250 新しき第一日
昨日夜、最終話、書き上げました。
長くなった回の分割などの調整をまだ行いますが、この物語は、299話もしくは300話で完結します。
あと少しおつきあいくださいませ。
目が覚めるとかたわらに、フィンでもレンカでもなく、アリタがいた。
丸木を組んだものにむしろの屋根をかけた、最初のフィンの住処に似た、仮小屋。
レイマール兵たちが使っていた、潰されずに残っていたもののひとつらしい。
「おはようございます……すみません、寝過ぎてしまいましたか」
「いえ、お気になさらず。みなを治す、あのような大変な魔法を使ってくださって、お疲れでしょう」
「他のみなさんだって、もう動き出しておられるのに……」
「当分は力仕事で、できることはないから休んでおけと、フィン様から伝言をいただいておりますよ」
アリタは落ちついた笑みを浮かべると、洗顔をはじめ、カルナリアの身の回りをひととおり整えてくれた。
バルカニアでは夫と共に身分ある女性に仕えているという素性通り、その手つきは慣れたものであり、王女を相手にしてもほとんど萎縮する様子はなかった。
「本当に、カラントの王女様だったのですね。道理で、お肌はなめらか、立ち居振る舞いも高貴なものがうかがえて、いいところのお嬢様なのだろうなとは思っておりましたが」
「あう……」
ここでもやはり、偽装には失敗していた。
またその一方で、喉元に首輪がなく、『王の冠』の魔力も感じないことに違和感をおぼえてしまった。
すっかり首輪に慣れてしまっていたのだなあと、これまでの道のりを思い返しつつしんみりする。
そういえばあの革の首輪は、どこへ行ってしまったのだろう。中身を取り出しレイマールに差し出した後、どうしたのかおぼえていない。誰かに渡したとしても、グンダルフォルム襲来と大惨事の中で、踏みつぶされ、遺体か残骸のどれかと入り混じってしまったことだろう。
外に出た。
かなり寝過ごしてしまい、太陽は割と高いところにあった。
きらきらした、湾曲した壁――グンダルフォルムの死骸は、少しも変わらず横たわって、延々と続いている。
これは一体、どうするのだろう。
「王女様のお荷物が、崩れた小屋の中から見つかりましたので、後ほどお着替えをお持ちいたしますね。ファラ様が戻られたら『洗浄』なさってくださるそうです」
どうやら、ここへ連行された際、兵士たちが案内人の荷物を小屋へ運びこんでいた、その中にカルナリアのものも混じっていたようだ。
「あのあと、みなさんも次々と寝落ちていかれたんですよ。怪我は治ったけれども体力がもたなかったり、あれが退治されたことで気が抜けたりで。明け方は、死屍累々といった有様でした。
私も、恥ずかしながら、寝床を整えるより先に地べたで……みっともないところを、アランバルリ様やライネリオ様に見せてしまいました」
「…………」
限界を迎え寝落ちる無様をさらしたのが自分だけではなかったと知って、少しだけカルナリアは安心した。
確かに、視界の中にいる人々の動きは、昨夜の勢いとまったく違って、なんともだるそうで、疲れた気配が濃厚だった。
「……ご主人さまや、他の人たちは?」
見回す。
昨夜、寝落ちるまではなかった仮小屋や天幕がいくつも設置されており――瓦礫の撤去やものを運んでいる案内人たちや兵士はいるのだが、フィン、レンカ、ファラといったあの面々が見つからない。
「あの家のあった場所に。その奥にあるはずの抜け道を探しにゆかれました」
グンダルフォルムが炎を噴きこみ激しく爆発した『館』とその奥の洞窟。フィンが入りこんできた抜け道も埋まっていておかしくない。
きわめて小柄なレンカ、何でも斬れるフィン、風を吹きこんだり水を出したり色々できるファラというのは確かに、洞窟の探索に向いた面々だった。
……自分も混ぜてほしかった、そういうこともやってみたかったと、置いていかれたことを残念に思う。
だがもう、周囲の者がやらせてくれないだろう。王女という身分を抜きにしても、今やカルナリアはきわめて重要な、回復能力の使い手なのだ。
「怪我人の容態は?」
無事な天幕を見つけ、その中に収容し、寝かせているとのこと。
「今の所、みなさん落ちついておられます。トニアさんが、つぐないだからと、あれこれ世話を」
「そうですか……」
ゴーチェはまだ目覚めていないそうだった。
「あれの血や肉は、どんな影響が出るかまだわからないので、ゴーチェさんには与えることができなくて……申し訳ございません」
「いえ、謝ることではないですよ」
女騎士ベレニスも、貴族の生存者である彼女は治して色々と役立てたいとセルイが言い出し、そのためにもまだ効果が未知なものは与えられないとのことで――ひどい状態のままなのだという。
