248 人体実験
流血、人体欠損描写あり。
「さて」
と、食事の後、焚き火を背に、ゾルカンが言った。
ちなみにふたつ作られた雑炊の鍋の、片方は野菜やふやかしたパンなどで徹底的に拭われて、洗いものの必要がないほどにされている。誰もがひとくちでも多く口にしたいと望んだ結果だった。
「本当に色々あった、とんでもねえ一日だったが!
俺たちはこの通り、何とか、生き残った!」
振り上げた拳に、いくつもの拳と野太い声が応じた。
誰もが、今こうして自分が生きている喜びを心の底から実感していた。
「グンダルフォルムも、退治された!
もういねえ!
いねえんだ!
もう、隠れる必要も、里を捨てる必要も、仲間を見捨てる必要もねえ! 隠れ先じゃ食い物が足りなくなるからと、家族を減らすこともしなくてよくなった!」
おおおおお、とそれまで以上の歓喜の声が上がった。
案内人のほぼ全員が、エンフやドランも、涙を流し両腕を振り上げ感情を炸裂させていた。
グンダルフォルム目覚めの知らせで蒼白になり、痕跡を前にへたりこんでいた――幼少期からとにかくその恐ろしさを聞かされ続け、それが本当に現れた恐怖に押し潰されていた者たちにとっては、喜ぶなどという言葉ではとても足りない感覚なのだろう。
そして――喜び終えた彼らは、まるでよく訓練された騎士団のように。
ザッ、といっせいに。
地面に膝を突いて。
「フィン・シャンドレン様に、感謝!」
はるかな山嶺に祈りを捧げるのと同じ仕草で、カルナリアの隣にいるぼろ布姿の女性を向いた。
超絶の美貌をさらし、超絶の剣技をもって、超絶の魔獣を退治した彼女は今や、グライルの神の座についているのだった。
「めんどくさい」
と、女神は一言だけ口にした。
「さて、俺たちの女神さまのおかげで、こうして俺たちは生きのびて、とんでもなく美味いメシだって食えたわけだが!」
女神の反応は完全無視で、ゾルカンは再び声を張り上げた。
「俺たち人間は、この先のことを考えて、やるべきことをやっていかなきゃならん」
これからのことが語られる。
今晩はここで休む。
明日は、明るくなり外の状況がわかるようになってから、あらためて判断する。亜馬もかなりやられてしまったし、砦の外に出して連れてゆけるかどうかもわからない。最悪、ここにこもっている間に潰して食べることもあり得るとの話だった。
「で、動かしようのねえ連中のことだが――」
カルナリアは冷たいものをおぼえた。
手足を失い、もう移動できないどころか、運んでいったとしてもこの先どうやって糧を得てゆくのか見通しのつかない重傷者たち。
この先もこれまでと大差ない厳しさであるグライルを、そうなってしまった者たちを連れてゆくのか。
そんな余裕があるのなら、それだけ食料を、今後のための荷物を、色々と運んだ方が――すなわち、運べない者は、ここで……!
だがその考えは、役に立たない者はいらないと言い切ったレイマールとまったく同じで……。
「……普通なら、とどめを刺してやるべきなんだろうけどな」
ゾルカンがちらりとこちらを見た。
「我らが神のお気に入り、俺の上司にもなった、カラントのお姫様が治してくださったんだ。そんな真似したら怒られちまう」
「…………」
即座に役立たずを片づけるということにはならずにすむようだったが……どうするのか……重傷者たちは、どうされてしまうのか?
