220 フィンの問い
カルナリアは固唾を飲んでフィンの次の言葉を待ったが。
その前に、わっと喚声が湧き起こった。
「金だ!」
「すげえ、取り放題だぜ!」
「どけ! 邪魔だ! 俺のもんだ!」
「ケンカすんな! いっぱいあるんだからよ!」
山賊たちが、怪我していたはずの雑魚たちも、地面にばらまかれた金貨に殺到していた。
ばらまかれたものだけではなく、まだ口の開いていない財宝袋も、勝手に漁り、開き、中身を鷲づかみにして裏返った奇声をあげる。
フィンが放置していったのだから、自分のものにしていいと考えたのだろうが……。
集められていた者たち、みなが動いたわけではなかった。
山賊はほぼ全員飛び出し――客の中にも動いた者が若干いた。
いいのか、と周囲をうかがいつつも、とがめられる気配がなさそうなので、たっぷりばらまかれている金貨のちょっとでも手に入りそうなら……と狙って手を伸ばし、かがやきを手の中に。
だが案内人たちは、ほとんど反応せずきょとんとしている。
――下界からグライルへ入りこんできた、金を知っている者、金貨の価値やそれでできることを常識レベルで知り尽くし手に入れたいと切望している者たちと、グライルに生まれ育ち、それは下界の者が使うものだという知識を持っているだけの案内人たちとでは、金銀財宝に対する欲求がまったく違うのだった。
案内人たちにとっては、きらきらした小さな円盤は、きれいではあるが、野営地で便利に使える道具や怪我を治せる薬、より多くのものを運べる軽くて頑丈な背負い袋、天幕、荷運びに従事してくれる亜馬などの方がはるかに大事。
そういう価値観の者たちが冷めた目を向ける前で、目の色を変えて金に群がり、飛びつき、あさり、時には殴りあう下界の者たち……。
「浅ましい……」
高位貴族でもある騎士ディオンが忌々しげに吐き捨てた。
カルナリアも、金貨を鷲づかみにしきらめくものを片端から拾い集め奪い合い、少しでも多く自分の服の中に入れようとする者たちの姿には、ひとかけらも美しいものを見出すことができなかった。
「あのような者たちを部下に持つとは、上に立つのも難儀なものだな。私にはとても無理だ。めんどくさい」
フィンの声が降ってきた。
レイマールは――王の微笑みを絶やすことはなかったが、その身が青白いゆらめきに包まれたように、カルナリアには見えた。
「それで、自称カラントの王たる者へ、質問だ」
女騎士ベレニスがまた怒鳴るが、無視される。
「…………」
肝心の問いの前に、岩塔の半ばほどに貼りついているぼろ布が、揺れ動いた。
この場を取り囲む兵士たちを見回したのだと、カルナリアにはわかる。
思えば、あのぼろ布の微細な動きから色々なことを読み取れるようになっていたのだが、そのスキルももう不要になる……。
その兵士たちは、金貨に群がる山賊たちとはまったく別な生き物のように、人々全体を外から取り囲んで、ほとんど身動きしていない。
彼らはみな最低でも第七位以上の貴族階級で、浅ましく目の前の金に群がるほど貧しい者はいない。
だからその目つきには冷え冷えとした、軽蔑の感情が宿っている。
同時に、危険な気配をみなぎらせてもいた。命令が下れば即座に武器を振るえる準備を整えている。先ほどもフィンを討てと命じられて即座に動いた。
危険なグライルを通って帰国しようとするレイマールに付き従う者たちだ、バルカニアへ派遣された従兵はもとより精鋭で、その中からさらに選び抜かれた、最高最強の戦士たちであることは間違いない。
そういう、恐るべき戦士たちを見回してから、フィンは問うた。
「……これだけの人数を引き連れて、いつから、ここにいた?」
「…………ほう」
レイマールが感嘆するように言い、それと共に、額の『王の冠』が太陽の純白光を鋭く放ったような気がした。
「それを聞いて、何とする?」
「単純な好奇心だ。どうにもわからないのでな。
カラントの第二王子レイマールは、姉の出産祝いのためにバルカニアへ赴いていたと聞いている。ならば滞在しているのは王宮もしくはそれに準じた場所だろう。バルカニア王をはじめ貴族たちとの交流もひっきりなしのはずだ。