「あれを口にした人たちは、無事ですか?」
トニアを始め、グンダルフォルムの血肉を体に入れた者たちは――。
「そちらも、今の所は、何もないようです。むしろ元気になりすぎている様子で、だるそうなみなさんの分まで、力仕事に駆け回っていますよ」
「体にウロコができたり、手が鉤爪になったり、頭の中があれに乗っ取られたりはしていませんか?」
「そういう症状も、出てはいないようですね」
アリタはクスクス笑って答えてくれた。
「あなた様が寝落ちた後、あのダンという案内人さんは、裸にされて、一晩中、あれの切断面から体の中に押しこまれて……誰もかばってくれないので、容赦なく……窒息だけはしないようにして、血と肉の中に漬けられていたそうですよ。ずっと、許しを乞う声が聞こえていたとか……」
「それは……」
そういう実験もやっておいた方がいいことは理解できるが、光景を想像すると、さすがにダンのことが哀れに思えてしまった。
焚き火で焙られ少し焦げ目のついた香ばしいパンと、豆と茸のスープ、薄切り燻製肉という朝食をもらって食べていると、ゾルカンがやってきた。
「おう、嬢ちゃん、起きたか」
彼も少々眠たそうだ。
「遅くなりました。小屋をひとつ使ってしまって申し訳ありません」
「あんなとこですまねえな。不敬罪はなしで頼むぜ、がはは」
王女と知っても結局、ゾルカンは態度をほとんど変えないでいてくれた。
そこはありがたいと思う。
「……首輪がねえのは、なんか変な感じするな」
「困ったことに、私もです」
「わはは。体はどうだ?」
「休ませていただいたおかげで、かなり回復しています。どのくらいまでいけるのかは、ファラ様に教えていただかないとまだよくわかりませんが、すぐ空になってしまうことはないと思いますよ」
「助かる。とりあえず今日も、怪我してる連中の世話、頼むぜ」
「はい。……どなたから治せばいいのか、教えていただけますか」
全員まとめて、とはいかないのは今はもうわかっている。
命に優劣をつけるつもりはないし区別することもやりたくないが、順序を決めた方がいいことは事実だった。
「それは後で教える。その前に――抜け道探しの連中が戻ってきたら…………葬式だ」
「……はい」
「その後、これからのことを決めよう。
今、カラント側の代表は、嬢ちゃん、あんただからな」
「…………はい…………」
そうだ、レイマールがいなくなってしまった以上、本当に自分は、王にならなければならない!
もうひとり、間違いなくこれもカラント側の代表として顔を出すだろうセルイは……。
いた。
案内人をひとりと、ライネリオを連れて歩き回っている。
カルナリアの視線を追ったゾルカンが言った。
「あいつ、すげえぞ」
「セルイ様が、ですか?」
「ライズじゃねえんだよな。そうそう、セルイ。あいつ。
見つけたもの、食い物やそれ以外や、俺たちの、やつらの、生きてるやつ、死んで遺品残ってるやつ残ってないやつ、貴族とそうでないやつ……あっという間に整理して、全部頭に入れて、必要なものがあったらすぐ置き場所を教えてくれる。あいつ一人いりゃ、荷物整理から何から、こっちの手間が半分以下になるわ」
身分は低いのにガルディス王太子に取り立てられ、その最側近となった人物だ。その手の処理能力は抜群――カラント王国全体でも屈指だろう。たかが数十人分の物資処理など、遊びも同然に違いない。
「カラントでも、領ひとつ……何十万人も住んでいる広い土地を、まとめていた人ですからね」
「そりゃすげえなあ。ライネリオも、今まではまあ目端のきくやつだ、ぐらいだったんだが……ああいう、記録とか、計算とかさせるとすげえわ。あれも、でかい店の親分なんだろう?」
商会の会頭……具体的に何をどうしているものなのかはわからないが、それもまた相当な能力がないとつとまらないことは間違いないはず。カルナリアは頷いた。
「で…………だ」
ゾルカンが、あご髭を撫で、この豪快な人物が言葉を探すように慎重に言ってきた。
「嬢ちゃん。いや、王女様。あんたは――すまん、あなたは、今でも、フィン様との関係は前の通りですかい?」
ゾルカンに丁寧に言われると、ものすごく気持ち悪かったが、聞きたいことと、何とか丁寧に言おうとする理由はわかった。
「ええと……主人と奴隷ではなくなりましたが……その……わたくしたちの関係は……」
ここで言ってしまっていいのだろうか。
自分は王になると心を決め。
その民の、一番目に、フィンがなってくれたと。
しかしそれは、臣従ではない。
王の命令に従い、働き、税を納めるというようなことを要求できる存在ではない。
自分の国の中にいてくれる者というだけだ。
そういう存在を、どう呼べばいいのだろう?