「で、だ。女神様と、ファラ様たちとも話したんだが――」
ゾルカンは突然、腕を上げ。
「やれ!」
鋭く言うと。
横一列になって、ほとんど闇に隠れるようにして立っていた、生き残りのレイマール兵たちが、俊敏に動き出した。
精神には大ダメージを受けているが、命令には忠実に反応できる、きわめて優れた身体能力を持っている彼らは、案内人の中の数人に飛びつき、押さえつけ、縛り上げた。
ダン。
ほか四人。
意識のない坊主頭のトニアも、両手両脚を縛られた。
トニア派――トニアに従いゾルカンを裏切った者たちだった。
男は六人いたはずだが、ひとりは死んだのだろう。
「落とし前は、きちんとつけなきゃならんよな」
「ゾルカンさん!」
カルナリアは飛び出したが。
フィンの手に、引き止められていた。
「大丈夫だ………………多分」
まったく安心できない言いぐさだったが、フィンが言うのなら、彼らが即座に処分されるということだけはないだろう。
「安心しなお姫様。殺しゃしねえよ」
かなり、ものすごく、きわめて意地の悪い笑顔を浮かべてゾルカンは言った。
「できるだけ早えうちに、確かめておかなきゃならねえことがあるんでな。落とし前として、お前らにやらせることにする」
コップと、何かを乗せた板が持ってこられた。
「あれの、血と、肉のいくつかだ」
青い液体。フィンが麻痺を少しだけ解除したのだろう、新鮮なもの。
肉は――血抜きはされたらしく、焚き火だけなので色合いは正確にはわからないが、少なくとも青みはない、カルナリアもすでに知っている普通の生き物の白身の肉のように見えていた。
薄切りにされた幅広いもの、小さく切り分けられた色濃いものなど、それぞれ違う部位のものらしい何種類かが板の上に。
あれもまたフィンが切ったのだろうか。
「こいつが、食えるかどうか、確かめる必要がある。
もしいけるんなら、食い物の心配はまったくなくなるからな」
ファラも進み出てきた。
「一応、肉の中に住みついてる虫はいなくなるように魔法かけたし、先に他の生き物にぶっかけてみて、肌が焼けるとか溶けるとか、肉に肉が触れたらぐいぐい食われていくとか、そういうことにはならないみたいだったから、ちょっとだけ安心してね。
それに、即死されたら実験にならないから、できるだけ治して、何ならもっと色々試してもらったりもするからね~」
「ちょ! 待て! ひでえ!」
ダンがわめいたが。
「何がひでえんだ。お前らが裏切ってなけりゃ、俺たちはこんなとこで、何人も何頭も死なせずにすんでたんだぞ。裏切った上に仲間を殺したつぐないを、これですませてもらえるだけありがたいと思え」
寛容さのかけらもなくゾルカンにすごまれた。
「あ、あの……」
カルナリアは人体実験を前にオロオロしたが。
「安心しろ。多分、いきなり血反吐ぶちまけたり、全身紫色に染まったり、化け物になって死んだりはしねえよ」
レンカに言われた。
「師匠やセルイ様にも話したんだけどな、あれ、毒どころかむしろ、すげえ薬になるかもしれないぞ」
「お薬!?」
レンカはマントを開いて、腰の双剣を示した。
「モンのやつがさっき、オレの攻撃防いで、すごい勢いで剣振るっただろ」
カルナリアは青ざめながらうなずいた。
目の前でゴーチェの筋骨が切断されてゆくすさまじい音が耳によみがえってしまう。
「あいつにゃ、あんなことできるわけなかったんだ。武器はいいもんだったけど、どこまでも素人だ。なのに実際にやった」
「頭が、その――壊れてしまった方は、時に常識を超えた力を出すことがあるとも……」
「ああ、そうかもしれないな。
でも他の理由もあるかもしれないんだ」
「他の………………まさか!?」
モンリークをべったり染めていた青い色。
グンダルフォルムの血!