お前が本物の第二王子だとすれば、そういう状況の王子が、どうすれば、今、ここにいることができるのだ?」
「………………」
聞いたカルナリアは、全力で考えこんだ。
猛然と考えた。
フィンが疑問に思っているということは、とても大事なことのはず。
レイマールから聞かされた、彼らの行動を思い出す。
『流星伝令』経由で、最速で反乱発生の情報を得て、即座にバルカニアに暗殺されないように密行して、バルカニア側からグライルに入り、ゾルカン隊と同じような案内人たちに世話をしてもらいながら、ひたすらカラントを目指して移動し続け、ここへ。
グライルを越えるのには十五日ほどかかると、最初の頃にエンフから聞かされた。今日は……指折り数えて、八日目。両国のほぼ中間地点にあたるここで出会ったことに何の不思議もない。
レイマールも、まさにその通りのことを、いちから説明し始めた。
(…………いえ……)
カルナリアはその声を耳に素通りさせつつ、ひたすら頭を回転させた。
(ここは、案内人さんたちの野営地ではなく、敵対している者たちの砦……)
フィンは「いつから」と問うた。
「ここに」「どうすれば」とも訊ねた。
ここまでの自分たちの旅路での、野営地についてからの手順を思い返す。
地形、水場や風向き、周囲への警戒も考えつつ、天幕を設置する場所を選び、主柱を立て布を張り、床もできるだけ平らに整えて……その手間数、かかる時間。もちろん事前に安全な水を確保できる場所という情報を持っている上でのこと。
さらに、食事の準備、持ち運ぶ食材の量、薪の確保、水汲みの手間とかける人数…………カルナリアも何度も手伝った無数の苦労。
一方のレイマールは、あのような居室をしつらえ――いやそもそもこの砦に住まうガザードたちに場所を提供させ、この数の兵士たちが寝泊まりできるだけの、あの三角柱状の簡易住居を用意しているわけで。
今朝到着したばかり、ではない。
絶対にない。
カルナリアに飲み物を振る舞った際にも、「最初のうちはひどいものだった」と言っていた。
すなわち、昨日、あるいはもっと前からここに滞在していたことは間違いない。
(それを実現するには、いったい………………どのように話を持ちかけ、準備すればいいのでしょう?)
自分たちがグライルに入った流れを思い返す。
まずフィンが、グライル越えの秘密の道があることを、ひそかに教えてもらって。
今のカルナリアではついて行けないからと、三日かけて色々と山歩きのことを学習させられ。
その上で、場所を知られないように用心を重ねて移動させられ、さらに面接されたり試されたりしながら、やっとグライルに入れたのだ。
自分たちはカラント側から入ったが、バルカニア側からグライル入りするのでも、手間ややり方はそんなに違うものではないだろう。
ああいう警戒や試しを経た上で、あの居室を調える荷物や、先ほどの財宝箱や大きな国旗を運びこみ、この人数の兵士をここまで連れてくるには――案内人たちとどのようにつなぎをつけ、どのように交渉したのか。
それも外国であるバルカニアで。
ガザードはガザードで下界とつながっているとトニアは言っていた。
ならば事前にガザードともつなぎをつけたのか。
しかし案内人たちはガザードと敵対している。伝え聞く凄惨な殺し合いや実際に山賊を前にしたときの案内人たちの気配からして、嘘ではない。トニアが異例であり許されざる裏切り者なのだ。
そんな中、案内人たちに多くの荷物を運ばせながら、敵対するガザードの根拠地に滞在するには……。
(トニアさんのような、ガザードともつながっている案内人さんを見つけて、接触させて、ガザードと話をつけて滞在の交渉を……)
ちょっと考えるだけでも、無理だとわかる。
いきなりグライルを越えようと押しかけてきた大人数の、明らかにカラントの貴族とわかる者とその従兵たちに、案内人がそんな事情を明かし、協力するとはとても思えない。