「前と、変わってはいないと思います……あの方は態度や振る舞いを変えないでしょうし、わたくしも、何というか……あの方相手に王女です偉いのですなどとやるのは、無理ですし、やっても一切通用しないでしょう。似合わないからやめろ、と一蹴されて終わりだと思います」
「まあ、そうでしょうなあ…………ふうむ」
「何を気になされているのですか?」
「取引のことなんですわ」
「取引?」
もしや、グンダルフォルムを退治した料金を、剣士として要求してくるということだろうか。
「バルカニアへ連れていく。その料金の一部として、魔獣との戦いを手伝ってもらう。それがあの方との契約だったわけですがね……。
あれほどのお方とは存知上げなかったもんですから――今となっては、あの方から料金をいただくなんてとてもとても。
俺たちがあの方にお支払いしないといけねえ立場、要求されたら文句言わず何でもやらなきゃならんのです。
それこそ、死ねと言われたらその場でやってみせて、代金の一部にしなくちゃいけないくらいに……」
「…………なるほど…………」
その減額に口を利いてほしいということか。
理解はできる。立場が違えば自分も同じことを、「持つ者」相手にやらなければならないところだった。
それをせずにすんだのは…………あのひとが、自分を、守り続けてくれたから。
目に見える、わかりやすい敵だけではない、裏や奥からのものも防いでくれていた。今こそそれがよくわかる。わかるから、そばに来て、しがみつかせて欲しくなる。
「そして……あれ、です」
グンダルフォルムの死骸。
「血、肉は、食えそうだし、すげえ薬にもなりそうってのがわかってますし……骨とか、髭っていうかあの長い触手、体の毛、ウロコ、皮……魔法の道具で止めてるのをちょっと動かしてもらってわかったんですがね、あれがあんなに強くて何も通じなかったの、魔力をこめてたからだったそうで……完全に死んでる今は、めちゃくちゃ硬いことは硬いけど、俺たちの道具でもどうにか切り取ることはできる、ぐらいにはなってて……」
見れば、死骸のかたわらで何かやっている者たちがいる。
フィンがやったのだろう、ひとかかえほどはある切断した肉塊から、皮、鱗などを切り離してみているようだ。それについてまた色々調べるのだろう。
「で、それが…………売れそう、でして」
「…………ああ」
カルナリアでもわかる。最初の日、角豚の角を、肉とは別に運んできていた。魔獣の革、硬い骨などを使った武具を所持している騎士は沢山いたし、魔法具の素材、魔法をこめた武器などにも加工できる。
それがグンダルフォルムのものとなればどれほど貴重か。
カラントでもバルカニアでも、案内人たち自身も、欲しがる者がいくらでもいるだろう。
そして――グライルに入った、一番最初の時に、フィンが訊ねたこの地のルール。
狩った獲物は、狩った者の所有物としていい。
あれに従えば、このものすごい巨体の、とてつもない量の素材は、全てフィンに権利がある。
ずっと時間を止めこうして飾っておくわけにもいかないだろうから――ぐうたらし続けるためにも、誰かに高く売りつけるだろう。
案内人、カラント、バルカニア。それぞれの争奪戦が始まる。
そして今、最もフィンと関係が深く、有利に――ただでも分けてもらえそうなのが、カルナリアなのだ。
しかも今となっては奴隷ではなく、カラントの王女と判明している。
そして女神の、一番のお気に入り。
寵愛されていると、誰もが知っている。
カルナリアを亜馬に乗せるために、巨木に登って貴重な猿おっぱいを採集してくるようなこともした。
それなら……。
これまで商取引というものには一切縁の無かったカルナリアでも、ゾルカンが自分たちの関係を探り、案内人に有利になるよう運べないか狙ってくるのは、十分に理解できた。
ものすごく低姿勢になって媚びてこないのは、ここまでの旅路でカルナリアの性格がわかっていて、そういうことをされるとかえって嫌悪するからというだけの話。
それが通用するというのなら、この場で這いつくばってでも、フィンから多めの取り分を認めてもらえるように口をきいてくださいと懇願してきただろう。
彼は彼で、多くの者たちの面倒を見なければならない立場なのだから。
さらには、ここで言ってくるのも、好意であることは事実だが、カルナリアの心証を良くしようとするしたたかな計算もあるのだろうと読めた。
先に聞かされていなかったら、この後、案内人代表ゾルカン、カラント反乱軍代表セルイ、バルカニア代表ライネリオという、海千山千、一筋縄ではいかなすぎる者たちを相手に、フィンの代理としてカルナリアは交渉しなければならなくなるところだったのだから。
(ものすごく、めんどくさいです!)
だが、王というもの、すなわち人の上に立つということは、そうした人と人との関わり、利害関係に濃密に巻きこまれることでもあるのだ。
カルナリアはその第一歩を踏み出したのだった。
誰にとっても、人生で最も濃密で危険だっただろう一日の、翌日。
気が抜け疲れが押し寄せているが、生きていくために、誰もができることをやっていく。カルナリアも、ゾルカンも、他の者たちも、自分と仲間たちを生かすために。
次回、第251話「新米女王」。即位してまだ24時間経っていない女王が、カラント王国の未来を決める話し合いに挑む。