「あれだけ浴びたんだ、口に入っててもおかしくないだろ。肌から染みこむことだって」
「あれを飲んだから、あれほどに強く……!?」
「可能性はある。
それをこれから確かめるのさ」
レンカは、実験が始まった方にあごをしゃくった。
「いやだあああああ! やめてくれええええ!」
「うるせえ、おい手伝え。棒突っこんで口開けさせろ。鼻から流しこんでやってもいい」
あのグンダルフォルムの血、というものに恐怖を抑えられず猛烈に抵抗するのを、押さえつけ、容器を顔の真上へ。
「ぐああああああああ! やだあああああああああ!」
「……おかしら………………まって…………」
弱々しい声がかけられた。
アリタが即座に動き、ファラも続いて、その声のもとへ。
人体とは思えないほどに小さくなってしまった、手足をすべて失った重傷者が。
もがいて、アピールしていた。
「そいつらは……若いし……働ける。
試すなら、俺たちを、先にしてくれ……このまま、死ぬしかないなら……せめて、そういうことで、役に立ちたい……」
右半身を失った者が、同じようにもがき、あごを失っているために声は出せないもののフゴフゴと音を立て涙を流した。
「お前ら…………こいつらで先に確かめて、いけるようならお前らにって思ってたんだがなあ…………だが、わかった」
ゾルカンは素早く決断した。
先に、葬儀と同じ祈りを――彼らへの別れを告げてから。
右半身なしの者の口に、血を流しこみ。
四肢欠損の者には、肉片をひときれ食べさせた。
「…………うめえ」
肉片を噛みしめて、飲みこんでから、怪我人は言った。
末期の、人生の最期に口にするものを味わう声音で。
それから、誰もが息を飲んで見守る中……。
「ぶおっ!?」
まず、細い棒を使って青い血を流しこまれた方が、牛獣人のような声を噴いた。
残っている左目を見開き、左腕を痙攣させ始める。
しかしそれは、苦悶ではなく――。
肉を口にした方も、四肢のつけ根部分を激しく動かし始めた。
「これは……レンカちゃん!」
ファラが、相手に触れ何か確かめてから、鋭く呼んだ。
「ここ! 薄く、切って! 血が出るように! ごめんね、ちょっと痛むけどじっとしてて!」
凍らされ、固められて止血されていた無残きわまりない傷口をファラは示し、容赦のないことを言い出した。
レンカは、剣ではなく鋭利な短剣を取り出して、すぐ言われた通りにする。
崩壊した顔面に刃が立てられ、赤いものが飛び散った。
苦鳴。カルナリアは目を背ける。
すぐファラの手から治癒魔法の光が放たれ――。
「やっぱり!」
少し流しこみ、ファラが手を離すと。
相手の、顔面が――眼球も頬骨も歯もなくなっていたものが。
若干歪んではいるものの、人間の顔と言って問題ないものに、修復されていた!
うおおおお、とみながどよめいた。
「ファラ様、すごいです!」とドラン。
「女神様!」「聖女!」なども呼ばれる。
「いやいやいやいや」
ファラは慌てて手を振った。
照れではなく、真顔だった。
「治癒――傷を治す魔法ってのは、治される側、傷ついてる人の、元々持ってる命の力を無理矢理引っ張り出すものなの。大抵の傷は、自然と治っていくでしょ。あれを何十倍にも早くしてるだけ。だから、傷は治っても、命の力を使っちゃうんで、疲れ果てる。モンリークが、はらわた治したあと、フラフラになってたのもそのせい」
「ムレブ先生も、同じこと言ってました!」
またドランが言う。
「なんで、重い怪我を治す時は、一緒に体力も回復させるようにしなきゃいけない。別な魔法だね。それやらないと、命の力を失いすぎて、傷はふさがってもそのまま目覚めず死んじゃう。今なら、あそこの二人がその寸前」
ゴーチェと、トニアが示された。
「ところが、この人、その命の力も、体力も、ものすごく強くなってた! だからどんどん治すことができたわけ!」
「あの、では、レンカに切らせたのは、なぜですか?」
カルナリアは訊ねた。
この後、自分も同じことをさせられるだろうから、詳しく知っておかねばならない。
「仕方ないけど、お姫様が、大雑把に治癒魔法ぶちこんだんで、あの崩れた状態が『治るだけ治し終えた』ものということになっちゃってたからだよ。そこに治癒魔法かけても、『治りきってる』んだから、それ以上治ることはない。
でも傷をつければ、それを治す際に『元に戻る』ように体が思い出してくれるから――それを高めてやれば、ね」
ファラの目くばせと共に、レンカが今度は曲刀を振るった。
ヒュッ、という一瞬の風切り音と、炎を反射した刃の円弧。
次の瞬間、左手で自分の顔面を撫で回し、右目も戻ったことに歓喜していた怪我人の、右肩回りが切断された。
意識させていないところに、一瞬の早業。
えぐりとられ、骨が見えた。
骨もきれいに切断され、内部の濃い色が見えていた。
直後に激痛が走り、絶叫するのを、押さえつけさせる。
「はい、腕も、生えてくるからねー!」
再び治癒魔法の光が放たれ――えぐられた肩の傷がふさがり、その先に肉が盛り上がり……光の中で、腕が、徐々に、復活していった!
