280 忍びの誇り
残酷な表現あり。
親衛兵の大声に、周囲は騒然となる。
そんな中でも棒立ち、無表情が一切変わらないレンカの異様な姿に、誰もがここに元凶があると取り囲んだ。
「カルナリア様の決意と勇気には心より敬意を表するが、私は、私の任務を遂行し、『王の冠』をガルディス様の元へお届けする」
セルイとファラが駆けつけてきた。
坂の上から、フィンやトニアたちもすごい勢いで近づいてくる。
「……セルイ様」
うつろな顔をしたまま、レンカがそちらを向き、やはり成人男性のような声音で告げる。
「あなた様には申し訳なく思います。
私も、カルナリア様にレイマール殿下の代わりを務めていただくという方針は理解いたします。
ですが、私が受けた任務はあくまでも、カルナリア様より『王の冠』を取り戻せというものであります。
いかなる手段を用いても任務を必ず成し遂げるのが、我ら『風』の役目、表に出ることを許されぬ我々の誇りにございます。どうぞお許しを」
さらにレンカは、フィンにも向いた。
フィンを見てもレンカの表情は人形のようなままで、瞳にも一切の感情の動きは表れない。
「剣聖、フィン・シャンドレン殿。
あなたは恐るべき敵であり、またカルナリア様を陰よりお守りし続けた、見事なる剣士でありました。
そのあなたに対して、忍びとしては許されぬことを、一度だけ申し上げることをどうかお許し願いたい。
我ら『風』の次席、『2』番ことダガル。
彼は忍びでありながら、戦士としてあなたに真っ向から立ち向かうことを選びました。忍びとしては愚かと言うよりありません。頭目としては決して許すことはできない行動。
しかし、己の夢に殉じた彼のことを、ひとりの男として私はうらやましく思い、またその夢に応じてくださったあなたに、心より御礼申し上げる次第にございます。
そして、ゆえにこそ、私は己の任務を完遂しなければなりません。
友よ、ガルディス様を頼んだぞ、とダガルは最後に言い残しました。友の願いには応えなければなりません。
フィン・シャンドレン殿。もしあなたが私を追うためにこの砦を出たならば、このレンカは、体に埋めこんだものにより、回りの者たちを大勢巻きこんで、即座に死ぬこととなるでしょう」
その言葉を聞くなり、親衛兵たちが即座にカルナリアの前に壁を作り、ファラはセルイに飛びついて防御魔法を展開した。
「そのようにならず、レンカが目を覚ましたならば、伝えてくださいますよう。お前は『風』より除名する。望むところへ行くがよい、と。さらばだ、とも」
「……わかった」
フィンが、淡々と答えた。
「と、言いたいが……これは『憑依』ではないな。催眠か何かで、レンカにおぼえさせたことを言わせているだけだ。したがって、レンカの中には誰もおらず、斬ったところであの者には届かない。私の返事も、あの者は聞いてなどおらぬな……」
「あ、あのっ! 『王の冠』が!」
悠長に独りごちるフィンに、カルナリアは飛びつく。
ここへきて、この局面で、奪われてしまった!
グレン、忍び組『風』の頭目、すなわち最も腕が立ち油断ならない者は、この機会をひたすらに待って、これまで何一つしないできたのだ!
そうだ、ファラが言っていた。大勢の腕利きを集めて殺し合いをさせると、強い者がいくらいても、最後に生き残っているのはグレンだと……。
直接の戦いに強いというわけではない。
だが、目的を確実に達成する。
そのために何日でも、何十日、何年でも待ち続け、狙い続けることのできる者。
これもまた、人間というものの強さのうちなのだ……。
師匠として技術を教えこんだ関係であるレンカに、このような仕掛けを施すのはたやすかっただろう。
そのレンカが、フィンの居場所を確認したのも、『王の冠』を奪うため。
レンカに色々としゃべらせたのも、逃げる時間を稼ぐためだろう。
魔力隠蔽の布を巻いた『王の冠』は、「検索」でも見つけるのは困難。
『流星』でグライルを越えることは早々に断念したが、それは行く手に何があるかわからないからであって、すでに知っているこれまでの道を戻るのはたやすいことだ。
すなわち、追跡しても、追いつけるかどうか……そもそもグレンを見つけることすらできないのではないか……!?
カルナリアの血の気が引いた。
ここへ来て、とんでもないことに!
ガルディスが『王の冠』を手に入れたならば、カラント国内はガルディス「新王」支持で確定する!
