53 ぬれねずみ
性的な表現あり。
「あ、あの…………」
「ううう……わかっている……どこかで……乾かさないと……」
ぐしょ濡れの体に風が当たると、恐ろしいほど冷えてゆく。
問題は、陽はとうに落ちて周囲は真っ暗、ほとんど何もわからないことだ。
「だめだ……さっき、全力で光らせたから……」
照明の魔法具が使えない様子。
声をあげて行き交う船に助けを求めるというのは論外。あの猫背の男や、その仲間たちが追ってきているかもしれないから。
「とにかく、ここはだめだ……風の当たらない場所……家があれば……助けを……悪いやつに襲われたということで……」
だが、身を起こし見回しても、人家らしい灯りは見えなかった。
河面からのわずかな光で、どうやら周囲が疎林――木々がまばらで岩も出ている、荒れ地のようだということはわかる。
建国以来戦乱に蹂躙されたことのないタランドン領は、基本的に豊かで、隅々まで開拓され尽くしているはずなのに、周囲に人家の気配がまったくないのは、つまり利用価値がない場所ということ。
したがって、人の助けは得られない。
ありがたいのは、山のような猛獣はほぼ出ないということぐらいか。
「平らなところを……」
広がったまま、つまりへたばったまま大きくなってくれないぼろぼろからの指示で、カルナリアは急いでそういう場所を探した。
「転んで怪我するな、気をつけて動け……」
こんな状況なのに心配してもらって、胸が熱くなった。
ひとは、つらい時にこそ本性が出るという。
どう見ても限界、窮地、余裕が完全になくなっているのに、そんなことを言ってくれるフィン・シャンドレンという人物は、まだ「色」は見えていないが、悪い色は絶対に見えないだろうという確信を抱いた。
何度も死地から救ってくれた彼女を、ついに自分が助ける番が来た。
カルナリアは燃えあがる。
言われた通りに、気をつけて足を動かし、何とか人ふたりが横になれそうな平らなところを見つけた。
周囲にいい具合の岩があって風をしのげる。冷える体で這い回って確かめたので間違いないはずだ。
「こちらに!」
「ううう……」
うめきながら、ぼろぼろがずるずると這ってきた。
「ね、熱を、あれを、全部、ふたつ作れ……!」
身につけていたので失わなかったのだろう、濡れた、あの入れ物がカルナリアの手に押しつけられた。
発熱サイコロ。
カルナリアは闇の中で、三角形をふたつ作って地べたに置いた。
すぐに赤らんできて、熱気を感じ始める。
その間にフィンが、荷物をあさって、何かを取り出す。
楕円形の板だ。金属製。
背負い袋の端に入れられていて、防具の役割も果たすようになっていることは、荷物を詰めたカルナリアにはわかっていた。どういう材質なのかわからないがやたらと軽く、それでいて硬い。
それを発熱サイコロの上に置いた。
続いて鍋が取り出され、もう一つの三角形にこれもかぶせられた。
赤い立方体のわずかな光がほとんど見えなくなってしまう。
それから、よろめきながら起き上がり――剣だろう長いものの先端を、地面に何度も小突いて、突き刺して、垂直に立てて、ぼろ布を上からかぶせた。
(あっ!?)
ぼろ布を、フィンが、脱いだ!
中の体が――輪郭だけ、かろうじてわかる。
「そちらの端を……何かにかけるか、石でくるんで地面に……」
フィンは周囲の岩や木の枝を探って端をひっかける。カルナリアも言われた通りに大きめの石を探して布の端でつつんで固定した。さすがにこの状況で相手の顔を見ようとする余裕はない。
「…………」
しかし、視界の隅にちらちらする女体をどうしても意識してしまう。
どうしてだろう、ひどくドキドキする。
体を動かしているせいだけではない。
ついに中身をこの目で見ることができたという興奮にしても妙だ。
発熱サイコロの光で何とかわずかな輪郭がわかるだけで、もちろんそれだけでも昨夜この手で触れた通りの魅惑的きわまりない大人の女性のすばらしい体格なのだが、肝心かなめの「色」が見えるほどの視界は得られないまま、まして自分以外が何人も見て魅了されて呆然陶然艶然垂涎夢うつつに入りこんだ美しい顔立ちというものは相変わらずまったく見せてくれないままでそれがどうしようもなく腹立たしく自分こそが何よりも真っ先に最優先でこのひとの顔も体もすべて知ってやらないと許せない……。
と、変な考えが、モヤモヤする感覚と共にひたすら頭の中に湧いてくる。
ともあれ、何とか、人間ふたりが入れる、天幕のようなものができあがった。
「はぁ……」
やはりほとんど何も見えない中で、肉声の、フィンの悩ましい吐息が耳を撫でた。
疲れ果てて漏らしたものだろうが、カルナリアの中の熱い何かが、どうしようもなくかき回される。
かすかな魔力と風。
ローツ村のフィンの住処にあった、微細な風を起こしてその場所の空気をかき回す魔法具だろう。
それで、発熱サイコロが起こす熱を「天幕」内に循環させ始めた。
水と、泥のにおいが広がる。あまりいいものではないが、今はそれどころではなく――。
「脱げ」
端的に、断固として、命令として、言われた。
濡れた服がどれほどよくないものかは、わずかの間に身をもって知ったので、当然の指示なのだが……!