ほどなくして、肘から先、手首、指先の爪まできちんとそろった、人の腕がそこに現れていた。
「おおおおおおおおおおおおおおお!!!」
叫んだ怪我人は、狂喜乱舞しようとして――そのまま気絶した。
「さすがに限界か。肉の形成は、生命力だけじゃどうしようもないから、体そのものを使ったからね」
ファラは言うと、ゾルカンに向いた。
「この通り、この血は、飲んだ人にものすごい力を与えるみたいです。この後、悪い影響出るかもしれなくて、まだ安心はできませんけど」
「そ……そりゃ……すげえ……すごすぎねえか!?」
「あれだけのとんでもない生き物の血ですから、不思議は――で、肉の方は……少し時間かかりそうではありますが……いや」
肉を噛み、飲みこんだ、四肢を失った者が、妙にぐねぐねしていた。
こちらは口が無事なので、自分の状態を説明できる。
「は、腹が、いや体が、熱い、すげえ、熱くなってきて……なんか、もう、やべえ、たまらん!」
目を血走らせ、鼻血もあふれてきた。
その視線がファラに――ファラの、体の特徴的な部位に、猛烈に向いている。しきりに鼻息も鳴る。
「あ~~~~」
ちらりと目を下に動かしたファラが、苦笑した。
「まあ、まだ残ってるそこに、血が集まっちゃうよね。どうやら肉の方も効き目すごいみたいだから、やっちゃいますか。レンカちゃん」
即座に、芋虫状の怪我人の、肩先にわずかに残っていた部分が、薄く切断されて。
先の怪我人と同じように、それほど経たないうちに、右腕がしっかり再生された。
こちらも、それ以上の治療は無理なようで、昏倒してしまったが。
「まあ、これなら、時間かけて何度かやれば、完全に元通りにできそうですね」
「すげえ……肉もか……」
ゾルカンが、感動の面持ちで、グンダルフォルムの死骸を見上げた。
わずかな血、肉片ひとつでここまでの効力があるのなら。
この巨体の中に残る血、これだけの肉は、一体どれほどの者たちを回復させ――どれほど、売れるだろうか!
「この後、何日かしてからまずいことになるかもしれませんから、慌てちゃだめですよー?」
「ああ、新しいものってのは、急いじゃいけねえのは、よくわかってる。全員が食うなんて真似はやらねえよ。……それでもな」
「気持ちはわかりますけどねー。
……で、ですよ。
もう一人、血を飲ませてみたい人がいるんですけど……剣聖さんも、手伝ってくれませんかね」
ファラは、トニアを目で示した。
「魔導師がどうなるかはぜひ試しておきたいんすよ。
回復して元気になるなら役に立ってくれるし、ダメになっても、私たちを危ない所に引きずりこんだ張本人なんで、知ったこっちゃないっす。
ただ、まだ何もわかってないだろうから、回復したら逃げるかもしれないんで――」
「わかった。その時は、斬ろう」
あっさりフィンは言った。
「なっ!? お待ちを!」
「お前を危ない目に遭わせた者だぞ。縛って、晒して、襲わせようともしたし、私にも斬りかかってきた。敵そのものだ。目を覚まして、敵対してくれるならむしろありがたい」
「気にかけてくださってありがとうございます、でも、いけませんからね!」
カルナリアは頬をふくらませてフィンをにらみ、フィンはぼろ布の中で、恐らく肩をすくめるような動きをした。
超ドーピング食材、大量に誕生……か?
ちなみに、サバイバルマニュアルで、野草が食べられるかどうか確かめるやり方(可食性テスト、Universal Edibility Test)は
「まず8時間前から何も食べない(他の食材の影響を排除)」「調べる植物を根、茎、葉、花などに分類(ある部位は毒でもある部位はいける可能性がある)」「手首や肘の上に置いて15分様子を見る」「唇に触れさせて3分待ち様子を見る」「口に入れ舌の上に乗せ15分」「咀嚼し、飲みこまずに様子を見る」「飲みこんで、8時間様子見」……という慎重な手順を踏むように推奨されています。
今判明している「食べられる野草」「いける山菜」などの知識は、こういうことを繰り返した先人たちの集大成なのです。ありがたいことです。
肉は肉で、様々な危険性、警戒方法、調理方法などがあります。
全員が同じものを食べないことも大事です。案内人たちも鍋は必ずふたつ以上用意するか、携帯食料のみですませる者を割り当てて、食中毒で全滅しないように注意しています。カルナリアは気づいていませんが。
さて巨大ヘビ、もしくは竜たるグンダル君のお味と効き目はいかに。次回、第249話「裁き」。




