50 舟
「どうした」
カルナリアは返事をせず、円錐形の陰に隠れ続けた。
風が北から吹いていることは救いだ。こちらが風下。
広場を横切った三人と犬が最接近し、カルナリアの心臓が爆発寸前になり、ぼろ布をつかみ硬直して――。
相手は、西側へ消えていった。
間違いなく、カルナリアを追ってきたのだ。
城に来た時は犬を連れていなかったが、城内で飼われている軍用犬を奪ってきたのだろうか。
「……殺意がすごいな。血のにおいも。しつこい連中だ。まあ、怖いのはわかるが、大丈夫だ、落ちつけ」
フィンが、布の中から、もぐもぐしながら言った。
今の言葉からすると、ローツ村に来た猫背の男がここまで追ってきたということを、ちゃんとわかっている。
あいつらは自分を追ってきたと思っているはずだ。
それなのに緊張している様子がないのが、逆におそろしく感じられた。
「食べましたかっ、行きましょうっ、船宿っ、北側ですよね、早くっ!」
「ごくっ…………そうだな。めんどくさい予感は、まず間違いなくあいつらのことだろう」
円錐形が伸び上がった。立ったのだ。
移動を開始したフィンの陰に隠れて、広場を移動。
西の街路――犬がかぎつけた自分のにおいをたどって、先ほどの宿へ押しこむのだろう恐ろしい者たちが、途中で振り向かないことを心から祈って、そこの前を通過した。
通過するとカルナリアは前に出て、小走りに北へ急ぐ。
北側に来てしまうと風上だ。とにかく早く逃れなければ。
それほど大きな街というわけでもない。すぐ川べりについた。
桟橋が横に長く広がり、河にも櫛の歯のように何本も張り出し、何十艘もの船がつながれ――。
広場と違い、人が大勢うろついていた。
「船、出すよ、タランドン市行き、出すよ、出すよ! 船中一泊、ひとり3万ギリアムから!」
「高すぎだ! いつもは8000だろうが!」
「いやなら泳いでいきな! はい船出すよ、船出すよー! まだ乗れるよー!」
ここぞとばかりにぼったくろうとする船主と、この街を逃げ出したい者たちとが怒鳴りあっている。
衛兵があちこちに立っているので、つかみあいこそ起きていないが、殺気立った雰囲気はそこかしこから感じられた。
夕暮れに染まる河面を背景に、馬ごと乗りこめるような大型船からひとりで操る小舟まで、大小様々な船が密集している様は、普段なら心躍る光景だっただろうが……。
「どっ、どれに乗ればっ……!?」
カルナリアには楽しむ余裕がまったくなかった。
「船、探してんのかい?」
少年が声をかけてきた。
首輪をしている、奴隷だった。
先ほどの女の子と違い、生きていた。活発さが顔にあふれているようだ。
ただ――「悪い色」がうっすら見えた。
「うわっ、ひでー顔だな。火事かい。災難だったな」
「は、はい、そうです……」
「ご主人様のために、船、探しに来たんだろ? 貴族様だったりする? 金はある? 何人? 急ぎか?」
「タランドンまで行く船を探しています。ご主人様はお一人です。馬はなし。剣士の方です。お金は……あるとは思いますが、そんなに高いお金は出せません。早い方がもちろん助かります」
「ふうん……」
少年の目がカルナリアの全身を這い回る。
話しぶりや身なりから、主人の人柄を推測している様子。
「まあ、ぼったくりの心配はすんな。俺はどっかの船のもんじゃなくて、この河岸をまとめる顔役んとこの下っ端さ。お客のふところ具合にあわせた船を紹介して話をまとめるのが仕事。お客が船に乗ってくれなきゃメシ食わせてもらえねえ。だから、ほれ」
手を出された。
きょとんとして見つめると、いらだって言われる。
「紹介料だよ。ひとに何か教わるなら、払うの、当たり前だろ」
「……教えてくださってから、払います」
宿での経験から学んで、カルナリアは言った。
「じゃ、自分で探すんだな」
「わかりました、ではそうします。あなたと同じ格好の人があちこちにいますね。そちらの人にうかがいます」
「チッ。ちょろいと思ったのにめざといな。前金ってことで、少し出せよ。そしたらいい船紹介してやるぜ」
