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277 アリタ



 朝食の支度ができ、点呼が行われる。


 ゾルカン、エンフ、ドランをはじめ、ほとんどの者がカルナリアを驚きの目で見てきた。


「……なんか、大人になったな」


 ゾルカンが、みなの意見を総合して言ってきた。


「ありがとうございます。今日からはもう、子供ではいられませんし……」


 経験豊富な者たちに、自分がもう本当の意味で子供ではなくなったことを気取られるのは恥ずかしく――。


()()を見たら、ちゃんとした大人にならなければと、強く思いまして」


 視線で砦の外を示した。


 魔法の炸裂音がまた聞こえてきた。

 ちょわーとかとりゃーとかいう奇声もかすかに響いてくる。


「ああ…………()()なっちゃ、いけないわな……」


 ものすごく納得してもらえた。






 バウワウが側に来た。


 鼻を鳴らされることもなく、丁重に礼をされる。


()()()、ついた。万全。もう、あなたを襲う獣、いない。()()()()


「ありがとうございます……」


 最後の一言に顔を引きつらせつつ、カルナリアも礼を返した。






 続いて、トニアたちに支えられながら、案内人が数人やってきた。


 それぞれ、手足が欠損していた重傷者たちだ。

 まだ体力は回復しきっていないが、肉体は完全に元通りになっている。


「ありがとうございます!」


 泣きながら感謝を捧げられる。


「もう、終わったと……死んだと……生き残ったけど、早くとどめを刺して楽にしてくれとしか思っていなかったのに……このように……!」

「我々は、これから先、命ある限り、『神眼』カルナリア様のために、できる限りのことをして、恩返しいたします! 『神医』ファラ様にも!」


「……今のファラ、見せなくてよかったな」


 レンカが小声で言った。






「災難だったねえ。ひどい虫もいたもんだ」

「いえ、命があっただけでもありがたく……」


 エンフが、セルイにつきっきりになっていた。

 ファラがいないため、顔面がひどいことになった彼の面倒を見なければと思ったのだろう。


 そのセルイは――虫の脅威を示すために、一度全員に、その顔を見せていた。


 目のまわりと口だけは無事だが、そこ以外は、首筋まで全て、焼けただれたようなひどいものになっている。

 あの優美な青年の面影はどこにもない。

 知らなければ、自分もおぞましいと感じていたことは間違いない。

 ……ある時期の自分は、そういう扱いをされる側だったのだ。


 しかし、「焼けただれた」ようでありながら実際は全然そんなことはないネチネチ野郎は、エンフに世話される現状を楽しんでいる気配を漂わせており……。


(熱いものを近づければはがせることは、わたくしから聞き出して知っているはずですから……フィン様のおっしゃった通り、あのままで行くことにしたようですね)


 セルイではなく、ライズ・ディルーエンとあらためて名乗り直した『働き者』を、カルナリアは冷ややかに眺めやった。


 彼の失言のおかげで、何も気づかず出立し、バルカニアからここへ戻ってきてもなぜかフィンが現れてくれないままさらにカラントへ帰り、それきり……ということにはならずにすんだ。


