43 追う者たち
今回は、途中で視点および時系列変わります。
目の前で突然噴き上がった血しぶきに、カルナリアは硬直する。
鮮やかな血の色。
それまで相手に見えていた「色」が、見えなくなる。
すなわち命が失われたということ。
命が消える。
流血。
死。
「あ…………!」
カルナリアの脳髄を恐怖が埋め尽くし、なにひとつできなくなった。
瞬時に二人の首を飛ばした子供が、軽々と着地する。
木の陰に隠れたカルナリアの目の前に。
明らかに、認識阻害の効果を付与したマント。
この状況ではまったく効力を発揮しないが――。
その左右の腕に握っている、湾曲した剣がぎらりと光った。
小柄な体格でも使えるように溝を掘り重量を軽減させている、分類としてはいちおうは短剣だがかなり長め、幅広い、切れ味鋭い、鋭すぎる、死の刃。
血はまったく付着していない。使い手の高い技量のなせるわざだ。
「……奴隷だね。無事かい」
フードの下から視線が突き刺さってきた次の瞬間、殺気は霧消し、優しいものに変化した。
「貴族は殺してやったよ。もう大丈夫、しっかり生きなよ」
男女の区別がつかない幼い声で言うと、あっさりカルナリアに背を向け、自分の足で城門へ走り出す。
魔法具による加速は感じられないのに、速い。
とてつもなく速い。
「ヒャーーーーッハーーーーーーッ!」
甲高い声を放ちつつ城門へ飛びこむ。
刃が躍り、兵士が倒れる。血がしぶく。
「ホオオォォォォォォォォ!」
歓喜ということだけはわかる、物凄い声が放たれた。
地響きがした。
続く六騎が、慌てて馬を疾駆させ、城門へ飛びこんでいったのだ。
その六騎が城内へ消えた後、城門に上から鉄の柵が勢いよく落ちてきて。
門扉自体も、重たい音を立てて、閉ざされた。
城門の上から鐘が激しく打ち鳴らされた。
叫ぶ声。大勢がわめく声。悲鳴。
城内は大混乱の様相を呈してきた。
「………………」
その間、カルナリアはずっと固まったままでいた。
目の前には、首のない死体がふたつ倒れている。
命拾いした幸運も、理由なく殺された彼らへの悼みも、あっさりと人を殺す者への怒りも、なにひとつ頭に浮かんでこない。
流れ尽くしたのか、もう血があふれなくなって、切断面の肉や骨が見えてくるようになる有様を、ただ視界に入れているだけ。
その血と肉とが、突然、見えなくなった。
「子供が見るものではない…………まったく、めんどくさいことをしてくれる」
聞き慣れた、けだるげな声。
目をふさいでいる手のやわらかな感触。
恐怖が遠くへ追いやられる。
温かさだけになる。
「逃げるぞ」
「はい」
即座にカルナリアは口にした。
腰をかかえられ、持ち上げられた。
横抱き。しっかりした両腕が自分の体を支えてくれている。
あの馬がいた。かかえられたまま飛び上がり、鞍に落ちついた。
走り出す。
横座りさせられたカルナリアは、フィンにしがみついた。
自分がどこへ連れていかれるのかなど、ひとかけらも頭に浮かぶことはなかった。
※
時はさかのぼる。
ランダルが村長をつとめるローツ村。
その奥の山中で煙が上がり、兵士たちが突入し、村民が容赦なく片端から捕らえられ集められた後。
夜が訪れ、すすり泣きがやむことなく続き――。
朝が来た。
夜が明けたばかりの、冴え冴えとした空気に包まれた村の入り口に、馬に乗った男が姿を見せた。
旅装、マントに身を包み、頭にはフードをかぶって顔は見えない。
ひとりきりだ。
だがその男を、村の警備につく兵士たちはまったく見とがめなかった。
そこにいることに気がついていないかのように、すぐ横を人馬が通っても視線を向けさえしない。
男は悠然と坂を登っていって、広場にさしかかった。
村長の家、集会場、取引場などが軒を並べる、この村の中心地だ。
そこには、いくつもの死体が並べられていた。
老若男女、無数にあった。
丸木が組まれ、男が吊されていた。
体格のいい男が、全裸で、逆さまにぶら下げられていた。
全身をめちゃくちゃに打たれて、ほとんどの部位が紫色か、皮膚が裂けて血を流した後の赤茶色に染まっている。
まだ命はあるようだが、白目をむいて身動きせず、あらゆるものが垂れ流し。
それらにわずかに視線をはしらせただけで、やってきた男は興味を失い、馬から下りて村長の家に向かう。
門前で、地に伏せていた大型犬がうなりを上げた。
だが男が手を出し抑える仕草をすると、すぐ従順に頭を伏せ押し黙った。