「そういうことでしたら」
ちょうど、手持ちがあったので、硬貨を一枚渡した。
なお、ちょろいとはどういう意味かは理解していない。王宮では聞いたことのない言葉。
「ふざけんなよ、10って!」
「他に持たされていませんので」
「持ってるだろ、いま音したぞ!」
「いくら払うかを決めるのはこっちでしょう。仕事をしてもらえたら、ちゃんと払います、ご主人さまが」
「チッ。しゃあねえな。主人がひとり、タランドンまで、早い方がいいとなると……」
少年は河岸を見回した。
カルナリアも気づいたとおり、同じ服装の奴隷の子供が何人も、大人にまとわりついている。
誰かが船に乗ると、すぐ戻っていって、少し高いところにいる役人らしい男に報告していた。
どういう者がここから乗っていったか、記録をつけているようだ。また斡旋が上手い者はいい思いができるのだろう。
……追われている自分たちを、そうやって記録されるのは、あまりいいことではないように思うが、仕方ない。
「ちょうどいいや、カルディス兄貴の舟がある」
兄にして仇敵の名と似ていて、ひどくいやな気分になった。
しかしそれはその人物の責任ではないので我慢。
少年は桟橋を歩いていって、とある小舟に近づいた。
帆はついていない。細長い、手こぎの舟で、客として乗れるのはせいぜい四人というところ。ただその分速そうだ。人運び専門のようで、荷物を置くスペースはあまりない。
その側に腰を下ろしのんびりしていた男が、むくりと起き上がって、少年と何か話してから、こちらに来る。
やはり、少しだけ「悪い色」が見えた。こういう所にいる人物はみなそういうものなのか。
「客か。大人ひとりと、お前だって?」
「あ、は、はい、お願いできましたら……」
先ほどの買い物とは全然違う緊張感。
あの屋台の若者には悪い色はなく、親切に対応してくれた。
だがこの相手は明らかに違う。油断すれば値をつり上げ、脅してくるだろう。こちらは急いでいるというのを見透かされると、良くないことになるのは間違いない。
レントが乗合馬車を頼む時にどういう風に交渉していたかを懸命に思い出す。ここも、自分ががんばらねば。
――だが、王女の気合いは、意外な形で台無しにされた。
「……乗せてくれ」
背後から、緊迫した声がした。
「ひゃあっ!?」
「なんだあ!?」
突然のぼろぼろ、フィン・シャンドレンの出現であった。
話が決まったわけでもないのにこの人物が自分から動いてくるとは、何が起きたのか。
「この船は、タランドンへ行くのだろう? ならばかまわん、乗せてくれ」
「なんだ、お前? 女か?」
「わ、私の、ご主人さまですっ!」
「はぁぁ?」
船主と奴隷の少年とがそろって変な声をあげた。当然すぎる反応だ。
「お、おう、それが仕事だから、いいけどよ……」
「よし。あの船だな」
ぼろ布が、勝手に桟橋を移動し、船に乗りこんでしまった。
船の中にはもう一人男がいて、こちらも仰天する。
「あっ、お前、なに勝手に!」
「金は払う。来い」
言うと、手を出してカルナリアを招いた。
その手の美しさに男たちの雰囲気が変わる。
「あ……!」
揺れる船に乗りこんだカルナリアは顔を引きつらせた。
船の中にいた方の男が。
明らかに「悪い色」をしていたのだ。
見た目は優男だが、フィンの手に見入った後に深い笑みを浮かべた、それがきわめて下劣だった。
山で襲ってきた平民兵士によく似ていた。
思わずレントの短剣に手をかけながら、フィンの隣に腰を下ろす。
「あ、あの……ご主人さま……どうして……!?」
「わからん。だが急ぐべきだという気がした。でないとひどくめんどくさいことになる。すぐ出してくれ。前払いだ」
船の中の男へ、コインが宙を飛んだ。
金貨だった。
奴隷少年にも、大きな銀貨が飛んでいった。
「おう、ありがてえ!」
男ふたりはすぐに船のもやい綱を解き、棹を巧みに使って他の船をよけながら河面に船を滑り出させる。
奴隷少年が、大銀貨を服の中に隠して、役人のところではない方へ走っていくのをカルナリアは水上から見送った。