ガザードにしても、いきなり押しかけてきたカラント貴族に、自分の拠点を明け渡し、好きに使わせるなどとは……。
だが、レイマールおよび兵士たちは、現実にここにいる。
不可能に思えることを成し遂げたのか。
案内人たちが、カラント第二王子という存在の威光に飲まれ、兵士たちの武威に屈したのか。
少なくともレイマールはフィンに、そのように語って聞かせた。
「かくして、我々は有能な案内人たちのおかげで、途中幾度か恐るべき魔獣に遭遇することもあったが、おおむね順調に旅を続けてここまでたどりつき、そなたが守ってくれた妹と再会し、『王の冠』を手にすることができたのだ。よろしいか、フィン・シャンドレン殿」
だが今のカルナリアは、そんな都合のいい展開を信じられるほど幼くもなく、もの知らずでもない。
どれほど懇願しようと命令しようと、立場や考え方が違い、一切受け入れてくれない相手というものは存在する。
どれだけ強く王族の権威をもって命じても、それを背負い、険しい道を運んできてもらう以外に、ここでは何かを手に入れる方法はない。
このグライルが、『流星』で一気に駆け抜けるような、急ごうと思えばいくらでも旅程を短縮させてくれる親切な場所ではないことも、身に染みるほどよく知っている。
ならば――レイマールの言うことが本当ではない場合。
あり得ることは。
真実は。
(………………!)
ひらめいた。
思いついた。
ある考えが、閃光として頭を駆け抜ける。
「ああっ!?」
衝撃のあまり、つい声をあげてしまった。
(で、でも、それは…………そんなことが…………!?)
とてつもない発想。
だがあり得ること。
この考えが正しければ、すべてに説明がつく。
フィンの問いへの答え。
「……リア?」
「…………あ…………!」
カルナリアは、蒼白になった。
恐怖の顔でレイマールを見上げ――後ずさり、よろめいて、尻餅をついた。
ゴーチェが駆け寄ってきてくれるが意識には入らず。
「…………どうしたんだい?」
気遣って見下ろしてくるレイマールに、ただただ恐怖しかおぼえず、さらに尻で逃れようとし続けた。
「……!」
何かを言う前に、激しく周囲を見回す。
みな、王女が突然倒れたことに驚いている。
兵士たちは――みな貴族階級に属する者たちだが、顔つきから見て、彼らはまったくわかっていない。
騎士ディオンも大魔導師バージルも、知らない気配。
女騎士ベレニス……今のレイマールと夜を共にする愛人らしいが、これも明らかにわかっていない。
……カルナリアの視界の中に、ひとりだけ、浮き上がった。
誰もが王女の突然の悲鳴と転倒に驚く中で、ひとりだけ、薄笑いを浮かべている者。
無様な姿を笑っているのではない。
カルナリアが気がついたということに気がついた、企みを見抜かれたことを見抜いた、鋭敏な観察力と、それを面白がる陰険な精神による表情。
レイマールによく似た雰囲気の、優美な青年。
セルイ。
レイマールと、セルイだけが、真実を知っている。
カルナリアは理屈ではなく、直感でそれを確信した。
「に…………兄様………………兄様は…………」
言うべきかどうかという判断をする余裕はまったくなかった。
震えながら、いやな汗をいっぱいにしたたらせながら、舌をもつれさせながら、カルナリアは必死に言葉をつむいだ。
「は……反乱が起きる…………それより、ずっと前から………………グライルに入る準備を、していたの……ですね……!?」
「……ほう」
レイマールの目に、鋭いものがあらわれた。
王宮の庭を駆け回っていたおてんば王女だったら、質問の意味も、返答のおかしさも、まったく理解できなかっただろう。逃げのびてタランドンに入った時でもまだわからなかっただろう。だが今のカルナリアにはわかる。集団の一員となり、百人近い人数が移動するためにはどれほどの手間がかかるのか、何日も経験してきたからよくわかる。そして考える。次回、第221話「時系列」。レイマールへの根本的な疑惑がふくらむ。