「これは…………まずいです」
セルイも、覆面の下で動揺していた。
さすがの彼をもってしても、『王の冠』ありのガルディスを前に、それなしの小娘カルナリアを旗頭にして貴族勢力をまとめることは困難なのだろう。
「落ちつけ」
しかしフィンは、これまでと何も変わらなかった。
長口上を終えるなりフッと目を閉じその場にくずおれかけたレンカを、踏みこんで支える。
「ん……?」
レンカはすぐに、目をパッチリ開いてきょとんとした。
「あれ? 今、オレ……何を……?」
周囲を見回す顔つきは、今までのレンカそのものだ。
「おやめなさい!」
『王の冠』の窃盗犯として捕縛しようとしてきた親衛兵たちを、カルナリアは急いで止めた。
「フィン様、どうすれば……!?」
「レンカ。グレンが、お前を利用して、『王の冠』を奪った。『流星』で逃げた。追えるか」
「なんだって!?」
レンカは、自分がそれをしたことを記憶していないようだった。
どのような手法を使われたのかは、思い出し、理解した様子で、悔しそうに口元を歪める。
「わかった……追います」
自分の師匠のことを敵とみなした、重たい顔と声で言う。
「ファラ。トニア。一緒に行け」
カラントで最も強力な魔法具だ、魔導師なら見つけやすい。
レンカにまだ何か仕掛けられていても、トニアなら対応できる。
フィンはそれから、カルナリアに向けて手を出してきた。
グンダルフォルムから逃れた時と同じく、その手にはまた『流星』が!
「え……!?」
「お前も行ってこい」
「危険です!」
トニアが慌て、ゴーチェや親衛兵たちも色をなしたが――。
「大丈夫だ。恐らく、戦うことにはならないし…………この子にとって、見ておいた方がいいことになっているだろう」
「どういう意味ですか!?」
「行けばわかる。気をつけて行ってこい。もうすぐ出発だからな。時間がなくなるぞ」
これからのカラントを左右するきわめて重要なものが盗まれたというのに、ちょっとした忘れ物を取りに行かせる程度の軽さで、フィンは言った。
何を考えているのか、どういうつもりなのか、カルナリアにはまったくわからない。
ひとつにつながったはずの相手なのに……と悔しく思う。
しかし、とにかく『王の冠』を取り戻さないと。
「レンカちゃん、先に行って。でも私たちから見えない場所に行っちゃだめ。君の意志とは関係なく、グレンに味方して私たちを襲ってくる可能性があるから」
「……わかった」
レンカが、緑の星を輝かせて飛び出した。
一瞬、グンダルフォルムの尾が襲ってくるところを思い出してしまったが、何事もなくまばゆい星は胴体の向こう側へ消えてゆく。
すぐファラも緑の星を輝かせて後を追い。
トニアは、何かの魔法具を腹のあたりで作動させて、俊敏に飛び上がって続いた。
フィンを襲った時にも使った、移動用魔法具だろう。
カルナリアも、フィンを振り向きためらったが、『流星』に魔力をこめて、動き出した。
早く取り戻して帰ってこないと、フィンとのお別れの時間が取れなくなってしまう。
グンダルフォルムの胴体を飛び越えて、カルナリアは砦の外の斜面に作られた折れ曲がる通路に、まずは着地した。
外に出たのは丸一日、いや二日ぶりか。
広々とした空間がちょっとだけ嬉しい。
遮蔽物のない斜面の下に、先行するレンカ、ファラ、トニアが見えて。
大型の魔獣の、焼け焦げた死骸がいくつか転がっているのも見てとった。
先ほど、ハイテンションのファラが退治したものだろう。
レンカやファラたちの接近に伴って、それに寄ってきていた小動物が逃げ散る。
「…………え?」
カルナリアはぎょっとした。
斜面の下は、岩塔が林立する、大型獣よけの「迷宮」状態になっており、そこにまぎれこんだグレンを発見するのはきわめて困難だろうと思っていたのに。
その中どころか、その手前に。
レンカでもファラでもない、緑色の星が輝いていた。
トニアは『流星』はつけていない。
となると、グレン。
人の形もわかる。
あんなすぐ近くに、隠れるでもなく堂々と?
まさか、自分たち魔法の使い手が追ってくることを見越して、待ち受けて片づけるつもりでは!?
レンカがそこに合流して。
手を振って、声を張り上げた。
「死んでる!!!」
予想外の声を……。
グレンの、緑の星が消えた。
装着し、動こうとすると発動する。
すなわち、その意志をなくした――思考が消えた――死んだ時に、『流星』は作動を停止する……!
