から言われた。
判明した事実。カルナリアの母は巨乳。したがっていずれは彼女も。三年後にはきっとすごいことに。
そして、フィンえもんのひみつ道具もずらずらと。なお全部ではなく他にも色々持ってます。
次回、第55話「王国史と『王の冠』」。『王の冠』とは何かがついに明らかに。