門が開かれ、ひどい猫背の男が出迎えた。
「お待ちしておりました」
「強引にやったようだな。必要だったのか」
「はい」
「ならばよい」
村長の家の中で、猫背の男がテーブルに地図を広げる。
この家の住人はどこへ行ったのか。
「『四女』は、徒歩で逃れておりました」
「そのようだな。まさかあの身分でそんな真似をするとは、完全に裏をかかれた。お前でなければ見つけられなかっただろう」
「ありがとうございます。
その痕跡を追い、ビルヴァにて、それらしい者たちを泊めたという宿を見つけ、市街門の衛兵からはこの村の村長が連れていったという目撃情報を得て、犬を連れここへ向かいました」
「ふむ」
やってきた男は地図に目をはしらせた。
手描きの略図だが、必要な情報はすべて書きこまれている。
「こんなところに、タランドンへ抜ける道があったとはな」
「はい、我らも把握していなかった、普通の者ではまず通過できない険しい道だそうです。
『四女』は、その山道を行く途中で、賞金目当ての地元出身の兵士に襲われ、ついていた者たちを殺され、山道を逃げ戻り、ひとりきりでこの村に転がりこみました。それが二日前の朝。
その後、この村の奥、山の中に住む薬師がおり、村長の判断でその者のところに預けられた……ということまでは判明しております」
「お前がここに着いたのは昨日だったな」
「はい。ちょうどこの地域を巡回している宣撫部隊がおり、私の権限でここへ向かわせました。対応に出てきた村長から濃厚な『四女』のにおいがしており、訊問しようとしたところへ、山から煙が上がり……その薬師が住処を焼いて証拠を消し山奥へ逃れようとしていると見て、即座に追ったのですが……」
猫背の男は言葉を濁し、視線を横に動かした。
相手はそれだけで察した。
「吊されていたあれか」
「はい。あれは村長の息子で、たまたまその時『四女』にいたずらしようとして、薬師の小屋に火を放っただけでした。無駄足を踏ませられた兵士たちや、火つけに憤った村人たちが散々に殴りつけ、あのざまで」
「どこにでもいる愚か者か。それで」
「犬に探らせましたが、山の奥へ逃げこんだ様子はありませんでした。逆に、村に近づき、我らをやり過ごし、大きく迂回して、道に出たというところまではわかっております。そこからどちらに逃げたのかを今探らせているところで」
「お前はどう見ている」
「山越えでしょう。タランドンに入ることのみが、『四女』が逃れ得る唯一の道なのですから」
「その通りだ」
「犬四頭のうち、一頭はここ、一頭は念のため東へ、二頭を山に入れております。ただ途中で熊が出たとのことで、犬がおびえて進まなくなってしまったと」
「怪しいな」
「はい。あなたの到着を待って、現場に赴く支度をしておりました」
「……して、肝心の話は。『四女』がひとりきりで山を越えるということはあるまい。村長が『四女』を預けた、その薬師とやらがついているということだろう。何者なのか。『四女』の正体を知っているのか。貴族か。腕は立つのか」
「それが……」
猫背の男は困惑を示した。
きわめて有能なこの人物がそのような態度を示すとは、よほどのことのようだ。
「女で、薬師は副業、本来は剣士…………剣聖と呼ばれている、フィン・シャンドレンなる者だと……」
「なにっ……」
男も絶句した。
彼らは、カラント王国の闇に潜む秘密組織、『風』の最精鋭である。
きらびやかな騎士たちが勇猛果敢に戦うその陰で、諜報、撹乱、暗殺などをひそかに行う、表に出ることは絶対にない、闇に生きる忍びたち。
その任務内容から、貴族が所属することはほぼなく、構成員のほとんどが平民か奴隷階級である。
階級が低い者たちゆえに、どれだけ見事な成果をあげようとも貴族たちから認められることはなく、どれほど犠牲を出そうとも悼まれることもない。
貴族たちが支配するこの国のために、日の当たらないところでひたすら働き続け、誰にも知られないまま死ぬのが当然とされていた。
だからこそ彼らはガルディス王太子を強く支持した。
自分たちを対等な者と認めてくれるガルディスの新しい国に、未来を賭けた。
ガルディスのクーデターが成功し国王はじめ要人の多くを討ち取ることができたのは、彼ら『風』のはたらきあってのことである。
城門を開き、兵士を誘導し、厄介な騎士や魔導師を陰から攻撃して戦闘能力を失わせた。
要人たちの居所もあらかじめ把握しておいて通報した。
