39 美しさという武器
「何奴!」
騎士ネレイドと従士たちが即座に反応した。
騎士は腰の剣に手をかけ、従士は主の前に出て防具をつけた腕を構え初撃を自分の体で防ぐ態勢に。
見事な動きだ。
村長はぽかんとしている。
「……わっ、わたくしのご主人さまですっ!」
カルナリアは慌てて言った。
ついわたくしと言ってしまったが、聞きとがめる才のある者はここにはいない。
「なにっ!? 待てっ! みな、控えよ! 下がれ!」
奴隷少女「ルナ」の主人の名と身分を知ったばかりの騎士ネレイドが、慌てて剣から手を離して怒鳴った。
「……人目を逃れるためのこの風体、また追っ手がかかっているゆえに本当の名をおいそれと口にできぬ無礼、どうか許されよ」
枯れ草の束のような布で全身を隠しているくせに、まるで自分がこの場の主であるかのような、堂々とした声が流れた。
その声がまた、凜々しい上に麗しい響きを帯びた、たまらない美声であったことも、強い効果を発揮した。
「失礼いたしました!」
騎士ネレイドが、先ほどカルナリアに向けたよりもさらにうやうやしく、左肩に右手をあててひざまずく貴族の礼をとった。
従士たちも先ほどと同じように、即座に主と同じようにした。
「いえ、貴殿の立場と任務からいって当然のこと。よく鍛えられているあなた方、およびあなたの主ディライル・ファスタル・タランドン殿に、敬意を表します」
ぼろ布ごしだが、響きに甘いものがたっぷりと乗った、優しい声がかけられた。
騎士ネレイドや従士たちの目尻が喜びに垂れ下がった。
(そんな声、出せるんですね……わたくしにはあんなにぶっきらぼうで、容赦ないのに……)
カルナリアは目を細め、かつ冷ややかに考える。
とにかく何もしたくないというのが本音で、最小の労力で最大の利益を得られるように立ち回ることばかり考えているらしい、ぐうたらを極めようとしているこのご主人さまが、自分から姿をあらわしたということは。
(わたくしが作った流れに乗れば、とても楽ができると見たのですね……さしずめ、これから先、歩かないですむように、馬車か、馬を譲ってもらうのが狙いでしょうか……)
「もったいないお言葉にございます!」
騎士ネレイドは、相手を完全にエリーレア、高位貴族の令嬢と思いこんでいる様子。
それを肯定するでも否定するでもなく、フィンは甘やかな声で続けた。
「この者が告げたことに付け加えます。山の向こう、ローツ村というところが平民兵士の中隊に襲われました。山を登ってきているのを確認したのはその一部、十数人です。途中で熊に遭遇するという不運もあり、ここまで到着したのは、わたくしと、このルナだけです」
「それは…………何と…………ご心痛、お察しいたします」
騎士ネレイドは深々と礼をした。
(あ、さらに誤解しましたね)
カルナリアはそれも察した。
屈強な部下たちがいたのに、途中で次々と倒れていって――恐らくは熊にも立ち向かい――残ったのが、令嬢本人と奴隷の少女のみ、だと思いこんだ。
供の者たちを失う悲痛な思いをしつつ何とかこの村にたどりついたのだと、深く、この「令嬢」と奴隷少女に同情した。
忌々しいことに、フィンはひとことも嘘を言っていない。
自分の名はエリーレアだと詐称するどころか、自分は貴族だとすら言っていない。
山を二人きりで越えてきたというのも完全に事実だ。
他の供は最初からいなかったというだけで。
熊は運良く勝手に死んだだけだということも言っていない。不運にも遭遇したと、本当のことの一部分を告げただけ。
それで最大の同情を得た。
(ずるいです、このひと……)
やはりこの人物は、剣聖などと呼ばれるすごい人でも何でもなく、ただの詐欺師なのではないかという疑念があらためて湧いてきた。
――しかし。
騎士ネレイドも、年齢と経験を重ねてきた人物ではあった。
「ただ、大変恐れ多いことではございますが――そのようにお顔を隠されたままでは、我が主への紹介状をしたためるにあたって不都合がございます。願わくば、ご尊顔を拝する栄誉をたまわらんことを」
要するに、顔も見せない相手を信頼するなどできない、そんな相手を主君に紹介などできないということだ。
きわめて真っ当な要求で、カルナリアは内心で拍手した。
紹介状とは「この○○という者は、どこそこの生まれ、これこれこういう髪とこのような顔立ち、背丈、体格をし、何々を得意としており、その技能はあなた様のお役に立つと確信し、ここに推挙する次第であります」という風に、他人が奪ってなりすますことができないよう、相手の特徴を出来る限り色々と書いておくものだ。
王族、高位貴族とは、下の者たちが何とかして取り入ろう、食いつこうと狙ってくる存在である。だからこそ用心深くなければならないと、カルナリアはその辺りの機微を色々と教えられている。
ろくな内容もない紹介状を信じたら、だました相手よりもだまされた側の方が愚かだと扱われるということを、数々の事例を引かれつつ、教師に厳しく念押しされたものだ。
その「紹介状を書く際に必要なこと」を求められたフィンは――そもそも求められていること自体、理解できているのだろうか?