ファラが慎重に近づいていった。
トニアはまだ距離を開け、レンカが何かやらないか警戒している。
カルナリアもうかつには近づかず、ここで魔獣の襲撃もあり得るので身をかがめて様子を見守る。
ファラは、動かないグレンの体を見下ろし――。
魔導師杖をあてがい、押した。
地味な色合いでグライルの風景にたやすく溶けこむ、認識阻害効果もあるマントと、同じく地味な色の動きやすい衣服を身につけた男性。
その形が、崩れて。
大量の赤いものが、カルナリアにもはっきり見えた。
「!」
反射的に治癒魔法を動かしかけて、抑える。
ファラが招いて、トニアがこれも慎重に近づいていった。
「レンカちゃん、両手を見えるようにして、後ろに下がって。何か出てきたら剣使ってもいいけど、それ以外でおかしな動きしちゃだめだよ」
さえぎるものがないので、ファラの声がそのまま聞こえてくる。
レンカがその通りにしたのも見える。
ファラが周囲とレンカを警戒し、トニアがグレンに――真っ赤になったグレンの体に近づいていって。
「……そちらに行ってもよろしいですか!?」
状況が知りたくてたまらず、カルナリアは上から声をかけた。
「ひどいもの見るよ! 来るなら覚悟して、ゆっくり近づいてきな!」
ファラが警告してきた。
カルナリアは、折れ曲がった通路の、下の段へ飛び降りた。
後ろに下がり両手を開いて持ち上げているレンカ。
そちらから目を離さないようにしているファラ。
かがみこんでいるトニアと――。
グレンが…………その体の状態がはっきり見えて……。
斜面の根元を取り巻くように流れている、虫除けの、小さな水路。
そこに横向きに倒れているかたちで……。
「ぐっ!」
赤いものの意味がわかった瞬間、カルナリアは口を押さえた。
吐き気。
グレンは――真っ二つになって、体の中身をぶちまけているのだった!
「あった? じゃあカルちゃんとこ行って!」
トニアが立ち上がり、カルナリアの所に飛び上がってきた。
「お返し……します……」
先ほどレンカが奪い、投げ渡した、遮蔽布に包まれた『王の冠』。
念のためだろう、手袋をつけたトニアが開いて、毒針などの仕掛けがないかを確認。
そういうものはなく、まばゆいほどの魔力をあふれさせる額飾りがきらめいた。
トニアはすぐに包み直し、カルナリアに渡してくる。
正直言って、グレンの血がべったりついていることを想像し、覚悟していたのだったが……その包みには、一滴の赤いものも付着していなかった。
カルナリアは包みと、グレンの無残な死体を見比べる。
「胸元に、入れていました…………切れていたのは、背中……体の、前は、くっついたままで……そちらには、傷の、ひとつも、なく……だから、きれいなまま……」
「え…………」
背中でまっぷたつにされ、体の前はつながったまま。
そのような殺され方をした死体を、どこかで……。
「あ!」
「あの時と、同じ……」
トニアもわかっていた。
ゾルカン隊の者はみな知っている。
あの湖畔の村で、石人の本隊と血吸蟻に襲われたあとの、次の日、明け方、殺されていた五人。
その中のひとりが……あれと同じように……!
「……四人は、私。襲われたから。その気じゃなかったし。
でもあの男は――私じゃなく……」
トニアではないのなら。
レンカかとあの時は思ったが。
それよりも、もっと濃厚な容疑者が……。
「燃やすよ。いいかい? 『流星』は回収したね? 他に何か持ってく?」
ファラが風上に回って、火魔法の準備をした。
レンカは、ファラとグレンの死体の間に入り、自分の動作と顔をはっきり見せるようにしている。何か内側で変化が起きてもわかるように。
「いや、いい。オレたちは突然こうなるもんだ。別れは、任務を始める時にすませてある。……今までありがとな、師匠」
レンカが言うと、魔法が放たれ、グレンの飛び散った体の中身も衣服もすべて炎に包まれ、黒焦げになっていった。
魔獣を呼ばないためだろう、かなり強い魔力をごく短時間だけ使って焼き尽くす。黒煙が宙に立ちのぼる。
黒い残骸の中に骨が見えてきたところで、ファラは上へ飛び上がってきた。
最後にレンカが続いて、四人とも、斜面の通路の途中で、忍び組の頭領の荼毘を見下ろすことになったのだった。
「レンカちゃん、何か変な気持ちになってないね? 私たちを殺してやろうとか、殺さなきゃいけないとか、殺すものだよ当たり前だろとか」
「いや……うん、何ともない……疑うのは当然だ……自分でもわかんねえから、気をつけていてくれ……」
「カルちゃんも、当分は近づいちゃだめ。剣聖さんとこ戻るまでは、レンカちゃんとの接触禁止」
「……はい」
師匠の死に、別れはすませてあると言いながらも目を潤ませているレンカを、抱きしめてやりたかったが。
それを言われると断念せざるを得ず。
忍びの手口と執念と危険性にぞっとしながらも――グレンの亡骸と、記憶にあるものとを比べて、結論を出した。