平民兵士たちがただ押し寄せたところで、いくら人数があろうとも、国王その人を討ち取ることなどとてもできなかっただろう。
それを達成した偉業は『風』によるものなのだ。
彼らの主君たるガルディス以外はほとんどそのことを知らないが、彼ら自身が自らの大功を誇り、内心で大いに凱歌を上げていた。
…………だからこそ、唯一にして最大の失態、国王の証『王の冠』の持ち逃げなど、断じて許すわけにはいかなかった。
いかなる手段を用いても、自分たちの手で第四王女カルナリアを捕らえ、『王の冠』をガルディス陛下に捧げなければならない。
『風』の実働部隊の長、「1」という番号でしか呼ばれない最強の者みずからが出向いてきたのも、それゆえだ。
その最強の忍び「1」が、聞かされた名に、おののいた。
「……剣聖だと。本物なのか。なぜこんな所にいる」
「村長がたまたま出会い、この村に招いたところ、住みついたとのことで」
「馬鹿な。伝説の人物がこのような所にそんな理由で滞在するなどと……いや、お前を疑っているわけではないが」
「直接聞かれますか。村長を拘束してあります。薬を使いましたので、聞かれたことは何でもしゃべります」
「不要だ。すでにお前が訊問しているのなら、新しいことは何も出てくるまい。それよりも『5』の到着を待ち、記憶を見ることにする」
「わかりました。…………ということは、全員を?」
「ああ。各地の『四女』情報はすべて囮と判断し、『数つき』をここに集結させるよう伝達した。『流星』をはじめ、あらゆるものの、無制限の使用許可を、ガルディス陛下からいただいている」
「おお!」
――ローツ村に、緑色に輝く星が飛びこんできた。
周囲はもう明るい。それなのに夜空にあるようなまばゆい緑の光が、地面すれすれを流れてきて、村の入り口よりはるか手前で高々と飛び上がり、宙を長く飛んで、村長の家の前に着地した。
犬が一声だけ吠えて来客を知らせる。
「『2』、参りました」
巨漢だった。
騎士と言われても、いや騎士たちを束ねる武将だと言われても誰も疑わない堂々たる体躯。強靱な肉体にふさわしい重武装。その足首には緑の星が輝いており、この巨体と重装備すべてを軽やかに疾走させてきた。
後を追うようにして、また緑の星が飛んできた。
「『3』、着きましたわい。やれやれ」
曲がった腰もしわがれた声も老人のもの。
しかしその動作は軽やかで、見た目と雰囲気通りの者ではないことを如実に示している。
「『4』、着到」
「『5』です。もうみなさんそろっておられますのね」
弓を携えた精悍な男と、マントで包んでいても隠しきれない豊満な肢体をした女が連れ立って飛んできた。女の肌は色が濃い。異民族だ。
猫背の男は、この中では『6』と呼ばれている。
「あとは『7』か…………途中で余計な真似をしていなければいいが」
「ほーーーいっ!」
星が、明るい声と共に飛びこんできた。
同時に死臭が広がった。
足首を緑色に輝かせているのは、子供だった。
少年か少女かはわからない。
小柄な体つき、だがその腰周りに、人間の首を三つくくりつけていた。男、女、子供の首。
「『7』番、到着です! 途中で逃げてる貴族見つけたんで、家族丸ごと狩ってきました! 王女を殺せるんですよね!? どこにいるんですか!? はやく行きましょう、手足引きちぎって、その腕でぶん殴ってぶっ殺してやりますよ!」
「落ちつけ……と言いたいところだが、今回ばかりは、お前の剣技に頼らなければならないかもしれん」
「1」は、集まった全員を見回した。
「逃亡中の『四女』は、現在、この村に滞在していた『剣聖』、フィン・シャンドレンに守られて逃亡中である。
我ら『風』は、ここにいる最強の七人をもってそれを追跡。
『四女』を捕らえ、『王の冠』をガルディス陛下に捧げる」
これが敵。こいつらが敵。七人の死神たち。恐るべき追跡者が動き出す。次回、第44話「記憶捜査」。残酷な描写はないが残酷な展開あり。
※解説
「1」が「各地の『四女』情報」と言っていることについて。
第1話において、ガイアスが王宮を逃れる際に、カルナリア王女の学友である同年代の貴族令嬢たちを、王女のように見せかけ護衛もつけて(その護衛たちには自分たちは王女を守っていると信じさせて)、あちこちへ走らせていました。
最初はそういう手を打ちつつ平民兵士があふれる王都の市街地を逃れ出るところを書いていたのですが、冗長になるのでカットしたものです。