 そのおかげで、カルナリアは一生忘れ得ぬ経験をし、想いと体をつなげ、失われることのない()()()を刻んでもらうことができた。


 その意味では、感謝してもいいのだろうが……。


 どうしても、そうする気にはなれない。





「ホーーーウ! ホーーーウ!」


 朝食が終わる頃、甲高い獣の声がした。


 しかしそれは獣ではなく――。


「ホーーーーー!」


 案内人のひとりが同じような声を返す。


 霧の中でこんな声を上げていたことを思い出す。


 ほどなくして、館跡の、外へつながる洞窟から、見たことのない案内人が数人、連れ立って姿を見せた。


 案内人、チャドラー隊の先行偵察隊が到着したのだ。


 ついに来た、とカルナリアは息苦しくなる。


 彼らが来たならば、いよいよここを出ることになる。


 バルカニアへ向かう。

 そして――もう二度と、フィンとは……。


 急いでぼろ布を探した。


 グンダルフォルムの首と胴体、時間を止められまだ生きているようなそれを見せられ悲鳴をあげ腰を抜かした者たちを尻目に、激しくきょろきょろ。


「レンカ、ゴーチェ、フィン様はどこにいらっしゃるか、わかりませんか?」


 みなで見回し――。


「……あ!」


 レンカが声をあげ、カルナリアを引っ張って走り出した。


 その目つきは、いつぞやの、二人でフィンに詰め寄った時と同じ。


 その見ている先の相手も、あの時と同じだった。


 ここもどうにか生き延びて、いよいよ祖国へ向かうことができると、喜び顔で自分の荷物を整理しているバルカニア人たち。


 その中に、ぼろ布が立っていて。


「あ、あの……!?」


 アリタが、困惑して見上げていた。


「!」


 カルナリアもレンカと同じ目になって突進した。


 これまでの、幾度かフィンが自分からあの儚げな人妻に絡んでいったところが頭によみがえる。自分から体を揉んでやろうと持ちかけた異常な行動も。


 側に残るレンカはともかく、帰国するアリタとは、ここで完全にお別れだ。もう会う機会はないだろう。

 最後の機会に――手を出した相手に、別れの挨拶か……よもや、口づけ、まさかそこまでは……!


「……む」


 自分たちの急接近に、フィンがいち早く気づいてうなった。


「フィン様、何を話しておられるのですか? 前から不思議だったのですが、アリタさんとは、どのようなご関係で?」


 おどろおどろしい声が自分の口から流れ出た。


「関係と言うか……()()の一端が、な」


「責任」


 責任を取る必要があるようなことを、何か、やっていたのか。

 自分と昨夜あんなにも熱い時間を過ごしたというのに。

 沢山ささやいてくれた甘い言葉は何だったのか。


「待て。落ちつけ。慌てるな。違う。…………これだ」


 早口に言うぼろ布の中から、小さな容器が出てきた。


「え!?」


 声は、アリタが上げた。

 ぎょっと目を向き、大慌てで、自分の服の内側へ手を差しいれる。


 身につけるための革の入れ物、その中から、小さな容器が出てきた。

 フィンが出してきたものとほとんど同じ。


 彼女とシーロがカラントへ赴いた理由である、(あるじ)の病を治すための薬。それが入っているという、中のものの鮮度を保つ魔法具……。


「その中のものは、薬には違いないが、魔法薬ではない。恐らく、主の病には効かない」


「な……!?」


「こちらが、本物だ。持っていけ」


 フィンは容器を開けた。

 アリタも開けた。

 これもほとんど同じ形状の、小さな筒が入っていたが――。


「魔力を……感じませんね……」


 カルナリアは両方に手をかざしてから言った。


 ――アリタに。


「アリタさんのものからは、魔力を感じません。これは魔法薬ではありません……」


「どうして……!?」


 激しく顔を引きつらせるアリタと、疑問符でいっぱいになるカルナリアに、フィンは教えてくれた。


「タランドンで私は、色々働いた礼として、あの街の顔役たちに、失った装備の補充を要求した。

 私に恩義を感じてくれている彼らは、望むままのものをそろえてくれた。

 その中にこの魔法薬もあった」


 カルナリアは思いだした。

 タランドン、オーバンの屋敷を離れる前に、今も自分が身につけている衣服を始め、色々なものが用立てられた。

 その中に様々な薬もあり、魔法薬があってフィンが喜んでいた。

「大きな街だとそろうものだな」と……。


「だが、魔法薬というのはきわめて貴重なものだ。医師でも所有している者はめったにいない。タランドンほどの大きな街でも、ごくわずかな者しか作れないし、持っていない。

 その貴重な魔法薬を、買い求めに来た、バルカニアの者がいた。

 しかしほぼ同時に、街の顔役たちから、それを要求された。

 ならばどうするか。


 ――これからも街で暮らしていくのだから、顔役の要求を突っぱねるわけにはいかない。

 本物はそちらに譲り――バルカニア人には偽物を渡す……魔導師でも薬師でもないのでばれる心配はないし、どうせ隣国へ戻る相手だ、効かなくとも文句を言いにくることもあるまい……」


「そんな!」


 怒りの声は、カルナリアが先に放った。


 落ちつけ、と頭を撫でられる。


「買い物はいくらか経験しただろうが、その場で目の前にあるものを求めるだけで、求めると店主が奥からものを出してくるようなやり方の買い物はやったことがないだろう?」


「はい……」


「そういうやり方だと、いくらでも、偽物をつかませたり、ふっかけたりしてくるやつはいる。高級品を扱っているからといって安心はできない。本物を見せておいて、店員に包ませるのは別物、というやり口とかな。お前の立場では知る機会がなかっただろうし、そのことはお前の責任でも何でもないよ」


 何て汚い、と強く思った。

 これから作り直す自分の国では、そういうことができるだけ起きないようにしなければ……!