(ご主人さま、どうするのかしら)
少し意地悪な気分で、カルナリアはフィンの反応を待った。
フィンは、自分がそれだと思いこまれている貴族令嬢、四位貴族エリーレア・アルーランのことは何も知らない。
カルナリアも騎士ネレイドも声には出さなかったのだから、自分がその名前と思われていること自体、わかっていないはずだ。
もちろん、助け船を出すつもりではいる。
答えられず沈黙が続くようなら、ご主人さまに代わり語らせていただきますと、エリーレアの経歴や容姿を告げる。
「ふむ……」
フィンは、小さくうなると、ぼろ布を揺らした。
室内にいる面々を見回したと、カルナリアにはわかる。
「ネレイド殿と、従士ひとりのみに許す」
優しさの消えた、冷酷さすら感じる声音で命じた。
そう――命令した。
この国の貴族である騎士相手に。
奴隷のルナに対するのと同じように。いやもっと厳しく。
場の全員が飲まれた。
従った。
騎士ネレイドは、三人いる従士のひとりだけを指名し背後に残し、他の二人は横合いの村長のところに移動させる。
フィンが進み出た。
カルナリアの前に立ったので、ぼろぼろしか見えなくなる。
次の瞬間、カルナリアの視界が、枯れ草色に埋め尽くされた。
ぼろ布が――その前が――。
大きく、開かれたのだった。
「!」
息をのむ音が聞こえた。
騎士ネレイドとその従士、ふたりの男性が。
「故郷にて修行に励み、いささか剣を使えるようになり、今回の事態に際して幾度か役に立った」
布越しではない、肉声がカルナリアの耳に流れこんできた。
顔も見せている。
素顔を、男たちに、さらしている!
「しかし、剣一本、女ひとりでできることなどたかが知れている。人の力を借りねば大事は成せぬ。どうかご助力願いたい、騎士ネレイド殿」
「はっ…………ははあっ!」
ぼろ布が、元の状態に戻った。
カルナリアは大きく開けっ放しになっていた自分の口を、音を立てて閉じた。
ぼろ布の横――自分と同じく何も見せてもらえなかった村長と残りの従士ふたりが、どうしていいかわからない様子で固まっている。
ぼろ布の正面。
ひざまずいたままの騎士ネレイドとその従士が。
「…………!」
赤くなっていた。
興奮していた。
目が潤んでいた。
手が震えていた。
その二人の「色」が、それまでとまるで違ったものになっていて、カルナリアは目をまん丸にした。
強烈な経験をした直後に「色」が変わるのを見たことはあった。
しかしここまでの変化は。
元からの色合いが何倍も強くなり、それまではなかった「武」の色が輝きはじめ、そして――淡い桃色が。
恐らく妻も子もいるだろう年齢の騎士と、将来を見こまれて取り立てられたのだろう若い従士とが、そろって感動に打ち震え、心から忠誠を誓い、力をみなぎらせ――恋に落ちていた。
それゆえの「色」のすさまじい変化だった。
「ケラス! この方にお休みいただく部屋を用意しろ!」
騎士ネレイドが一気に表情を切り替えて立ち上がり、村長に有無を言わせぬ命令を下す。
「イルディン、手紙をしたためる、筆記用具を! アシルは馬の支度! ディルイ、お前は外に出て、兵たち、いや戦える者すべてを山へ! 急ぎ登って、山頂を確保しノーゼランの者どもの侵入を防ぐのだ! 実戦だぞ! ここはタランドン領、他領の者を入れてはならぬ!」
たてつづけに従士たちにも指示を出す。
それから再びフィンの前にひざまずいた。
「すぐ馬を用意いたします。私の馬をお使いください。我が従士を供につけます。支度ができるまで、しばしお休みくださいますよう」
「感謝する」
フィンは布の中から優しく言った。
「すまないが、この子に、何か食べさせてやってくれ。食べ盛りだ。私には不要である」
「はっ!」
村長への指示が追加された。
高位貴族が、このような寒村の食事が口に合わず断ることに何の不思議もなく、騎士にも村長にもむしろ納得された。
部屋――といっても今のことがあった広間のすぐ隣の、椅子とテーブルがあるだけの客間だが――に案内される。
一応扉はついており、村長の妻だろう太った女性がすぐに水と壺に入れた料理を持ってくると閉ざされて、フィンとカルナリアだけになることができた。
「……何をしたのですか」
小声で、じっとり見上げながらカルナリアは訊ねる。
「言っただろう。顔がいいのは、めんどくさいことが多いが、役に立つこともあると」