「!」
カルナリアの胸が異様に弾んだ。
これまではまったく感じたことのない、羞恥心なのか他のものなのかよくわからない妙な緊張が襲う。
命じた本人も、もぞもぞごそごそ、濡れた衣服を脱ぎ始めた気配がすぐ側から伝わってきた。
昨夜と違い、今は目隠しをされていない。
腰を下ろした状態で、少しずつ脱いでゆくフィンの、輪郭……あられもないポーズが、わずかに見える。
上着から袖を抜き、胸の前を開いて――豊かなふくらみがあふれたのがシルエットでわかって。
「…………!」
フィンは凝視されていることなど何一つ気づかない様子で、上に続いて下も脱ぎ始め、ついには衣服のすべてを脱ぎ捨てた。
絞った音。したたる水。それとともにわずかに揺れ動く裸身。
拭き布を取り出し、これも絞ってから板に押しつける。
じゅわっと音がして、湯気の感覚がカルナリアにも伝わってきた。
「少しずつ、乾かして、拭いて、温める……顔は気をつけろ、あれがはがれるからな」
こうするんだ、ということだろう、腕が伸びてきて、少し水気の飛んだ熱い布がカルナリアの首筋に押しつけられた。
冷えた体にたまらなく心地よい。
「わっ、私がっ、やりますっ! それが仕事ですっ、こういう時のためにっ、私はいるのでっ!」
カルナリアはにじり寄った。
自分はまだ服を着たままで、濡れた布地が張りついて邪魔。脱ぎながら近づく。
「温まるのが先だ。お前の仕事はその後だ」
フィンは冷静に言い――向こうもほとんど見えていないのだろう、カルナリアの顔を手探りし頬をなでると、口の中に硬いものを押しこんできた。
山中でも舐めさせられた、飴だ。少し水気がある。
フィンからすれば、濡れて冷えた体を内側から温めさせるためなのだろうし、実際にカルナリアの体内がすぐ熱くなってきたが。
その熱さは、別なところから来ていた。
頬をまさぐられただけで、全身が燃えあがるようになって。
唇に触れられ、指が入りこんできたときには、心臓が跳ね上がって頭が煮えて。
「ちゅぅぅぅ、ちゅばっ……!」
指も一緒に吸いこんでいた。
「こらっ」
叱責されるが、止められない。
(な、なにこれっ!)
おいしい。
指が、たまらなく、気持ちいい!
経験したことのない異様な感覚。体中をぬるぬるされた時に芽生えたものを、何倍も強く大きくしたような。
「ちゅぱちゅぱちゅぱちゅぱ…………はふぅぅぅぅ……!」
飴と一緒に美しく気持ちいい指を舐め回し続けていると、頭の中に白い火花のようなものが散り、体も異様な痙攣に襲われた。
「も……もっろ……!」
指が逃げていったが、大量にあふれるよだれを拭くことも忘れて、カルナリアは指の持ち主にしなだれかかっていった。
「寒いれす……あっためなさい……めいれい……わらくしを……」
「……熱でも出たか」
受け止められ、顔面がやわらかなふくらみの谷間に埋まり、反射的に手が持ち上がって両手ともいっぱいにすばらしいものを握りしめてその感覚にまた衝撃的な感覚が来てぐえへへと妙な声を漏らしもっと揉みしだこうとして……。
「寝ろ」
首に何かが巻きついてきたと思った次の瞬間、ふわっと浮き上がり、何もかもが溶け崩れる最高の感覚が来て、カルナリアの意識はそのままどこかへ飛んでいった。
――闇の中にいた。
「………………?」
目を覚ました、とわかるまでしばらくかかった。
「起きたか……」
フィンの声がした。
元からけだるげだが、それにしてもひどい。完全な無気力。
「お、おはようございますっ……えっ!?」
朝か、今日もまたフィンと一緒に寝て……と理解したところで、喉に手をやって、愕然とした。
ない。
首輪どころか、衣服がない。
全裸。
フィンも隣にいない。ひとりきり。
慌てて手探り。マントにくるまれた状態。マントは少ししっとりしている。
「なっ、えっ、あのっ……!?」
「……気分は、どうだ………………どこまでおぼえている……」
闇の向こうから、地を這うような声音で訊ねられた。
「どこまで……ええと……」
襲われて、舟で河を逃げ、そこでも襲われて、舟が壊れて水に落ちて……助けてもらって、這い上がって……。
「………………!」
濡れた服を脱いで体を乾かす前に、なぜかやたらとフィンに触りたくなって、まとわりつきたくなって、指を舐め…………それから…………!