「で……では……アリタさんを気にかけておられたのは……?」


「最初の日、あの角豚(ゴルトン)の時に、アリタが出したものを見て、気がついてな。

 同じ容器、すなわち同じ薬師のものだ。

 私が魔法薬を要求したとき、難しい顔をされた。つまり顔役の彼らでも手に入れるのにかなり無理をする必要があるということ。実際、彼らが派遣してきたあの医師は持っていなかった。薬師が複数持っていたなら、難しい顔はされなかったはずだ。

 その同じ薬師から買い求めたということは……と推測した」


 カルナリアの脳裡に、別なフィンの声もよみがえった。


 アリタの夫、シーロの無残な遺体を持ってきた時。

 震えながら、このお薬で治せますかとこの容器を差し出したアリタに。

「それでは、どうしようもない」とフィンは答えたのだ。

 治せない、もう死んでいる、もう無理だではなく、『それでは』どうしようもない、と……。


 あれは、アリタが持つものが魔法薬ではないと知っていたから……!


「私が要求したせいで、病に苦しむ主のためにわざわざ隣国に赴いた者たちが、偽物をつかまされてしまったのだ。途中で死んでしまったり、そのまま国に戻られては、後味が悪すぎる」


「だから、ですか……」


 アリタとシーロを気にかけ、体調を崩したシーロに薬を渡し、アリタの体を揉みほぐし……と色々やっていた理由は。


「この後も一緒に移動し続けるのなら、できるだけ守るようにして、バルカニアに着いたところで本物を渡すつもりだったのだが――私はここに残るので、今、渡しておかなければならなかった。

 この本物の薬なら、主の苦しみを緩和させることができるだろう」


 フィンは『本物』をアリタに手渡した。


 そして、顔を出した。


「…………!」


 アリタも、周囲の者も、精神が漂白されたような顔つきになる。


 あらゆる者を魅了してしまう超絶の美貌が、神妙に、謝罪の仕草をした。


「万が一この子に何かあった時のために、今まで告げずにいたことを、どうか許してほしい。シーロも、守ってやれなくてすまなかった」


「は………………はい………………!」


 目を深く潤ませて、儚げな未亡人は答えた。


(ずるいです!)


 カルナリアは見とれつつ内心で地団駄を踏んだ。


 この美しすぎる顔を出された上でそんな風に言われては、アリタは怒ることもできないではないか!


 もちろんカルナリアも、自分のために黙っていたと言われてしまっては、フィンの秘密主義、いや言葉の足りなさ、説明不足、人の心の理解不足をなじることもできない。


 そもそも、ずっと黙っていても何の損もなく、だまされた無知な者など放っておいてもよかっただろうに、責任を感じて、守ろうとし続け、今ここできわめて貴重な魔法薬を譲ろうとしているのだ……。


(これだから、このひとは…………剣聖なんて言われるんですよ…………本当に、優しすぎる……そういう方なんです! まったくもう!)


 文句をつけたいのに、口元がゆるんでしまって、引き締めるのが大変だった。


「ここから先も、まだ色々危険はあるだろう。無事に国へ戻って、その薬を主の元へ届けてくれ」


「はい…………慈悲深きフィン・シャンドレン様…………これまで、ありがとうございました……!」


 アリタが涙ぐみ、うずくまった。


 もらい泣きしたライネリオとアランバルリが寄り添った。



残されていた謎のひとつが解けた。カルナリアは深く安堵した。シーロの遺体を、ひどい有様になりながらわざわざ運び上げてきたのも、守りきれなかった償いのためだった。こうしてまたひとり、「剣聖」の名を広める者が。

次回、第278話「新しい力」。ここへ来て何が。残酷な表現あり。



※余談

 179話の後書き参照。フィンがアリタを気にかけていたのはこういう理由でした。カルナリアは、「魔法薬」「アリタはタランドンで薬を買い求めた」などの情報は得ていたのですが、根がお姫様なので「客に偽物を売る」という売り手の存在が想像できていませんでした。


 アリタとシーロ夫婦は、プロットには存在しておらず、グライル編を書き始めてから「一般人女性がいた方がいいな」と、本当にその場で湧いてきたキャラでした。裕福なパストラとの対比もあって本当に普通の、むしろ弱い側のキャラとして設定。ではそういう普通の夫婦がどうして危険なグライル越えをと考えて、浮かんできたものが「主人に薬を届けようとして」というものでした。そこから、薬が偽物、フィンは気づいた、だから守ろうとした、別れの時に明かす……というここまでのアリタ関連の展開が決まってゆきました。


 アリタとももうすぐお別れ…………なのですが、彼女にはこれから先、完全に予想外の人生が待ち受けています。最終回直前、299話でその辺りは語られることとなるでしょう。

 

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