「男の人がおかしくなるとはうかがいましたけど……あれは…………魔法か何か、使ったのですか?」
「困ったものでな。私が真剣に見つめると、男は大抵ああなってしまう。私が追われている理由、わかったか」
「いちおうは」
カルナリアのじっとりした目つきは変わらない。
とてもとても、きわめて、面白くない。
あの騎士と従士は、「エリーレア様」のために全力、いや全力以上を出し切り、喜んで死ぬだろう。
顔を見せただけで他人を簡単にそうしてしまうのは非道なことだと思う。
そうなってしまうあの男たちにも腹が立つ。
自分はまだ見せてもらえていないフィンの顔を、出会ったばかりですぐ見ることができたなんて、不公平だ。
「追われるのがおいやなら、ご自分にもこれを使ったらよろしいのでは?」
顔の「やけど」を示しつつ言った。
ふくれっ面をしていることに自覚はあった。
「役に立つこともある、と言っただろう。偽装した顔では、これほど即座に楽はできない」
「人をたぶらかすためなら何でもするのですね」
「嘘はひとつも言っていないし、正直に自分をさらして助力を頼んだだけなのに、そう言われるのは心外だな」
冷める前に食え、と促された。
ごまかされたとしか思えなかったが、早朝から無数の色々なことを経験していたカルナリアの肉体は、栄養を強く要求しており、立ちのぼる匂いに訴えの声をあげ始めていた。
壺の中身は、ぶつ切りにした肉の塊をとろみのついた汁で煮こんだシチューだった。
すぐに出てきたあたり、朝から大鍋で煮こんででもいたのだろう。
熱いものを注ぎ入れた上から細かくチーズを散らして、それが運ばれてくる間にほどよく溶けている。
長く煮こまれた肉は、何の肉なのかはわからないが、生臭さはきちんと消された赤身肉で、匙で簡単に崩れるほどやわらかく、口の中で心地よく崩れ、豊かな味わいと共に心地よく喉を滑りおりていった。
一緒に煮られている野菜も、煮崩れることなくそれでいてよく味が染みており、程よい噛みごたえとうまみが心地よい。
赤みが強い汁は、パンとの相性が抜群。
村長の妻か他の誰かか、とにかく料理の腕はかなりいい。
たちまちカルナリアの手と口はむさぼるばかりになってしまった。
一方でフィンは、ぼろ布の中で何かやっていた。
ポリッという硬い音が一度だけ聞こえた。
何か食べている。恐らく焼き固めた、菓子に似た携帯食料。
「ご主人さまは、本当に、これ、召し上がらなくてよろしいのですか? 何なら、私の分をおわけしても……」
「気にするな。いい機会なので、古くなりかけている携帯食料を片づけている」
自分が温かいものをたっぷり腹に入れ、主人たるフィンが携帯食料だけというのは、大きく間違っている気がした。
「……上手く話して、いいように運んでくれた、ごほうびだと思え」
このひとはこちらの心を読んでいるのではないだろうか。
その疑問があらためて湧いた。
手が出てきて、カルナリアの頭に置かれた。
「あ…………!」
明るい色の縁取りのついた、黒灰色の布地が手首までを覆っている。
初めて、ちゃんと、この人物の衣服の一部を見た。
布地は割と上等で縫製もしっかりしている。そんなに突飛なものではない。しかしどういうとんでもない仕掛けが施されているかわかったものではない。
その袖から色々考察したいのに、カルナリアは頭からの感触に意識を持っていかれてしまった。
麗しい手、その手の平が、自分の頭の上に。
「お前のおかげで楽ができる。助かるぞ」
優しい響きと共に、なでられる。
頭が温かくなる。心地よさが広がる。
ここまでの緊張や不安のすべてが報われた気持ちになって、頬がゆるみ目が潤んでくる。
なでるどころか、王女の頭に触れるだけでもきわめて不敬であり、許してはいけない行為なのだが――。
自分からその手をはねのけることができない。
今の自分は奴隷の立場なのだから仕方ない。
仕方ないのだ。
(本当に、このひとは…………ずるい!)
それならせめて、色々押しつけられたことへの仕返しに。
「慣れないことをやらされて、疲れました。もうちょっとお願いします」
「ふむ。疲れたのなら仕方ないな」
外から声がかけられるまで、カルナリアはずっとフィンに身を寄せ自分から頭を押しつけ、なでなでをさせ続けた。
顔を見せて男を言いなりにし、なでなでで王女を骨抜きにする。お前はフリュネか。次回、第40話「賊との遭遇」。残酷なシーンあり。