普通に働いていてはまず手に入れられない高額の臨時収入を、どこかに隠すのだろう。
そこから視線を動かし、夕焼けを背景にそびえる城のシルエットの偉容に、その中で大変なことが起きているのはわかっているのに、やはり美しいものは美しいと感動し――。
視界の隅、いま後にしたばかりの河岸に、見たくないものを見てしまった。
猫背の男。
犬が猛々しく吠えた。
人々が固まった。
猫背の男が、フィンのようにスルスルと桟橋を走ってきて、先端まで来て、何かを投げた。
石だろうか、小さなものが、正確にこちらへ飛んでくる。
「防げ!」
フィンの声が飛び、男たちは慌てて棹を空中に持ち上げた。
水をかく、幅広い部分で受け止める。
パキッと軽い音がして、粉末が飛び散った。
夕焼けの中で、少しきらきらした、細かな雲のようなものが広がり、降ってくる。
「吸うな! 息を止めて顔を守れ!」
カルナリアは即座にフードを引き下ろしうつむいて、両手で口と鼻をふさいだ。
室内や馬車に毒物を投げこまれた時の対応。毒によっては肌に付着するだけで効いてしまうものもあるため、こうして身を守る。護身術のひとつとして学ばされていたから、すぐに体が動いた。
顔面を完全に覆い隠したカルナリアの耳に、バサッという大きな――布を広げた時の音がした。
バサッ、バサッ。数回繰り返される。風を感じる。舟が揺れる。
思い当たるものはひとつだけ。
フィンが、あの大きなぼろ布を広げて、粉末を吹き飛ばそうとしている!
それなら素顔が出ているはず、見たいと思ったが、粉末が毒だった場合、顔を出すのは論外だから、カルナリアは動かず耐えた。
やがて音はやみ――。
「もういいぞ」
フィンに言われておずおずと手を離し、慎重に息を吸う。
問題なかった。
夕暮れの水面に浮かぶ舟、ぼろ布をかぶったフィン。
そして棹を手にした二人の男が――。
魂を抜かれたようになっていた。
彼らは見たのだ。
布を取り払ったフィンの素顔を。体を。服装を。剣を。
背後の街から、ピー、ピーと、笛の音が聞こえてきた。
いくつも。
衛兵たちが吹く、非常事態発生の知らせ。
そして、河の流れに乗っているので先ほどより小さくなっている桟橋で――。
血しぶきが上がったのが見えてしまった。
衛兵か誰かが、殺された。
やったのは間違いなく、猫背の男だろう。
「ヒッ!」
カルナリアは今にもあの男が宙を飛んで襲ってきそうな気がして、悲鳴をあげてフィンにしがみついた。
「もう大丈夫だ――多分」
「よ、予感、してたんですか、あれを、そういえば、ああいうのはわかるって、だから急いで、すごいですご主人さま!」
「ろくでもないあいつらの気配はわかっていたが、それとは別だ。突然、ものすごくいやな感じがしてな。とにかくこの場を離れた方がいい、その方がうまくいくと、強く思った」
フィンはカルナリアを軽く撫でた後、男たちに声をかけた。
「急いでくれ。追ってくるぞ。人殺しが得意なやつらだ」
夢見るような顔つきのままだった二人の男は、弾かれたように動き出し、舟の前後に位置取り、勢いよく漕ぎ始めた。
たちまち船は加速し、水面を滑り、ぐんぐん桟橋から遠ざかってゆく。
カルナリアはフィンにしがみついたまま、ちらりとそちらを見た。
そして総毛立つ。
「追ってきます! 一艘、これと同じような舟が!」
衛兵のものとは違う、鋭い音の笛が、追ってくる舟から吹き鳴らされた。
長く吹くだけの衛兵の笛とは違い、リズムを刻んだ――何か複雑な意味を伝えるような断続的な吹き方。
少しして――街の隣にそびえる、城の方からも、同じ音が鳴った。
こちらは、ピーッ、ピーッと、同じ長さの音が二度鳴らされた。
明らかに、先の音が伝えたことに対する、了解の合図だった。
勘か、それとも。怠惰なご主人さまがいきなり動いたおかげでぎりぎり逃れた。だがまだ逃げ切れたわけではない。こちらの姿も見つかっている。次回、第51話「あと一歩」。残酷なシーンたくさん。