「あれは……湖でのあれも、フィン様がやったのですね?」
「ああ」
レンカが離れたところで言った。
「アリタを襲おうとしたやつを、後ろから。
アリタに血を浴びせないように、前の皮を残して」
あの朝、レンカがやったのかという視線を向けた時の、むすっとした反応の意味がわかった。言うに言えない葛藤だったのだ。
「じゃあ、グレンのおっちゃんは、いつ斬られたの?」とファラ。
「わかんねえ……飛んで逃げたのを、あの剣の力を飛ばして……ってのじゃ、あんな風には切れないと思う……」
「多分…………私と、同じ……」
トニアが、自分の胸に手をあてがって、暗い声で言った。
「私、あの剣に、心臓、貫かれてる……でも、まだ、死んでない……死を、決められたけど、実行されてない……あの剣は、多分、そういうこと、できる……私が、逆らったら、それが発動して、心臓、切れる……本当かどうかはわからない、けど、試すの、怖い……無理……」
「むう……」とファラがうなる。「あり得るか……斬った結果を先送りして、必要な時に現実化させる……神の世界で保留してるのか……まだ現実になってないから、事前にどれだけ調べても異常は見つからなくて、治癒魔法かけても神の世界には届くものじゃなくて、その気になった時か、条件満たした時に、現実になって、斬られてるという結果が出現する…………ああもう、やめた! 怖がるだけ無駄! 私たちもとっくに首斬られてるかもしれない! 考えてもどうにもなんない! やめたやめた!」
「あの、どういうことなのでしょう……?」
「あ~、つまり、さっきおっちゃんが逃げた時に斬られたわけじゃなくて、そのもっと前に、とっくに斬られてたの。
その結果が、今、現実になったの。
おっちゃんは、剣聖さんにとっちゃ、敵だったでしょ。
だからどこかで、もし本当にまずい真似をしたらああなるように、先に斬っておいたんだよ。
おっちゃんは、奪って、飛び出して、あそこに着地した瞬間にああなって、死んだ。
自分が死んだことに気づかないままだったかもしれないね。魂は今もガルディス様のところへ向かってるかも」
「そんなことが……!?」
「あの師匠がそんなの許すと思えないんだが」
「多分だけど、グンダルフォルムを剣聖さんが退治した時じゃないかな。あの剣の、鞘の布ほどいた時、私たちは子作りもどきのことやってこの世に踏みとどまったけど、おっちゃん、気絶してたでしょ。
あそこで、カルちゃんも気づかないうちに、やったんじゃないかって……私にはあの時以外思いつかないよ」
「な……!」
レンカが、冷たく、しかし痛ましげに、カルナリアを見た。
「オレたちは、そういう世界の住人なんだよ。どうやって相手を殺すか、いつも考えて、隙があったらためらわない。まだ何もやってなくても、やるかもしれないからと斬っておく。
相手をできるだけ生かして役に立てようとする、王様のお前とは、絶対に噛み合うことはないんだ」
「………………!」
カルナリアは何か言おうとしたが、住む世界が違いすぎる相手に通じる言葉が見つからず、うめき――泣き出しそうになって。
「戻ろう。こんなとこで言い合うんじゃなくて、剣聖さんにもぶつけて、納得いくまで話しなさいな」
ファラに言われて、またレンカを先頭に、四人連れ立ってグンダルフォルムの胴体を飛び越え砦に戻ったのだった。
戻ると、エンフがカルナリアを待っていた。
「大事なもの、取り戻せたかい。よかったね」
「あの……?」
「ぼろ――じゃないね、フィン様に、礼を言われてね。
今まで、あんたをよく守って、面倒を見てくれた、ありがとうって。
おみやげももらっちまったよ。お守りだってさ。あたしと、子供たちに持たせろって、四つ。死神に見つからないようにするものだってさ。
…………で」
そこまでは快活だったエンフは、真顔になった。
「伝言を頼まれたよ。
ふたつの道は、交わることはあるけれど、そこからまた離れていく。私とお前の行く道は違う。お前はお前の道を行け。元気でな、って」
「!!!!!!」
今こそ、カルナリアは全てを悟った。
あの人の心がわからないダメ人間は、あとで時間を作るといううそをついて。
カルナリアに残酷なものを見せるよう仕向け、住む世界が違うのだから共に歩むことは無理だとわからせて、めんどくさい問答と湿っぽい別れを嫌がり、姿を消してしまったのだと……!
最後の、最強の敵との戦いは終わった。ローツ村の住人皆殺しを命じたのを始め、追跡行の中で数多くの命を奪ってきた者が、ついにその所行を終わらせる時が来た。レンカも除名され、『王の冠』を狙う『風』最強の七人はついにこの世から消え失せた。
そして同時に、それを守り続けてくれたフィン・シャンドレンも消えた。
消えてしまった。
次回、第281話「別離」。第一の最終回。ふたりの旅が終わる。