「うわああぁぁぁぁぁぁ…………!」
顔から火、どころではなかった。
カルナリアの全身すべてが灼熱の物体と化した。
肌が一気に羞恥の汗に濡れる。
……それまで、乾いていたのだ。
つまり、脱がされて、拭かれて、乾かされて、横たえられた。
「その様子なら…………もう…………変なことは…………しないな……」
「しませんっ、もう二度とっ、絶対っ…………申し訳ありませんっ!」
カルナリアは声のする方に裸のまま這いつくばって謝罪した。
醜態だけではなく、脱いで拭いて乾かして寝床を作ってといった、奴隷がするべき仕事のすべてを、主人であるフィンにさせてしまったことになる。
主人に変な気分を抱き、しがみついて、面倒をかけさせた。
今度こそ、放り出されたり売られたりしても一切文句の言えない、完全なる大失態だった。
「いや……いい………………わかってる…………多分、呪いだ………………誰かに……やられた……」
「の、呪い!? 誰かを殺そうと強く願ったりする、あの?」
「殺意みたいな強い呪いなら、防げたんだが………………そうじゃないから、やられた……細かな、たちの悪いやつだ……」
「細かい呪い、ですか?」
「突然、いつもと違うことを思ったり、考えたり、決めたりしただろう……?」
言われてみれば、フィンの行動からしておかしかった。
自分から動いて、吟味した様子もなく、悪い色の男たちの舟に決めてしまって……。
「あの男が舟を踏み抜いたのも、河で生きる者の、商売道具に、普通、ありえない……なのに、そんなことが、連続して起きて……私は、ものすごく、たくさん、はたらかされた……運命を、誰かが、少しだけ、悪い方へねじまげたんだ……そういう呪い……いやがらせだ……意地の悪い……」
「で、では、わたくしのあれもっ、呪いのせいだったのですね!? やっぱり! だからですね! そうだったんですね!!!」
「………………素では……ないのか?」
「違いますっ! 呪いです! 呪いのせいなんです! いつもと違いました! 違うんです! 呪いが悪いんです!」
「……そういうことにしておこう……」
「ちがいますうぅぅぅぅぅ!」
必死に言いつのり、あらぶって振り回した手が、柱――ではない剣の柄を叩いて激痛がはしった。
「……まだ、呪いは、続いているようだぞ…………外は、雨で……ものも、乾ききっていない…………今日は、一日、動けないと思え……」
「…………」
「ちなみに、雨が降り始めると、中に、水が流れこんできた…………ここは、少しましな場所だ……私ひとりで、移動した……」
「申し訳ありませんっ!」
ものごとを悪い方へねじ曲げるというのなら、ぐうたらすることを心から望んでいるフィンをとことん働かせるのは、間違いなく呪いによるものだろう。
フィンを追いかけている誰かがやったのだろう、とりあえず効果は抜群だ。
くたびれきった今のフィンなら、カルナリアでも倒せるかもしれない。
(倒す…………押し倒す…………い、いえっ、わたくしは、呪いなどにたぶらかされてはおりません!)
妖しい想像が浮かび体が熱くなったのを、急いで打ち消す。
――突然、淡い光が灯った。
「復活したか」
周囲が見えるようになった。
呪いは実によく効いた。ちなみに今回の件で『5』はフィンの抹殺対象リスト入り。次回、第54話「雨の中のふたり」。女二人、裸、テントの中……何も起きないはずは……(性的描写はありません)




